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2007.11.10

11/9 住民登録をしてもらえない人・住民登録をしてもらえるキャラクターたち

友人の知り合いの菅原さんが、戸籍への「非嫡出児」という差別記載を断ったために、出生届不受理になり、住民票すら作ってもらえないという壁にぶちあたっている(菅原さんHP)。裁判闘争を行い、地裁は住民票を作れという判決がおりたが、自治体の控訴による高裁判決では、住民票を作ってもらえないのは自己責任という判決が下りた。

住民票というのは、住民登録によるものであって、戸籍への差別記載を係争しているにかかわらず作らないと行政として機能しないんじゃないかと思うがどうなのだろうか。
今でこそ、役所の事務手続きの整備と自治体間の通信手段の発達、病院出産の普及から、出生届・戸籍・住民票は一体のものとして漏れがないと信じられているが、1950年代ぐらいまで、コンピューターも無く、電話すら満足にない時代、しかも戦争生存者の把握の混乱や、ところによっては戸籍や住民票を焼失してしまった自治体もあり、今のような出生届=戸籍=住民票というきれいな関係ではなかったようだ。そういう時代、戸籍がない子どもといのうが結構いたらしい。
詳細は学習不足だが、1950年ぐらいまでは無戸籍児童というのがクラスに1人ぐらいはいたらしい。そういう子どもを自治体はどのように扱っていたのか、調べてみたい。

そういう経緯をもつ我が国が、戸籍の記載をめぐって係争している、当該の子どもについて、さまざまな不利益を押しつけることが可能なのだろうか、疑問に思う。
よしんば、判決と同じく、親が戸籍制度に反発するのが問題だという立場に立つ人であっても、近代法は子どもは1つの人格として独立しているととらえるのだから、その子どもに不利益が蒙らないようにすることが人権で商売をしている司法関係者の役割のはずではないか。戸籍制度に反発する親のために子どもが不利益を蒙るというのは、これまで児童虐待でも問題になってきた民法の親権の解釈から引き出せるのだろうか。そうではないだろうと思う。
戸籍制度に差別記載するというそもそもの問題が問題であるが、たとえ戸籍制度に差別記載をしてやむを得ないという立場に立ったとしても、親の因果が子に報われて当たり前といわんばかりの判決は司法が法の支配という考え方に立脚せず、前近代的な通俗道徳に呪縛されていることを示すものである。

そして実際に生きている子どものことをめぐる自治体や裁判官に憤っていたら、彦根市で「ひこにゃん」が住民登録されたというニュース(このキャラクターをめぐって市と作者が対立という尾ひれまでついて)が入る。

新座市のアトム、朝霞市のタマちゃん、そうして今度は滋賀県彦根市では「ひこにゃん」が住民登録してもらえている。

もちろん、住民の数にカウントされないし、アトムやタマちゃんを僭称しても具体的な住民サービスが受けられるわけではないということは頭でわかっている。しかしそれでも、どうしてこうした二次元キャラクター(ひこにゃんは三次元か)には、さしたる家裁の手続きやら、議会の審議すらなく、行政の職権で簡単に住民票が発行されているのだろうか。
実際に生きている人間を目の前にして、保育所だとか学校だとかの公共サービスを受けられなくしているということはどういうことなんだろうか。
ブランド力のために広告代理店や行政コンサルタントみたいなところに惜しみなく税金を使うのに、実際に生きている人間への行政サービスをおざなり、怠る、最近の自治体の姿を見るようだ。

彦根城キャラ・ひこにゃんピンチ、作者と市が使用巡り対立

住民票の交付を受ける滋賀・彦根城の人気キャラクター「ひこにゃん」 滋賀県彦根市で25日まで開催中の「国宝・彦根城築城400年祭」の人気キャラクター・ひこにゃんをめぐり、作者と市が対立している。

 作者のデザイナー、もへろんさん(22)が「適正なキャラクター管理を怠った」などとして、市と同祭実行委員会に祭終了後の使用中止を求める調停を彦根簡裁に申し立てたが、市は9日、ひこにゃんを今後も市のマスコットとして使用すると発表した。

 実行委は祭のキャラクターとして2006年1月、もへろんさんが応募したネコをモチーフにした3種類の図柄を採用。実行委が許可した団体の出版物などへの利用を許可してきた。

 しかし、申立書によると、実行委は「お肉が好物」「特技はひこにゃんじゃんけん」など作者の意図しないひこにゃんの性格づけをしたと主張。粗悪品が出回りかねないのに無制限に使用を承認しているなどとしている。

 申し立てについて獅山向洋市長は「弁護士と相談して対応したい」とコメントした。

         ◇

 当のひこにゃんは9日、市役所で彦根城の天守を自宅とする“住民登録”をした。「市民になれてうれしいにゃん」と、作者と市との対立をよそに感激した様子で、居合わせた市民らに愛嬌(あいきょう)を振りまいていた。(2007年11月10日1時10分 読売新聞)

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コメント

世の中には、諸事情で戸籍がない人は意外と多いようです。
また、戸籍がなくても住民票を作成している市町村もかなりあると思われます。(国との摩擦を恐れて、ほとんどの市町村では公表していないでしょうが)
戸籍と住民票の両制度が存在し、おのおの役割が違うのですから、住民が不利益を受けないよう住民票を作成するのはきわめて当然のことのように思えます。
現に存在する住民を積極的に支援しなければならない立場の世田谷区の主張は理解に苦しみます。
ことが大きくなりすぎて、住民票を作成した場合、総務省や戸籍を所掌する法務省から仕返しをされたらたまらないというのが本音かもしれません。
いずれにしても、常に戸籍=住民票でなければならないということなら、二重管理の現行の制度をやめたらどうなのかと言いたくなります。

投稿: パパゲーノ | 2007.11.11 09:54

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