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2007.10.14

10/13 底割れする介護

介護労働者の集会を手伝いに出張する。

かつて私が福祉労働運動に携わっていた頃に介護保険がスタートして、その頃は、市場化する介護サービスに対応するために労働者が高いスキルを付けるしかないというような運動であった。
しかし、その後の介護報酬の改定、昨年からの介護保険制度そのものの見直しによって、どんなに高いスキルをつけても介護労働はワーキングプアにしかなれないという現実を露呈してしまった。

集会で配られた資料、発言した参加者、講師、助言者からは、次々に介護現場の惨憺たる労働条件と、周囲の景気回復による人材流出によるサービス継続の不安が次々に語られた。
全産業の平均給与が導入の2001年が月33.3万円から2005年は330.8円と推移しているのに対し、施設の介護労働者の平均が22.7万から21.1万に推移、ホームヘルパーは20.8万から19.8万に推移している。これは厚生労働省が把握できた常勤労働者のみの数字で、ホームヘルパーの大半である時間給労働者はもっと惨憺たる数字ではないかと思う。

他のパートアルバイトの時間給が上がっている中で、当然のように人材流出が発生している。最低生活を営めない労働力によって担われている公的サービスなど、持続できない。もちろんこの間、私たち労組に課題があったと思うが、緊縮財政、世間全体のデフレ基調のなかで、税金や社会保険料を原資とした介護報酬を受け取る側としてバッシングされかねない状況もあり、相当遠慮させられていた面もある。

発言者の中から、昨年の介護保険の見直しで、軽度要介護者が介護保険の対象から外れた。そのことで、介護度が重くなってしまって機能回復が図れない人ばかりが介護保険を使うようになって、介護保険の介護予防機能が果たせなくなっているという指摘や、サービスを必要性ではなく自助努力の度合いで排除することになり、今の生活保護と同じの過去の制度に戻ってしまったという指摘もあった。

出てきた言葉は次々に介護保険は失敗したというものだった。私は必ずしもそうは思わないが、あまりにも働く側の問題が軽視されてきたし、軽度者介護をバカにしてモラルの問題のようにしてきた制度改定の問題が明確になったと思う。

景気回復をすればするほど、介護の人材不足がなお露呈し、権利としての福祉が瓦解する危機にあると思う。

しかし、この問題を片づけるには、①地方交付税負担分も含めた税投入を増やすか、②介護保険料を上げるか、③保険料負担者の年齢範囲を広げるしかない。
①が最も妥当な手段だと思われるが、可能であっても年金財源としての増税しか国民合意が得られる見通しがない。情けない国である。
②介護保険料を上げるというのが制度設計の中では最も王道の手段であるが、今の高齢世代は、社会負担が安くサービスは高くということに慣れきった右肩上がり世代である。負担の話をすると、そんなの誰かの責任じゃないと平気で言ってしまう世代でもある。一流企業を出た高齢者が介護保険料の値上げに反対するのを見ていると、自分の年金収入より収入の低い人に介護させることに何の引け目もないのかと思うこともある。
仮に保険料アップという選択肢を取るにしても、生活保護受給者ではない貧困者の保険料・利用料負担について今の介護保険制度は厳しい制度になっていることを克服する必要がある。
③の年齢範囲は、もらえる見通しの明確でない年金保険料の負担増、健康保険料負担、法人税減税の見返りの所得税の増税に苦しんできている今の若者に、障害者になったときのサービスしか見返りがなくて、犠牲の押しつけというような結果になるのではないかという危惧もある。

私は、①の手段がもっとも適切だと思う。保険料負担にしわよせを求めるのは、安定雇用が減っているこの社会で、あまり展望のある解決策とは思えない。

今後、誰もが血を出す覚悟をせず介護保険制度をこのまま放置すれば、まっくらで、かつての議員のコネのある人しか、介護サービスを受けられない時代のように戻るのも時間の問題のような気がしてならない。当の高齢者にとっても、介護地獄におちいった家庭内で、放置介護、身体拘束、介護虐待に遭うことを覚悟しなければならない。施設に放り込んであと知らん顔ということになると思う。あるいは脱法的にコストの高い医療施設に社会的入院することになり、結果として、もっともっと社会保障財源を食いつぶすことになる。負担が嫌だといっていると、介護保険導入前の状態に戻ると思う。

公的な社会福祉を否定する立場の人はそのようなことは家庭内の責任だと言うだろう。しかし子どもの数の少ないこれからの高齢者の介護を、若者が家庭内で自力でやれということになれば、当然労働力もへり、そこから上がる国民所得も低下し、税収も減り、デフレスパイラルのような状況になる。そのことのデメリットを考えると、きちんとした待遇改善は避けられないし、そのための予算確保はやるべき政策決断だと思う。放置することは、消えた年金よりも社会に与える影響が大きい。

●この問題は朝霞市においてもとても不安だと思っている。福祉の議論をするときに、市の審議会に出てくる人たちは負担の問題や、モラルの問題ばかり議論したがっている。しかし、本当に困った人の家庭やおかれた生活、状況など想像して、聞いて、何かしているという印象もない。朝霞市には保育園と保健センター以外に現業部門がないから、市役所も高齢者施策は良くて外郭団体、民間に任せて、例のごとく「民でやっていることはわかりません、言うべき立場にありません」ということで、そこでおきているさまざまな出来事や問題を全く無視している状態である。
そうした中での介護保険制度が、このまちでどこまで有効だったのか。コムスンの認定取消で、影響を調査したら、元々から24時間介護を受けられる業者がいなかったことも明らかになった。要介護になったら施設に隔離されるのがこのまちの福祉の水準である。
でも福祉の名前を借りて、わけのわからないサークルにお金を出し続けているのも、この街の福祉政策である。

●読み進んでいた「カラマーゾフの兄弟」だが、出張に持っていく巻数を間違えて、空港の書店で村上春樹の「国境の南、太陽の西」を買って読む。

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