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2007.12.30

12/29 朝霞市議会の敷居の高さ・壁の厚さ

29日の朝霞市議会を聞いて、見て思ったこと。

議案書1枚だけ配られて、資料が一切配られない。人権擁護委員の選任など、誰が選ばれているのか皆目わからなかった。住民投票条例も条例文がないので不便した。どうなっているんだろうかと思った。

市役所の幹部が、わざとか、頭が悪いのか、1人の議員が3回しか質問できないことを利用して、1回目の答弁ではほぼ全員がとんちんかんな答弁をしていたのではないか。与党議員に対しても。
例えば、今日の市議会ではプロボーザル入札の判断基準が不明確だと問いただした議員に対して、プロボーザル入札を定義した地方自治法の条文をオウム返しに読み上げ、同じ再質問をさせる。2回目の答弁では、地方自治法の条文に多少脚色をつけた答弁をするが、どの業者がどのような点数で選ばれたか結局、答弁も資料も出さず。3回目の質問をはぐらかして逃げ切り。ヤジも飛ばないので不誠実答弁を軌道修正させる仕組みもない。
朝霞市議会では3回の質問制限があるため、これでおしまい。1問1答方式の質疑ができないことの弊害を感じた。
それと議員自体が市役所に満足な説明を受けていないので、議員も市民に満足な政策提起や、選挙公約を作らなくて当たり前、というムードができるものなんだとも思った。

帰りに親交のあった議員、シンポジウムで協力してくれたり、丁寧なお断りのメールをいただいた議員の議員控え室に激励に行こうかと思ったら、傍聴席と控え室の間にガラス戸があってロックされている。議員がおいでよと言っても議会事務局の職員はカギを空けない。正面玄関から遠回りせよと言う。こんな議会、私は初めてである。
市民と議員の接触を断ち、情報を遮断して、特定の回路でしか議員と市民のつながりを作らせない、さまざまな巧妙な仕掛けがある。このようなコミュニケーションを切るようなことをして、よく議員が市民の代表なんて言えるものかと思った。

選挙でのビラや演説会のなさから始まって、議会傍聴席の遮断まで、行政が議会よりも民意よりも自分たちのためだけに優位に市政を執り行うためにさまざまな張り巡らされたバリアにびっくりした一日である。

●傍聴者用のトイレが薄暗く、男女共用なのには驚いた。

●施設も急階段、段差と、バリアだらけ。傍聴者用の入口は市役所の裏側にひっそりとあって、「裏口」という言葉そのもの。そこから上がる階段は狭くて、急階段で、薄暗く、「裏階段」といった佇まい。主権者は誰かということがある意味明確に意識づけられている市議会・市庁舎である。
四肢障害の人や、高齢者には敷居の高い議会である。ガラス戸のロックもあって、クルマ椅子の人はフリーアクセスではない。最も政治の光が当てられるべき彼らに傍聴に来るなという議会のつくりである。建築設計の世界で、かつて権威を見せるために段差をつけた時代があったようで、まさに今回のはその遺物である。

●基地跡地問題で、さまざまなアンケートに答えをはぐらかし続けた議員の8割は、市の原案に賛成する態度が決まってる、と確認できたように思う。これが金融取引であれば重要事項についての説明をせず契約させたとして罰せられるし、製造物なら製造物責任法で事故リスクを説明書に明記せず販売したとして無条件で製造主責任が問われるようなことがらである。政治の世界は、契約の概念があまりにもなさすぎると思う。

●そんなことを考えると、議会改革度ゼロ点の朝霞市議会だが、ゼロどころか、評価項目にない市民との壁を考えるとマイナス点も付くんじゃないかと思う。

●新座の星川議員による傍聴記録が書かれているので、参考にどうぞ。
いつもは口の悪い星川議員だからと先入観を見ずに。比較的フェアに書いている。
朝霞市議会傍聴記 その1
朝霞市議会傍聴記 その2
朝霞の市役所関連の会議に出ると、「朝霞市なりのやり方」という言葉がよく使われるが、よそで行われていることを見もせず、聞きもせず、狭い井戸の中でオレ流と言っているにすぎない。市庁舎の中にいる人以外は余計なことに口を挟むなということと同義語と思ってよい。比べて、確かめて、初めて朝霞市流のやり方が優れているかとうかがわかるものである。今日の議会傍聴では、議員と市民の遮断では、一番厳しいと言われている国会以下だと思ったし、市の議論のはぐらかし方のレベルの低さは、札幌市議会に出入りしていた時期があったからよくわかった。他市の議会、いい議会を見ていない人には、何の問題意識も生まれないのかも知れない。
新座や、和光や、富士見、あるいはもっと都内自治体で行われていることをきちんと見聞きして、財政事情や職員数の都合がつけば取り入れられるものはまねして入れてから、初めて「朝霞市なりの」という言葉を言うべきであろう。そういう意味では、市外の人との交流は重要であるし、市外の人の批判は謙虚に耳を傾けるべきだろう。

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2007.12.29

12/29 朝霞市議会・基地跡地利用計画への住民投票を否決

午前中、市議会の傍聴に行く。選挙後開かれた、12月議会の最終日。

①先決処分(本来は議会が判断すべきだが、業務遂行のタイミングと議会が合わなくて議会が開けない場合に市長が代理判断してよいとされている事項)の承認の審議では、朝霞駅の駐輪場の管理業務の委託契約について公明党の篠原議員、共産党の石川、斎藤議員、市民ネットの田辺、藤井議員が、委託決定の判断材料、委託費の積算根拠を明確にせよと問いただす中で、市側は、終始具体的な報告を出さなかった。

②補正予算の審議では、ごみ処理場のプラスチック分別ラインの建築費の補正が出されていたが、これが財政処理上、異例づくめのことで、公明党の篠原議員が批判していた。また共産党の石川議員、斎藤議員は、業者決定がプロボーザル(コンペ)方式で決められたが、その基準が不透明と批判。市側は明確な回答がなかった。ここでは、四小などの公共建築でたびたび出てきている、業者が応札辞退するという問題があったようで、どうも朝霞市は公共建築をする際に、業者から応札辞退されると、はいはいと予算をつけて発注価格を上げているようで、公共建築の請負業者のカモにされているのでなはいかという感想を持った。私も、十分に審査過程、審査基準、審査結果が情報公開がされないプロボーザル入札は実質随意契約であり、不正を排除しきれず不透明ではないかという感想は、市立保育園の民間委託のときに感じたことである。

③人事案件では、人権擁護委員は全会一致で承認。ただし小山議員が、挙がっている人の是非ではなく、人権擁護委員の任期について質問。上田県知事が県の人権擁護委員は4年で入れ替えると言っていることをどう思うか、と市長に問いただす。ナイス。
監査委員2人のうち、議員枠の1人については無記名投票に持ち込まれ、賛成16対反対6で佐野昌夫議員が選ばれる。監査委員がもともとの市長出身会派の議員でいいのかと思う。

④最大のヤマ場、基地跡地の利用計画案に対する住民投票条例については、無記名投票で、賛成9対反対14で否決。4月までの間で住民投票が行われる見通しが無くなった。提案者は田辺議員。ただし、賛成の票読みは6~7で、残りの2~3がどこから出てきたか不明。逆に賛成票の基礎票は7になるはずが6票しかなく、派手な選挙公約を反古にした議員がいるという噂も流れている。運動団体は真偽を確かめた方がいいと思う。

議案への質疑で、明政会(旧民主クラブ)の小池議員が「コストがかかるのでなはいか」という質問をする。田辺議員は「500万~2000万の範囲でおさまる」と答弁。小池議員が「それについてお金がかかるのではないか」と質問。しかしねぇ、基地跡地の計画は、総額で400億、見返り事業の市の負担分でも200億行くんじゃないかと言われている事業だけに、民意を確かめるコストは、微々たるものじゃないかと思う。
続いて同じく明政会の須田議員が「争点として市議選が行われ終わったのだから議会で判断してもよいのではないか、地域によって温度差があるのではないか」と質問。田辺議員は「38%の投票率の選挙で民意を反映できたとは思えない。市民の意見も十分にくみ取っていないから、投票をやる意味がある。温度差については、巨額な財政支出があるということで、影響は全市民的にある」と答弁。
共産党の斎藤議員からは、タイミングがどうか、という質問があった。これは私も同感だと思った。

総括討論では、最大会派進政会の野本議員が反対の立場から、①住民投票は否定しないが、②もう少し論点を整理し検討する案件である、③住民説明会、市民アンケート、パブリックコメントをまつべきだろう、④議会は執行部をチェックすべき立場にあり、住民投票は責任放棄だろう、議会制度を否定するものである、⑤議会は有権者の意思を代表する場と認識しており、住民投票は不要である、と発言。①~③ぐらいでとどめておけばいいのに、①と④⑤では矛盾する発言だと思った。何より、野本議員の政策ビラ見たが、何も具体的な公約が書かれておらず、精神訓みたいなものが公約として書かれていて、これで選ばれて市民の前で、自由に代理権を行使されてはかなわないと思う。
藤井議員、小山議員、斎藤議員から賛成討論が行われ、藤井議員は、巨額な支出を伴い、市民の長年の関心事だけに、市役所だけで決めるのも、市議会だけで決めるのも問題があるから住民投票は必要と発言。小山議員は、市民と市役所が対立する結論になりそうなときの解決の手段として住民投票は有効、そして市長が原案が正しいと思うなら、堂々と住民投票にかけて信を問えば不毛な議論は回避できる、パブリックコメントで計画案を修正しないと言い続けてきた市役所に、市民は何も軌道修正をかける場がない、住民投票しかないだろうと発言。斎藤議員は、住民投票条例を必要とする事態になったことが残念、みんなで基地跡地の利用を語り合い、合意をつくるべきだったのが、パブリックコメントでも軌道修正をしない、ゾーニングはコンクリートしたというなら、住民に判断を仰ぐしかない。全市民的問題である、と発言。藤井議員が適切。気になったのは斎藤議員が住民投票という手段が提案されたことは残念という受け止めである。共産党はやはり今でも住民投票に後ろ向きなのだろうか。

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12/28 官公労vs輸出産業労組という陳腐な対抗軸

仕事納めで今年の仕事は終わる。

定型業務中心の共済から、定型業務のない労働組合に戻って、生活のリズムが全く違うペースになったことと、会議に追われて、やり残し感の多い一年だったように思う。

●佐藤優「私とマルクス」を読み終える。

●職場の先輩から、日経の労働組合の連載記事のコピーを渡される。その中に早稲田大学の久米郁夫氏のインタビュー記事が掲載されていた。官公労対輸出産業の労働組合の勧善懲悪物語で陳腐すぎる。

80年代に輸出産業系の労働組合が労資協調になったり、小さな政府への改革を支持したことが日本経済の効率化によい影響をおよぼしたが、90年代の政界再編成の渦で官公労との分断を恐れる労働組合はなかなか構造改革に前向きな姿勢を示さなくなった。官公労と輸出産業を分断し、輸出産業中心の労働界を作れば経済発展がやってくるという論理。前著「労働政治」でも展開されていたストーリー。

しかし、産業構造も、中国やタイの後追いをして輸出を拡大して貿易黒字を追求するのか、イギリスやスウェーデンのように内需を拡大すべきか、そのあたりの路線も未整理なまま、輸出産業の労働組合が労働界を支配すれば改革が進むという断定をするにも無理がある。金融・サービス業従事者が増えていながら、労働組合の組織化か製造業中心でそこに追いつかないことで、社会的影響力を失っている現状を何も捉えていない。そして金融・サービス業というのは、労働集約型産業と体質が良く似ていることから、効率化に対して製造業と違う考え方を持たざるを得ないことがこうした論調には落とし込まれていない。80年代は輸出産業の高賃金がサービス業まで波及したが、今日ではその影響は小さいのではないか。製造業が労働界で及ぼす影響は小さくないが、賃金に関してはサービス業従事者からすると別世界になりつつある。
製造業が組合員数を大きく減らしながら、サービス業関係のUIゼンセン一人勝ちで組合員を増やしている状況は、産業構造や労働力の分布が大きく変化している結果であるし、オートメーション化のもとでの労資協調で合理化に協力し配分に預かるというここ30年ぐらいの労働運動の基調に限界があるということを示しているのではないか。

また、輸出産業の労働組合とて、偽装請負、偽装派遣などを全然チェックできないで今日に至っている。そうした労働組合自身の責任とも言われかねない社会問題を無視して、輸出産業の技術的先端性と国際競争力だけ着目して、労働組合も優れていると断定するのはあまりにも安易である。

改革という視点からも、官公労出身の村山富市元首相が、「改革」の象徴である規制緩和委員会を設置したり、地方分権推進委員会を軌道にのせたりした過去はすべて無視して、一方的な決めつけだけか先走っている。

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2007.12.28

12/27 山口二郎氏に嫉妬したからといっても

パキスタンのブット元首相がテロで死亡。いつかこうなるのでなはいかと恐れていた。ほんとうに残念なことである。

●反小泉ブロガー「世に倦む日々」がまた山口二郎に因縁をつけている。民主党が政権担当能力を示したいなら、一定の増税に言及すべきではないか、という山口氏の話に、官僚すりよりと批判しているのである。
また山口二郎に対する嫉妬と羨望のためにする批判である。こういうところで、世界標準の社会民主主義を知らない日本の左派の限界を感じてしまう。

しかし、これは今日、民主党を雰囲気的に応援している左派のもつ幻想を象徴する文章でもあるので、少し私なりに反論してみたい。

はじめに指摘した方が良いが、社会保障政策を充実せよ、という左派の主張から、増税をせず、税金の無駄遣いを一掃するだけで財源不足を解消てきるなどと考えるのは甘い考えだと思ってよい。そういう甘言を弄されて、増税反対を左派の主張とすることは、後々、社会保障制度の貧困になってしっぺ返しを食らう。保育所待機児童問題、生活保護行政のダメさ加減、ホームレスへの無策、これらは財源不足によって始まったことである。国民負担率だけアメリカや中国並みで、社会保障だけ北欧並みなどという政策は、人口が急膨張して、20歳~60歳人口がたえず急増している事態しか、可能にならない(それも後に年金給付でしっぺ返しを食らう)。

これは私が保育所政策で、規制改革委員会(当時)の市場化路線に対抗する作業の中で、どうしてもぶちあたった壁である。規制改革委員会が指摘するもっともな批判を解決しようとすれば、どうしたって財源投入が必要だが、小さな政府という枠組みをはめる規制改革委員会は、財源投入をせずに解決せよということになる。そうすると、ワーキングプアを大量に使って保育をやれという結論しか出てこない。厚生労働省関係の予算でムダそうだなというものも洗い出してみたが、そんな予算削ったところで、保育の問題を解決できる予算など捻出できるものではないというのが結論だった。政府のいう「中負担」という中では、個々の自治体による差はあるにしても、大枠で今の水準程度の社会保障を維持するのがやっとで、「中負担」では憲法25条の理念など実現できないという実感を抱いた。

税金の無駄遣いを排除すれば、増税しないで済む、というのが「世に倦む日々」の反論だが、ムダの根拠となる数字が何も示されていない。来年度予算での国債返還額と国債発行額の差額が実質的な赤字として、その額5兆円。景気が回復して税収が伸びている中で、やっとこの数字である。5兆円の不足というと、道路特定財源の倍、防衛費総額の1.5倍、支出のきりつめなんかで解決できる数字ではない。景気が悪くなれば、また10兆、20兆という数字にすぐ化けてくる。

この赤字分の支出切りつめをやろうとすれば、支出の半分近くを占める社会保障支出、なかでも割合の大きい年金や医療に切り込まなくてはならない。ところがどうだろうか。年金は世代人口のアンバランスで保険料収入に未来がなく、ますます税金に期待がかかるし、医療は医師不足だ、病院の赤字だ、ということで次々に財政投入の請求書がまわってきている。赤字の自治体国保の問題を解決することも課題である。その上に介護保険はますます大きくなることが予測されている。安倍晋三のように、それらの切りつめをやる、社会保障は家族の責任だ、と言い切ってしまえば、筋が通るが、「世に倦む日々」のような左よりの立場では、そんなこと言えるわけかないだろう。

私は小さな政府論者じゃないので、この5兆を埋め、かつ年金改革など社会保障政策の変更によって必要な財源が求められれば、財源と使途の地方分権も絡めてもう少し増税してもよいと思っている。その選択が、消費税なのか、法人税なのか、相続税なのか、道路特定財源やガソリン税の暫定税率部分なのか、議論のしどころはあると思っている。

赤字国債の発行も選択肢にあるが、今の日本の人口減、高齢化という状況のもとでは、景気の悪い時代にしか許されない。
景気回復期にあっては、赤字国債の返済に取り組まないと、不況期に赤字国債が発行できなくなる。小泉構造改革は、バブル期に赤字国債を解消しおかなかったことによって、赤字国債が発行できないという制約の中から、合理化されて採用された政策であった。小泉構造改革のような愚を繰り返さないためには、景気回復時に赤字国債を少しでも返済しておくことが必要だと思う。

今日発表された公金着服の未回収残高がせいぜい100億。会計検査院が見つけてくる税金の無駄遣いなんて多くたってこの程度。税金の無駄遣い一掃などといったって、個々の選挙区では、民主党の議員は、無駄遣いの一部にはぶらさがっているわけで(うちの埼玉4区も、民主党を支援する地方議員たちが基地跡地の開発の利権にぶら下がっている)、自分が公共事業の恩恵に浴していないからと、勝手なことを言って民主党支持層を煽るのもいいが、それでは政治にも選挙にも政策にもならない。
税金の無駄遣い一掃に期待するのもいいが、それは財源不足の問題とは別問題で、公正な行政が行われているかどうかの問題である。同時に解決しようというのは無理がある。
もう少し新聞でも拾えるような客観的な数字を出して言ってもらいたいと思う。

また経済思想の歩みから言うと、80年代前半に労働界が野党4党(当時)を通じて減税要求をし、後半に当時の野党が売上税・消費税反対に熱を上げ、増税に反対することがあたかも左の正義、弱者保護であるかのように宣伝された。しかしそれは労働者の多くが正規職員で安定雇用にあることが前提の話である。この時代には多くの労働者にとって社会保障給付など考えなくてよかった。安定雇用と安定した賃金がもたらすもののなかで家庭内で社会保障は解決できたからである。
しかし、90年代に入り、不況になって、労働者が不安定雇用に置き換えられていくと、低賃金で税負担がほとんどない代わりになんの社会保障もなく首切りが行われる、という時代に入っていった。一家の大黒柱に稼ぎを期待するのはリスクが大きくすぎるようになった。親が子を育て、子が親を養うには、人口バランスも雇用環境も変わった。企業や家庭内での福祉で対応できなくなった以上、政府部門による社会保障制度にぐっと救済を求めなくてはならない場面が増えてきた。
そうしたときに、右派は、増税反対、個人ががんばれ、家庭を取り戻せ、という主張ですっきりすることはいいと思う。しかし、左派が相変わらず増税=弱い者いじめ、という論理にすがって税金のことに向き合っている限りは、規制改革会議や、経済財政諮問会議、それらのイデオローグであるいわゆる小さな政府論者や新自由主義者などのイデオロギーの軍門に下らざるを得ない。00年頃の社民党の保育政策に多様な保育(時間)に対応するため「規制緩和を進め」という文言が入っていたことを思い出すのだ。

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2007.12.27

12/27 携帯しながら自転車乗る奴はシベリアへ行け

携帯メールを打ちながら自転車漕いでいるバカな高校生に遭遇。
ああいうのはシベリアに送れないものか。
駅前のパチンコ店の客が駅前の歩道を自転車で埋め尽くす。
ああいうのはシベリアに送れないものか。
シベリアでは根性を直すのではなく、懲罰として送る。
ああむかつく。
毎日、自転車公害にさらされていると、とにかく感情的になってくる。

交通評論家の故岡並木さんは、高齢者が自転車をとても恐れていること、高齢者が自転車による交通事故に遭って寝たきりや要介護状態になっていることを告発した。自動車の交通円滑化だけが目的になっている交通取り締まりによって、自転車が野放しになってしまっていることも批判している。

自転車の交通違反について、警察が指導強化に乗り出すという。しかし実効性はあるのだろうか、と思う。
自動車の違反摘発は、免許停止、免許剥奪を背景にして、行政処分が行われ、威力を発揮している。免許もなければ、当然免許停止もありえない自転車において、違反点数制度など意味を持たないし、取り締まりをしても、携帯メール打ちながら運転したからと交通刑務所に行きますか、という取締は、現実的にはよほどの悪質事例しか適用できないだろう。自転車が免許なしという制度のもとで、どんな指導をやっても、携帯メール打ちながら、ヘッドフォンを聞きながら、交通事故を起こす自転車ドライバーは消えないと思う。
自転車もバイク並みの免許制度を整備しないと、指導強化しても徹底できないだろう。
それと、自動車事故並みの高額の損害賠償、ひき逃げ事件に対する徹底捜査が欠かせない。少子高齢社会において、自転車というのは交通強者であるということを明確にして、犯罪として対応することが欠かせない。

●9時のNHKニュースの堀潤が出てくるとむかついてくる。民放のキャスターのまねをしているんだろうか、年金に関する浅はかな報道姿勢はとくに頭が痛くなる。
行方不明の年金を持っている人全員が順番を待っているのに、短気な人だけを見つけて、「ねんきん特別便」に行方不明の分が明らかになっていないとぶちまけさせ、批判を煽るニュースになっている。
行方不明の年金を誰のものか特定する作業は、それなりの手続きを通らないと、間違えた人のものになってしまい危ない。そのことをまったく無視した煽り報道としか思えない。
堀が出てくると、何が言いたいのか、何に問題意識を置いているのか、どう解決すべきなのか、まったくわからない感情的な報道でしかなくなる。受信料払ってまで見るべきニュースではない。

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2007.12.26

12/26 マンション業者が保育園を併設し始める(他市の事例)

待機児童対策に頭を痛めている自治体が多い。朝霞市もそうだった。

土地持ちとマンション業者に甘い市役所が、安全と構造以外はほとんど無審査に近い状態で建築許可を乱発し、急激に新婚・子持ち世帯が膨張してしまったからだ。

今、6~12歳ぐらいの子どもをもっているお母さんに、保育園事情で仕事を断念し、くやしい思いをしながらいる人がたくさんいる。95年からのマンションブームで朝霞に家を買い求めて住んだ人たちだ。

この問題を取り上げると、市職員も市議も、財政がねぇ、と口を濁す(たまに3億円もかかるんですよ、と血相を変えて反論する人もいる)。でもよくよく調べると、財源もさることながら自治体による土地取得については、地権者の打算がありすぎて、行政がどうしても必要だというと考えられないような価格をふっかけられるし、いらない土地があって現金が必要であれば、何だかんだと売りつけられる。悩ましい問題がある。結局、新しく建てたり、立て直したマンションは、住宅地から遠いところばかりで、マイカー通勤でなければ通うにたえないところばかりだ(余談だが、駅に近い都心部の保育園にマイカー送迎している保護者がいて、何とか入所の優先順位を変えてほしいと思う)。

保育園の難題は、財源もさることながら用地確保にあるようで、ここの部分は開発者利益というのか、マンション販売者に用地確保をさせるか、協力させることが重要なのではないかと思う。マンションが増えたら儲かるのが不動産屋で困るのが自治体である。

したがって、大規模なマンションやニュータウンを販売した場合、保育所税を課すか、保育所用地の提供を要求することが自治体として必要なのではないかと思ってきた。

ところがようやくマンション販売業者が自発的に保育所を用意して運営するようになってきた。2001年に神戸市で初めての試みだが、首都圏でも少しずつ始まったことは歓迎したい。

必死な思いをして住宅を買ってみたら、保育所は入れないわ、介護施設はないわ、病院は遠いわ、ということは珍しくない。マンション買った人が最初にぶちあたる壁が保育所不足である。

実は深刻な待機児童問題を経験した朝霞市の地域福祉計画にも、不動産業者の開発を行う場合、福祉施設を用意するよう行政が指導せよと書いているが、民間業者には何もしていない。昔ながら旧住宅公団の用地を高く間借りするかたちのものしかない。民間にやれと言って、自発的にやってくれるならこんなにいいことはない。業者も付加価値でマンションに保育園をつける動きが出てきた今がチャンスだと思う。

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12/25 住宅喪失に手を貸す規制改革会議

規制改革会議が、つまらない規制にばかりねちねち蒸し返す、水虫のような答申を出す。
混合診療、保育所の直接契約、マンションの建て替え手続きの簡素化、保育士試験の受験要件の緩和など、かつて議論にけりがついた話の蒸し返しである。

この中のそれぞれが看過できないものが多いが、今回、注目はマンションの建て替え手続きの緩和である。マンション含めコンクリート建築は本来70年はもつものである(地下鉄銀座線や、国会議事堂はまだもつし、同潤会アパートはまだもつけど再開発屋に取り壊された)。しかし、粗悪建築の告発者などの問題提起を悪用して、あたかも35年しかもたないように流布し、40年経たら建て替えなくてはならないような強迫観念を植え付けられている。最近では耐震問題が輪をかけて、公共建築など、耐震強度自身が根拠がなく、さらには耐震強度も大きく割り込んでいるものでもないのに、あちこちで建て替えなくてはならないような雰囲気が蔓延している。

大地震が来てみないと本当のことはわからない。阪神大震災のときの経験からは、耐震強度を割り込んでいるものでもその多くが、部分的に破損しながら使える建物として残るであろうし、耐震強度があると言われている建築物でも倒壊したり、大きく破損する建物も出てくるだろう。

そこにデベロッパー系列の管理会社に任せきりのマンション管理があって、建て替え手続きが容易になれば、どのようなことがおこるのか、恐ろしい話である。

35年かけてローンを返済して、5年、管理費だけで住んで、40年経たら、新しもの好きな人が騒ぎ出して、なんとなく建て替えが前向きなことという「空気」ができて、お金のない人が住宅を喪う、そんなことが部分的に起こってくる。そういう住宅喪失のプロセスを規制改革会議は促そうとしているのだろう。

●レッテル貼りと、嫌韓・嫌中パブロフの犬のような、反戦市民運動系サヨクに共通するダメさを、最近のウヨクに感じているが、そのことを宮台真司がKYという言葉の考察を通していろいろ書いている。参考になる。
政治的取引というのは、「お手討ち」の連続なのだが、それをわからないバカが、国際社会に通用しない自己満足な自己主張だけしようという目標で前政権に群がっていたウヨの人たちだということ。念力平和主義という言葉があるが、あれは念力ナショナリズムというべきだろう。

●NHKは安倍晋三の置きみやげの古森富士フイルムCEOが新会長を推挙し、そのまま決定。民間経営者という肩書きのもとに行われた政治介入に近い。
NHKに民間活力という言葉がよく使われるが、私はまゆつばだと思う。民放は視聴者が番組制作に関して監督したり物を言う立場にない。それがあるのはスポンサーで、民間活力とは、視聴者よりスポンサーを向けという言葉でしかない。
金主のない映像がほとんどない民放のアナログ放送の内容は惨憺たる状況。芸能人どうしがおしゃべりしている番組しかなくて、たまにルポルタージュらしきものがあると、だれでも思いつくような公務員バッシングか官製北朝鮮報道の垂れ流ししかない。そんな現状を見るにつけ、金主がスポンサーであるテレビには構造的な行き詰まりがあるのだろう。
今週の週刊文春にそのあたりをうまくまとめた記事がある。対価を払わない番組はろくでもなくなるということだろうし、対価を払う放送局どうしが競争しあう関係がほんとうはあるべきなのだろう。

●かつて交際していた相手にストーカー行為を受け続けた友人と、長崎・佐世保の銃乱射事件を他人事に思えないなどとメールでやりとりする。
この事件を契機に銃規制の議論が進んでいるが、一方で、一方的な逆恨みの精神病理について、どのように認識してどのように対処すべきか、きちんと共通理解が進んでいないように思う。一方的な逆恨み犯罪は、ストーカーという恋愛問題がからんだことばかり関心が特化している。しかし、今回の事件はストーカー的でありながらストーカー問題ではなく、親友を集め殺害する準備が見られたことから、逆恨みという観点で問題を捉え直すべきだと思う。
また加害者の家族が、いい歳をした息子に経済面で溺愛し、年金生活者でありながら多額のカネを送金していただの、銃だの高排気量のクルマだの、次々に買う資金を与えていたことがとても気になる。

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2007.12.23

12/23 山本孝史議員が亡くなる

家族の看護や自分の病気、忘年会ととにかくスケジュールがままならない1週間を送った。
ようやく病魔が家から去り、ほんとうにほっとしている。

買い物に繰り出すが、クリスマス前でどこも混雑している。

●山本孝史参議院議員が亡くなる。良心的で、社会保障制度を中心に目的意識の明確な議員だったので、議席が無くなることが惜しい。お悔やみを申し上げたい。
大石尚子さんの繰り上げ当選は微妙なおもい。

●社民党の新幹事長に、重野安正さんが就任。重野さんは、衆議院議員選挙区変更の都合で転居するまで、おばのご近所さんだった。
重野さんの出身・大分は先の参議院選挙で、民主の横暴で選挙協力ができなかったところ。そんなしこりの震源地から出た方を、幹事長にして野党共闘させることは、なかなか酷ではないかと思ったりもする。
大分1区はともかく、全体的に選挙協力をうまくまとめて、民主党の良心的な議員を増やすとともに、野党共闘で過半数を獲得することを期待したい。
昨日初日の社民党大会で菅民主党代表代行が、野党共闘をまとめて総選挙に勝利できなければ大連立の話が復活してしまうというスピーチをしたことは、民主・社民両党に警鐘を鳴らす意味で有効だったと思い、評価している。

●といいながら、わが埼玉4区については、民主党の現職(比例復活)が何をライフワークにしているのかわからないし、右翼的・反動的な議連に重点的に名前を連ねていて、今の状態では良心的な議員とするのは厳しい。まして、民主党の方針からするとどうかと思われる、基地跡地の国家公務員宿舎建設、それと見返り公共事業に反対しないどころか、最近の朝霞市議選で公認条件として、それらへの賛成まで求めたという話まで聞こえてくる。
一方、自民党の現職は、党是と派閥方針である改憲論者という限界はあっても、原爆症被害者の救済や離婚後300日に産まれた子どもの父親を一方的に推定してしまう現行民法の改正などに取り組んでいる。今回の薬害肝炎の救済でも、政府の謝罪しない救済方針に異を唱えており、与党内からの見直しの声の1つになっている(早川忠孝さんブログ「言葉の力/肝炎訴訟と原爆症訴訟」より)。
昨日、強烈な政権交代論者と会う機会があったが、うちの選挙区は話は別ですよ、と言わざるを得なかった。

●福田首相の決断で、薬害肝炎の被害者に救済が動き出したことを、率直に喜びたい。この薬は手術等特別な状況でしか使わず、専門的な薬だと思う。本人がリスクを判断して使用の可否を判断できたような薬ではなく、薬の認可に関わった人たちの責任は大きいと思う。

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2007.12.21

12/20 東上線に新しい特急ができる

少し古い話しになるが、東上線に座席指定特急ができるというニュースがあった。
私の住むところは池袋からさほど離れていないところなので恩恵はないが、遠距離の通勤者はつらいだろうなと思っていたので、いいことだと思う。とくに、有楽町線の開通以来、急行の停車駅がいくつも増え、遠距離利用者にとっては、ひどい状況になっているため、こうした対応は必要だろう。
身体障害者や高齢者などが安心して利用できる電車になるためにも必要だと思う。

しかし、今回の対応には難点もある。

座席指定特急のために入れる新車というのが、長いすとボックスシートを組み替えられる車両だという。一見いい話のように思えるが、実は良くない話なのだ。
今の通勤電車の長いすは7人がけたが、この車両は6人がけになる。したがって従来の通勤電車より着席率が落ちることになる。もちろんボックスシートに変えても座席が増えるわけがないので、何だか意味がわからない車両が入ってくることになる。
座れる特急を走らせるなら、遅延をつくらない程度にドア数を削り、最大限の座席数を確保した車両を用意すべきだろう。

また、停車駅が何だか変である。乗降客数の少ないふじみ野と川越市は余計なような気がする。とくにふじみ野は、東武の住宅販売のためにやるのだろうか。割り増し運賃を巻き上げておきながら、森林公園と小川町の間の複線化のためにお金を使い、そこに住宅開発を行って一儲けした過去を思い出す。

東武鉄道は、特急の愛称を3つ挙げて投票させているが、3つともどうしようもなくダサくて選びようがない。どれも勘弁してもらいたい。これはどうでもいいことだけども。

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12/19 集団団体交渉を取材

19日、自治体の臨時・非常勤職員の労働組合の成功例として、首都圏K市の労使交渉のVTR撮影をした。官民通して、珍しく、職域別に組合員全員による団体交渉を行っている組合である。

ここは組合活動に関して先進的な自治体であり、臨時・非常勤職員の雇用継続に関する交渉をしなくてよいぐらいのところである。しかし、賃金単価は時給800円~900円。自治体の高卒初任給の時間割より相当低い。東京都を一歩でも出るとこのようなものなのだろうか。
今年、市役所が提示した賃上げは、一律時間給あたり10円というもの。最低賃金の底上げに比べると低い水準である。

交渉中にたった4人の図書館司書に10円の賃上げすらできなくて、組合員が情けなくて泣き出す場面も。そこには賃上げだけではなくて、ジョブローテーションだとかキャリア育成という名のもとに、たらいまわしでやってくる正職員に、当たりはずれがひどいことや、自らの仕事の専門性や尊厳に対するこたわりということもあるのだろう。言えない言葉をすべて賃上げの中に込めているようにおもえた。

国保収納の最前線でたたかっている収納員も、毎年1000万円ずつ収納金額を上げ、その地域ではトップクラスの成績をおさめているのに、賃金では評価されず。サラ金の取立屋を雇うこと考えたら、1000万円のためなら、もう少しと成果配分があっても、と思うものだが。

交渉と交渉の間に組合執行部と、市の人事担当者の意見交換が行われていたが、看護、薬剤、保育、栄養士など、国家資格に関係する臨時・非常勤職員の人材難は厳しい事態におちいっており、公共サービスを低賃金で働かせることで片づけてきた自治体の行政改革も限界に来ているように思えた。

「人件費の高い」団塊の世代が大量退職し、人件費が浮いてきている今、こうした最前線で働く自治体の臨時・非常勤職員の待遇改善を図る最後のチャンスじゃないかと思う。それを避けて通ると、公共サービスの質どころか、量的なものの底割れが始まるように思えた。

しかし、現実に公共の場で話させることと言えば、弱者救済、地方への格差是正、みんな道路を造る、橋を造る、そんな話しに逆戻りをしてしまっている。高齢化社会をのりきるためのシステムづくりや、自治体にしかできないこと、それは人的サービスの充実が避けられない。

別の自治体の話だが、独居や、子どもを抱えて働く臨時・非常勤職員の中には、生活保護(生計費-賃金の差額)を受けながら働いている人もいた。それなら、という感じかしないでもない。生活保護費を出すなら、生活保護のケースワーカーを付けるぐらいなら、と思う。

●体調を崩し寝込んだ後、「医龍」を見る。岸辺一徳の役である野口というCEOの役作りも言っているセリフも外資に頼る姿勢も、規制改革会議の八代尚宏氏にそっくりで笑ってしまった。

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2007.12.18

12/18 朝霞市議会の議長は陶山さん

朝霞市議選後、初の市議会があり、議長は、議長選挙の結果、陶山憲秀さんに決まった。

議長選挙は
陶山憲秀(進政会) 13票
篠原逸子(公明党) 7票
斎藤弘道(共産党) 3票
獅子倉千代子(拓政会) 1票
合計24票棄権なしという結果になった。

陶山さんは、お坊さんで、審議会・委員会の発言でも、穏健な保守としての姿勢が見られる。厳しい課題が多い、この4年間の朝霞市議会での運営を、行政府に対しては勇気をもって、かつ市民の代弁者たちが議論する場の長として慎重に行ってもらいたいと期待したい。

Kyukeichu傍聴に行った友人によると、9時にスタートして15分で休憩(裏会議)。16時に再開、15分で議長選挙をして、再び休憩(裏会議)で現在も休憩中だとか。傍聴者にあれこれ規制をかけ、資料も渡さず、自分たちの都合だけで密室に籠もって市民に聞かれたくもない会議を続けているとは、恥ずかしくないのだろうかと思う。

新人が大量に当選した市議会だが、運営は相も変わらずということで、きちんと原理原則をふまえて元気良く変えていく人がいないものだと改めて痛感。議長選挙の結果も、同じ与党会派どうしで争っていたり、野党議員が与党議員に投票していたり、不可解な数字も多い。
地方議会かわかりやすくまともになるにはまだまだ時間がかかりそうだ。

基地跡地利用市民連絡会が、15日に議員ヒアリングを行った。市民ネット、共産党、小山議員の3人が出席したのみで、保守系は、基地跡地への国家公務員宿舎建設反対を訴えた神谷大輔議員すら来なかったようだ。市議会議員ともあろう者が、正々堂々と自説を主張できないのだろうか。

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12/18 大政党のあいさつの順序

塩田潮「民主党の研究」、山内和彦「自民党で選挙と議員をやりました」を読み終える。杣正夫「日本の総選挙1986年」を読み始める。

1986年の選挙は、ムードで1つの政党がなだれのように大勝する現象が始まった選挙。それまでの選挙は、支持団体の数、名簿の数で勝敗が決し、大勢が大きく変更するようなことはなかった(地方選挙のデータ、国政の市町村別のデータを見ると、本当に変化が少なく、政党の組み合わせ、議員の票田の取引が可能だった時代だということかわかる)。
このときから、新井将敬とか、柿沢弘治とか、小林興起とか、石波茂とか、討論番組で有名になる「若手議員」が出始める。それまでは自民党でも社会党でも、派閥の番頭ぐらいにならないとなかなかテレビの討論番組なんて出なかったように思う。

杣正夫「日本の総選挙1986年」では、野党の選挙について以下のように書いている。

第一に、総評を始めとする支援労組の選挙態勢が整っていなかったことである。総評の中核をなす官公労を代表するのは、国労、自治労、日教組の三組合であるが、何れの組合も社会党支持勢力と共産党支持勢力の対立が激しく、その上国労は国鉄の分割・民営化問題で、気勢か上がらず、大企業の民間労組も貿易摩擦と予期される円高不況の到来から、選挙どころではなく、選挙の足並みが全く整わなかったためである。その上、自民党が、落選中の前・元議員、新人候補、現職議員の三つどもえの熾烈な選挙を公認獲得競争を行ったのと対照的に、社会党の場合、一つの選挙区に複数の立候補者が立った例は珍しく、しかも、高齢や病気引退の場合を除いて、候補者の交替もほとんど行われない。このような無風状態が逆に選挙の活気を失わせ、自民党の方で、選挙運動の技術革新が進んだのに対し、社会党の側は、革新の名とは裏腹に、旧態依然たる選挙運動が続けられる結果となった。社会党の候補者は、支援の単産や単組に対する挨拶回りの順序が間違ったとか、応援に派遣された労組員の弁当代の額といったトラブルに、候補者のエネルギーの大半が費やされるという旧態依然たる選挙運動が行われていたのである。(この部分の筆者は堀江湛さん)

この下りを読んで、直前に読んだ山内和彦「自民党で選挙と議員をやりました」を思い出す。この本は昨年ベルリン映画祭て賞を獲得した、映画「選挙」の主人公が、自らの選挙をふりかえって本にしたものである。
候補者に決まって最初の仕事は、自民党関係者への挨拶回りでした。
(中略)このとき、大切なのは回る順番だと言われました。というのも、有力な支援者を訪ねるときにその順番を間違えると、「あっちは先に行って、こっちは後かよ」などと、お叱りを受けるとのこと。実際は、そんなことでは怒る人などそうはいないと思いますが、大きな組織では上下関係の細かい配慮が必要なのでしょう。

そして山内氏は、楽勝と見込まれていた小泉旋風の直後の川崎市議補選で、辛勝で終わる。

選挙というのは、統制が取れながら臨機応変に動けることが大事だが、あいさつの順序で揉めているような選挙というのは逆風が出てくると弱いということがわかる。昔と違って団体の親分が、構成員に秘密投票の内容まで無条件の忠誠を要求できる時代ではない。また選挙の働きかけも団体より地域中心になって、団体の統制だけを頼りにしていると他の陣営が横から票を持っていかれてしまう。大衆である団体の構成員の1票1票をどう掘り起こすかを考えるべきときに、あいさつの順序が違っていたからと組織問題を起こしていては選挙は勝てないということを示すエピソードを読む気がした。
幸い、社会党陣営は、89年のおたかさんブームで、あいさつの順序も大切だけども勝つためには優先しなくてはならないということを知った。しかしすでに時遅しで、あの後の転落は早かった。

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12/17 アリコに業務改善命令が出ていた

アリコが金融庁に業務改善命令を受けていたことが明らかになった。通販の医療保険の広告で不当表示をやっていたということだ。保険金を満足に払いもしないのに「誰でも入れる」というような宣伝をしていたことが問題になったのたろうか。

保険の仕組みは、保険料の総額から営業経費を差し引きいた額から、保険金が支払われる。営業経費かかかっている保険は保険料の割に保険金か少ないし、誰でも入れる保険なら、支払われる保険金は少ないか支払われるチャンスが少ないということになる。誰でももらえる一時金というのは、それを差し引いた本来の保険部分に充当される保険金か少ないということになる。安定した運営をしたい保険なら、病気になりそうな人、死にそうな人をできるだけ排除すればよい。テレビや新聞、雑誌に広告を派手に打ってお金を使い、営業経費をかけながら、だれても入れる、一時金か出るとやっていれば、困ったときに払われる保険金は相当絞られると考えるべきだろう。
社会保険ですら「払った分の年金」なとと言っている国においては、ちちんぷいでみんなか払った保険料以上にお金が出てくる仕組みなと、民間保険にはまずない。

なぜ悪質な外資系保険かのさばってしまったのか。その裏側にアメリカ商工会議所による日本の保険行政に対する猛烈な介入がある。

今、金融庁は、アメリカ商工会議所のいいなりになっている。もっとも対米従属がひどい官庁である。
そして、今進められていることは、日本社会で、同業者、同僚、同じ問題を抱えた人どうしなどさまざまな人間関係に根っこを張って運営してきた共済・互助会に対する保険業法適用である。その一方で外資系保険業者の不埒な営業を野放しにしてきた。

もちろん共済・互助会でも、オレンジ共済のような問題になった共済もあって一定の規制は必要ではある。しかし今日金融庁がアメリカに言われてやっていることは、こうした共済・互助会に必要以上の規制をかけ、必要もないリスク管理のために金融でメシをくっている人の食い扶持を増やすこと。そのことにより共済・互助会を高コスト体質にすることを義務づけ、共済・互助会の経済的優位性を奪おうとしている。結果として大資本の保険業者の集中と寡占化が進む。規制緩和の世の中の流れとは逆行していると言ってよい。

共済・互助会の中には、既存の保険業者では中間コストがかかりすぎて運営できないものや、知的障害者の家族会が運営している共済のように、既存の保険業者がリスクを把握できないからと門前払いをしてきた人たちが、やむにやまれず始め、あれこれ工夫して何とか運営してきたものも多く、共済・互助会規制の強化は社会問題化する様相も孕んでいる(知的障害者の家族会が運営する共済の場合、民間保険にやってもらうと保険料が2倍になるということだ)。これまで共済・互助会を運営してきたこうした団体が、制度を維持しようとすると、大手保険業者に運営を委ね、その営業機関にならざるを得なくなる。しかしその営業機関になろうとすると、その資格を取り、維持するために多大な労力を必要とするようになる。そのことでの当事者運動の方が共済の運営維持に時間をさかれることになる。

アメリカ商工会議所にとっては、日本社会を維持してきた、社会団体の存在と、その中での経済的互助活動を一気に破壊できる夢のような作戦である。

ところが、アメリカが押し込んできた保険業者はどんなことをやっているのだろうか。テレビ広告を一日中流して、「誰でも入れます」「必ず一時金がもらえます」とおいしいことばかり言って、金融コンプライアンスで加入者審査が厳しくなっている日本の保険業者が萎縮し、金融庁の締め付けにより事業廃止か維持かで揺れる共済・互助会の間隙をぬって、営業を拡大している。
それで万一のときに保険金が払われればいいが、規約約款には、不払いが不払いにならないような条項がいろいろ書かれ、もちろん不払いやっておきながら、法律上は不払いとして問題にされず、保険料詐欺に近いような問題が起きてきた。

しかしやはり、そうした悪行を重ねてきたアメリカ系保険業者も、公正取引委員会から排除命令を受けていたのだ。しかし、そのことはマスコミに全然報じられず、今回、ようやく金融庁が、業務改善命令を打って、ちっちゃな記事で紹介されているだけなのだ。

そりゃそうだろう。10時から18時まで、一日中テレビ広告枠を買い取られれば、マスコミはその会社に頭が上がらない。だからトラブルが起きてもニュースにしにくい。大問題でも記事を小さくする。毎日新聞記事に目を皿のようにして見ている私も、アリコが公取に排除命令を受けていたとは、全然気づかなかった。

以前も田原総一郎のサンデープロジェクトの広告主が社会問題を抱える企業が多かったではないか、と書いたが、テレビ広告は販売促進というより、金銭によるマスコミ対策と言った方が本質を捉えている。分不相応にテレビ広告を出さない企業は、マスコミの批判にさらされるし、企業体力を超えるぐらいテレビ広告を打っている会社というのは、消費者や社会に何か問題を抱えていると考えた方がよい。

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2007.12.15

12/14 市長との会見の議事録あり

基地跡地利用市民連絡会が、国家公務員宿舎建設など一連の基地跡地利用をリセットするよう求めた署名が3万に達したことで、市長との会見が行われた。そのことは昨日のこのブログで紹介したが、きちんと議事録が起こされているので紹介する。

その議事録のリンク

●読んでいて、土屋審議官と市長は後ろめたいんだろうということがありありと見えるような内容で、しきりに議論の防線を張ったり、話を逸らそうとして議論の小細工をしているのがありありと読みとれる。

●次の仕事の待ち時間に手持ちぶさたにしていた上司の副委員長と、この基地跡地利用の問題について少しおしゃべりをする。

見返り事業の借金が市役所にふりかかってくると、かなり市の財政は厳しくなり、職員のおかれる状況も厳しくなるんじゃないか、とやっぱり言った。関空関連の大型公共事業で首がしまった自治体出身の役員だけに、そのことは痛いほど感じている。

今から3年ぐらい前、自治体の財政はいちばんひどい状態で、その原因は92年ぐらいから98年ぐらいにかけて国が借金と抱き合わせの公共事業(国が補助金を全額払えないから借金させて後で交付税で返済額を面倒見るというしかけ)の大盤振る舞いに乗ったことにある。その後、交付税特別会計のお金も底をついて、面倒見てくれるはずだった返済金が自治体に入らず、自前で返済するハメになってしまった。大企業の社員が多い大都市部以外では、職員給与の5%~10%カットなんて全然珍しいことではなくなってしまった。

朝霞市も、90年代に国に煽られて公共事業に手を出してやけどした自治体と同じ道に踏み出している。しかし、どういうわけか過半数の市議も基地跡地の無謀な投資に何も言えない、市民が何を言っても聞く耳も場も説明する機会さえ持たない。朝霞市の財政を痛めつける跡地利用に抵抗できるのは内部にいる市職員である。公務員宿舎ができることによる朝霞市だけの財政的効果については議論が分かれても、少なくとも見返りのシビックコア、シンボルロードは自治体独自負担は避けられず、確実に市職員の給与の原資を食べてしまう話である。朝霞市職員は危機感を持って何らかの行動をした方がいいと思う。このままでは座して死ぬのみである。富岡現市長やその政策を継承する人物が市長を2期8年(つまりあと5年)も続いて、公務員宿舎の見返り事業が次々に着工されれば、その後の市長は、市役所のリストラに大鉈を振るわざるを得なくなるだろう。

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12/14 30年前の菅vs江田三郎対決から社民主義のこだわりを自省

中断しながら「政治家の人間力 江田三郎への手紙」を読む。

毎日新聞の論説委員から四街道市議になった田中良太さんの寄稿文の中に興味深い引用があった。
引用元は石川真澄の「人物戦後政治」で、のちの社民連結成につながる保谷市の小学校体育館での江田三郎氏と菅直人氏の討論会のエピソード。江田氏と菅氏が直で会ったたった1回のこの討論会が、社会党を離党した江田三郎氏と、市民運動からの政治参加を真剣に考えていた菅氏やその周辺の当時の青年との合作となり社民連が結成される。その社民連の理想の多くが今の民主党の上澄液となっているかと思うと、かなり大きな歴史的事件だと思う。

「(菅)江田さんの考えは、私たちとそんなに違わないことが分かりました。しかしそれなら江田さんはなぜ〈社会主義〉なんですか?あえて社会主義と言わなくても、その考えは現代の日本に通じるはずです」
江田氏はちょっと口ごもった。「なぜ〈社会主義〉と言われてもねぇ・・・・・・。私は戦前からの社会主義者なんだよ。そういう、心情的と言われても、心情といいうものも、ありますよ」
私は菅氏の会ったのはこの日が初めてであったが、この時、ものおじしない三〇歳の若さが六九歳を圧倒したと思った

田中良太氏は、菅氏が酷なことを要求するものだと思ったと述懐した文を本書に寄せている。この江田三郎氏の気持ちが痛いほどよくわかる。

私がも政治にかかわろうと思い始めた中学生のときは、野党第一党は社会党であった。その頃どこで拾ったものか手元にある社会党のパンフレットには、西ヨーロッパを中心に、首相や大統領を務める社会民主主義政党の党首たちが刷り込んであり、明確に政権を意識したものであった。当時のイミダスには多数の社会主義用語が掲載されており、その中に世界中の社会民主主義政党のリストと、党員数と政権参加の状態が記載されていた。私の中では、もっとも多感な時期に、先進国に住む人間として、対抗軸は社会民主主義である、と刷り込まれている。

その私が、原則的な社会主義など現実政策に使えないということもわかり、資本主義経済を全面肯定しながら分配の問題に着目した社会民主主義が、ケインズ主義経済で政策運営をしたところスタグフレーションを経て、そう簡単に社会主義の代用品にも、資本主義の問題を解決する便利なツールでもないということも承知してしまっている。また、90年代以降の参加型社会、分権型社会、そうしたものが社民主義の理想に近いものとしてありながら、我が国では社民主義者の専売特許でもないし本家でもないということも承知している。

今の若い左よりの子たちと飲んだりして、彼らの前で、言っていることも理想も、具体的な政策も近くていい気分になっていても、私が社民主義者であるなどと宣言すると、時代の遺物を見るような視線を投げかけられることがある。それは社会主義に何のこだわりもない30歳の菅直人氏に面した江田氏の気持ちに近いものがある。
この保谷市の討論会での江田氏の感覚が最近よくわかるのだ。

しかし社民主義も何も基礎的な思考、思想のないまま、政治的な人間が、社会的な弱者に同情しても、格差社会を嘆いてみても、何かペラペラな感じがしてならないように思う。これは思想を持つと自覚している人間の驕りかも知れない。
でも、民主党の中堅・若手議員で、ただ群れて政局作りばっかりに明け暮れているようなのを見ていると、糸が切れた凧だなぁと思うことがある。
昨日まで菅直人を批判して小沢にすり寄っていたと思ったら、小沢氏が自分たちを重用しないとわかると、途端にみんなで融通がきかないとひきずり降ろした岡田氏を引っ張り出して小沢批判にあれくれたり、何の一貫した理想も思想も定見も感じられないでいる。
そこには格差社会だとか、貧困だとか、構造改革の矛盾だとか、そういう話はただの添え物で、自分たちがのしていくためだけのツールに過ぎない。主義を持っている人間にはとても恥ずかしくできないことだと思う。

そうした無思想な政治参加がもたらす現実の醜さに翻弄された経験を何度も体験した菅氏は、最近は、政治参加には、何か運動経験が必要じゃないかとしきりに訴えている。思想まで持てとは菅氏は言っていないが、何か自分を突き動かす体験やこだわりが大切だと感じているのだろう。その菅氏の気持ちもわかるような気がする。菅氏の引き立ててきた若手議員がどのようになっているのか見渡すと、そういうことなのだろうと思う。数少ない優秀かつ忠実な弟子であった山本譲司元代議士も、つまらないことで検察に逮捕され、刑務所で見た現実から、政治家より意味のある仕事を見いだしてしまっている。

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2007.12.13

12/13 朝霞基地跡地の国家公務員宿舎建設&ハコモノ公共事業が答申される

国とコンサルタントの間でまとめられた朝霞基地跡地の利用計画がまとめられ答申された。

問題点は運動団体が詳しく書いているので、それを参考に見てください。
それから構想については市の答申書をまとめたPDFファイルがあります。

さて、私としてはいくつか問題を指摘したい。

1つは、財政的見地からこの案をまとめた、というのが市役所と市長の中心与党である民主党県議・市議の見解である。しかし、財政的に具体的な数字は用地取得費以外何も出て折らず、事業推進の財源にいたっては全くもって明らかにされていない。
何をもって財政的見地なのか、不明確なままそういうハッタリを言う市役所というのがどうしようもない。
財政というのは、日本人全体が漠然と不安を持っていることである。漠然とした不安に人間は最も恐怖を感じるという。今の朝霞市の財政がどこまで問題なのか、これまで明確な説明を受けたことはない。ただ高齢化がやってくるという点で市役所は市民に不安を煽っている。
不安は具体的にして対処しなければいけないが、朝霞市役所は国家公務員宿舎や周辺公共施設を建設しないと財政がどうなるのか全く示していなし、建てたところで財政がどうなるのか全く示していない。
となれば財政論で今回の話を正当化する市役所の態度はデマゴギーと言ってよい。
何となく商業が活性化すると、地図に下品なほど太い両矢印の線を描いているだけである。

1つは構想の絵にいくつかのインチキがあることである。
国家公務員宿舎が15階建てで描かれて、周辺環境となんとなく調和している。実際は26階である。調和するような絵にはならない。
こういう行政に群がるコンサルタント会社は、ヒトラーやスターリンにルーツを持つデマゴギーの技術を十分に使っている。架空のものと仮定したイメージ図が一人歩きしたり、建設を自己目的化するような統計数字のでっちあげを行ったり、さまざまな手段を駆使して市民を騙して税金にたかる人たちに企画書やら図面を作っていく。その市民を騙す技術を市役所から発注されていると思ってよい。
先日、電車の車中で、どこの街の仕事をしに行くのか、行政コンサルタント会社の社員の上司と部下が隣席にいた。なにやら受注している仕事に異議申し立てをする市民をバカにする会話をし、騙して、排除すればいいようなことを指示していた。呆れるばかりである。

1つはPFI方式というブラックボックスの手法を使うことである。
PFIとは簡単に言うとリースと同じ方式である。受注した会社が一貫して資金取得から用地取得から建物の管理、賃貸業務まで行う。そのリース料を国家公務員宿舎なら国が、見返り施設ならその入居者が、シンボルロードなら市役所が払うことになる。
しかし、クルマやコピー機と違ってコスト比較が難しい公共事業がリースされるのだからくせ者である。コスト管理が明確でなくなる。
民間の創意工夫の名のもとに、いくら借金されて、どんなコストで建物が建てられるのかは、全くブラックボックス、事業費の膨張に歯止めがかからない。そして、公共施設の賃貸料として市民がそのコストを負担することになる。PFIの業者は何のコスト抑制のインセンティブも働かないし、談合や恣意的発注も犯罪にならないので、コスト高にすることはいくらでも可能であるし、その中から政治家や役人へのキックバックを払う原資を作ることだって難しくない。
さらには、いつもドジ踏む朝霞市のことである。公共施設の入居者が決まらなければ、空き室の賃貸料を負担させられる契約だってありうる。かつて工業団地の開発などで、買い手が見つからなければ自治体が買い取らされていたような話は山ほどあるし、地域振興の第三セクターもそんなことで次々に破綻している。市職員のスキルや先取性がそんなに高くない朝霞市だけが例外になるとは思えない。

1つは、その周辺の公共施設は、PFI方式とはいえ、結局は税金を使って建設されるにもかかわらず、大々的に商業施設が入ることになっている。公共施設の建設資金で、民間大手の商業施設を入れるという話である。これは民でできることは民という、商売人と政治との関係をおかしくするものであり、憲法89条にも疑義のある事業であるといえる。そのために100億以上のお金が使われるということである。
私など、保育園を整備せよと言うたびに、3億かかるんです、などと気色ばんで市職員に反論された。保育園30園分のお金を民間企業のために使うのである。それで税金が返ってくればいいが、市内の他の商業施設の売り上げを痛めつけることでしかそれはありえないし、トータルで朝霞市の税収がそれ以上に入ってくる保障などどこにもない。危険かつ筋の悪い投資である。

今日、市長に申し入れに行った人から、話し合いの概要メモをいただく。全くひどい内容である。南側にマンションが建つ場合の、常識的なダンドリすら、市長は否定していて、開いた口がふさがらないし、市長のお気に入りの審議官は、市議会にかける必要は本来ないと発言を繰り返し、でもかけてやろうとは思っているというような言い方をしている。住民に説明会を開かない、自らの手で集めた市民懇談会の存在を否定する、市議会で議論させない。マッチョで粗野な富岡くんのことだから、選挙で選ばれたオンリーワンの俺様が何を決めたところで民意に反しないと言いたいのだろう。しかし、首都圏でさえ最低の22%の投票率で、しかも相手は落書きポスターの候補相手に無投票に近い選挙で選ばれた程度の民意だ。自分が市長だからと、それから審議官はじめ企画中枢の市職員は市長に信任を得ているからと、威張りすぎである。その程度だから埼玉はバカにされるのである。

詳細のメモが手に入ったら、きちんと報告したいと思う。

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12/13 ビラ配布禁止考

昨日のマンションビラ配布を規制する東京高裁の判決、民主党も公明党も労働団体も日弁連も抗議していないようだ。

昨日の私の記事

法律的なことや政治的な意味ではなく、ビラまきそのものについていろいろ考えたことを書きたい。

●「ビラまき禁止」の看板があるマンションのエントランスは汚い

こんな告白すると逮捕されてしまいそうだが、仕事柄、政党ビラも議会報告ビラも配ってきた。地方議員が誰1人そういうことをしない街に住んでますます、ビラ配布の大切さを感じている。

それはさておき、ビラ配布をするためマンションのエントランスに入ってみると、とにかく汚いマンションというのが、集合ポストの下にごみ箱が置いてあるところ。次に「ビラ投函禁止」の看板を出しているところ。何もしていないところが一番きれいだ。
もちろん入居直後はどこもきれいだが、5年10年経過したところでは本当に差が出ている。「禁止」の看板が出ているマンションの集合ポストのうち、5%ぐらいは、ずっと昔に投函されたちらしがぎっしり詰まっていて、ごみ箱のようにほんとうに腐臭を放っている。昔は、自己管理のできないわずかな人しかいなかったが、最近は新聞を読まない人が増えたから、最近はほんとうにひどいことになっている。

これは、一昨日の判決と逆説的な話になるが、集合ポストの自分の分を自分の財産として自己管理できる住民が住むマンションは汚くならないのだ。逆に、管理組合や管理員が綺麗にしてくれて当たり前、配っている奴は警察にでも突き出せ、と思ってたかがポストひとつ自己管理しようとしない住民が多いと、汚くなる。
実際、ビラ投函に何の対応も取っていないうちのマンションにも、何が言いたいのか、自分のポストに投函されている不動産業者やマッサージ屋の宣伝ちらしをこれみよがしにマンションの掲示板と掲示物の隙間に置いていくバカもいる(誰がやったか特定しましたけども)。そういう住民自身が共用部分を汚していく。
そう考えると、集合ポストの下にごみ箱を置くなどというのは最低の対応なのだ。

ビラなんて一回部屋に持ち帰って、必要を感じなければさっさと棄ててしまえばいい。逆に、チャリティーバザーとか、個人営業のピアノなどお稽古事の先生、出前のパンフレットなど、生活にふくらみをもたらせてくれたりもする。たかがビラ、されどビラなのである。

●いつからマンションとはこういう神経質なものになったのだろうか、ということを考える。

日々、マンションで起きているトラブルに比べたら、ビラの投函の問題などどうでもいい部類に入ることであるし被害者も被害の程度も低く、住民自身の責任で管理せよとすればいい問題である。
来客用駐車場を見ず知らずの人間に占領されたり、廊下に灯油を撒かれたり、ハトが住みついたり、不良息子が仲間をひきこんで駐車場で騒いでいる、振動だ、騒音だ、ペットだ、ペットがうんちした、ビラのように「あんたが棄てればいいじゃないの」で済まない問題が次から次に起こる。補修だ専門的な清掃だ工事だと管理組合としての本業の話もとても多い。
真剣に管理組合の運営をやっていたらビラ投函なんかかかずらわっていられないはずだが、そういうどうでもいい問題がさも重要課題のように語られることが不思議だ。
この体質は詰まらないクレームには真剣に対応しながら、効果のあるサービスを提供できない行政なんかとよく似ている。

それから、ビラ配布を大問題のように思う住民についてもいろいろ思う。
私は仕事柄、ビラというものを尊いものだと思っているが、やはり、こんなもの配りやがって、ばかじゃないかと言う人がいることを知っているし、世間はその方が多数派である。そしてそれでいいんだと思う。

しかし、「こんな下らないビラつくって配りやがって、バカじゃないのか」と言い捨てて、時にはビラに書いてあることにけちをつけてごみ箱に丸めて棄てるということって、何とも言葉にしにくいが、大事なことじゃないかと思う。

たとえとして適切かどうかわからないが、公園のそばにいるガミガミじいさんみたいなものである。
子どもがわんさといた時代に、公園のそばに住んでいた住民が、騒音だ、ボールが飛び込んでくる、そんことがあって、ガミガミじいさんになったりするものだ。
ところが、騒音やボールが飛び込んでくること自体がたまらない、子どもなんかいなくなれ、と思っていたら、別の理由で本当に子どもがいなくなってしまった。子どもがいても公園で遊ばなくなった。そうしたら、ガミガミじいさんもいなくなってしまった。そういう今の状況を、社会は何と言っているかというと「地域のしつけができなくなった」「地域の子育て力が低下した」と嘆いて、怪しげな教育評論家たちに救いを求めているのである。

ビラ投函そのものを禁止して、ビラを活用する人ばかりか、ビラをくさす人もいなくなってしまうことがいいことなのだろうか。

実はそういうのは労働運動の世界が先行していて、ほんの15年ぐらい前までは、春闘の時期になると労働組合のある職場には、客の眼につくところにも赤い労働組合の旗が掲出されたものだった。ところがそれが何だか理由の不明確な「迷惑だ」という客の声によって、組合旗は客の眼につかないところに掲出したり、ときには掲出そのものをやめてしまうようになってきた。結果としてどうだろうか。労働組合は客に直接訴える機会を失い、客の眼になって経営側の問題を指摘する力を失った。組合運動だって、客に旗を掲げてやるから、客の視線にたえうる労働運動をしなければならなかった。しかし、今はたえず労使関係の中だけで閉じこもった孤独な闘いを強いられている。当然、経営側に対するチェック能力が低下している。

ビラ投函の後かたづけ程度のことを億劫がり、時には財産権の侵害だといって存在そのものを封じてしまうことがまかり通る社会って、どうなっていくのだろうか。すごく底の浅い社会になるんじゃないかと思っている。

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12/13 ふざけた対応

先の参議院選挙で、5000万件の照合ができないのでなはいかという野党や有識者の指摘に対して、自民党は社会保険庁職員の自爆テロにのせられている(確か町村あたりが言っていたのではないか)、とか、菅直人が行方不明年金の原因を作ったなどと反論し、下品なビラまで作っていたはずだが。その自民党が、年金の5000万件の完全照合を年内にやるということは公約ではないなどと開き直っている。

自爆テロなどと社会保険庁の職員をスケープゴートにしておきながら、ふざけた話だと思う。
ちょっとでも事務仕事をやった人間なら5000万件の照合がどんなことだかわかる。冷静な指摘に対して強がりを言って野党を誹謗中傷したのだ。ここでつまらないと思うけども、厳しく追及されても自業自得というものだ。

●大阪府知事選挙に橋下徹が出ることになったらしい。大阪府という全域を相手にする選挙では、芸能人が必ず当選する風土だけにいろいろ考えてしまう。
光市の事件で、橋下氏は弁護団に懲戒請求をするよう一般市民を煽っていたが、自分では懲戒請求をしてなかった話、江川紹子さんのHPで紹介されている。事実関係でひどいデマをやっているし、懲戒請求は請求者に立証責任を負わされ、気軽にやれるようなものではないようだ。それから弁護士とは当事者の利益のためにいるのに、それがいけないというのでは、弁護士など企業舎弟しかやることがなくなるではないか。そんな下品なものなのだろうか
、と思う。

●うちの選挙区の早川代議士のブログで、自民党内のブログ対決の話の一環で、私のブログに過分の言葉をいただいた。私が市議選中厳しい批判をしておきながら対応がフェアだと思う。ブログ対決ではいいたたかいができるんじゃないかと思っていたけど、残念なことに2位。ますます目が離せない。一方でうちの選挙区(比例復活)の民主の代議士は何やっているんだかわからないし、民主の理念を地域社会で広めることもしていないので、目がどんどん離れていく一方である。

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2007.12.12

12/12 マンションでのビラ配布が違法という高裁判決の暴挙

共産党のビラをマンションの住戸に投函した僧侶を、住民(公安警察の職員だという)が警察に告発し、住居不法侵入罪で起訴された事件があった。それに対して、一審の東京地裁は無罪判決を下したが、検察が抗告して持ち込まれた二審の東京高裁判決が昨日おり、有罪判決とした。

この判決は、共産党ざまあみろなんて思っていると偉いことになりそうだ。政治活動のビラだけではなく、マンションでのちらしを配布されることに迷惑を感じたり嫌だと思う住民が存在するだけで、ほとんど無制限にビラ配布を禁止できるので、すべてのちらし配布、具体的には、商業活動や地域活動、地域のボランティア活動のビラまで、出前のメニューの投函した飲食店の店主まで住居不法侵入による犯罪を成立させる危険性も含めている。

また、事実関係の争いもなく罰金5万円という微罪のために被疑者を23日も拘留し、控訴まで行った検察庁の意図を考えると末恐ろしいと思わざるを得ない。新聞では、やはり検察内でもまずいのではないかと慎重な検討を求める意見もあったことが伝えられている。

被告は最高裁までたたかうと言っているので、がんばってもらいたいし、最高裁の多数派の判事に民主主義の原理にのっとった判決を下してもらうよう期待したい。

●この事件について事実関係について争いはなく、上位法である憲法解釈をめぐって違法性の有無が争われてきた。住居不法侵入の構成要件はあるものの、それが犯罪とするほどの違法性があったかということと、取締の側が表現の自由を規制できるほどの違法性があったか、ということである。
それから両方の面から違法性を認めた内容で、マンション住民に対する社会的働きかけがかなり規制されることになる。

高裁の判決の要約は以下の内容。
①オートロック方式であるか否かにかかわらず、玄関内ドアより先は部外者の立ち入りが予定されていないため、立ち入り禁止できないというのは住民の権利を不当に制約する。
②立ち入り禁止を知っていた以上、玄関ホールを含めて住居侵入罪を構成する。
③政治活動のビラ配布は違法性はない。しかし住民が住居の平穏を守るためマンションに部外者の立ち入りを禁止でき、管理組合の理事会により決定が行われ、住民の総意に沿うものであると認められる。
④しかし住民の許諾を得ていない。
ということで、住居不法侵入罪の構成をしている。
さらに、表現の自由とのかねあいでは、
⑤表現の自由は絶対的無制限ではなく、公共の福祉のために必要かつ合理的な制限を是認する。
⑥そのため財産権を侵害すること許されない。
⑦マンション共用部分といえども財産権の及ぶ範囲内であり、住民は立ち入りを受忍すべき地位にはないから住居不法侵入罪で処罰しても憲法に違反しない。
さらに
⑧ドアポストの投函以外の方法でビラ配布をすることは可能(マンションの出入り口で待ち伏せしてビラ配布をすべきか)
⑨個別の住民の許諾を得て(どうやってするのか)ドアポストにビラを投函されることは禁止されていない。
⑩住民等が管理組合の決議等を通じてビラ配布のための立ち入り規制を緩和することができないわけでもないことから、マンション住民の情報受領権や知る権利を不当に侵害しているわけでもない。

全体的に判決の内容には、立憲政治の根幹にかかわる問題があるが、とくに問題なのは②の玄関ホールを含めたこと、⑥表現の自由の上位の権利として財産権をもってきたこと、⑩表現の自由について原則自由・例外規制ではなく、原則規制・例外自由を認めたことではないか。
②で玄関ホールを含めると、集合ポストへの投函もアウトということになろうか。このあたりは新聞報道の限りでは不明確なままであるが、「共用部分」「玄関ホールも」ということであれば、マンション住民の情報入手の権利(情報受領権や知る権利)自体まで相当広く否定されていまうことになる。
⑥は、公共の福祉は何を価値に置くかということだが、自由主義社会では、ほぼ無制限に権利を肯定されるべき表現の自由や政治的意思の自由によりも、共用部住居侵入による財産権の侵害に、価値かがあると裁判所が認めたことになる。極端な話になれば、財産権が優先されたということは、持てるものの権利のために公権力が発動されてもいいが、持たざる者の権利のために非暴力の行動を取って公権力が弾圧されても保護される法的解釈はないかもしれないと宣言されたようなものである。
⑩については、自由主義社会の基本的なルールをこの裁判官は理解していないといか言いようがない。私たちは自由主義社会に生き、原則自由・例外規制という社会の根本ルールで生きてきた。それがおかしいということでここ10年、社会全体で規制緩和、規制の見直しを進めてきた。中には乱暴な規制緩和も多かったが、その前提自体は否定されるべきものではなかった。しかし、今回の高裁の判決では、マンション理事会で配布を許可しなければ、住居不法侵入は成り立つと解釈したわけで、迷惑さが明確にならず、情報受領権とのかねあいで、平穏な生活を維持する権利の濫用ともいえる規制強化が認められたということになる。

また過去の政治活動などの現場をふんだ経験からは、③の部外者立ち入り禁止については、マンション管理組合が開かれていないようなできたてのマンションにも管理組合名で掲示されている事例も多い。つまり竣工直後からマンションデベロッパーがエントランスに管理組合名で警告プレートを掲示している事例も多く、これが住民意思かどうかは実に微妙な問題になる。
⑧の異なる方法をとるなどということは極めて不合理な方法であり、マンション住民の多い地域では、今後は駅頭やスーパー前、交差点でのチラシ撒きしかできないということになる。
⑨のちらしを渡すために個別の人の許諾をもらうという手続きを求めている。現在も公選法の解釈では資料の送付等はそのことを求められているが、それがどれだけ難しく、浮動票が爆発的に増える90年代半ばまで、地方選挙ではしがらみだらけの団体しか選挙を動かせなかったことを思い出す。

裁判所が、今回の検察の強硬姿勢を追認し、このような危険な判決を下したことを、社会問題にしないでいいのだろうか、と私は思う。私は管理組合の理事長だったときに、住民の情報受領権を否定することはできず、ちらしなど個々でごみとして処分すればいいことなので、管理員が配布を断ったり、ごみ回収をすべきでないとして対応した。

●この判決を下した池田修という裁判官は、国策捜査と話題になったムネオ事件の鈴木宗男の高裁判決や、オウム事件の遠藤誠一に対する裁判など、政治色の強い刑事裁判をいくつか担当されているようだ。刑事訴訟法の手続きでは有罪にしにくい事件に「そんなの有罪に決まっているだろ」というときの判決書きに使われる裁判官か。検察筋にかなった判決を製造する才能のある裁判官のようだ。

●関連記事
弁護士秋本理匡のブログ
和光市議・松本武洋さんのブログ
こんな御用判決なら九官鳥で足り

●この判決に対して、ポスティングを、支持者ボランティアの組織化・育成の中心的な取り組みとして位置づけている民主党や、同じくビラ配布を主要な戦術として採っている公明党など、強く批判すべきではないだろうか。共産党だから摘発されたという色彩は強いが、対岸のことだと思っているといつかこれは政治的に厳しい局面で使われることになるのではないか。
ポスティングを活用している民主党の若手議員、人権を重視している社民党の保坂展人などからコメントが見られないのが残念である。

●また、逆にこの判決を利用して、取り締まりが、他の政党の政治活動や、地域の住民運動のビラ配布の規制にまで立ち入ってきたら、逆に、市の広報を投函する町内会の役員や、防犯ビラを配布する協力員、ドアフォンを勝手に押す保健など、ふだんは権力の側でマンションに無断で立ち入っている人々を告訴することを検討しなければならない。あと、権力寄りの読売や産経の販売員なんかも告発してやりたい。読売に関しては無理矢理ドアをこじあけ、「景品だけ受け取って」といって物をとんどんドアの隙間から押し込み、「はい受領書書いて!」とよく見ると契約書だったりして、住居不法侵入どころか、ほとんど押し売りだ。

●過去のビラ配布の経験から言うと、ビラ投函禁止の看板が出ているマンションや、ビラ棄て用のごみ箱がポスト下に用意されているマンションほど、エントランスの汚れがひどいと感じている(調査したわけではないけど)。ポストに投函されるものは自分の家の財産である、という意識が徹底しているほど、ポストまわりをきれいにするものである。必要じゃないものは誰かが片づけるものだという意識で公共の場がつくられれば、汚くなるのは当たり前で、管理人、管理会社任せの対応をしていれば、全住民的に綺麗にする努力が積み重ねられないのは当然である。

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2007.12.11

12/11 自治体の法人税収について考える

東京と愛知に集中する法人税の分配をめぐって、一番良くない決着の仕方をしたように思う。

東京都や愛知県が法人税の一部を拠出して、財政力の弱い道府県に分配するというもの。ここに官僚の差配が入ってくるから本当に心配である。
さらに東京都は、羽田空港の国際線の開放や、外郭環状道路の建設について国の支援を引っ張り込んで、焼け太りの匂いすらある。
羽田空港の国際線の開放については、私は疑問があって、渋滞道路か山手線のようなホスピタリティーに欠ける公共交通を使わなくては行けないような空港を、重い荷物を担いで旅する人の空港としてふさわしくないことと、国内線でも渋滞で定時運航ができないのに、この上国際線まで入ってきたら、たまらないという感じがしている。ますます地方の整備新幹線建設促進運動も加速されてしまうだろう。
高速道路を結ぶ環状道路やその抜け道道路がひどい渋滞にあることから、多くの市民運動家と違い、外郭環状道路についての必要性は私も感じているし、国も何らかの支援をすべきだと思うが、しかし税制と取引するのはどうかという思いもある。

●NHKの朝のニュースがこの問題で特集を組んでいた。
愛知県の財政力が良い村を取り上げ、法人税と地方税を交換すると、この村の税収が下がり、今までのサービスが提供できなくなる、という報道をしていた。で、今までのサービスとは何ぞと思って見ると、民営の温泉を税金で買い取って、高齢者に無料開放しているというのだ。それができなくなるとNHKの取材班は告発しているのだ。

ちょっと待て、と思う。たしかにこれは善政だが、風呂がないわけではない人に税金使って風呂を提供するというのはどういうものかと思う。もともと民間でできていた事業を何で役所がやらなくてはならないんだ、という理由もまた、足りないように思う。温泉に行けない高齢者はこうしたサービスは受けられていない。そういう高齢者を無視して、元気な高齢者だけに利益を分配しているこの村のやり方そのものが公共サービスとしてどうなの、という疑問は湧かないのだろうか。

一方で、企業もないような島根や高知の山村なんかは、公営温泉どころか、やっとの思いで介護保険財政を維持していたりするのだ。愛知の豊かな村では元気なじいさんばあさんが毎日タダで風呂に浸かっている、それは幸せでいいことだけども、その裏側で、介護を必要としている高齢者がサービスも受けられなかったり、バカ高い介護保険料を払っていたりするという大矛盾を、マスコミはどうして考えようとしないのか。

自治体に努力が足りないと言われるとそれまでかも知れないが、しかし法人税獲得のために基礎自治体が努力するというのはどういうことか。自治体にケインズ主義財政をやれ、と誘発しているに近い話なのだ。
景気循環を財政で調整するケインズ主義政策は、財政赤字を担保すべき国民に国籍変更を難しくしている拘束性があることと、国民国家の維持が前提となる。きょうのあすから住むところを簡単に変えられてしまう自治体がケインズ主義財政を取ったら、住民は負担の段になったら去られてしまう。夕張市がまさにそれを証明したわけで、今後は自治体がそのようなことはできないと思うべきだ。だとすると、あまりにも法人税の消長に影響される自治体財政の構造はまずいわけで、法人税と消費税を国と自治体で交換するという総務省当初の発想は、地方財政の自立のための本質的な提案であったと思う。

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12/11 西武線も花金電車

●社会党の政審会長をされていた伊藤茂さんの「私たちの生きた日本」を読む。

生い立ちや、社会党の職員としてのあゆみ、国会議員としてやってきたこと、飛鳥田元横浜市長との交流、そして、77年に横浜市青葉区で米軍機が民家に墜落した事件の遺族との交流など、やや冗長な文章だが、やや文学的な表現で、あゆんできたことを綴っている。
先日読んだ、同世代の石橋政嗣氏の剛直かつ簡潔な文章と比べると味わいがそれぞれで面白かった。

伊藤茂さんは社会党で国民運動畑を長く仕事とし、国会議員になってからは政審会長になって討論番組などによく引っ張り出されて有名になった人。2000年の選挙を前に引退し、意識の戻らない妻の介護に専念している。
社会主義協会の向坂逸郎氏の門下生としてスタートしながら、80年代前半の社会党の「新宣言」策定の過程で協会を離れ、おたかさんブームを冷ややかに見ながら西欧の社民主義政党に何とか近づけられないかとふんばってきた伊藤氏の姿に、痛々しいぐらい同情をしながら、2回りぐらい遅い社会党の歩みを感じた。それと伊藤氏がめざした「日本型社会民主主義」という言葉に問題も感じる。今や社会民主主義を理解している人でさえこの言葉の持つ呪縛は理解できないが、「日本型」というのは要は国際標準の社会民主主義を採らないということであり、日本の古い体質の社会主義運動を引きずるニュアンスを含めている。

伊藤氏が向坂逸郎氏の門下生をやっている頃に西欧社民主義政党と知り合い、交流を深め、政権獲得についての構想をまとめられたらと思う。
同時に、向坂協会派が隆盛を誇っているときに、右派がその半分でも知的能力を高めていれば、惨憺たる状態になっていなかったのではないかと思う。ひとり江田三郎氏とその周辺が、イタリア構造改革論や、松下圭一らの市民社会論を取り入れて孤軍奮闘していたが、江田氏に群がっていたのは、そこまでの水準を求める人があまりいなかったことが不幸であったと思う。

●おとなりの西武線でも、わずかな本数だけども花金電車をやるようだ
時間帯が0時40分発と、実態に合っているかどうかはやってみての話になると思うが、潮流となるのではないか。
今日、東上線の駅に、飲んで暴れる人に対するマナー広告が出ていた。いいんだけども、客に説教する前に、ひどい混雑とひどい遅延の深夜ダイヤ、何とかしてほしい。ほんとう、蹴っ飛ばしたくなる乗客の感情も考えて営業してほしいと思う。年末の一時期、金曜日と土曜日ぐらい運転手や車掌が少し忙しい思いしてもいいんじゃないかと思うが(その代わり、乗客数が少なくなっている夕方ラッシュ時間とか間引きしても)。駅員がホームを走り回って、ドア閉めに奔走する忙しさの方がムダのように思う。