4/17 本当にゲッペルスだった
森田敬一郎さんのブログから、3月31日、NHKに関する参議院総務委員会の審議の様子を教えてもらう。2005年の小泉郵政解散総選挙で自民党の圧勝を導いた参謀としてよく名前に上がる、自民党の世耕参院議員が、NHKスペシャルをやり玉にして攻撃している。シルクロードとかは良かったが、ワーキングプアとか、格差社会とか、そういう一部の党派につく放送はどうか、と批判したのである。
国会質問の裏には、質問する側と質問される人たちとの間に、直接・間接の質問調整が行われており、表面に出ているのはこの言葉だけだと思うが、質問前には、国会質問以上の相当な圧力が世耕ならびに自民党の放送関係の議員などから圧力がかかっているとみた方がいい。小泉・安倍両政権でおいしい思いをしてきた議員というのは、マスコミを従わせることに異様な関心を持つことが恐い。
新シルクロードは悪かったとは言えないが、1980年の放送に比べるとはるかに物足りない。画像編集や撮影技術に溺れている感もあった。1980年のものは、当時の中国の厳しい生活環境、厳しい道路事情、中ソ対立やソ連国内の混乱などきわどい状況のなかで、未開の地を往くという感じの、鬼気迫るドキュメントだと思うが、昨年あたりからの新シルクロードは、迫力が足りないように思う。民放の海外紀行なみのもので、リラックスしてしか見られない。
社会問題に国民の目をそらし、海外旅行の欲望を刺激するだけにしろというものである。これがNHKの民放並みの経営努力という人たちのめざすところである。NHKにしかできないことはやってほしくないのだ。
民放で、ドキュメント番組がほとんど消えた。今の民放でドキュメントと言えば、警察密着ものか、家族ものか、地方公務員バッシングか、北朝鮮批判(これは繰り返し同じテープを使っている)だけである。それも、芸能人のおしゃべり大会のツマみたいなものがほとんどだ。
世耕は、郵政解散総選挙で大勝した参謀として、自民党のゲッペルスなどと呼ばれている。自民党に限らないが、自民党は、党人派と言えば目先の利権とポストに目を奪われてばかり、官僚出身者は霞ヶ関支配の社会システムに何の疑義も持たないでいる。そんな自民党内で、ゲッペルスという評価は、メディアを理解している知謀としての敬称でもあったように思う。しかし、こうしてNHKの報道内容まで介入するとなると、これは本物のゲッペルスであり、要注意どころか、政界から排除すべき対象ではないかと思う。
●古森氏の答弁がおかしい。議論を強権的に封じられた経営委員会の反対派が自説を主張する会見を行ったことに対して「あるまじき行為」と批判している。それは会社のように目的を完全に1つにする組織体ではその論理は通用しても、国民の多様な意見でチェックすることがタテマエになっている経営委員はそもそも意見が1つにならないことを前提として任命されている。そこで意見を封じられて抗議するのは当たり前であり、「あるまじき」などと批判すべき筋合いのものではない。
●あとあと読んでいくと、公明党がおかしくなっていると思った。少なくとも質問に立った、弘友、魚住両氏は、質問の内容が古森経営委員長、福地会長のヨイショばかりで、本質的な議論が少ない。公明党の良識は逆のかたちで現れるべきだろう。
●自民党の脇参院国対委員長が江田参院議長を至上最低の議長とこきおろしているらしい。
しかし、参院選前の自民党は安倍晋三がかわいいばかりに、小泉が恐いばかりに、国会で何をやってきたのか。国民政党であるという立場をかなぐり捨てて、NHK改革と電通の圧力を通じて画面を北朝鮮批判で埋め尽くし、国会審議の情報隠しと、議運・委員会審議での強行採決の乱発だったのではないか。今日の政治の禍根の半分ぐらいは、この時期に世論誘導と強行採決によって、筋から歪んだ法案を次々に通してしまったことにあるのではないか。その結果として年金特別便、後期高齢者医療制度などで大混乱が発生している。
また、議会運営は、議長の独断ではないものから、手続きに問題あれって批判すべきは民主党の議運のメンバーである。今回の議運での民主党の「暴走」の前例は自民党の議運メンバーがつくっていることも忘れてはならない。
●世界中で混乱している聖火リレーは、1936年ベルリンオリンピックでナチスのアイディアで始まったという。やっぱり政治的かつマッチョ的なものなんだ。無理して世界中、意味もなく走り回らなくてもいいんじゃないかなぁ。
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