6/30 ポルノのフィルタ規制を歓迎する裏で
田原総一郎のことをウォッチして批判しているブログに気になることが紹介されていた。
総務省はブログの検閲制度に近いものを検討しているようだ。もちろん表向き、検閲とすることはできないから、今の公共放送なみの「公正・中立」な情報を求める、そのためのチェックを行っていくというような書き方になっている。
それは、政府の公安情報担当者や防衛省による情報収集なんてレベルを遙かに超えて、ブログに対しても放送局なみの、公正・中立を要求し、従わない場合には閉鎖を求め、応じない場合には情報遮断を検討しているという。
http://ameblo.jp/garbanzo04/entry-10037253801.html
最近気になっていることだが、官民挙げて、子どもを口実にしたポルノサイトへのフィルター規制強化を求める声が高まっている。あれはいったいだれが踊らせているのか、気になってきた。このフィルター規制が技術的に可能になってくると、次は、都合の悪い体制批判なども対象にすることができる。
菅総務相になってから、総務省が放送行政に対して、「公正・中立」という言葉を繰り返している。その度にテレビのブラウン管からは安倍首相のコメントや、ひどいときには讃える解説が流れる。一方、野党に対してマスコミは批判こそしないものの、野党が国会でどんなに鋭い質問をしても、政府を立ち往生させても、ほとんど取り上げないという姿勢になっている。誰も判断できない「公正・中立」を権力の側が言うときにはほんとうに怪しいと思わなくてはならない。そして、その権力がいう「公正・中立」のためにあらゆるマスコミとメディアが、翼賛的な態度になっていかなくてはならなくなるのだろう。
ポルノサイトを害毒に思うなら、フィルタ規制なんかで安心せず、ポルノサイトを見ても犯罪をしない子に育てることではないか。たぶん、ポルノサイトは、人間の欲望と経済原理に最も近いところに存在していて、ちょっとやそっとで規制できるとは思えない。そこまで強いフィルタ規制をやったときには、反体制的言論の規制など、それは文字情報であり、しかも公然と書かないと意味がないことから、ポルノサイトの規制なんかより簡単にできてしまう。フィルター規制は自由からの逃走であり、民主主義の基本的な価値の放棄であると言ってよい。
インターネット規制をやっている中国のことを笑えない。いつもの言葉になるが、きれいなファシズムより汚い民主主義。大切な価値だ。
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コメント
はじめまして。Rolling Beanと申します。
弊ブログエントリーの内容をご紹介いただき、ありがとうございます。
菅総務相になってからのきなくささ、他の口実をもとに言論の抑圧が進む恐れについて、黒川様が書かれていらっしゃることと同じ考えを持っています。
フィルタリングも、民間がウイルス対策ツールのような商品を提供するならまだしも(とはいえ、それも学校以外の公的な機関にインストールされているようです)、最近の新聞全面広告を使った携帯キャリアなどの大キャンペーンの裏に何があるのか、注意しなくてはと考えています。
今後ともよろしくお願いいたします。
投稿: Rolling Bean | 2007.07.02 07:28
こちらこそよろしくお願いします。
話にびっくりしたもので、勝手に拝借させていただきました。
繰り返し私も書いていますが、菅総務相の思想や出所のうさんくささは、プロのジャーナリストがきちんと追跡して調べるべきですよね。
とっても危険な存在なのに、地味なせいか、マスコミはほとんどノーマークです。
投稿: 管理人 | 2007.07.03 00:13