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2007.06.04

6/3 東松山市教育委員会が障害児の就学先判断をやめ相談に

東松山市の教育委員会が、障害児の就学先の判断をする就学支援委員会を廃止し、代わりに就学相談として本人の希望を叶えるためのコーディネートに役割を変化させることにした。

障害児の分別教育については、当事者、当事者家族、教員、教育教育関係者、福祉関係者が、差別の温床だという批判と、専門的教育だと擁護する立場に分かれて激しく論争してきた。
世間的には、障害者差別は良くないという意識の浸透とともに、障害者を分離する社会のあり方は良くないという意識が定着してきている。障害者が働くということにネガティブなことを言う人はいなくなった(実際に雇うという人がまだまだ少ないのが残念だが)。

そういう時代になって、教育委員会という行政が、時には本人や家族の意向を押し切って、選別して進路を決めていたというのは恐ろしく下品なことをしていると思うのが普通の感覚である。
たぶん、実際には多くの自治体は受け入れ施設や養護学校の定員とにらめっこしながら最大限本人や家族の意向を汲んでいるとは思うが、それでも制度として選別のメカニズムがあったということは、何らかの改革を求めるべきことだったと思う。

かれこれ10年以上、福祉のまちづくりを進めてきた東松山だと思う。それで朝霞市より民生費の割合が少ないのだから、福祉の勘所というのはどこのあるのか、もう一度きちんと点検すべきことだろう。

全教(反連合)系の高校教師の労組、埼高教の書記次長が、批判的コメントを寄せていることに、この系列の人たちの福祉観がよく表れているし、「発達」「機能」「発展」と、人体を革命段階論に見立てたようなことをまだ言っているのかという思いもある。保護者任せになる恐れというが、少なくとも今はお役所任せで、それが障害者の社会生活にとってベストと言えるのか。前時代のものではないか。お役所任せより保護者任せ、保護者任せがまずければオンブズマン制度などの権利保護というシステム設計にしなくてはならないのではないか。
私は、脳天気なノーマライゼーション信奉者のように、本人の望む隔離的な福祉までを否定はしない。家族が介護できないほど重度だったり社会が許容できずにスポイルするような障害者に安心して生きる場を用意するためには、施設に入れるということは1つの選択肢だと思う。
しかし、いずれ大半の障害児は、障害児だけの世界にとどめておいたり、障害児として保護者が面倒見続けることはできない。本人や家族が未来を考えて、熟考していないとは思えず、彼らの意向を尊重することは当たり前の話であり、専門性の名のもとに本人の可能性を遮断するのは下品な発想である。またその選別も医療的知識と行政的選別を中心に行われ、本人や家族の社会生活や生きる希望みたいな観点を二の次にしている嫌いもある。やめて本人の意向をコーディネートするという妥当な役割になったことは非難されるべき話ではないと思う。

2007年5月31日(木) 埼玉新聞
障害児を希望の学校へ
県内初、就学支援委を廃止 東松山市教委

 
 東松山市教委は三十日、障害児の就学先を判断する就学支援委員会を廃止する方針を固めた。就学指導により障害児と健常児を分けるのではなく、相談機能を充実させた上で、就学先については保護者と児童の希望を「百パーセントかなえる」という。三十一日の教育委員会で正式に決定する見通し。県教育局特別支援教育課によると、就学支援委を廃止する市町村は県内で初めて。全国的にも珍しいという。

 同課によると、就学支援委員会は医師や教諭などで構成され、全市町村にある。専門的な立場から障害のある児童生徒の適正な教育について審議・判断し、養護学校や特殊学級などの就学先を保護者に通知する。通常の学級に入れたいという保護者の立場と食い違うこともあり、障害者団体からは「障害児と健常児を振り分けている」と批判もあった。

 同市教委によると、就学支援委は七月一日から「東松山市就学相談」に変更する予定。就学相談員には医師や教諭ら専門家に加え、新たに保護者の代表や民間福祉施設の相談員が参加する。相談窓口はこれまでの一カ所から二カ所に増やし、就学前だけでなく、普通学級から養護学校へ転学したくなった場合など、相談態勢を整備する。保護者の希望した学校に入学でき、必要と判断されれば介助員をつけるという。

 坂本祐之輔市長は「障害のある人とない人を分けてきた根本的要因は学校教育にあった。家庭では一緒に生活している障害児が、なぜ兄弟姉妹が通う学校に通えないのか。就学支援委員会を廃止することによってノーマライゼーションのまちづくりを一歩前進させることができると考えている」とコメントした。

保護者任せの恐れ
 学校の教師で組織する埼高教書記次長(障害児教育担当)の小野知二氏の話 就学支援委員会は廃止すればいいというものではない。子どもの成長と発達を保証するために機能するよう発展させることこそ必要。保護者任せになる恐れもあり、なくすなら普通学校の条件整備が求められる。

 就学支援委員会 障害児の就学に当たり、障害の種類や程度に応じ総合的に判断を行い、適切な就学先を保護者に通知する。市町村や都道府県の教育委員会が設置しており、就学支援委員会または就学指導委員会と呼ばれている。医師や教諭、臨床心理士など専門家や、障害に詳しい有識者など20人程度で構成されている。

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コメント

黒川様

 「東松山」で行政自らこういう判断を行うというのは、些か驚きでした。佐藤優氏が同志社へ行っていた時分に、「東松山」の「男子校」(これ自体気持ち悪いし差別的ですね)へ通っていて、当時の埼高教の分会(数人の代々木と、強力なカント主義者[小宮隆太郎の実兄、この教員が何故カント主義者だったのか宇野原論を読んで理解できました。つまり、非宇野派に対する批判が前提で、この教員が京都大学卒だったために宇野派をご存じなかったということのようです]と常識人の集まりで組織率は三分の一)の弱さに悩まされ続けた経験から、県北でこんな決定がなされるなんて信じられない気分です。
 共産党の言うことは相変わらずで、彼らの保守性の表現か、いまだに、隔離政策の方が票が取れると誤認しているのか、まあ両方でしょう。
 ところで、障害者と健常者は日常一緒に過ごして、生活のスピード調整を学んでいくべきと思いますが、朝霞市の保育行政と十小を見る限り、可能な範囲でこの点はまあまあかと思っていました。足りないことを前提にしても市立保育園では障害の児童も一緒に保育して指導員も非常勤とはいえその分雇用されていましたし、学童保育も学校も極力一緒にという方針で実践されていたようですから…。勿論、私が見た範囲ですから、部分的な話で全市的じゃないのかな?
 その僅かな部分も、今後、あの市長ではどうなっていくんでしょう?

投稿: hans | 2007.06.04 01:34

hans様、十小はまあまあですか・・。
それはさておき、今の朝霞市で同じようにただ就学支援委員会を廃止したらそれは混乱を招くと思います。
つい最近まで、「相談」ではなく「指導」だったのですから。
東松山市は市長がこれまで2期勤めた間にすっかり市(市の職員・社協職員や市民)がこの件に関して考えが熟したので、今が就学支援委員会を廃止するタイミングなんだと思います。
今後は、管理人さんが言うところの『家族が介護できないほど重度だったり社会が許容できずにスポイルするような障害者に安心して生きる場を用意するためには、施設に入れるということは1つの選択肢だと思う。』という問題が出てくると思います。
『障害者と健常者は日常一緒に過ごして』というやり方は、どうしても重度の障害者が置いていかれがちだからです。
その点においても、東松山市は受け皿ができているようです。


投稿: エム | 2007.06.05 07:57

お2人にはコメントありがとうございます。
福祉に関しては、税金の力で福祉を必要とする人を収容し続けてきた都市部のたちおくれの方が目立ちます。利用者側にたった福祉の改革は、秋田の鷹巣にしても、佐世保にしても、革新自治体ではなくて、保守の側の動きでした。そういう意味では、埼玉も県北の方が進みが速いというのは納得します。
朝霞はこれからです。これが福祉の放棄になっていくのか、ほんとうのノーマライゼーションになっていくのか、最悪は官による裁量行政による福祉サービスの采配が続くのかが問われています。
地域福祉計画はそれを動かす第一歩だと思いますが、まだまだです。小学校、保育園、国や県が門戸を広げていったところの現場が先行しているという感じでしょうか。

投稿: きょうも歩く | 2007.06.06 12:38

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