10/31 市健康福祉部が福祉事業より商業施設賃貸業をやることが大切だと言う
前の基地跡地整備計画策定委員会の話。
この委員会の委員として入っている市職員の1人に、健康福祉部長がいて、以下の発言を行った。司会から、商業施設に入れるものとしてどのような施設をお望みですか、という問いかけに対する答えである。
「朝霞市は開業医の進出が著しくて、老人医療費がふくらんでおり、1人あたり医療費では埼玉県1位となっている。医療機関の開設について望む声があるが、医療費の増大を抑制する意味から、医療機関を誘致するという話にはならない。同じく介護施設についても、入所施設が入ることはないと思うが、通所施設についても介護保険財政をふくらませない意味で誘致するという考えはない。私は過去商工課を担当し、周辺商店街や商工会などと意見交換してきたが、まちの活性化の起爆剤を切実に求めている。そのためには商業施設であるべきである」
この発言の問題点として以下のようなことが言える。
① 開業医の進出が朝霞に集中しているという事実については、地域事情を無視して、医師会が好きなように開業を認めているということである。そのことは朝霞市の保健医療行政と医師会との専門的なやりとりができていない証拠である。重ねて市においては国保の保険者としての立場があり、老人医療費が膨張しているのは保険者としての機能が果たされていないということを明らかにしたものである。健康福祉部長という立場にあるものとして責任を感じるべきことだろう。
※背景事情として、市内開業医が社会的要請の高い夜間診療や往診を1軒もしていないのに、基地跡地に医師会館を建てて、市のお金でしんどい夜間・休日診療だけをやれという要求を出していることを封じる意味があるのだろう。この点については半分ぐらいは同意する。
② 老人医療費の膨張については、開業医の増加という健康福祉部長の認識も一理あるだろうが、それは上に書いたように医師会に説得力を持たない市の保健医療行政の怠慢から来ている問題でもあり、また、後述の介護保険がしっかりしていないことによる副作用でもある。介護の未整備が医療費を膨張させている例として、朝霞市民が親族の施設入所を語るときに、医療系施設の名称しか出てこないことがあげられる。
③ 介護施設については、朝霞市の場合、通常の自治体の水準以下に不足している。つくらない理由などない。
④ 介護施設不足を解消する多少の手段として、在宅福祉を充実する方法があるが、朝霞市の場合、市場任せで、大手事業者を含めて24時間の介護の体制はない。市役所が人材育成をしたり、ボランティア組織を介護事業者にして安心のまちづくりのための努力をしている形跡はない。本来、公的機関が運営することを想定して制度が作られた地域包括支援センターでさえ全部民間事業者に丸投げして、セーフティーネット機能を期待して出されている補助金を浪費している実態にある。
⑤ 介護保険財政は高齢化にともない、ふくらむことは避けられない。とくにベッドタウンという街の特性から親族介護の期待できない身寄りのない高齢者が多くなることは避けられない(私も含めて)。その現実から逃避して、無理に介護財政を抑制すれば必ず無理がくるし、ケアマネージャーのような第三者が介在しない医療費にしわよせが行き膨張して何倍ものツケを払うことになる。
⑥ 商店街の活性化は、こうしたハコモノ施設ではない。小さな商店が誇りを持って安定した商売ができる基盤があってできることで、大型商業施設を誘致してどうこうなるものではない。
⑦ 発言のスタンスとしては、商売のやる気もなくみんな不動産屋になり下がった商店街のために公共事業はやるが、医療や福祉などにこれ以上力を入れるつもりはないという態度である。商店街の商店主たちのやる気、まじめさの欠如が、今日の商店街の沈滞を招いている。その証拠に商店の跡継ぎはみんな不動産屋になって、持っていた商店の土地にマンション建てて働かずに暮らしている。いくら商店街大好きの私でも、自助努力のできる彼らが努力もせずに税金にたかるのは論外だと思っている。TMO計画などとの矛盾、既存都市マスタープランなどとの整合性もない。
健康福祉部長が、過去担当した商工課が大事なのか、目の前の職責である医療福祉の課題が大事なのか、価値観を見たように思う。
だいたい、地域福祉計画では、今回の国家公務員宿舎建設のような大規模開発を行う場合には、その人口増に見合う福祉施設の提供や開設の協力を求めよと書いてきたはず。これまでも大規模開発業者がマンション売るだけ売って食い散らかした後始末を、市民や市役所が財政難の折、他市に見劣りする福祉や教育の質・量を我慢するかたちでしのいできたからだ。深刻な待機児童問題、通勤電車の中のような学童保育など、行政サービス・公共サービスの供給量に見合わない開発を行ってきたツケとして出てきたことである。
そうした経緯を全く無視して、開発側に福祉施設は絶対にいらないと手形を切るのは、自らの職務分掌に対する謙譲の美徳などではなく、行政権の独走であり、勝手な振る舞いと言える。
残念なことに、朝霞市は、入所型介護施設も、保育所も、学童保育も、市役所がマンション開発を制限しないために著しく不足し続けており、この部長の発言は、税金取るだけ取って責任を取らない最悪の行政を行うと発言したようなものである。医療についても、二次医療を担う既存病院の質や受け入れ量を上げる努力をしているのだろうか。
私は、この4年、朝霞市の地域福祉計画づくりとその運用にそれなりに熱心につきあってきたが、この部長のこうした価値観につきあわされてきたのかと思うと、あほくさい思いになっている。今の市長、この部長になってから、地域福祉に関する取り組みは停滞し、庁内に関してはまったくとんちんかんなことが続いている。この部長は地域福祉の委員会にほとんど出席したことがない。
いっこうに市役所から地域福祉、つまり在宅福祉の充実とか、子育てをサポートする人的つながりとか、貧困者や高齢者に対するソーシャルワークが一向に整備されないし、整備しているという話も聞こえてこない。既存の団体に補助金をばらまいているだけ。和光市が高齢者の全数調査をやって、市の高齢者福祉政策をまとめたり、保育所の第三者評価を通して質を高める取り組みをしたり、さまざまな市民活動のレベルアップを促していることと対照的である。福祉に関して朝霞市役所から聞こえてくるのは、困っている市民は因果応報だといわんばかりの言葉と、がんばることはいいことだという精神訓ばかり。福祉担当課職員が、現場を見に行ってないことすら珍しくもない。近隣市の先進的な取り組みすら情報が入っていない。最近の市役所は、朝霞ブランドだとか、H・M記念碑だとかうかれたことばっかりやっている。
(年金の行方不明問題でも、きめ細かな対応をいちはやく取ったのは和光市であった。)
健康福祉部長が期待する事業というのは、単なる不動産デベロッパー業を市役所がやることに意味があると言っているのである。収益にならない仕事を自治体がやることに意味はあると思うが、不動産デベロッパーみたいな事業は、民でやるべきことであるし、市役所がこんなことをやって成功したためしは本当に少ない。
不動産屋やりたいのであれば、幹部職員たちは雁首並べて民間不動産業に転職すればいいのである。福祉や医療は民でできるものは民、コスト意識、行政に依存するなと、利用者まで言われている。その言葉の裏側には、運命には逆らうな苦行にたえよ、という言葉が浮かんでくる。それなのに、自分の運命をどうにでも変えられるはずの不動産開発業をどうして行政がやる必要があるのか、順序が間違っていると思う。
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コメント
⑥⑦について。
話がそれますが、さいたま新都心の開発について公募した5グループのうち、日本一の高さ「310mビル案」を出したグループが応募を辞退し、最終的に「170m案」が優先交渉権を得た。
それについて「310m案」の旗振り役となってきた県商工会議所連合会会頭は「あまりに知恵とロマンがない。日本一だからこそ磁力が出る。50年100年先を見据えていない」と不満をぶちまけた・・とか。
おまけに県議会の「新都心にぎわいづくり議員連盟」(笑)の会長も「これではさいたまを日本一にすると選挙で訴えた上田知事らしくない」と批判・・とか。
170mでも36階、その倍の高さのビルの空き室が50年先までロマンで埋まるのだろうか?
商工会って、お金がどこかから沸いてくると思ってる?
県民が誇りを持てる日本一、それは高いビルを建てることではないよね。それは小学生でもわかる。
投稿: 匿名 | 2007.11.02 21:13
埼玉県や朝霞のおかれた政治状況が、他の地域の2回り3回り後を走っているってわかりますよねぇ。
他の自治体も92年ぐらいからハコモノを作り続けた上、借金で首が回らなくなってから、高齢化の対応に追われています。
朝霞市も今は流入人口、真新しいマンション群、花火などで若々しい街のつもりでしょうが、ベッドタウン住民として1960年以降に流入した身寄りのない高齢者があっという間に増えます。この人たちが要介護になったり、慢性疾患を抱えると、家族介護が期待できないですから、あっという間に島根や北海道ぐらいに保健・医療のコストがかかる自治体になります。そのことの覚悟や備えがなさすぎ、と思います。
それなのに田舎者の建築物自慢みたないことばかりやって、行く末が心配でなりません。
投稿: 管理人 | 2007.11.02 22:49