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2007.12.28

12/27 山口二郎氏に嫉妬したからといっても

パキスタンのブット元首相がテロで死亡。いつかこうなるのでなはいかと恐れていた。ほんとうに残念なことである。

●反小泉ブロガー「世に倦む日々」がまた山口二郎に因縁をつけている。民主党が政権担当能力を示したいなら、一定の増税に言及すべきではないか、という山口氏の話に、官僚すりよりと批判しているのである。
また山口二郎に対する嫉妬と羨望のためにする批判である。こういうところで、世界標準の社会民主主義を知らない日本の左派の限界を感じてしまう。

しかし、これは今日、民主党を雰囲気的に応援している左派のもつ幻想を象徴する文章でもあるので、少し私なりに反論してみたい。

はじめに指摘した方が良いが、社会保障政策を充実せよ、という左派の主張から、増税をせず、税金の無駄遣いを一掃するだけで財源不足を解消てきるなどと考えるのは甘い考えだと思ってよい。そういう甘言を弄されて、増税反対を左派の主張とすることは、後々、社会保障制度の貧困になってしっぺ返しを食らう。保育所待機児童問題、生活保護行政のダメさ加減、ホームレスへの無策、これらは財源不足によって始まったことである。国民負担率だけアメリカや中国並みで、社会保障だけ北欧並みなどという政策は、人口が急膨張して、20歳~60歳人口がたえず急増している事態しか、可能にならない(それも後に年金給付でしっぺ返しを食らう)。

これは私が保育所政策で、規制改革委員会(当時)の市場化路線に対抗する作業の中で、どうしてもぶちあたった壁である。規制改革委員会が指摘するもっともな批判を解決しようとすれば、どうしたって財源投入が必要だが、小さな政府という枠組みをはめる規制改革委員会は、財源投入をせずに解決せよということになる。そうすると、ワーキングプアを大量に使って保育をやれという結論しか出てこない。厚生労働省関係の予算でムダそうだなというものも洗い出してみたが、そんな予算削ったところで、保育の問題を解決できる予算など捻出できるものではないというのが結論だった。政府のいう「中負担」という中では、個々の自治体による差はあるにしても、大枠で今の水準程度の社会保障を維持するのがやっとで、「中負担」では憲法25条の理念など実現できないという実感を抱いた。

税金の無駄遣いを排除すれば、増税しないで済む、というのが「世に倦む日々」の反論だが、ムダの根拠となる数字が何も示されていない。来年度予算での国債返還額と国債発行額の差額が実質的な赤字として、その額5兆円。景気が回復して税収が伸びている中で、やっとこの数字である。5兆円の不足というと、道路特定財源の倍、防衛費総額の1.5倍、支出のきりつめなんかで解決できる数字ではない。景気が悪くなれば、また10兆、20兆という数字にすぐ化けてくる。

この赤字分の支出切りつめをやろうとすれば、支出の半分近くを占める社会保障支出、なかでも割合の大きい年金や医療に切り込まなくてはならない。ところがどうだろうか。年金は世代人口のアンバランスで保険料収入に未来がなく、ますます税金に期待がかかるし、医療は医師不足だ、病院の赤字だ、ということで次々に財政投入の請求書がまわってきている。赤字の自治体国保の問題を解決することも課題である。その上に介護保険はますます大きくなることが予測されている。安倍晋三のように、それらの切りつめをやる、社会保障は家族の責任だ、と言い切ってしまえば、筋が通るが、「世に倦む日々」のような左よりの立場では、そんなこと言えるわけかないだろう。

私は小さな政府論者じゃないので、この5兆を埋め、かつ年金改革など社会保障政策の変更によって必要な財源が求められれば、財源と使途の地方分権も絡めてもう少し増税してもよいと思っている。その選択が、消費税なのか、法人税なのか、相続税なのか、道路特定財源やガソリン税の暫定税率部分なのか、議論のしどころはあると思っている。

赤字国債の発行も選択肢にあるが、今の日本の人口減、高齢化という状況のもとでは、景気の悪い時代にしか許されない。
景気回復期にあっては、赤字国債の返済に取り組まないと、不況期に赤字国債が発行できなくなる。小泉構造改革は、バブル期に赤字国債を解消しおかなかったことによって、赤字国債が発行できないという制約の中から、合理化されて採用された政策であった。小泉構造改革のような愚を繰り返さないためには、景気回復時に赤字国債を少しでも返済しておくことが必要だと思う。

今日発表された公金着服の未回収残高がせいぜい100億。会計検査院が見つけてくる税金の無駄遣いなんて多くたってこの程度。税金の無駄遣い一掃などといったって、個々の選挙区では、民主党の議員は、無駄遣いの一部にはぶらさがっているわけで(うちの埼玉4区も、民主党を支援する地方議員たちが基地跡地の開発の利権にぶら下がっている)、自分が公共事業の恩恵に浴していないからと、勝手なことを言って民主党支持層を煽るのもいいが、それでは政治にも選挙にも政策にもならない。
税金の無駄遣い一掃に期待するのもいいが、それは財源不足の問題とは別問題で、公正な行政が行われているかどうかの問題である。同時に解決しようというのは無理がある。
もう少し新聞でも拾えるような客観的な数字を出して言ってもらいたいと思う。

また経済思想の歩みから言うと、80年代前半に労働界が野党4党(当時)を通じて減税要求をし、後半に当時の野党が売上税・消費税反対に熱を上げ、増税に反対することがあたかも左の正義、弱者保護であるかのように宣伝された。しかしそれは労働者の多くが正規職員で安定雇用にあることが前提の話である。この時代には多くの労働者にとって社会保障給付など考えなくてよかった。安定雇用と安定した賃金がもたらすもののなかで家庭内で社会保障は解決できたからである。
しかし、90年代に入り、不況になって、労働者が不安定雇用に置き換えられていくと、低賃金で税負担がほとんどない代わりになんの社会保障もなく首切りが行われる、という時代に入っていった。一家の大黒柱に稼ぎを期待するのはリスクが大きくすぎるようになった。親が子を育て、子が親を養うには、人口バランスも雇用環境も変わった。企業や家庭内での福祉で対応できなくなった以上、政府部門による社会保障制度にぐっと救済を求めなくてはならない場面が増えてきた。
そうしたときに、右派は、増税反対、個人ががんばれ、家庭を取り戻せ、という主張ですっきりすることはいいと思う。しかし、左派が相変わらず増税=弱い者いじめ、という論理にすがって税金のことに向き合っている限りは、規制改革会議や、経済財政諮問会議、それらのイデオローグであるいわゆる小さな政府論者や新自由主義者などのイデオロギーの軍門に下らざるを得ない。00年頃の社民党の保育政策に多様な保育(時間)に対応するため「規制緩和を進め」という文言が入っていたことを思い出すのだ。

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