2/23 議会傍聴メモ入手、市議会改革の請願は各党持ち帰り継続審議へ
市議会の改革請願を議論する2月22日の市議会委員会の傍聴メモが手に入る。
結論から言うと、与党会派多数の判断で継続審議になり、請願は採択も否決もされずに持ち越されることになる。
傍聴メモでは、最初に議案を議員に示す時期が遅いことと、議員の質問予定通告の締切が早いことが野党議員から指摘され議論されている。与党会派の議員は、おしなべて「今までどおりでいい」という発言をしている。野党議員の指摘では、議案の提示が締切より後のようで、これは問題だろう。議案が提示されて、問題点や課題を精査して、質問や討論の内容を考えるわけで、質問通告を早めに締切り、間に合わない質問については答弁でほとんど無視しながら、議案が締切を守らないで議員に示されているとしたら、これはアンフェアな議会運営をしているということである。野党に考える時間を与えないで、市役所がやりたい放題やれるということである。これでは議会がチェックできるわけがない。与党議員も、「今まででいい」などと呑気なこと言っていていいのかと思う。自分のところに情報が遅く入り、しかしレスポンスは早くしてくれなどというのは、市役所になめられているということだ。それとも早々と非公式な情報を流出させてもらっているのだろうか。そうであれば市役所は不公正な行政をやっているということである。
さらに質問は、文書持参かFAXだけとなっており、いまどきメールではダメということである。多分質問には答弁原稿が作られることから、答弁原稿を作るために、もらった文書やFAXを打ち直しているのだろう。恐ろしく議会事務局または答弁を作成する担当部課はムダな事務作業をしていると思う。こんなことにいちいち良いの悪いの言うこと自体、仕事に対する感覚がおかしい。きちんと必要な情報が簡便な手段で入ればどんな伝達手段でもいいはずだ。
あるいは朝霞市役所お得意の人の質問内容を勝手に要約して(つまり要約というかたちで市役所の都合の悪くない質問に希望的観測をまぜて書き直して)から答弁原稿を作っているのだろうか。議会の市側の答弁がどうもずれていると感じるのはこのせいか。
この後、議長から傍聴席の一部を報道専用にしたいという提案がされる。マスコミが市議会なんか取材していたことなんかあるかな。大新聞の地方欄、埼玉新聞、朝霞市議会のことは載ったことがない。私が前回傍聴したときなど、結構大事な節目の日だったけども、マスコミ関係者なんかいなかった。傍聴者の数を少しでも減らそうという魂胆じゃないのだろうか。そんなことより、与党議員も、自分の支持者の傍聴動員とかやったらどうだろうか。自分の仕事ぶりも見てもらわないで、敵対会派の議員の傍聴者に制限を課そうという発想が、民主主義じゃない。どうしても報道専用席を作りたいなら、それも税金でのサービスである。マスコミにちゃんと取材に来ることを条件にすべきだろう。
田辺議員が、以前助役が傍聴が増えたらモニターを付けるという話をしていたことを持ち出して、報道専用席設置をするならモニター設置を求めるが、議長はかたくなに拒否する。ここもずれている。きちんとした市役所なら、議場中継を全庁舎に配信している。それぞれの部課に関連する質問と答弁がどのように行われたか、確認するためである。
それから、最近は、議場中継ではなくて、インターネットによる記事映像の公開を行っている自治体も多い。朝霞市はベッドタウンなのだから、後からの確認ができない中継ではなくて、インターネットによる議事映像公開をすべきだと思う。自治体議会改革フォーラムなどは、具体的にインターネットによる公開が望ましい、と指摘しているのだから、田辺市議もそこまで思慮をめぐらせて指摘すればベストだったと思うが、昼間人口としか付き合わないでいると中継でとどまってしまうのか。
この際、議長の答弁に「万人に権利があるからといって、万人が遂行できるわけではない」と回答している。これは権利に対するとんでもない考え方である。「できるわけない」とするのは自由と民主主義を否定する考え方である。「万人に権利があるからといって、万人が遂行できないから障害を取り除かなくてはならない」というのが民主主義の番人である議長のとるべき言葉である。
権利とは、遂行できるよう保障されるべきもので、例えば、「土地の所有権があるからと所有権を遂行できるわけではない」などという論理は成り立たない。不見識な発言と言わざるを得ない。
次に傍聴席と議員控え室の間のドアが施錠されていることの問題が取り上げられるが、議長は通例であると一蹴した。この態度も問題である。立法を行う場所は、法律や通例を変える場所であるということを忘却したやり方である。法律や通例を守るべきは行政や司法であり、立法は、法律や通例を、合意によって作ったり変えたりする場所である。門前払いは問題ある。しかもその通例は文章化されているものでもないようで、議長は、改めてそのルールを作るなどと言っている。どこの議会に、傍聴者が議員とコミュニケーションを取りにくくしていることが正しいなどというところがあるだろうか。今どき、暴徒が押し寄せるようなことがあるとも思えず、むしろ議員と市民のコミュニケーションが活発であるべきだろうと思うのに。多数派の与党会派の議員が、支援者に傍聴をお願いしていないことがこ歓迎してないことが弊害になっている。支持者が傍聴に来れば、当然、議員のところにあいさつに行ったりする。そういうことから市議会は市民と近くなり、保守も革新も市民の共通利益をベースにした議論ができる。市民と遊離したところで、与党野党で言い合いをするから、不毛で形式的な対立しか出てこない。市民と議員との壁になるものは1つでも少ない方がいい。そういう改革を求めたい。
最後に議会改革を市民参加でやってほしいという請願事項について議論になる。与党会派は自らが正す改革をしてから、と逃げようとする。主権者と関係のないところで制度いじりをするから、ダメだし改革にならないと思う。市役所より市民に近いところに議員がある、と胸を張って言えるような改革のやり方をしてほしいものだ。
改革の請願については、継続審議とし、各会派で持ち帰って議論するとことになるが、それについて小山議員が会派のしばりではなく、全員協議会で自由討議をしたらどうかと提案しているが、スルーされる。議会の改革は会派のメンツよりも個々の議員の良心の問題のように思う。小山議員の提案は聞くに値するものではないだろうか。会派で縛ってしまうと、与党に大会派があり、そこが議長を出している以上、なかなか素直な議論にならないように思う。
| 固定リンク
コメント