7/26 国立大学学長が文部科学省の天下りポストに
●山形大学が、前の文部事務次官を学長にすることにしたらしい。
独立行政法人化で、国立大学は「癒着」という問題に対する変な開き直りをしているように感じる。独立行政法人は、補助金を貰う民間団体という中途半端な存在。倒産もありうるにもかかわらず、公的な補助金を受けざるを得ないという組織である。
そこに監督官庁の経験者がトップでやってくるとは、天下り先の確保ということにほかならなくなる。例え、その前事務次官がどんなに能力のある人であろうと、天下り先としての実績となれば、監督官庁は人事の矛盾となるような人物を次から次に送り込んで寄越し、不明朗な経理操作の舞台にするのが目に見えている。
企業名の冠をかぶせた研究を恥じらいもなくやったり、最近の国立大学は何か変である。
また、独立行政法人の職員の給料が、国家公務員より相当高いというのも問題になり始めている。公的機関の職員の給料が何でもかんでも国家公務員と同じというのも、結構無理があるし気持ちわるい話ではあるが、財政の効率化のために導入された制度にもかかわらず、なにか矛盾しているような感じもする。役所の直営事業と異なり、運営が議会のチェックが効かず、監督官庁と補助金を出す役所だけが口を出せるシステムであることから問題が多いんではないかと思う。
官業の民営化が行政効率の指標になるが、こうした隠れ公務員と、不正を潜在化させるような行政改革を改革というのだろうか。
元文部科学次官・結城氏、山形大学長に 他候補は反発も 2007年07月26日19時14分
山形大学は26日、学長選考会議を開き、次期学長に今月初めまで文部科学事務次官だった結城章夫氏(58)を選んだ。前日行われた、教職員投票による「学内意向聴取」では、候補者4人中、結城氏は355票で、小山清人工学部長(58)の378票に次ぐ2位だった。だが、学内外の委員で構成する選考会議が上位3人に絞って投票した結果、結城氏10票、小山氏4票と逆転した。
結城氏とともに記者会見した選考会議議長の坪井昭三・山形先端医療研究所会長は、得票数が少なかった結城氏を選んだ理由について「視点が非常に広く、どうしたら山形大を特徴ある大学にできるのかということをはっきり表明した点がかわれたと思う」と述べた。
一方、小山氏と、同じく候補者だった加藤静吾元副学長(62)の2人は連名で「決定は山形大の将来に大きな禍根を残す」とする声明文を発表。「(教職員の得票では1位でなかったという)客観的な事実を認め、就任要請を辞退すべきだった」と述べ、結城氏がこのまま就任する場合は法的措置も検討することを明らかにした。
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コメント
国立大学法人で特筆すべきことは、普通の私学の法人のように学長・校長と理事長の二本建てではなくて学長が唯一無二のトップでで教職員と経営陣との緊張関係がなくて、私企業のCOEのようにトップダウンで絶大な権限を行使できるのが厄介なんですよ。法人の他の役員も企業ごっこにいそしむかのように目先の数値目標管理などに汲々としていると聞きます。
産学協同的な研究ばかりマンセーする風潮、変ですよね。ここ数年民にできるものは民にいうフレーズを耳にたこができるくらい聞かされてきましたがそう言うのなら企業は自前の金と設備・人員でやりたい研究をやるのが筋ではないでしょうか。結局教育改革の帰結って大学や研究者が三河の車屋さんのような企業の下請けになることなんですね。
そして官・公にしかできず、本当に官がやらねばならないこと=この場合は基礎研究はどんどん細っていくと。基礎研究は企業の儲けの役には直接立たなくても長い目で見れば学術水準の底上げに肝心でここを切り捨てることは大学改革の目的である国際競争力の向上にも結局損なのですが。
この問題に限らず教育カイカク論議って制度設計や長期的なビジョンなくしてイデオロギー的・情緒的な次元で語られてきた。そして小泉・安倍体制でのカイカクに反対する物は日本のプライドを損ねて競争力や発展の足を引っ張る国賊としてけちょんけちょんに言われてきた。しかしこう考えると一連の与党の政策のほうが間違っているのは明白なんですよね。「アサピー」「ニッキョーソ」「ミンス」「ゼンキョートー」などを得意げに叩いていれば偉くなった気分になっているおめでたい方々は自分が国・社会のポテンシャルの向上に役に立っていないことにいつ気づくでしょうか。
投稿: 北狐 | 2007.07.27 00:28
高級官僚は自分の政策や職務内容について博士号にまとめて大学に転身というのは少なくありません。大蔵省出身の超勉強法の野口ゆきお先生も東大や早稲田で教鞭をとっています。しかし今回のケースは教育行政に関する博士号の取得や著作物がまったくないといことで、山形大学の医学部および本部職員を除くすべての教員が猛反発しているということです。しかも票が多いにも関わらず、大学のあり方に猛反発していることのようです。ですので、世論でやはり、国家I種試験で合格して文部科学省の役人になれば、学長、副学長になれるとなれば、大学院教育は荒廃しますよね。以上のような内容のような「大学のありかた」の根幹に関わることがおきたことを国民がどう考えるかということです。
投稿: 大学人 | 2007.07.27 21:44
高級官僚に限らず、自分の専門分野の成果をまとめて博士号をもらってから教員、副学長、学長になる方はかなりの人数であり、特に問題はない。有名な野口ゆきお氏(超勉強法の著者)は、財務省出身で、エール大学の博士号を取得して、東京大学や早稲田で教鞭をとっている。省庁の各種審議会(文部科学省に限らず)では「行政担当者(トップは事務次官)」と「学識経験者(大学や民間の研究所の研究者)」が一緒に仕事をし、意欲的な行政経験者が学識経験者の指導の下、学位をとる場合もある。一種のステイタスとして学界へのあこがれもある。これが、健全な関係といえよう。しかし、文部科学省の高級官僚が、理事(事務担当者)の枠組みを超えて、教育行政といった専門分野で博士号をとって、副学長や学長に昇格になるということになれば、歓迎すべきで問題はない。国家I種試験に合格し文部科学省に入れば、理事を超えて、副学長や学長になれるといった感覚が一般化すれば、大学院博士課程とか博士号、つまり自分の専門分野を極めるという根本の問題を文部科学省自体が理解していないことになる。
また、大学生が修士課程や博士課程にいかなくても、文部科学省の役人になれば学長になれるといったことを考えるだろから、大学は崩壊へと向かう。外国で専門家として理解されるには、学位つまり博士号である。文部科学省の役人も他の省庁、財務省はほぼ100%の役人が外国の大学院に留学するか国内の大学から博士号をもらう役人も少なくない。もちろんその後大学で活躍して国内で著名人となり、米国の大学等の客員研究者としてまたは国際会議等で国内外を行き来している。なぜ、このような感覚が文部科学省の役人に全く欠如しているのか理解できない。正々堂々と、大学行政に関して博士号(またはそれに近い著作物)を提出して、副学長や学長になるべきである。山形大学では、医学部関係(学内の3分の1)と事務担当者を除くほとんどの教員が猛反発をしたようである。マスコミに報道されている他候補者の1本化が前日になってしまったのが原因で、依頼文書を見る前に投票した教員、期日日前に投票した教員もいることから若干1本化がはかれなかった。また、学長選考会議(14名)にメンバーの民間議員(7名)は学長(医学部出身)が指名すること、さらに候補者の推薦人(第1選考前の推薦者)が多数(学部長)が学長選考委員会の学内メンバーであることなど不正行為(行政処分の取り消しの裁判が必要)ともなりかねない選考方法であったという。したがって、学内関係者によれば、学内の選考の問題と天下り(官僚としての職務後であり、教育行政の著書や博士号がない)の2面性があるということらしい。国立大学法人の長の就任を求める伊吹大臣が、前文部次官の就任を認めることは、「学識=文部科学省の高級官僚を務めること」ということをであり、大学設置基準の学長就任の学識についての批判へとつながる。大学の発展を願う文部科学省の見識を疑う。みんなで、見識のある山形大学の教員、大学および民間研究者、そして内閣府の教育再生会議、日本学術会議は、緊急課題として議論すべきである。被害者である山形大学教員だけの問題ではなさそうである。
投稿: 大学人 | 2007.07.28 07:29
最近飛び交う情報がある。実は理事クラスの天下りも大変な数であるということである。「文部科学省の本省に入れば大学の役員になれるぞ」って本当かもしれない。
これは事務職員の構造上の問題に起因するに違いない。これまで、他の省庁の出先機関もそうであるが、法人化前の国立大学の場合、国家Ⅱ試験合格者(少数)およびⅢ種合格者が各大学に残り、国家Ⅰ種の少数のキャリアと本省から派遣されるノンキャリア(地方希望などにより)は国立大学に出向し実質的に支配してきた。このような背景から多数の本省の役人が代わる代わる課長職や部長職で出向してきたという。本省と大学間を行き来していた。しかし法人化以後、事務職の権限強化から、元文部科学官僚をやめた状態で理事に就任しはじめた。
実際のところ、理事職は学部長よりも権限がある。理事職が適任かどうかは個々のケースがあろうが、財務担当等ということで大学によっては、副学長(京都大学、宮城教育大学、大分大学、新潟大学など)まで就任したのは問題である。学内には、副学長や学部長になれない会計学の先生もいるわけだから象徴的なことといえよう。
どう考えても、文部科学省のキャリアはこんなにいないわけだから、先ほどの国立大学職員の構造的な要因(今は大学院進学者も採用されているという)による本省経験者の優遇がいきすぎたかたちで現れたのであろう。今回の山形大学学長選については、正確には予定(文部科学大臣が学長の資格である学識を認めるのかといった関心事)の段階であるが、大学関係者としては、文部科学大臣が教育行政関係の学位がなければ就任を認めるべきでないことを保証する必要がある。これは法人法における「学長の資格の学識の部分の解釈論」へとつながる。認めなければ、行政処分の取り消しの訴訟も考えられる。日本学術会議をあげて「学問の府」を守る姿は多くの国民が共感を覚えるであろう。
理事についても、大学の学部長以上の経験豊富ということをどのような尺度で測るべきかということである。これが、仮に中央省庁経験者だからというのは説明にならない。学識経験者として政府の委員会で顔をあわせる自分の分野の行政担当者(次官も含む)は学位をとった上で大学への転身を考えるかもしれないが、文部官僚はこのような見識が全く無いのは、日本の高等教育の発展を支える資格がないことを意味する。また理事の年間の給料は年収2千万にはいかないが極めて高い給料である。また数年したらやめるわけだから退職金も莫大なものとなる。大学の構造改革の目的は効果的な予算の中でいかに大学が力量を発揮できるかである。国民はこのような「学問の府」まで天下りがあることを理解するべきである。年金問題そして格差問題はともに家庭の生活との関係がある。このような莫大な予算を天下り文部官僚のために使用するのは私利私欲のために使われていると考えることもできる。
国民の関心事、とりわけ激怒する大学関係者が多くなっているこの問題を解決するには、自民党政権の大臣自ら認めない方針を貫き、理事についても経歴から学部長以上なんだという証明ができないのであれば一部を除いて辞任するべきである。それこそ大手会社の経理部長経験者を経理部長として採用するとか、社長クラスを理事として招くなどのほうが実践的である。やはり副学長以上は、財務や教育関係の専門家としての学識的な面も兼ね備える必要がある。山形大学の医学部以外の教員が勇敢にNOをいっているわけだし、一部の学生や卒業生たちも言っているわけだから、文部科学大臣は、過ちを認めるべき段階にあると思う。
本来研究者は研究に集中するものである。
私も含めた国内の研究者、とりわけ山形大学研究者の大きな心労を招き、今後の精神衛生上においても最悪なこの出来事を許すわけはいかない。大学の構造破壊を防ぐためには、新聞等で多くの人が投書すべきだし、学内で選ばれた教員を全国の国民が助けることで大学が守られると思う。また天下り理事や副学長の給与はたいへんなものになることも追求しなければならない。
投稿: 大学人 | 2007.07.31 07:37
大学に天下りさせると役人は何をするか以下を見てください
http://shafukukaizen.seesaa.net/
以下でも情報交換
http://www2.ezbbs.net/03/amakudari/
投稿: 一市民 | 2007.10.07 16:51