8/17 株価暴落で年金運用金はどこへ
社会保険庁の事務の問題とは別の次元として、年金制度が「払った分だけもらえる年金」の考え方が間違っている、と書いたことについて、考えさせられるブログが2つ。
1つは、「丸山真男をひっぱたきたい」の赤木氏の「深夜のシマネコ」。
年金を払えない階層の人にとって、払った分だけもらえる年金というのは格差の再生産の装置でしかない、というものだ。その現状認識については私もそう思う。年金制度など無くせというに近い赤木氏と結論は違うが。
雇用の多様化で不安定雇用のもとで働く人たち、あるいは中国やベトナムとの国際競争で仕事を奪われている、かつてならまじめささえあれば就労の機会がないなんてことがなかったような人たちを取り込み、彼らの老後を生活保護以外の方法で確立できる年金制度にする必要がある。
もう1つは衆議院議員保坂展人さんのブログ。
公的年金制度に運用金などというものが存在して、それが公共事業に流用されたり、あるいはそれがダメとなると、株価維持のために株を購入させられていて、ここ数日のような株の暴落が続くと何が起きているんだかわかったものではない、という危機感に全く同感。
日本の年金は、その原理の部分で賦課方式も積立方式ともつかない中途半端な方法をとっているからわけがわからない。国民には積立方式のような幻想を振りまいて、制度の基本は賦課方式で、運用金などという賦課方式ならほとんど必要ではないものがなぜか肥大化して、厚生労働省キャリア官僚が運用権限を持っている。その利権があるから厚生族議員というものが存在する。厚生族議員にやましいものがなければ、野党と厚生労働省の関わりのように、厚生労働省の提示するものの良いものは良い、悪いものはダメという明確な対応もできるし、もっと野党に胸襟を広げた、年金、福祉、医療の政策合意が可能である。この運用金の運用にそもそもの年金制度の腐敗の原因がある。
●戸門一衛「スペインの実験 社会労働党政権の12年」を読む。
ギリシャ、スペイン、イタリアで、沈滞したファシスト政権や保守政権に対する、安定した民主的改革者として登場した社会民主主義政党のサクセスストーリーは、日本の社会党の失敗と比べて、非常に参考になる。
この3国は、ドイツやイギリスやスウェーデンのようなあか抜けた政治風土があるわけではなく、口利き政治が横行する国である。数度の革命や共和制の試行などで近代化は行われているが、その内容の後進性は否めない国々で、この3国で社会民主主義政党の党首を首相として政権が誕生した1980年ごろというのが、日本でいう1945年から1960年ぐらいの政治風土に似ている。で、今回はスペインのことを詳しく知ることができた。
ファシスト軍事政権のフランコ政権がフランコの死で終わったのが1975年、フランコに育てられた国王カルロスが王制復帰したが、カルロスはスペインの政治の民主化を後押しする。当初は保守中道勢力が政権を担当したが、ファシストの残党とリベラリストの肌合いがあわず政権維持がうまくいかない。そこに社会労働党がマルクス主義を党公認イデオロギーから社会分析の手法という位置づけに切り替え、国民に本格的な民主主義社会にふさわしい政権党と認められ地滑り的大勝で政権を担当することになる。
日本は、1945年以降も、戦前からの社会主義運動家が派閥をぎっちり握っていて、戦後民主主義にふさわしい人材が労働界を通してしか供給されなかった。そこに戦前の無産政党の体質を払拭できず、当然、政権を担うところになかなかたどり着けない政党になってしまったように思う。
●ボーズ判事を首相が評価している。それはいいけど、首相が尊敬してやまない岸信介の東京裁判での弁護人にも尊敬を払ってほしい。本来ならA級戦犯として、どうなるかわからなかったのだから、弁護人の存在は大きかったはずである。
その弁護人とは、自著「美しい国」では一介の労働運動家、労働弁護士に過ぎないような書かれ方をしている、日本社会党河上派の大幹部だった三輪寿壮氏(元衆議院議員)である。
| 固定リンク
コメント
なるほど日労系の三輪寿壮が弁護人ですか・・・・・清瀬一郎とか鵜沢聡明とかは兎角有名ですけど、三輪と岸の関係と言うのもなかなかにして示唆深いものがありますね。
そう言えば、西尾末広も岸信介の擁立を考えていたと聞きますし、その系統に連なる福田赳夫も西尾が政界進出を持ちかけて袖にしたてエピソードがあるんですよね。岸=福田の系統と社民右派の人的重なりというのも、今日の(その子弟の動向をも含めて)政治状況に示唆深いものを与えている気がしますね。
投稿: 杉山真大 | 2007.08.24 02:12
三輪寿壮と、岸信介と、民法の大家の我妻は、東大法学部の同期でトップ争いをした3人で、そういう因縁が一番大きいと言われています。もっともモデルとなる社会主義を持たず、農民運動家出身者が多かった無産政党中間派の日労系と、国家社会主義は、結びつきやすい思想的状況があったことも否めません。
岸信介は安倍晋三よりずっとしなやかだった面もあるようです。
ただし無産政党右派の社民系は、英国労働党を模範にしていたので、戦中は翼賛会に参加した議員はいませんでしたし、日本共産党あたりが喧伝するようなイメージと違い、西尾自身はファッショ体制を侮蔑していたところもあるので、これは政局がらみの話だと思います。
保守本流の吉田茂が社会主義者嫌いだったことで、社会主義勢力が非保守本流と結びつきやすい背景をもっていたように思います。のちのち吉田学校の卒業生が、ケインズ経済学を採用して高度経済成長を始め、対抗する岸系の人たちが経済成長で失った日本の伝統などということを言い出すと、経済政策のねじれみたいなことが起きていくのです。
投稿: 管理人 | 2007.08.24 07:28