8/15 終戦の日と護憲派・改憲派
●「日本のこれから・憲法9条」を見ている。いろいろ考えるなぁ。しかし、生活の身近な政策1つ、自らの手で変えられない国民が、こんな複雑怪奇な問題を議論することのダメさを痛感する。憲法談義が無意味だということをまたまた植え付けた番組だったんじゃないかと思う。偏った人しか、神学好きな人しか、こういう議論に参戦しないんだもの。しかも、自らの手で自らを守るとか、そもそも軍事力がなければ、とか、精神論、観念論の白兵戦で。
改憲派にいっちゃっているのが多い。冷静な改憲派、改憲のタブー無し派の人からすると苦虫潰すような話かも知れない。あと女が増えた。昔は神道系宗教がらみの女しかいなかったのに。日本の伝統からするとどうなんだろ。婦人参政権とかどう考えているのか聞いてみたいような気もする。
一方、護憲派が相変わらず、情緒または体験としての戦争からしか9条を語っていないことが物足りない。また、自衛隊合憲を明確にした護憲論がないことも残念である。
原理主義的な護憲派渡辺治と、情緒的改憲派の小林よしのりが、憲法と自衛隊の関係について「小学生でもわからない」と言い、共通する前提に立っていることが興味深い。複雑怪奇なこの社会を「小学生でもわかる」論理だけで解釈しようとすることに無理がある。
自衛隊が合憲である、という解釈を、言葉悪くいえばねじっても曲げても考えていかないと、生活に現実がある以上、それでも自衛隊はいらないという渡辺治より、それだから改憲して日米安保も棄てて独立国たれという小林よしのり的な考え方をする人が次から次に出てくるということにある。護憲派にはこの自覚が薄い。社民党が福島党首になって自衛隊違憲論を言い出したことにはほんとにうがっかりしている。思想信条の自由はあると思うが。
もちろんそれは自衛隊の存立根拠に関するものであって、自衛隊がどこまでできるかということは、憲法では、当然自衛権と国連主体の平和活動が上限で、その枠組みを超えるものは制約される。
元自衛官が次から次に9条改憲論で発言していることはマイナスだと思う。防衛大学校は初期、社会民主主義右派の研究者がトップとなって、現行憲法と自衛隊の両立について幹部教育を行い、平和国家にふさわしい自衛隊として公認されるために苦心してきた。しかし、自衛官が退官後こうして9条が邪魔だという発言を繰り返すと、自衛隊が培った自己規制への信頼を台無しにする危険性があると思う。
番組の取ったアンケートでは、国民の多数派は憲法は改正する必要があるけど9条を改正する必要はない、という判断をしている。憲法改正は必要だけど9条は続けたい、そういうところに全くの正論として護憲派が9条を焦点にしかせずに運動をしないことに限界があるんじゃないかと思う。改憲派が狙っているのは、9条だけではなくて、国民生活の規制や、憲法の最高法規性を悪用した統治強化、宗教や家庭が行うべき内面支配の実現である。そこにこそ本当は警戒すべきだ。
さらには、天皇制はナンセンスだとか、そんなこと言うのは護憲派じゃないし、運動体の中で、権利と義務を取引関係のように説明して構成員に運動の義務ばかり負わせるのも、日本国憲法の立憲主義のものの考え方を理解しない組織であり、護憲の姿勢じゃない。
一方で、日本の伝統派が、9条改憲と自衛権確立というのもおかしな話で、日本の伝統は、長く軍隊を否定してきた。武士階級すら自らを軍事力だという自覚を忘れてきたのが日本の伝統である。天皇など、平安時代に入ってから非軍事そのものである。朝廷はいかに直接、軍事力に手を染めないか苦心してきた。
飛鳥時代から平安時代にかけては、朝廷の統治のために血を流すとその魂を恐れ、莫大なお金で宗教施設を建てて鎮魂をしてきた。武士は永く差別されてきたし、公認されるにあたっては、織田信長のようにキリスト教との連立をして価値転換しようとするか(後に挫折)、足利義満や徳川家康のように軍事力の非毒化(武士階級の公家化)をする必要があった。血を忌み嫌ってきたことこそ伝統的態度で、軍事力を国の存立の基本に捉えるものの考え方こそ、近代西欧からの輸入物である。9条の精神は先の大戦の反省などというレベルではなく、日本の政治文化そのもの、根深いものだという理解が必要なはずだ。
番組で紹介された軍隊があれば北朝鮮の拉致がなかったという改憲論も現実を知らない発言だったと思う。工作というのは軍隊があってもなくても何でもやる。それくらいえぐいのが国家間の対外工作というものだ。この問題は、第1に北朝鮮の問題性であり、次にこの問題に直視せず被害者解放を遅らせてきた政府の政治責任にあると言える。
●防衛省の人事にどうして揉めるのかあれこれ深読みしてしまう。守屋次官については、タカ派にとって大きな実績をつくり、評価の高い次官であったからだ。しかし、構造改革系の政治家が小池側についていたり、小池百合子の訪米をアメリカが破格の歓待をしたというから、アメリカ利権がらみの話なのだろうか。
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コメント
防衛省の人事問題に関して、こんな記事もありますがどうですか。
http://blog.ohtan.net/archives/50967321.html
http://blog.ohtan.net/archives/50968453.html
投稿: jiangmin | 2007.08.16 03:04
NHKの番組について。
渡辺教授はやはり九条原理主義的な立場のリーダーです。僕は、個人的にはアリだと思っているのですよ。こういう考え方が一方にあることは現実政治との関係では有害とは思えません。むしろ、「棒ほど願うて針ほど叶う」ということわざがある世の中です。この立場の必要性は感じますね。
で、そのうえで、たとえば長谷部恭男や内田樹が話していたら、という感想は私もします。政治学の小林良弥や杉田敦でもいいのですが。
NHKの人物選びの範囲が意外に狭いのかもしれません。
さらにまた、現実政治のレベルでは、共産党が「侵略を受ければ当座は自衛隊を使う」といっていることからしても、護憲派=丸腰と単純化するような発想をわざわざ取り上げるのは疑問です(その意味では、右のほうが、「純粋まっすぐ奴隷くん」であったりするように思えます)。
投稿: 所沢の人 | 2007.08.17 16:36
情報ありがとうございます。
守屋さんと小池百合子がどう違うのかよくわかりません。守屋さんが綺麗とは思えませんが、一方で、小池百合子が利権一掃だという太田さんのものの見方も一方的な感じがしています。
携帯電話に出ないとキレてあることないこと言いふらす女は嫌いなので(しかも連絡がつかないときのために大臣にも次官にも秘書官がいるんぜ)、なんか小池百合子だけには肩入れできない、という気持ちもあります。これは正義とか何とかではなくて、単なる趣味の問題です。
原理主義的な護憲派の中では、渡辺治さんがベストかベターだったと思います。両極端の立場しかいなくて、あの中に、戦後イデオロギーの正統的継承者(自民党宮澤派や社会党江田派)である、自衛隊容認の護憲派がいなかったこと(消去法では小林節氏がそういう位置づけになるのかも知れない)が残念だということです。
右派が奴隷くんだというのはその通りだと思いますが(ただし小林よしのりのように日米安保を破棄するために憲法9条を破棄して、強い軍隊が必要だという原理的な民族派もいるわけで一概にはいってられませんが)、共産党も、二世三世によって担われている今、革命理論と丸腰でいることの矛盾も整理されているとは思いません。たぶん、戦争を経験した世代の幹部なら、当座、自衛隊という論理を知っていると思いますが、今の民青の諸君がそれを知っているとは思えません。
投稿: 管理人 | 2007.08.17 19:31