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2007.12.18

12/18 大政党のあいさつの順序

塩田潮「民主党の研究」、山内和彦「自民党で選挙と議員をやりました」を読み終える。杣正夫「日本の総選挙1986年」を読み始める。

1986年の選挙は、ムードで1つの政党がなだれのように大勝する現象が始まった選挙。それまでの選挙は、支持団体の数、名簿の数で勝敗が決し、大勢が大きく変更するようなことはなかった(地方選挙のデータ、国政の市町村別のデータを見ると、本当に変化が少なく、政党の組み合わせ、議員の票田の取引が可能だった時代だということかわかる)。
このときから、新井将敬とか、柿沢弘治とか、小林興起とか、石波茂とか、討論番組で有名になる「若手議員」が出始める。それまでは自民党でも社会党でも、派閥の番頭ぐらいにならないとなかなかテレビの討論番組なんて出なかったように思う。

杣正夫「日本の総選挙1986年」では、野党の選挙について以下のように書いている。

第一に、総評を始めとする支援労組の選挙態勢が整っていなかったことである。総評の中核をなす官公労を代表するのは、国労、自治労、日教組の三組合であるが、何れの組合も社会党支持勢力と共産党支持勢力の対立が激しく、その上国労は国鉄の分割・民営化問題で、気勢か上がらず、大企業の民間労組も貿易摩擦と予期される円高不況の到来から、選挙どころではなく、選挙の足並みが全く整わなかったためである。その上、自民党が、落選中の前・元議員、新人候補、現職議員の三つどもえの熾烈な選挙を公認獲得競争を行ったのと対照的に、社会党の場合、一つの選挙区に複数の立候補者が立った例は珍しく、しかも、高齢や病気引退の場合を除いて、候補者の交替もほとんど行われない。このような無風状態が逆に選挙の活気を失わせ、自民党の方で、選挙運動の技術革新が進んだのに対し、社会党の側は、革新の名とは裏腹に、旧態依然たる選挙運動が続けられる結果となった。社会党の候補者は、支援の単産や単組に対する挨拶回りの順序が間違ったとか、応援に派遣された労組員の弁当代の額といったトラブルに、候補者のエネルギーの大半が費やされるという旧態依然たる選挙運動が行われていたのである。(この部分の筆者は堀江湛さん)

この下りを読んで、直前に読んだ山内和彦「自民党で選挙と議員をやりました」を思い出す。この本は昨年ベルリン映画祭て賞を獲得した、映画「選挙」の主人公が、自らの選挙をふりかえって本にしたものである。
候補者に決まって最初の仕事は、自民党関係者への挨拶回りでした。
(中略)このとき、大切なのは回る順番だと言われました。というのも、有力な支援者を訪ねるときにその順番を間違えると、「あっちは先に行って、こっちは後かよ」などと、お叱りを受けるとのこと。実際は、そんなことでは怒る人などそうはいないと思いますが、大きな組織では上下関係の細かい配慮が必要なのでしょう。

そして山内氏は、楽勝と見込まれていた小泉旋風の直後の川崎市議補選で、辛勝で終わる。

選挙というのは、統制が取れながら臨機応変に動けることが大事だが、あいさつの順序で揉めているような選挙というのは逆風が出てくると弱いということがわかる。昔と違って団体の親分が、構成員に秘密投票の内容まで無条件の忠誠を要求できる時代ではない。また選挙の働きかけも団体より地域中心になって、団体の統制だけを頼りにしていると他の陣営が横から票を持っていかれてしまう。大衆である団体の構成員の1票1票をどう掘り起こすかを考えるべきときに、あいさつの順序が違っていたからと組織問題を起こしていては選挙は勝てないということを示すエピソードを読む気がした。
幸い、社会党陣営は、89年のおたかさんブームで、あいさつの順序も大切だけども勝つためには優先しなくてはならないということを知った。しかしすでに時遅しで、あの後の転落は早かった。

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