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2007.07.26

7/26 公明党自らの首をしめた個人情報保護法

公明党の不振が伝えられる。投票率が上がれば仕方がないことだと思う。もともと国民の5%~8%しか存在せず、熱烈に支持する人以外は拒絶反応が強い公明党が、第3勢力になっていられるのも、投票率が低いからである。

話を戻し、公明党の不振は、投票率の上昇が大きいと思うが、もう1つ、連立与党で強引に通してしまった個人情報保護法にあるのではないかと思う。
日本の選挙は、選挙カーをまわして電話をかけて、得票数に遙かに及ばない程度の数の選挙運動用はがきを出すことしか不特定多数にはできない(あとは団体や有力者が開く座談会みたいなものに顔を出す程度)。
タレント候補や、局地的にタレント並の人気のある政治家でもない限り、選挙カーをうまくまわしていくことか、電話を何本かけたか、ということしか票は生まれてこない。
特に公明党は、友だちへの電話かけを熱烈な支持者に要求する。本数をノルマにする。となると、手もとにある名簿から、電話しやすそうな知り合いから順に電話をかけていく。拒否反応が強い政党だから、通り一遍のビラや街頭演説の宣伝戦だけでは絶対に公明党なんか選んでもらえない。電話で、友だち、知り合いという情実関係で深く頼み込むしかないのだと思う。

ところが個人情報保護法の施行で、政治活動で名簿を使うことは規制されていないにもかかわらず、国民は何がなんだかよくわからないままに、名簿が出回っていることそのものが社会規範に反することだというような認識をするようになってしまった。そうなると、公明党のようなやり方をしていると、電話かけては個人情報保護法的な感覚をもった人たちの逆襲にあったり、皮肉を言われたり、運動にならないのではないか、ということは、選挙運動を経験しているからこそ察しがつく。

ある意味自業自得と言えると思う。しかしもう取り返しはつかない。一度、個人情報保護法的感覚が植え付けられると、ちょっとやそっとで、開かれた社会が戻ってくるなどとは思えない。つくづく嫌な法律である。

しかし、名簿が出回らない社会というのは安心感はあるのかも知れないが、個人情報保護法でそうした気持ち悪さを社会規範に反することだと定義できるようになったものの、しかし名簿は握っている人は握っていて、普通の人が名簿を握っている人に異議申し立てしようとしてもなかなか対抗できない社会にしてしまったと思う。下から積み上げていく民主主義がもう機能しなくなったと思ってよい。情報を下から作り、名簿を使って郵送したり電話をかけたりして積み上げていくことは個人情報保護法的感覚から言うと、その内容の是非より「どこでその住所を知ったの」という問題が大問題になってしまうからである。ピラミッド構造の上から、あるいはマスメディアという横から垂れ流す方法でしか情報が作られなくなっている。

また名簿の流動性プレミアムもつけてしまった。なかなか入手できない名簿、転売できる名簿となったからこそ、かつては古本同然の価値しかなかった名簿がものすごい価値を生むようになってしまった。さらには、流出した名簿を持っているというだけで、ゆすりができるようになってしまった。

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