6/22 最低賃金、高卒初任給を勘案して引き上げへ
ワーキングプアの問題に政府がかたちを示し始めたニュースが流れ出している。
野党系組織に身を置いている立場から、自民党政権で実現するのは癪という気持ちはあるものの、いつ起こるかわからない政権交代を待っていても、その政権交代する政党がワーキングプアにどこまできちんと政策を打てるか疑問なところもあるし、単純に時給を引き上げることの他に公正労働の実現というテーマではやるべきことはいっぱいあるので、野党にはそれを期待して、とにかく、政府の第一歩を評価したい。
1つは、政府の円卓会議が最低賃金を、小規模企業の高卒初任給を勘案し、全国平均687円から755円に5年かけて引き上げるという方針。最低賃金は地域差があり、このあたり(埼玉県や東京都)はの最低賃金はこれより高くなる。経営者団体が水準に難色を示しているらしいが、上げる方向性だけはやむを得ないというような感じか。
1つは、「官製ワーキングプア」と呼ばれ、アルバイト並み賃金でこき使われてきた公務員非常勤職員に、8月の人事院勧告で初めて、最低いくらで雇えという基準が示される見通しが出た。時事通信が単純に時給780円と示しているが、事務職員であれば、公務員事務職の給与を示す行政職(一)表の最低額1級1号俸は下回らないとする内容になるのであろう。ただしこの相場が妥当かどうかはさらなる踏み込みが必要であろう。
この時給の相場を高いと見るか低いと見るかは人それぞれだろう。
連合は時給1000円というわかりやすい目標をうち立て、民主党や社民党もこれに同調している。具体的な細かい積算根拠の数字ではなく時給労働者の待遇をあげる当面の国民運動的指標となる。
その1000円でさえ、時給しかなければ、1日12時間労働、週5日、50週働いてようやく年収300万円になる(12時間なので4時間は残業になるため、残業割り増しをちゃんと払うのであれば325万円である)。時給労働をしているのは女性で、子育てと両立すると保育園とのかねあいから、8時間労働が限界で、その場合、年収200万円にしかならない。ヨーロッパの最低賃金がさらに上回るが、アメリカ西海岸の自治体が7ドル~9ドル後半ぐらいで、為替レートにもよるが、この位を設定している。
200万だと1人で独立生計するのがやっと。子育てはかなりの努力が必要だろう。生活保護を申請することができれば、差額分支給される(例外もあり。子どもが大学に行っているなど、「贅沢」とみなされることをしてたり、貯金があったりの場合)。予備知識がなければ門前払いをされるが。
今の687円というのは、150万円にもならない。この金額は他の同居者がもっと稼いでいないと生活できない水準だと考えてよい。少なくとも家賃の高い首都圏では。となると、低賃金で人を雇った使用者は、その人の同居する家族を雇っている使用者から富を横取りしているとも言える。これが高度な資本主義として許されることなのだろうかという疑問が湧く。
それと今回、注目すべきなのは公務部門の非常勤職員の時給を示すことである。役所がワーキングプアを作っているという批判に善処する第一歩になる。その際、時給の水準は、正職員のように民間調査をするのも難しいことだろうし、えいやっという金額で勧告することも難しい。どのような算定根拠になるのか、どのような理屈で金額を決めていくのか、これからの人事院と公務員労組との話し合いのなかで明らかにされていくだろうが、おそらく正規職員の給料表の金額から割り返す考え方を示すのではないか。そうなると、業界標準の賃金の中で初めて正規職員との「均衡」による賃金水準が示されることになる。注目すべき点であろう。
●最低賃金の規制に反対したり引き上げに反対する人の論点は、①労使自治の徹底があれば最低賃金はいらない、②外国に仕事を取られる、③労賃を上げてコスト高にするよりデフレにした方がいい、という意見で反対されている。
①は観念的にはもっともだと思う。自由主義社会を維持する限り、これが最も望ましい。しかしこれは全国民的に労働組合に加入し、その加入者がお任せ労働運動になっていないことが前提になる。終戦直後の日本がこの理想型に最も近い状態だったが、政府による積極的な労働組合結成の支援が行われていたことも、考えにおく必要がある。
現実には日本人は労働者としての権利意識がきちんと根付いておらず、労使自治だけに委ねる前提が崩れている。また、雇用の規制緩和で、労使自治を貫徹できるほど組織力のある労働組合を作ることが困難な職場も増えた。労使自治に委ねていたアメリカも西海岸を中心に住民を守るために自治体で最低賃金「リビングウェッジ」を設定するところも出てきている。サンフランシスコ市では9.6ドルである。売り惜しみできない労働力という商品の特殊性から、最低賃金は必要だろう。
②外国に仕事を取られるということも、内容によると思う。人権侵害すれすれの働き方をしないと維持できない産業を国内に引き留めておくことはメリットなのだろうか。また、部品産業など、発注者責任はどうなのか。その皮肉な事例が自動車産業であろう。安い自動車を作るためにコストカットをしたら、部品を作っているのは日雇い派遣など雇用不安の若者ばかりで、その若者はクルマを買わないという皮肉。
話は戻すと、価格競争力がなく産業が移転していく先は発展途上国になるが、その発展途上国が経済成長すれば物価水準も上がるし為替レートも変更される。そうすると海外との価格競争力が、商品の安定供給などとからめて日本に優位性が回復し国内に産業が回帰してくる。現在、中国との関係でその傾向が出ている。
③は経済イデオロギーの違いだが、90年代後半から2000年代前半まで、物価が下がり続けるということが、単に物価も給与も同水準で下がるということだけではなく、担保価値の崩壊など滅茶苦茶な信用不安を引き起こし、金融が産業を食い散らかす結果となった現実がある。
また、給与が下がるときには、立場の弱い人だけ集中的に下げられるということも経験している。給与が下がらない富を独占している人に「既得権益」と批判する考え方もあるが、守る術のある人が「既得権益」をなかなか簡単には手放さない。好きこのんで、給与の何割かを経営者に返上できるお人好しをどう作るかという課題にしかならない。だから、政府事業の民営化とか、分社化とか、雇用形態の変更とか、雇用不安に直結する劇薬と合わせ技で飲ませてきたのだろう。
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