7/12 政治的離れ小島だったこの地域
このままでいくと参議院選挙で大きな流れの変化があるみたいだ。1989年のおたかさんブーム以来のできごとになるという。しかし昔ならこういう流れに第六感みたいなものが働いていたのだが、私の実感がない。きっと仲間とおしゃべりをする時間をつくっていないから、世間の雰囲気がつかめないのだと思う。それが子育てなのだろう。選挙に限らず、いろいろな仕事やその他社会的な関わりから少し距離をおくことにならざるを得ない。子育てがいくら楽しいとか意義を強調しても、避けられないことなんだろう。
話は戻し、テレビを見ても、与党のごますり記事も、与党への批判記事も、与党の圧力を意識したニュースばかり気になって、このニュースでどれだけの国民が怒るのか、判断するには危険すぎるように感じることの方が先行してしまっている。
事実上の事前運動が熱心だったというのは今回あちこちで感じた。とくにこの埼玉4区内は、地方議員クラスまで選挙カーを出して事前宣伝を熱心にやっていた。
以前、中選挙区制時代の埼玉4区は、大宮や上尾の選挙区の飛び地だった。ここで選挙を熱心にやった候補はみんな敗北してきた(上田清司知事も、塩味達次郎元朝霞市長も、何回もここで落選していた)。選挙区なんて関係のない組織票は、団体本部を訪ねれば何もここまできて選挙運動やる必要はないし、このあたりの浮動票のために時間と労力を割くぐらいなら大宮駅や与野駅で浮動票をかき集めた方がいいということだったのだろう。だからほんとう国会議員には見放された地域だった(例外で和光の菅野病院の故菅野寿さんが社会党の参議院議員だったが、精神病院の団体の関係で比例区の候補だったため)。国会議員の選挙になっても静かなものだったが、今では選挙の過熱する選挙区になっている。
長崎や熊本で、船に乗って離島を飛び回る候補者なんてのが紹介されてきたが、この地域の政治的価値はそれ以下だったという時代があった。それが公共インフラの整備を最も効率的にできた時代とあいまっているので、川越からやってくる道路と都内の道路が4区内だけなかったりしてるのだろう。
●古本屋でJR東労組の松崎明が書いた「職場からの挑戦」を見つけて読む。会社の統制をチェックするんだといって組合の発言権を主張するのは正しい。しかし組合の統制にしたがわない職員やJR東労組と違う労組に入る人を、組合どうしの組織戦争としてではなく、職制として人事や表彰などで弾圧せよ、という主張は明らかにファシズムだ。そういう組合運営をやっているといつか自己崩壊するか、外からの政治的攻撃にあっけなく陥落すると思う。
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