12/29 朝霞市議会の敷居の高さ・壁の厚さ
29日の朝霞市議会を聞いて、見て思ったこと。
議案書1枚だけ配られて、資料が一切配られない。人権擁護委員の選任など、誰が選ばれているのか皆目わからなかった。住民投票条例も条例文がないので不便した。どうなっているんだろうかと思った。
市役所の幹部が、わざとか、頭が悪いのか、1人の議員が3回しか質問できないことを利用して、1回目の答弁ではほぼ全員がとんちんかんな答弁をしていたのではないか。与党議員に対しても。
例えば、今日の市議会ではプロボーザル入札の判断基準が不明確だと問いただした議員に対して、プロボーザル入札を定義した地方自治法の条文をオウム返しに読み上げ、同じ再質問をさせる。2回目の答弁では、地方自治法の条文に多少脚色をつけた答弁をするが、どの業者がどのような点数で選ばれたか結局、答弁も資料も出さず。3回目の質問をはぐらかして逃げ切り。ヤジも飛ばないので不誠実答弁を軌道修正させる仕組みもない。
朝霞市議会では3回の質問制限があるため、これでおしまい。1問1答方式の質疑ができないことの弊害を感じた。
それと議員自体が市役所に満足な説明を受けていないので、議員も市民に満足な政策提起や、選挙公約を作らなくて当たり前、というムードができるものなんだとも思った。
帰りに親交のあった議員、シンポジウムで協力してくれたり、丁寧なお断りのメールをいただいた議員の議員控え室に激励に行こうかと思ったら、傍聴席と控え室の間にガラス戸があってロックされている。議員がおいでよと言っても議会事務局の職員はカギを空けない。正面玄関から遠回りせよと言う。こんな議会、私は初めてである。
市民と議員の接触を断ち、情報を遮断して、特定の回路でしか議員と市民のつながりを作らせない、さまざまな巧妙な仕掛けがある。このようなコミュニケーションを切るようなことをして、よく議員が市民の代表なんて言えるものかと思った。
選挙でのビラや演説会のなさから始まって、議会傍聴席の遮断まで、行政が議会よりも民意よりも自分たちのためだけに優位に市政を執り行うためにさまざまな張り巡らされたバリアにびっくりした一日である。
●傍聴者用のトイレが薄暗く、男女共用なのには驚いた。
●施設も急階段、段差と、バリアだらけ。傍聴者用の入口は市役所の裏側にひっそりとあって、「裏口」という言葉そのもの。そこから上がる階段は狭くて、急階段で、薄暗く、「裏階段」といった佇まい。主権者は誰かということがある意味明確に意識づけられている市議会・市庁舎である。
四肢障害の人や、高齢者には敷居の高い議会である。ガラス戸のロックもあって、クルマ椅子の人はフリーアクセスではない。最も政治の光が当てられるべき彼らに傍聴に来るなという議会のつくりである。建築設計の世界で、かつて権威を見せるために段差をつけた時代があったようで、まさに今回のはその遺物である。
●基地跡地問題で、さまざまなアンケートに答えをはぐらかし続けた議員の8割は、市の原案に賛成する態度が決まってる、と確認できたように思う。これが金融取引であれば重要事項についての説明をせず契約させたとして罰せられるし、製造物なら製造物責任法で事故リスクを説明書に明記せず販売したとして無条件で製造主責任が問われるようなことがらである。政治の世界は、契約の概念があまりにもなさすぎると思う。
●そんなことを考えると、議会改革度ゼロ点の朝霞市議会だが、ゼロどころか、評価項目にない市民との壁を考えるとマイナス点も付くんじゃないかと思う。
●新座の星川議員による傍聴記録が書かれているので、参考にどうぞ。
いつもは口の悪い星川議員だからと先入観を見ずに。比較的フェアに書いている。
朝霞市議会傍聴記 その1
朝霞市議会傍聴記 その2
朝霞の市役所関連の会議に出ると、「朝霞市なりのやり方」という言葉がよく使われるが、よそで行われていることを見もせず、聞きもせず、狭い井戸の中でオレ流と言っているにすぎない。市庁舎の中にいる人以外は余計なことに口を挟むなということと同義語と思ってよい。比べて、確かめて、初めて朝霞市流のやり方が優れているかとうかがわかるものである。今日の議会傍聴では、議員と市民の遮断では、一番厳しいと言われている国会以下だと思ったし、市の議論のはぐらかし方のレベルの低さは、札幌市議会に出入りしていた時期があったからよくわかった。他市の議会、いい議会を見ていない人には、何の問題意識も生まれないのかも知れない。
新座や、和光や、富士見、あるいはもっと都内自治体で行われていることをきちんと見聞きして、財政事情や職員数の都合がつけば取り入れられるものはまねして入れてから、初めて「朝霞市なりの」という言葉を言うべきであろう。そういう意味では、市外の人との交流は重要であるし、市外の人の批判は謙虚に耳を傾けるべきだろう。
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コメント
傍聴者に議案を配るのは当然のこと。前から要望しているのですが、いまだに配られない。皆さんこれでもよく傍聴に来られると、頭が下がる思いです。
傍聴者と議員控え室とを隔てるガラス扉は、以前は、どうぞと通してくれたのですが。議会事務局が受付係に入れないように言ったらしい。勝手になのか、議員の誰かから言われたのかはわからないのですが。
どちらも、市民から何度でも要求していかないと、どんどんひどくなるような気がします。あきらめずに、文句を言いましょう!
投稿: shimin | 2007.12.31 00:26
時々傍聴に行きますが、他市で行ったことがないのでそれが普通だと思っていました。
恥かしながら管理人さんにはいつも”本来はこうだ!”ということを教えてもらっています。
いたらない弟子(勝手に名乗ってスミマセン。。)ですが新年もよろしくご指導ください。
投稿: m | 2007.12.31 08:22
>議員がおいでよと言っても議会事務局の職員はカギを空けない。正面玄関から遠回りせよと言う。こんな議会、私は初めてである。
。。案外、議員が職員に カギ明けちゃいかん! と裏で指図していたり。
開けまして、おめでとう、といきたいですね。新年は。
市議会、というのはどこもかしこも似たり寄ったりなんだろうか。
投稿: 古井戸 | 2007.12.31 12:07
shiminさんの傍聴者のへの情報提供について
行政の審議会・委員会が、議事録だけHP公開で、資料が傍聴者にしか配られないことが問題になっているのに、より民意に近いところにあるべき市議会が、市民への情報提供にコストや労力を意識してなのか、民主主義への恐怖感なのか、後ろ向きというのが、問題です。
こんなことをやっていると、首長を議員から選ぶようなこともないわけで、地方議会不要論が力を持つように思います。先日、とても左よりで義侠心の強い方から地方議会不要論を力説されました。議員への政務調査費や報酬の使途について詮索する「市民オンブズマン」が幅を利かせていますが、彼らを勢いづける底流には、単に報酬や政務調査費がムダに使われているかどうかではなくて、地方議員の存在そのものが必要性を実感できない皮膚感覚があるのではないかと思っています。偉そうに民意の代表と言って開き直っている地方議員にそうした危機感があるのか、と思います。
ガラス戸の閉鎖について
論外だと思いました。繰り返し、どこかで問題提起していこうと思います。しかし、こういう民主主義の根幹に関わる運用変更は、全会一致で運営されるべき議運にもかけられないで決まるものなのでしょうか。
mさん
指導だなんて・・・。mさんからも教わること、勇気をもらうこと多くて、それ以上に、いろいろ面倒見ていただきたいと思っています。
他市との比較をやるべき、というのは、過去、優秀な仕事をしている人や、能から学んだ技術論です。質の高いことをしようとするなら、優秀なことしている他者を見て、まねして、やり方を盗み取って、その限界を見通したところから生まれてくる、ということでした。市役所には他の自治体の職員を相手に自信がないのか、そういうことがおろそかにしすぎだと感じています。公園周辺道路のハンプ以外は、学んできても表層的な方法論ばかりです。
古井戸さん
議員が指示した可能性は高いかも知れませんが、野党議員が知らないところで決まったようです。
地方議会の民間人恐怖症の体質はどこも同じだと思いますが、この現れ方は多種多様です。朝霞市ほど敷居の高く情報が明らかにされない議会は昨今、あまりないと思います。
これで個人情報保護だかで、もし朝霞市議の住所や電話番号が公開されなくなれば、市民と議会との遮断は完璧です。
そのときには、朝霞市議会は本当にいらなくなるでしょう。今でも60%(うち少なくとも25%は国政には投票していいる人たちで、選挙による民主主義の必要性を認めている人たちです)の人が投票していないぐらいですから。
投稿: 管理人 | 2008.01.01 06:55