6/23 結局これか・ヤンキー先生
立候補の自由は誰にでもあるとは思うけど、ヤンキー先生こと義家のねらいはこれか。
議員バッチもなしに日本の教育政策を左右する秘密談義を繰り返すぐらいなら、議員になっていただいた方がいいかも知れない。
しかし、立候補したら当然、教育再生会議の委員は辞職するんでしょうね。そうでなければ露骨な教育への政治介入です。
一方で、自民党の中でも、大仁田厚や、舛添要一がいい抵抗をしているみたいで、とくに舛添については、要注目だと思う。
ヤンキー先生、義家氏が自民から、参院選比例区に出馬へ2007年06月23日13時23分
自民党は7月の参院選比例区に、政府の教育再生会議担当室長の義家弘介氏(36)の擁立を決めた。25日の同党選挙対策本部会議で正式決定する。義家氏は23日午前、広島市内で開かれた同党の中川秀直幹事長のパーティーで「参院選は教育再生の分け目の戦いとなる。すべては若者のために戦っていく」とあいさつ。その後、記者団に、参院選に立候補する意向を明らかにした。
義家氏は「ヤンキー先生」として知名度も高く、安倍政権として教育問題を重視していることをアピールする狙いもある。
義家氏は、暴力事件で高校を退学後、中退者や不登校の生徒を受け入れる高校に入学。大学卒業後、母校の高校で教師になった。その活動を描いた著書がテレビドラマ化されて反響を呼び、横浜市教育委員などもつとめた。
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コメント
議員に立候補する権利は万人のものですから、それ自体で批判するのはいかがかと思います。
むしろ、国民の関心はよそに、タレント性や知名度で候補者を擁立しようとする政党の姿勢にこそ問題はないでしょうか。
「選挙」という映画を通じて日本の選挙活動が注目されているそうです。海外の観覧者曰く、「日本人は、名前とお辞儀の仕方で議員を選ぶ」と。これに対したあるベテラン衆議院議員が「日本の有権者には、政策を説明するより握手を通じて人柄を伝えた方がより伝わる」と説明していましたが、有権者のことをどう考えているのでしょうか。それで伝わるようならば、日本の投票率はこんなに低くはないはずです。
海外の人が気づいた日本の選挙活動や候補者擁立方法の奇異さは、われわれ日本人の多くも以前から気づいているとみるべきです。ただ、政治家や政党の方々だけが気づかずに、あるいは気づいていても敢えて投票率を下げるためなのか、旧態依然とした「政策で勝負させない選挙戦」「知名度を利用した候補者擁立」を押しつけてくる。立候補を批判するという筋違いではなく、政党の批判が先ではないでしょうか。
ちゃんとした投票がしたいよ、ほんとに・・・。
蛇足ですが、「義家」というような呼び捨てはいかがなものでしょうか。別の日のコラムでは「氏」を使用したりもしていますが、個人への好き嫌いが現れているとしたら(衆目にさらす文章としては)論外かと。インターネットや自費出版など、だれでも「俄(にわか)物書き」になれる時代となりましたが、お手前は公序良俗の代表でもある議員なのですから、わきまえていてしかるべきかと思い諫言させて頂きます。
投稿: イオ | 2007.06.27 12:16
この先生芸能人は、前回都議選の事前ポスターで、小林こうきの子分と二連ポスターにおさまっていた記憶があるのですが……
弁護士芸能人の人やアナウンス芸能人の人と一緒で、声がかかればどの政党でもいいってことかしら。
投稿: o-tsuka | 2007.07.03 09:49
重ね重ねの投稿をお許しください。(日頃、議員の方に何か申しあげる機会はないので、ついつい(^^;)
「教育への露骨な政治手介入」とありますが、別段批判されるものではないと思いますよ。
(皇民化教育のように)教育に「統治者の恣意」が介入したことの戒めの意味でお使いだと思いますが、統治者=政治家ではありません。この場合の統治者はどちらかというと統治行為の実施者(=行政)でしょう?したがって、批判するとすれば、「教育への恣意的介入(特に一般行政の介入)」ということになります。
「政治」とは「対立する利害を調整する機能」のことです。(民主的手続きのような)政治的フィルタを介することで「恣意」が排除されることが期待されているわけです。例えば「教育基本法」も政治(国会審議)の結果制定されますが、それが政治的介入として批判されるものではありません。
要は、義家氏が行政機構に職を得たとすれば、政治への一般行政の介入の懸念という意味で、かかる審議会からは手を引くべきでしょうが、「国会議員になったから審議会には名を連ねるべきではない」ということには、少なくとも原理的に要請されているわけではないと認識しています。(もっとも、政党や省庁の内規がそれを制限している場合はあります。)
むしろ、そもそも教育行政は一般行政から一定程度独立すべきという考えからすれば、「臨教審」以来たびたび見られるように、教育関連の審議会が首相の下に置かれていること自体を問題視されるべきだと、私自身は考えます。
投稿: イオ | 2007.10.04 12:51