3/22 精神修養であることを要求される子育て
家族が友人と会ってきた。世田谷区の高級住宅地に隣接するK市の保育事情についてひどい話を聞いてきた。
ここの市の市立保育園は、毎日、子供服を1人5着、靴3足、エプロン3枚、タオル3枚、布おむつ10枚、毎日持参、持ち帰りさせられる(常時ストックがあればいいというものではないようだ)、その服にはペンで直接名前を記入してはいけなくて、名札を指定の場所に縫いつけなくてはいけないというらしい。パーカー、ロンパースは禁止。そして子どもは一日中着替えばっかりやっているようだ。
緊急連絡先は市民じゃなければダメだったり(これは地主の子優先と言っているに等しい!)、とにかく親につきつけられる要求は、課題であり苦行に近い。とにかく、1日も早く仕事を辞めて、保育園なんか来ない方がいい、と要求されているようなものだ。
保育園に預ける子どもはかわいそう、親の愛情をそうしたところで示せというメッセージなのだろうが、暖かい家庭であるはずの専業主婦がここまでのことをしているのか、とも思う。また、保育者と保護者がお互いに苦行合戦をしている保育所なんて、何か歪んでいるとしか思えない。こんなこと強要して保育者は親を育てているという自己満足なんだろうけど、保護者は、ここにしか預けるところがないという中での我慢比べでしかない。職場で保育事情なんか無関係に仕事を押しつけられる中で、ポッキリ親が折れてしまうのは時間の問題である。
子どもにいることによる職業人生の挫折。公的機関がつまらないことに拘ることで、家庭が滅茶苦茶にされている。こんな援助論が児童福祉の教育でされているとは思えず、職場慣習の悪弊でしかない。
さらにHPで確認したら、1歳になるまで、8時30分~17時までしか預けられない。子育てしている親は10時から15時までしか働けない。失業せよという宣告である。びっくり。
これが共産党の市長まで出しておきながら、こんな悪弊が残っているとはびっくりだ。
夜大阪の自治体議員と意見交換をしたが、その中でこの話をしたら、大阪では考えられない話だ、とびっくりされた。首都圏の保育園ような、親に対する修行的な義務を課せられることが大なり小なりあることは考えられないらしい。スタッフの数では東京より大阪の方が厳しいから、保育園をまわしていくための事情ではなく、単なる悪習悪弊なんだということらしい。
●本田由紀「家庭教育の隘路」を家族が読んでいて、横取りして読む。本書のなかでの家庭教育を強調する言説への皮肉や、論理的批判に笑ってしまう。
20世紀末から、家庭教育が強調されてきたのは、小泉構造改革のような競争至上主義的な経済運営をすれば、労組や業界団体、地域社会のなどの中間組織が弱体化し、利己主義や個人主義を助長するため、伝統や規範、道徳などの再強化が奨励されることにあるという。
学者はこう書くが、実際に家庭教育を押しつけられる側から見ると、家庭教育を強調する運動をやっている人たちは、エコノミックアニマルそのままで、欲望に付け入る商売をやっていたり、自ら欲望に溺れるようなことをしていながら、国・自治体の教育や子ども関連の審議会や地域団体などに首を突っ込んで、親のモラル、子どもの社会性の低下を嘆き、早寝早起き朝ご飯運動や親育て運動などを推進しているということの矛盾のなさがこれを表している。
そしてこれが、金持ちの多く住むところになると、受験教育の早期化や、教育パパの誕生などという現象に現れ、金持ちが少ない(DQN多発地帯というべき)ところでは、親育ての奨励、親のモラル低下の告発活動、早寝早起き朝ご飯、長田百合子の流行、ニートビジネスなどという現象に現れてくる。
家庭教育なんかやってなくて、なんとなく地域やクラスメートの紐帯の中にころがしていくと、大半の子どもは教師が期待するような結果にはならなくとも適当にうまく育った時代の方がまともだったんじゃないかと私は思う。子どもがニートになるんじゃないか、変質者になるんじゃないか、フリーターになるんじゃないかと脅かされて、ビクビクさせられながら、教育ママ化、教育パパ化させられるのはご免だと思う。
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コメント
あまりの内容にコメントします。
オトナの言うことじゃないですね。バカバカしい・・(笑)
着替えは汚れたり汗をかいた時に必要なものであって、泥あそび・水あそびばかりやっている障がいのある園児だって一日5回は着替えませんよ(笑)まして靴を3足も汚さないでしょ!?
名前は誰のものかわかれば良いのであって、ジカ書きなんてありえない!
下に兄弟がいたらお下がりにできないでしょ!?
パーカーとロンパース禁止は、保育士が着替えさせるのが手間がかかるから?
だったらそんなに何度も着替えをさせなきゃ良いのに・・。
ちょっと考えたらわかるのに、何にこだわってそんなこと言っちゃうんでしょうね。
洗濯する手間を考えたら、ちょっと汚れたくらい、ダイジョブ・ダイジョブ・・って専業主婦は済ませてしまいます。
働くお母さんの方がずっと大変!!
投稿: m | 2008.03.23 17:32
「近頃の親は・・」と親のモラル低下や家庭教育の重要性を声高に叫ぶ人をみるたびにうんざりしてますが、それにすっかり洗脳されてしまって「近頃の親はねえー」と一緒に言ってる近頃の親=自分だけはきちんと家庭教育をしていると勘違いしているひと、にも正直かなりうんざりきます。
そういう人はそんなに素晴らしいしつけや教育をされたんだろうか?。
そんなことはなくて、本当に”なんとなく地域やクラスメートの紐帯の中にころがしていく”というものだったと思います。また紐帯の中で、大人は子供や親に対してもうちょっと寛容だったと思いますしね。
でもそんなこと言った日には、親の役割を放棄している、と非難されるのですが(嗚呼、精神修養)。
家庭の中に教育を押し付けていけばいくほど、他人には無関心になって他人の子をしかれない風潮になるし、自分の子さえ良ければ、になってしまう。社会の役割ってなんなんでしょうねってことになりますね。
投稿: 御神崎 | 2008.03.24 13:02
mさま
必要なことだけする、というのが子育てのコツですよね。余計なことして疲弊させて家族にいいことあるのか、と思います。
御神崎さま
おひさしぶりです。ブログ楽しみにしていますので、余裕があったら書いてくださいな。
家庭教育の強調は、子育ての閉鎖なんですよね。それがいい社会をつくるとは思えないんですよ。家庭教育がしっかりしているブルジョワの子って、歪んでいる子多かったなぁ。
投稿: 管理人 | 2008.04.01 20:42