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2007.05.30

5/30 払った人の態度に問題をすりかえる与党の年金問題

こりもせずに、年金が無くなった人を救済する法案で再び強行採決。年金の時効を撤廃するというもの。
与党は、年金の時効を廃止することに反対した野党、と批判したいのだろうけど、そんなに国民バカじゃないと思う。どさくさで救済法案を作る方が年金運用金をいいように権益拡大に使ってきた厚生労働省の役人たちの思う壺である。

それから、この救済法、時効をなくすから、家計簿でも証明すれば救済してやる、というが、家計簿からどうやって厚生年金や共済年金の加入期間や加入したランク「標準報酬」を割り出すのか。バグだらけの情緒論である。コンピューターで名寄せの作業をやった人ならわかると思うが、コンピューターで人間のデータを名寄せすることがどれだけ大変だか、わからない人の考えだと思う。
さらにコストパフォーマンスを言うと、手間暇かけて調査して、獲得できる年金は、それぞれの加入者にとって数年分の保険料であることが大半であることが想像に難くない。調査にかかるコストがかかりすぎると思う。

安倍首相は、「こつこつ保険料払った人が年金をもらえるように」と言ったが、この考え方を全面展開することに年金危機そのものがあるのだと思う。だいたい国民皆年金なのだから、すべての国民がこつこつ払っていることを前提にして改革を検討すべきであって、国民がこつこつ払ったか払わなかったか、という精神の問題にすりかえるのは良くない。

公的年金は任意加入でないこと、自己責任を強調しないこと、将来給付という負債には将来保険料という資産で評価し、運用金を多額に保有しなくてよいことに意味がある。多少ドジな人生を送っても、老後ぐらいは困らないようにして、本人の子どもや孫など現役世代にリスクを負わせないようにすることに意味がある。そうでなければ公的年金でなくてもいい。

また社会が流動化していて、本人が望まなくても会社が変わってしまったり、転職を繰り返したりする時代になっている。したがって「払った保険料」を完全に捕捉することは難しい。

年金より医療で指摘されているが、社会保険中心の日本の社会保障制度が、貧困者には役に立たない社会保障制度になっているという議論もある。保険料を払っただけもらえるという年金制度自体を変えるべき段階に来ているのに、その課題を与党は巧妙にさけて社会保険庁職員の仕事の態度に制度の矛盾をすべて押しつけている。今回の混乱はその政治手法が、政治的感情の問題になっても年金問題の解決に何の役にも立たない議論であったことが見えてきていると思う。社会保険庁を解体したって何したって、社会のシステムに合う公的年金制度に改革しなければ、結局今のままで、社会保険庁にコンピューターを納入する会社とか、年金の運用金を流用して公共建築をすることに群がる人たちが免罪されるだけである。

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5/30 翼賛選挙の技術

●今度は、大室元都議の「翼賛選挙」を読む。翼賛選挙の裏方だった著者の記録。大政翼賛会がどんな運動をしていたのかよくわかっていなかったので参考になった。
もっとも大室氏が知らないところで、内務省や公安警察がいろいろな工作(すくなくとも非推薦候補に対する尾行や警告などを通じて、今でいう選挙妨害まがいのこと)をしていたことは想像にかたくない。が、そういうことはいろいろなところで書かれているが、実はこのきれいごとの表側で翼賛会がどう動いていたかというのはよく知られていない。

大室氏の著書では、明確に選挙粛正運動が大政翼賛会になったと書いてあって、日本選挙制度史で戦前版「きれいな選挙」運動が大政翼賛会になったことが明確に認識されている。
翼賛会が選挙対策としてやったことは、今でいうPRの技術を候補者に仕込み、演説会の弁士を文化人から経済人、政治家など組織化して次から次に送り込み、それでも追いつかない場合はカネを打ちこむというのが戦術だったようだ。著者が弁士の采配を担当していて、その手続きのために電話を使うのだが、電話が今の電報なみにつながりにくい話も面白い。一番早い申し込みをしても大阪なら、朝申し込んで、夕方つながるような状態だったという。これは政権与党の強みで、すぐに特設電話ができて全国各地にあっという間に電話がつながるようになったようだ。これくらい電話が悠長な時代だと、静かでいいのかな。でも情報を流れる側が圧倒的に優位な環境でもある。

しかし順調だった滑り出しも、選挙期間中に東京の初空襲があって、弁士が尻込みして翼賛会の演説会のために地方出張してくれなくなったことや、渡りに船として頼んだ弁士が赤旗の元編集長で断りに行くというようなエピソードが書かれている。完勝をめざしていたわりには苦戦したというのが中にいた人たちの感覚のようだ。

近くのスーパーの古書市で入手した本に戦前の選挙結果がほとんど網羅されている。それで、当時の選挙結果をひもとくと、東京と大阪ではほとんどの選挙区で非翼賛候補者が通っているし、社会民主主義者が健闘している。
80年代、共産党が社会民主主義者は戦争協力者だったというデマゴギーをさんざん流した。一面は当たっているが、一面は外れている。右派の西欧社会民主主義者と戦後に佐々木派になるマルキストは協力していない。日本流の社会主義などと言って情緒で社会主義をやっていた人たちが大政翼賛会に取り込まれたようだ。

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2007.05.27

5/27 タクシーは規制緩和で質が上がったのか

●タクシーの供給過剰地域に参入規制が導入される。増車を抑制するインセンティブが何もないため(ふつうの市場は過当競争になれば経営者の収益減になるが、タクシーの場合、そのリスクの大半はすべて運転士の収入にしわ寄せされるため、経営者は同業他社がせっせと増車していればシェアを失うリスクより増車のリスクを選択するい)、タクシーの品質を守るためには社会的規制しかないと思う。
しかし、朝日はわざわざこの記事に解説をつけていて、「規制緩和自体は消費者に利益をもたりした。過当競争のために、既存の業者の保護につながる規制を政府が安易に認めるなう事態になれば、その負担は消費者に回る」などと断定しているが、何をもって「消費者に回る」などと断定できるか。毎度毎度のこうした朝日の論調に、タクシー問題を取材している朝日の記者の質を疑う。規制緩和ちちんぷい万能論の信者だ。日経新聞にでも転職した方がいい。

今は、運転士が睡眠時間切りつめて営業していて、そのことで消費者は安全と引き替えに規制緩和を受け入れているだけ。つまり、過当競争のつけは乗客の安全リスクの低下にしわ寄せされているだけ。サービスなんかちっとも良くなっていない。タクシードライバーの流動化が進んで、道の知らない地雷に当たることも増えた。それでも規制緩和が消費者に利益があるなどと強弁できるのが不思議だ。朝日の記者は国会議員みたいに黒塗りの社用車で動き回っているからわからんのだろうけど。

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5/26 やっぱり大政翼賛会時代のままの公職選挙法

引き続き、「日本選挙制度史」を読み進む。

1930年代からの選挙粛正運動の成果として大政翼賛会の成立、そして戦後に入り、公職選挙法が成立するまで。

きれいな選挙、出たい人より出したい人という合い言葉が、大政翼賛会の候補者選定過程に使われている。以後こうした言葉遣いは気を付けたい。
町内会(当時は隣組)が地方議員の選挙の推薦・運動母体となるのもこの頃。大政翼賛会が町内会に候補者を推挙させた。狭い自治体の中で、おらが町内の代表と候補者を出し合い、土着性を競い合う地方選挙のスタイルは、暗黒の昭和10年代の発明なのか。
大政翼賛会については、政党の自殺と、民主政の放棄の側面だけで暗黒時代の状況を語られているが、選挙粛正運動のなれの果てにできた組織であるという側面を忘れないようにしないといけないと思う。

この時代に、個別訪問に加え、言論の選挙では不可欠ともいえる、ビラや看板など文書図画の規制も、選挙公営の拡大の引き替えに広げられる。文書類については候補者名の記載されていないわけのわからないビラと1996年以降の衆議院選挙の政党ビラ以外は、以後、2003年総選挙でマニフェスト頒布解禁まで、それこそ「60年以上」禁止され、言論で選挙するはずなのに、言論の公表・伝達手段のない珍奇な選挙になっている。今でも、地方議員選挙は昭和10年代の規制のままである。

戦後の新憲法になって、基本的人権が認められ、民主制が拡大されたにもかかわらず、選挙でまともな言論がたたかわされたことはほとんどない。よほど大きな争点があって連日マスコミが騒いでいる場合のみである。あとは個人後援会を核に、友だちの友だちはみな友だちだ、という、営業スタイル。かつての生命保険の押し売り販売のようなやり方の選挙しか経験してきていない。

戦後も大政翼賛会時代に強化された選挙規制は戦後も引き継がれた。GHQも憲法と公職追放以外は議会について口を挟むことを控えていたようだ。1946年の総選挙をやらせてみたところ、選挙でのマスコミの報道規制がひどいので、ようやくGHQが憲法に抵触すると指摘した。そして公職選挙法の制定(旧議員選挙法の改正)が進むが、選挙報道の自由、戸別訪問の解禁、文書図画の頒布の解禁など本質的なことが、現職議員たちの都合によって骨抜きにされ、ほとんど大政翼賛会以前の規制を踏襲したままであった。そのときに使われた言葉が「公正」だったり「中立」だったりすることも注目しなければならない。

西側先進国の共有の価値である基本的人権を屁とも思っていないような今の政権担当者のもとでは、政治的自由を再認識することは重要なことだし、ことさらマニアックであるが、公職選挙法の再点検というのが、日本の民主主義をおかしくしないために十分にされなくてはならない。そのためには「日本選挙制度史」は良書であったと思う。

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2007.05.25

5/25 国民合意の必要なことばかり選挙のネタにされる

社保庁改革法案が強行採決。

5000万件もの不明データをどうするか決めもしないで、社保庁を解体してしまったら、データが散逸してしまうんでないの?と心配になる。

首相の答弁だか、自民党の宮沢洋一の質問だかに「(社会保険庁という組織に問題があったので)年金は政治がリーダーシップを取って運営する」という発言があって、びっくり。政治家に年金制度の運用なんてできるのか。これまで財政からむしり取ってきたのは政治のリーダーシップだし、事実、年金関連施設で年金財源が消えているというような話も、与党の厚生労働族議員の選挙区の業者が儲かるように施設が建てられているというような話が出ていたっけ。年金保険料と年金給付のバランスを崩したのも、政治家ではなかっただろうか。

憲法と社会保険、いずれもうまく問題解決してきた国は、政党間の主要な選挙の争点にせず、国民合意を優先してきた。それぞれよってたつ基盤がはっきりしている政党ならば、そこの出発点は決まっているから、あとはどう譲り合意に向けて話し合うだけとなるのだろうが、日本は政界再編でよって立つ基盤が不透明な2大政党制になってしまったので、無闇に与党も野党も選挙の主要な争点にしたがるようになってしまった。国民合意が必要な法案について、譲歩もしない与党が、与党だけの賛成、ときには強行採決、ということが繰り返し続けることに不安を感じざるを得ない。もっともそのことは憲法改正をめぐって与党内からも批判があるようで、船田元は「3分の2の議席獲得のめども立たないのに憲法改正を争点にすべきではない」と批判し、公明党の太田代表は「中身もないのに改正すること自体を争点にするのはおかしい」と牽制している。

いろいろ批判は起きるだろうが、私は衆議院の厚生労働委員会で野党はよく闘っていると思うし評価している。与党が選挙の争点づくりのためだけに無茶苦茶な法律を、無茶苦茶なダンドリで押しつけてくるのだから、議会での実力行使は重要だと思う。小室直樹が、台湾の国会で乱闘が起きたことについて、台湾にも議会制民主主義が根付いた、なぜなら議会が乱闘に値する価値があると国会議員たちが思っているからだ、という発言を10年以上前にしている。議会なんてどうでもよいと思えば、国会で実力行使などしないだろう。
今回は、5000万件の不明データということもあるので、野党に分があるだろう。民主党の鳩山幹事長のコメントが、問題の的をうまく指摘できてなくて良くないが。

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5/25 読ませる美濃部達吉の選挙規制反対

咳が止まらず、苦しい。早退して、近所の病院に行く。ごはんの割合の多い日本食の摂取を勧められる。

●休み休み、「日本選挙制度史」を読む。読み進むたびに、いいことがいっぱい書いてある、選挙と民主主義、立憲主義を考えるための宝箱のような本だ。咳き込んでいてなかなか読み進まない。

1934年選挙法改正にあたっての審議会で、政治腐敗の状況を受けて、選挙規制の強化を推進するか、それは意味がないこととするのか、意見が激しく分かれた。

後者の立場に立つ、早稲田大学の高田早苗総長が、明治以来普通教育は普及したものの政治教育はネガティブに対応してきた、そのため立憲政治に対する国民理解がたちおくれている、政治教育を深めることが必要、と言っていたようだ。選挙運動規制でがんじがらめにして警察にびくびくしながら政治参加するより、立憲政治に対する知識を普及させる高田氏の意見は正しいと思う。残念なことに現実には選挙制度の規制強化に進む。
現代でもこうした考えは有効だ。民主党の教育改革案が、私学やその背後にある宗教団体の利権に結びついているのだろうか、宗教教育はもっとやれというようなことを書いてあって、一方で政治教育は今よりさらに禁止していくというような内容になっている。昭和初期より民主主義が後退したことを主張するものである。

話は戻る。
斉藤隆夫、美濃部達吉、尾崎道雄といった戦後ファシズムとたたかったとして有名になる人たちが、選挙運動規制や買収取締強化に対して猛烈に反対をしていて、その論拠が、政治的自由というものの考え方のいい学習素材になる。
美濃部達吉の選挙公営制導入の反対論はなかなかいい(私は選挙公営の意義を積極的に認めた上で、反対論が指摘している意味を十分にかみしめて政治的自由について考えないといけないと思う)。

 少なくとも現在の程度のような候補者個人の運動、個人的運動というものが土台になって居ります以上は、今、単に公営だけの運動で、そうして個人的、私の運動を禁止するとなると、此座にご臨席のような名声かくかくたる諸君は別問題でありますが、余り世の中に名声の高くない殊に新しく候補者に打って出ようという者でありますと、到底当選する機会は得られない、唯、選挙公報というパンフレットを一纏めにしたものを配布される、そうして当てがわれた演説会で演説する、そういうことで当選が得られるか、殆ど私は当選を望むことは不可能と思うのであります。随って候補者の大部分は私の運動を禁止せられましたならばその結果色々の潜行運動、非合法的の潜行運動を為す者が多くなる(中略)、本当の選挙運動、それを官公吏に斡旋させようというのでありますから選挙干渉の機会の多くなるということは争われない事実であると思うのであります。(日本選挙運動史p144)

美濃部氏の反対論は、個人情報保護法の弊害に苛立つ雰囲気によく似ている。
付言すると、この選挙規制の議論をする直前が最初の普通選挙で、中選挙区制が導入された最初の選挙でもある。そこでは、一般大衆が投票するため政党の台頭を恐れた官僚=内務省が野党、民政党など3党をそそのかして中選挙区制を導入し、同じ党で同士討ちをする選挙制度に変え、大政党の結束力を弱めることと、選挙を個人単位のものにしてしまったという前提がある。

あと、内務省が選挙情報を集めるのもこの頃始まったようで、当時はそれで与党にとって勝たせたくない候補に尾行をつけて運動をできないようにしてしたり(逆にいうと対立陣営は警察の目が行き届かなくなるのでやりたい放題になる)、時には手荒に摘発したりして、選挙結果に影響を及ぼしたようだ。1928年の最初の普通選挙での政党別の摘発件数は、与党政友会が63件なのに対して、民政党469件となっている。候補者1人あたり検挙人数では、政友会が0.16人、民政党が1.3人と露骨な差が出ている。比率では無産(非共産の社会主義)政党はさらに倍である。労農党の大物・大山郁夫陣営では官憲の弾圧で2人の自殺者を出したことまで紹介されている。
今も、選挙に弾圧は加えないが、警察の警備部(つまり公安)は自治体のを含めて選挙情勢の情報収集をしている。今は名簿を持っていない若手議員などがぱっと当選してしまったりして読めない要素もあるが、しがらみで選挙ができた時代はかなり正確な情報だったという話を聞いたことがある。

最近、検察や警察が公職選挙法の拡大解釈(というより、これまで基本的人権の政治的自由の制約や刑事訴訟法の犯罪の構成要件とのかねあいから、選挙規制を控えめに解釈してきたと言った方が正確かも知れない)して取り締まり強化に乗り出している昨今、この昭和初期の過ちにオーバーラップするものを感じるこどかないわけではない。

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2007.05.23

5/23 選挙運動の規制は官憲支配の道

午前中、地域福祉の庁内推進委員会と市民推進委員会の懇談会。中堅の面白い職員たちだった。

●杣正夫「日本選挙制度史」(九州大学出版会)を読み始める。ほんとうは、公職選挙法の厳しい規制のルーツを正確に押さえたいと思い、統一地方選挙中に発注したが、やっと配達になって、今頃読んでいる。

戸別訪問(有権者を訪ねて投票の依頼や政策の説明をすること)が日本では禁止されていているが、これは世界でも稀にみる規制であり、そのルーツを正確に押さえたいと思ったからだ。戦前に「きれいな選挙」という名目のもと、国民どうしの横のつながりによる運動を裁ち切り、民意を抑圧する意図で導入されたことまでは知っていたが、ことこまかな事実はこの本が一番いいようだったため。

今は、1925(大正14)年普通選挙の実施と引きかえに、治安維持法が強化されたことはよく知られているが、同じく普通選挙法の選挙規制をもって、戸別訪問が「買収の温床」として禁止された。しかし、当時は「買収」は選挙運動期間中に行われるものではなく、また戸別訪問とは別のものだという至極真っ当な反対論も強かったが、内務省の提案のもと、普通選挙へ移行するために、普通の人を基盤にして出てくる新人や(議会主義の)社会主義者などの挑戦に立場を脅かされる現職議員たちが喜んで受け入れたという。

そうした「きれいな選挙」の徹底が徐々に官憲の選挙介入を呼び、やがては野党への集中的な取り締まり、最後には1939年の警察による演説会場での投票指導へと至る過程も引き続き書かれている。その結果が戦前の議会の無力化となっている。なぜやるのかよくわからないが、選挙直前に警察から「きれいな選挙」のよびかけがされるが、これはこの時代の「選挙粛正」宣言と野党党派への取り締まりの名残ではないだろうか。

今でも、選挙をやる人たちの間では、公職選挙法には解釈が不透明なものが多く、摘発や取り締まりが属人的であるということを言う人がいる。確かに、そう思うし、ある日突然、警察や検察の一方的な判断でやってよかったことがいけないとされることが多い。

政治家を厳しく監視することは大事だと思うが、選挙にいちゃもんをつけたり、買収でもないような選挙違反の取り締まりにざまあみろとしか思わない国民の行き着く果てに、官憲の選挙弾圧が待っている、という教訓を経験しているはずなのだが。

しかし某革新政党(東京だけかもしれないが)は、一時期他党派の選挙違反の告発に熱を上げていたこともあり、いったい歴史から何を学んでいるんだろうと思うこともある。弁護すると、この党の系列弁護士(京都の弁護士)たちは「自由にできる選挙運動」という本を市販して、選挙運動とは本来自由権に属することで、民主主義のためにはできるだけ手段は自由であるべきだというようなことを書いていて、民主主義社会の選挙運動のあり方についてきちんとしたことを押さえている。

民主主義のためにはもう少し表現手段を中心に選挙規制を緩和した方がいいに決まっている。しかし議員や政治家になりたい人間が自ら選挙制度を緩和してくれとは言いにくい風土もあり、何か大きな機会がないかと思う。衆議院議員選挙についてはビラやポスターの緩和がされたが、地方選挙は政治改革前のままである。

●交差点でクルマを流れやすくするカーブを埋める「狭い交差点」に戻す取り組みを進めるという。マイカーの視点だけで進められた道路改良を歩行者の安全の視点から戻す取り組みがあちこちで進められている。期待したい。

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2007.05.20

5/19 蒸し返しの規制改革会議

水虫のようにしつこい規制改革会議。昨年のホワイトカラーイグゼンプションへの国民の反発を受けて、安倍政権として格差問題の解決に向けてようやく取り組むことの大半を放棄するよう求めている。

 報告書は、労働分野の問題について「労働者保護の色彩が強い労働法制は、企業の正規雇用を敬遠させる。労働者の権利を強めれば、労働者保護が図られるという考え方は誤っている」と指摘。最低賃金引き上げや、労働時間の上限規制などを疑問視している。
 女性労働者については「過度に権利を強化すると、雇用を手控えるなど副作用を生じる可能性がある。あらゆる層の労働者のすべてに対して開かれた平等な労働市場の確立こそ真の労働改革だ」と表明している。
 具体的には(1)解雇規制の見直し(2)労働者派遣法の見直し(3)労働政策立案のあり方の検討--を掲げている(毎日)

経営者が解雇しやすいように、しつこいぐらい否定されても否定されても同じような答申を出す。一度否定されたものを事実関係や前提条件がひっくり返りもしないのに何度も同じようなことを言い続けることができるのは、規制改革会議ぐらいだろう。国会も、裁判所も、そんなこと認められない。判決も議決も意味をなさなくなる。今や規制改革会議は審議会といったものではなくて、ただの特定権益を要求する圧力団体でしかない。圧力団体はいくらでも同じことを主張しても咎められることはない。もちろん規制緩和で社会の桎梏を取って、国民が暮らしやすい社会にしようなどという当初の大義は誰かのためだけのものである。

なぜ規制改革会議が、新規雇用が発生することを理由に解雇しやすいようにするかは、労働者は解雇を何よりおそれているし人間の尊厳を否定されることを良く知ってるからだろう。新規雇用のためには、今いる人をクビにすることより、新たな雇用創出の方が効果的であることに決まっている。雇用創出のために解雇が必要なら、毎月何人もの人が入れ替わる職場にならなくては意味がない。そうなったら職場は、生産性を上げたり、職場のモラルを維持できるとは思えない。政府になりかわって、社会団体になりかわって、企業が君臨し国民を締め上げる社会、それをめざしているのだろう。この間の景気回復で、新規雇用は非効率な先輩が市場から退出することでは生まれず、やはり経済のパイが拡大して雇用量がそもそも増えなくては始まらない、ということが証明されている。

「開かれた労働市場」などという言葉は笑ってしまう。だったら社長やOBが政府審議会の委員をやっているような大手企業、リクルーターを使った事実上のコネ採用やめたらどうかと思う。昨日も、メガバンクの若手社員ののリクルーターが就活中の女学生にセクハラし逮捕された。大手企業はいまだにこうした先輩・後輩関係で採用をしていることを明らかにした。こんなことが「開かれた労働市場」なんて言えるのだろうか。

また、女性労働者に対する「過度な権利」とは何だろうか。雑誌「エコノミスト」の「娘・息子の悲惨な職場」では、妊娠や結婚したという事実だけで職場を追ったり、子会社の派遣会社に移籍させる会社がたくさん出てくる。この中には政府に最も関与の深い人物が社長をやっている会社もある。「過度な権利」は誰が濫用しているのか、多くの人が改めて共通認識すべきだ。

男女差別的思考の強い規制改革畑の学者・財界人は、「女性労働者に対する保護」という言い方になってしまうが、出産・育児をしながら働く人への保護を言っているのだろうか。社会の次世代の再生のためには、こうした問題は市場原理では動かず、社会的規制でしか動かないため、保護を緩和することは考えるべきではないだろう。今のままでは、最低限の人口の再生産ができず、結果として、需要も労働力も収縮していくことは間違いない。出産・育児が地獄の道でしかない。
財界人はことあるごとに需要と労働力の収縮は問題にするのに、その背景にある自らの経済活動の都合による生活時間の収奪については頬被りだ。

労働政策の決定についても、審議会の労働側委員がいるところで議論するのはおかしいと言っている。この規制改革系の連中は勝手なことばかり言う。経営側と労働側で意見調整できる機関があるから、ストも労働裁判も頻発しないでやってこれたのだろう。労働側の意見を封じられれば、労働条件をかちとるために労働側もストや裁判闘争に移行せざるを得ない。

さらには労働時間の上限規制の撤廃といい「ホワイトカラーイグゼンプション」以上の強烈な主張も入ってきている。残業代不払いどころではない。危険だ。
最低賃金の引き上げも否定している。彼らは低い賃金に見合わない労働者が雇用される口がなくなる、という言い方で正当化しているが、ウソつけである。生活保護水準以下の労働者を放置して利用するだけ利用する社会の果てに、国際競争力以前に、国内市場の衰退が待っているだけである。効率性や社会の維持のためにも、人が家を借り、独居し、適度な余暇を取りながら働ける水準の時給にすることは、決してマイナスではない。また最低賃金の引き上げは、高給取りの給与引き上げと違い、その影響はほぼ全額消費に回り、市場規模を拡大することになる。個々の労働者を雇い入れる判断をする企業は反対しても、社会としては推進すべき課題だろう。規制改革会議の委員たちは1929年の大恐慌を悪化させた発想のままなのである。

最低賃金の引き上げ案で高いと言われる連合・民主党の時給1000円としても、月17万、年収200万に届かない。このぐらいが独居して生計を維持できる最低水準だろう。その程度も払わないで人を雇う企業は、労働者賃金を通して払うべき家賃や生活費の負担を他の家族など誰かに肩代わりさせている。そうして雇われる人はこれまでバラサイトシングルとか、主婦のパート労働だった。しかし、高齢社会になっていくことと、「主人」の年収が上がらない時代に、パラサイトシングルは老親を抱えた大黒柱になり、主婦のパートは先細って行く。

この規制改革会議の連中は、労働組合のある企業の労働者をやっかむ未組織労働者を焚きつけようという魂胆なのだろう。まったく下品な議論ばかり繰り返す。

規制緩和は、人々の経済活動や、国民生活を守ることと無関係な規制を排除して、経済活動を活発化させるために、村山内閣がスタートさせた。その後、99年ぐらいから経済分野の規制緩和に取り組まなくなり、一方で社会的規制の解体にばかり力を入れるようになった。1920年頃のアメリカ社会が理想であると言うようなノリである。
最初には、産業か国民福祉か線引きできない、医療・福祉分野が狙われた。そこでも規制改革会議が自分たちの利権あさりみたいな答申ばかり出し続けて(もちろん中には1つ2つは有効な対策もあったが、頭ごなしに規制改革としてやるのではなく分野で解決すべき課題だったと思う)、制度がねじ曲がったり、地方分権に抵触するようなことがあった。しかもそこまでやっても、待機児童問題も、医療問題も、何一つまともに解決してこれなかった。にもかかわらず、論理的にも、実証的にも否定されていることを、自らの主張の不徹底さにあるような自己評価をし、何度も何度も蒸し返し続ける。自己肥大化する官僚と、それと対決するように見せながら自分たちの主張を勝手に自己肥大化させる規制改革会議は、同じ問題を抱えている。規制改革会議による市場や国民生活への過度な介入とも言える。
規制改革会議の委員なんかに比べたら明らかな社会的弱者にも、安易に既得権者などという言葉を浴びせかける。政財界インナーサークルの運営する公式会議ではもっともいやらしい人たちである。

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2007.05.19

5/18 コンパクトシティーが切り捨てだという珍論

ついつい日本のこれから「地方衰退」後半に突入。

コンパクトシティーと郊外型スーパーの開店規制についての話に移っていったが、これを効率化として批判していて論点がずれている。コンパクトシティーは、昔ながらの地方のあり方で、昔の日本は農村まで含めて集中して暮らしてきた。なぜなら、農業には共同作業が必要で、かつ農村共同体を維持していくためには、顔の見える距離で人が住まなくてはならないからだ(その最も効率的な姿を示すのが、江戸時代に開発された埼玉県三芳町・所沢市に残る三富新田である)。

番組の中の参加者は、コンパクトシティーに対して、強制移住だ、郊外住民の切り捨てだ、という批判が多かった。三宅アナがアウトドア派なのか、そういう煽り方をしていたなぁ。しかし、地方都市や農村のスプロール化は、東京の郊外居住をまねしてクルマの便利さにものを言わせて進んできたことである。そして消費活動を東京資本に売り渡し、自分たちの手もとにおいておくことを放棄してしまった。その結果、商売やっても儲けるチャンスがつくられないから、現金がほしいので国や自治体に土地を買ってほしい、それが無理だから東京のスーパーに売るというようなことが起きてくる。

切り捨てなどという情緒論で非論理的なものいいはたいがいにしてもらいたい。都市のスプロール化を放置しておけば小規模商店を開店して儲かる都市づくりができないままであるし、郊外型スーパーしか儲からないのであれば、消費生活はすべて東京資本に依存することになる。地域の人が商業にチャレンジする場も失わせてしまう。コンパクトシティーは切り捨てだという言い方は、むしろ逆であり無知である。

私自身の経験にもある。朝霞市は保育所を急激に増やしたが、みんなバスも満足に通っていないような郊外につくられた。それは郊外住民を配慮したことではない。単に土地が安いからだ。そこに通うために、同じ市内、しかも全国でも指折り狭い市なのにバス・電車・バスと2回も乗り継いで40分もかけて通っている人も少なくない(最寄り駅から職場まで電車で10分だというのに、とこぼす人もいた)。単に郊外に公共施設があることが、中心部以外に住む人のために配慮しているということではないと思う。また公共交通機関も、郊外から郊外という線の引き方は採算でできない。郊外の人が中心部に出てくることの方が容易である。

青森市の参加者がコンパクトシティーはもともとの日本の地方都市の姿で、90年代後半に街がちらかったのを取り戻す取り組みだ、と意見していたが正論だと思う。コンパクトシティーに反対する思考は、膨張を続ける東京のまねでしかない。

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5/18 福祉と地方財政と

日本のこれから「地方衰退」をみはじめる(きりがないのでどこかで切り上げたい)。

東京一極集中を(経済原理として)仕方がないとするか、地方に温情のあることをしなくてはならないか、という設問がされた。
出席した学識者では、八田達夫と土居丈郎が前者、神野直彦、片山善雄、高村薫が後者。東京一極集中是認論に「金の卵」論が大流行だ。地方が東京の産み出した富を収奪すると、世界との競争をしている東京の力をそいで金の卵を潰すという議論。今回は土居氏が強烈に主張していた。八田氏は、地方への財源配分をすることはやめて高齢化とか、福祉的指標でお金を送ればいい、と主張。これまで分権化してきた福祉も中央集権的にやるべきだと主張する。ここに新古典派経済学の学者たちが、国権主義者であるというパラドクスが見えてくる。

土居氏の金の卵論は議論の土台として正論であるが、しかし全面展開することは間違いである。地方の力がなくなればなくなるほど、地方を東京が支えなくてはならなくなる。金の卵が自らを壊すことになる。地方が力をもって購買力をつけてくれることが、東京の活力にもつながる。これは地方を中国とか、ベトナムという言葉に置き換えるとよくわかる。
地方に力のつかないような、財政のばらまきの仕方をしてきたことが問題である、という言い方なら話が前に進む。そういう点で、これまで通りの財政ばらまきではダメとしながら、地方を力づけることが必要とした片山前鳥取県知事の態度がいちばんまともである。

土居氏に同調する八田氏の福祉の議論は、見えるものを見ない考えで、バカの壁に近いものがある。
まず今日の福祉の分権化は、効率的な福祉のためにはサービス受給者やサービスを形成される地域社会の中で、システムが作られ、地域の産業となっていくべきだという考え方に基づいている。多少福祉の非効率に目をつぶっても、経済効率のために国際競争力のために(この国際競争力という言葉も怪しいのだ)やるという決断が必要になる。少なくとも、国権で福祉を運営したら、介護を中心にものすごくコスト高になってくるだろう。

さて、福祉を担うのは人である。ヒューマンサービスである。また、福祉はサービスとして供給しているだけではお金が人手がかかる。その人材養成が必要なのだが、今の地方には若者がいない。生産活動かつかつの人しかいない。役所も23区なんかのイメージとは全然違い、人がほんとうに少なくなってきている。福祉の専門教育を受けた若者しか地域社会にいないことになる。また福祉は中途で転業してくる人も結構多い。そのためには、地域社会にベースとなる若者がいなくてはならない。さらに金の卵論で働き盛りの人たちを東京や名古屋に引き抜いていってしまうと、福祉に回すような人材が残らない。カネや制度があっても支える人がいない福祉、ということになる。またそのために尾鷲の産婦人科医の誘致であったように、東京から高額な人件費で福祉の人材を呼んでこなくてはならなくなる。

また福祉サービスの範囲も地域の若者がいるかいないかで大きく変わってくる。NHKの百歳バンザイなんて番組を見ていると、地方では、高齢者に適度な作業や農作業をしてもらう見返りに、近所の人が交代交代で食べ物をもってきてくれたりするエピソードが出てくる。地域の若い人が、働く場を今以上に失い、福祉労働者しかいなくなったら、こうしたことが続けられるかどうか疑問である。あるいは、地域社会の若者がタダで特に意識もしないでやってきたことまで東京のお金を使ってやらなくてはならない。

ギャラリーで、地方に配分すべきでないという立場の人たちがしきりに「国や自治体の財布に依存していく生き方はどうか」という理念的な発言を繰り返すが気になった。感情的には自分が人に依存しないで生きているかのように聞こえる。
彼らは自分の住む自治体財政を見たことがあるのだろうか、と思った。夕張みたいな自治体は自業自得だという人たちに、自分の住む自治体の財政について決算書を見た人がどのくらいいるのだろうか、と思う。さらにそれを評価できる人がいるのだろうか、と思う。
市の審議会・委員会でも「財政の無駄だ」という決めセリフを言う人がいる。しかし、市の決算書を読んでいるのか疑問だし、それを評価しているとは思えない。お金を無駄遣いしてはいけないと言っているだけで、お金を使わないで市民の力を無駄に退蔵させておくことに思いをめぐらせて天秤にかけた発言とはいつも思えない。

というのもこんな経験をしたからだ。昨年、地域福祉計画の市民委員会が東松山市の手厚い福祉制度を見学に行った(私は仕事の都合で行けなかった。残念)。財源について質問した人がいて、東松山市の回答を聞いて同席していた朝霞市の職員さんが「朝霞市より民生費の割合が低い!」と驚いておられた。お金かかりそうなことと、実際にどのくらいお金がかかることなのか、ということは具体的に詰めないとよくわからない。東松山市は、障害者や高齢者の地域生活を支えるため、入口の相談やケースワーカー、ケアマネージャーといったところに力を入れている。そのことで福祉の押し売りが避けられているからである。

とりあえず前半を見たところまでの感想と尾ひれはひれです。

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2007.05.18

5/18 毎日電車が遅延

毎日のように電車が遅延。
思うのが、東京メトロ有楽町線の捌きの悪さ。
ダイヤは9分に4本なので、2分15秒の均等間隔で、全部各駅停車という複雑な要素のないダイヤ。
さらには、両方の始発に巨大な車両基地がある、地下鉄の中では恵まれた条件があるのに、ちっともそれを活かさず、少し遅延が発生すると機転のきいた増発もされずにダイヤがぐちゃぐちゃになる。
ダイヤが乱れても和光市なら和光市、小竹向原なら小竹向原で、2分15秒を守って均等に発車させていけば混乱はすぐ収束すると思うのだが、前がつっかえた、後ろがやってこないと、時間調整で2分3分停車することばかりが繰り返される。1駅で電車が2分も止まるのだから、遅延が発生すると4~5分間隔で運転しているような感じになる。
あと、東上線が少しでも遅れると、和光市駅の駅員が迂回ルートとして地下鉄の利用をさかんに勧める。和光市の有楽町線にムラがあって、時間帯によっては新線池袋行を除くと10分近く来ないこともある。誘導するなら増発するよう東京メトロにかけあってほしい。

昨日は夕方のラッシュで有楽町線が遅延。もともと夕方以降は乗客に対して本数が少ないから、1本が数分遅れると10分近く間隔が開き、朝よりひどい混雑になる。10分来ない地下鉄なんて都会の乗り物じゃない。

●岩田正美「現代の貧困」(ちくま新書)を読む。長く、貧困問題に関わらなかった連合系労組が、失業の頻発を機に2000年ぐらいから振り向き始めたときにお世話になってきた先生。
岩田先生は、共産党系の生活保護関係の学者以外では、唯一といっていいぐらいホームレス・貧困世帯の研究をずっとやってきた研究者。しかも女性。先日、クローズアップ現代で入札改革について、仕事をさせられるガテン系産業の側から研究している研究者がコメントしていたが、この人も女性だった。最近、男臭い世界を研究している人に女性が多いなぁと思う。男が出世コースの研究しかやらないからかも知れない。
貧困を考えないように、見ないようにしてきたこと、無かったことにしてしまっていた。そのため日本は貧困者のことを無視した社会づくりを進めてしまったために、所得の再配分が貧困者に回らない、貧困者が社会の外部で貧困を再生産している構図がある、ということを指摘している。
また、ホワイトカラーのおじさんがリストラされてホームレスになる、というようなマスコミのイメージづくりは大半のホームレスの実態を表しておらず、住居付き就労が不況でホームレスになったり、日雇い労働で仕事がこなくなったり、社会構造のなかに貧困を押しつける構造がある、ということを指摘している。

●古書店で加藤鷹の著書を見つけて興味本位で買う。著者はテクニックがすごいというだけが誇張して伝えられているが、書いてあることを読む限りではテクニックなんか二の次で、いくつか?と思うところもあるが、非常にまともな内容。20歳ぐらいの人が読んだらいいと思う。精神主義の本ばかり出している青春出版社発行なのが引くなぁ・・・。

マニュアルに頼ってしまう人ほど、クリスマスには何かしなきゃと思うんだろうけど、それは、ギブ・アンド・テイクの発想でしょ。クリスマスにこれだけプレゼントしたから、バレンタインデーのチョコのお返しにホワイトデーにプレゼントしたから、エッチさせてくれというね。愛情も、これだけ愛したんだから、同じように愛してほしいとか。

こういうの、長崎市長を撃った人と同類です。

●民主党の神風代議士の選挙カーが近所の駐車場を借りていることを先日発見する。変だなぁと思っていたら、近所に民主党の神風代議士の事務所が引っ越してきた。

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2007.05.17

5/16 基地跡地は条件の悪い公務員の住宅になりそう

基地跡地利用の絵姿について、朝霞市が都内で会議を繰り返し開いている。市民にも議論を付さずに、100人委員会、検討委員会、市議会の議論と何の突き合わせを報告もせずに、具体的な話がどんどん進んでいく。
基地跡地利用について選挙公約で派手に市民に夢ものがたりをふりまいて発足した富岡市政だが、結局、市民とは関係のない場所で、朝霞市の外で、細かな利用について決まっていく。市長の優先度の高い公約だったのに、市長に対してその責任を問わない(プラスチックごみの問題のときにも問題を告発したテレビ局にこぶしを振り上げておきながら、旗色悪くなったら、立場の弱い収集業者が委託契約をうち切られる以外、誰も責任を取らずにうやむやになってしまった)。

建てられる公務員宿舎も、当初の説明では跡地の一角3ヘクタールに超高層マンションのかたちでつくられるはずが、基地跡地のあちこちに3棟、中層マンションと駐車場(まで!)が建つことになるようだ。入居する公務員も、単身者が3分の2だという。地域への関わりはほとんどなく、ごみと通勤ラッシュと自然破壊を落としていく存在ということのようだ。単身者に公務員宿舎って必要なのだろうか。独身の間ぐらい、民間アパートにふつうにくらす経験ぐらいしたらどうだろうか、と思う。

公務員宿舎の問題について条件闘争に早く入らなかったために、大量の公務員宿舎を押しつけられ、条件の悪い公務員を押しつけられる結果になってしまったと思う。いろいろ朝霞市をひっかきまわしてきた基地跡地だが、結局、公務員宿舎建設の利権にあずかれる人だけが喜ぶような話になってきたようだ。この先は迷惑施設は迷惑施設だと受け止め、見返り施設の要求をしていくことをやるしかないのではないかと思う。

公務員宿舎と公営住宅の存在には批判的だ。建築業者も不動産屋も溢れている我が国は、住宅供給こそ、民が自発的にできることだと思う。したがって公務員宿舎や公営住宅へのニーズは徐々に家賃補助に切り替えるべきだと思う(都営住宅で凶悪犯罪が頻発しているのを見て、さらにその思いを強くする)。またしかるべき不動産屋や建築業者に対する誘導策や指導のありようがあると思う。
また、都内には空家の多い公団住宅も増えている。日本全体、首都圏全体ではさして人口が増えているわけではないから。空き公団住宅を借り上げることなど、できる方法はあるはずで、「新築ではなくてはならない」「1000戸でなくてはならない」「朝霞基地跡地でなくてはならない」というのは、財務省が公務員宿舎の発注に向けてすべて業者の選定まで内々に終えていて、「建てる」ことが自己目的化しているのではないかと感じてしまう。

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2007.05.16

5/15 自民が電子投票法案をまとめているらしい

自民党が電子投票の推進のための法案をまとめたらしい。推進役は鳩山邦夫。なんだかわけのわからない近未来ものに飛びつく鳩山ブラザーズの悪い癖みたいだ。
私は、電子投票について反対である。コスト高と、システムダウの危険性からである。税金の無駄遣いと判断せざるを得ない。

コストでいうと、ほぼ電子投票に勝ち目はないと議論が決着ついているようだ。国政選挙で導入すれば、という論理もあるが、高速道路の「東京につながれば」の論理のような言い分に聞こえる。小選挙区制で候補者数の少ない衆議院は手でやった方が絶対に効率的。電子投票に何とか及第点がつくのは、巨大な町会議員選挙のような参議院の比例代表ぐらいではないだろうか。あれは選挙制度がそもそも良くない。
コンピューター業界とグルの日経BP社のソリューションでは、「コスト高でも」という公共事業的なすりかえ論理が展開されている。コスト高でも民主主義に必要ならやる必要があるとは思う。しかし投票の電子化は絶対的な民主主義のための手段ではない。代替手段がいくらでもある。

システムダウンでいうと、機械・ソフトウエア・マスタ誤登録・電源などの環境のトラブルが考えられる。99%の確実性をもつシステムを直列に10回つなげると、89%の確実性になる。とくにマスタ誤登録は避けられないと思う。候補者名をまちがって登録したり、一部登録しわすれで選挙に臨んでしまったり、同じ自治体内で選挙区が分かれる場合の選挙区を間違えたり、可能性は高い。それを避けるために予行演習などやるとすれば、そのコスト労力は、開票作業での公務員の残業代どころではないだろう。環境面の不安もある。ふだんはインターネット環境などないような学校の体育館やお寺や教会などが投票所になる。そういうところに急ごしらえでオンラインを引き、電源を確保し、技術者が機械を設置して回るとなれば、朝7時から20時まで果たして機械は正常でもトラブルが回避できると言い切れるのか。そのための準備を考えたら、またそこで残業代が発生するだろう。

まためったにないことだが、国や自治体の非常事態が収集された直後はえてして選挙が行われるし、政情も不安定なので、ふだんより選挙が頻発する。そういうときに、安定的にシステムメンテナンスできるのか、電力が供給されるのか、電子投票というブラックボックスでの投票に信頼感があるのか、微妙だと思う。

たまにやる仕事は、人力の方がいい。システムで組まれたものは、システム屋しかわからなく、いざというときに機転がきかない。目の前にある票を数える、その単純な原理を4年に数回しかやらないなら、人力で効率性を追求すべき。
地域経済にとっても、職住接近の公務員の残業代なら地域社会に還流しますが、電子投票のシステム代は電機メーカーでその地域になかなか還流しません。

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2007.05.15

5/15 育児放棄の助長という前に

熊本赤ちゃんポストに3歳の子が入っていたというニュースについて。
このポストを黙認したはずの厚生労働省をはじめ、世間は、育児放棄という言われ方をするが、それでいいのだろうか。
あるいは、このポスト不要論が強まると思うが、それでいいのだろうか。

第1に不審なのは、このニュース、いったい誰が流しているのか、ということだ。これについて新聞やテレビは全く明らかにしていないが、知りうるのは、第1発見をする病院関係者か、通報を受ける警察か児童相談所である。児童相談所はこうした情報の漏洩に非常に神経質な役所であるし、マスコミとの交際もほとんどない。病院も深刻な内部対立でもなければ情報を漏らすことは自殺行為であり、考えにくい。県警察が保護責任者遺棄罪の立件を検討しているというからあやしい。
余談だが、この問題についてインタビューを受けた安倍晋三は適切だった。「私は正確な情報を入手できる立場にないので、何も言えない。子育てがいきづまったら、児童相談所などに相談してほしい」という内容のコメント。病院が公表してもない個人情報を、内閣総理大臣が収集しているというのは、表面的にはあってはならないことである。また過剰に価値観を入れなかったのが良かった。

第2になぜ3歳児がことさら問題にされるのか。
所管になる厚生労働省の雇用均等・児童家庭局の大谷泰夫局長が「心配していたことが起きてしまった」という発言を早い段階でしているが、法律で0歳と3歳の扱いに何が違うのだろうかがわからない。当初赤ちゃんポストを違法といえないと黙認し、法的解釈を回避したのに、何を言うのかという感じがしてならない。

第3に一斉にマスコミ社会部は「子捨て助長」などと書き立てる。
マスコミで働いている人たちは、配偶者や親に子育てどころか保育園の送迎まで任せきりにしておいてよく言うよという感じがしてならない。子捨て助長と非難するけど、現実には子捨てはあるし、育児放棄や保護者による児童虐待は後を絶たない。子捨て助長している、と非難してこういう施設を無くしても、子捨てはなくならない。どこかの誰かの子捨てを非難して、自分が今子捨てをしないで済む状況に安心しているだけである。

正直、外国でこのポストがあることを知ったとき、私は少しおぞましく捉えた。戦後の孤児対策からスタートした日本の児童福祉行政は、養育されない子どもの救済において世界的にもよくできたシステムであり、そこまで必要か、という思いがあった。そこで児童相談所にたどりつければいいことに間違いはない。しかし、その周辺システム、とくに基礎自治体レベルでの対応能力があまりにも貧弱である。いつでも子どもを手放す場がある、という窮極の手段を明確にしていくことは、その手前でできる様々な児童家庭福祉を再検討する機会になるし、充実させる力学が働く。そのことは決して悪いことではない。
ありえないという予定調和の論理の中での限られた発想では事足りない社会になっている。窮極の事態から、いろいろ考えるクセをつけた方がいい。

今回、3歳の子が持ち込まれたことを悪く捉えるのもいいが、私は別の観点を持っている。
親子関係が行き詰まって、救済すべきは0歳だけではないと思う。そういう意味では、3歳児の子捨てというのはほんとうにありえないことなのか、もう一度考えるべきだと思う。またポストのドアの小ささから、子どもの養育状況についてもいろいろ考えてしまう。

また、連れてきたというのが父親だという。父親と子どもの関係というものを考えさせてくれる機会をつくってくれたのではないか。周辺関係がたぶんずっとわからないと思うが、子どもを「もてあます」のが母親である、子どもを抱えているのは母親である、という固定観念も壊してくれたと思う。

ひょっとすると、父子家庭であることも考えられる。
離婚率が増加している中で、母子家庭の貧困について格差社会の議論がらみで注目されてきた。逆風が吹いているが、経済的支援を守ろうとする人たちや、逆に就労を推進していこうという人たちがいろいろ議論して話題をつくってくれている。名の通った当事者団体もある。
しかし、父子家庭の問題は、ほとんど考えてもくれなかったし、当然議論どころか想像もされてこなかったと言ってよい。「子連れ狼」をモデルにしたような冗談話のレベルでしか語られなかった。
母子家庭のような貧困問題もあるが、貧困より、残業を拒否できないなど「お父さん」が課せられている社会的役割を果たすと、実質上の育児放棄になってしまうという問題があるからだろう。詳しくは、「日米のシングルファーザーたち」という本を読んでもらえばわかると思う。父子家庭のお父さんは経済的にはまだましなものの、時間と、将来のない今とのたたかいで必死で、たぶん少しのつまづきで育児放棄や、一家心中を発生させてしまうような社会環境に囲まれている。
友人にもシングルファーザーがいるが、ほんとうによくたたかっている。それなのに自分では子どもに関われないことをものすごく悩んでいる。

赤ちゃんを産んで路頭に迷っているかわいそうなお母さん、という固定観念だけではない、育児のつまづきについてもう少しいろいろ考えてみるべきだろう。

どうであれ、育児放棄と非難している前に、その子どもにとって最善の利益とは何なのか、もう少し考えてほしい。話題でいっぱいになるような場所に、お気楽気分で子どもを連れてきた親などいるだろうかと思う。少なくとも今日より明日の前進を考えて、連れてきたのではないかと思う。

育児放棄を助長する、と批判できる人は、育児放棄がそこにある問題だということに無自覚なだけなのではないか。私は子どもをかわいいとおもいながらも、時にはもうたまらない、と思うこともある。育児放棄にまで突っ走ってしまう親を、どうしたものかと思いながらも、しかしまったくもってありえないこととは思えない自分もいるのだ。
児童手当をばらまけば子育て支援だと思っているようなバカにはわからないだろうなぁ。

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2007.05.14

5/14 育った街に2600万円で監視カメラがつく

育った朝霞駅前の商店街に監視カメラがついた。何だか寂しい話だ。

治安のためなら開いている店を増やしてほしいと思う。商店街が安全になるには、何より店がたくさんあって、シャッターがいつもどこか開いていて、お客さんがいっぱいいることだ。
跡取りがさっさと店じまいして不動産業になって、チェーンの居酒屋か、不動産屋というビルオーナーの事務所か、借り手もつかない高額家賃の空き店舗ばかりになっている。TMOも期待したがそろそろ2年目になるのに、商店街にチェーンとパチンコ店以外の新規出店はまだない。

市はこれに総額600万以上使ったようだ。商店街の活性化や、新規出店者のための家賃補助などをやる方がもっとコストを抑えられたのではないかと思う。

●NHKスペシャルで岡山の財政再建を見る。
区画整理事業に焦点を当てられていた。財政再建を検討する公募市民委員は、区画整理事業が一部の市民のための事業でしかないと反対の声が大きく、これを追い風にした財政再建担当の課長が区画整理の担当局長に事業の見直しや中止を迫るが、押し返される。
その論理が、都市計画やまちづくり計画が市民参加で決定され、国や県の審議会を通過した、それを一財政再建担当課長がひっくり返すというのは、市民参加の否定である、というもの。
しかし大半の都市計画がらみの市民参加なんて、市民に具体的な課題を議論させず、花園のような夢をポストイットに適当にまとめて、抽象言語でまちの未来を語らせただけのもの。具体的なことはすべて土建屋とグルであるコンサルタントがお膳立てする。市民がその計画の具体的な内容について意見しようとすると、ここはまとめる場です、とか、自分の主張ばかりしないで、とかコンサルタント会社に籍をおく「ファシリテーター」が一見正論のようなワークショップ用語で封じてしまう。その後、決定の裁量権は市民から離れて行政に返還され、行政から丸投げされたコンサルタントが鉛筆をなめて計画の具体的な部分をまとめる。私には、この光景は奇異に感じる。
そうしてまとめられた計画を県や国にお願いして、許可する極めて中央集権的なシステムになっている。平場では議論をさせない不透明な決定システムは、水面下でさまざまな偉い人たちへの「利害調整」が存在することは想像に難くない(市の審議会や委員会の議事録に、参加者の意見が少なかったり、開会時間が異様に短いものはすべてこうしたことがあると思う)。
国から岡山市に天下り出向した都市計画の副局長が見直しに反対していた。都市計画は地域のためじゃない、国から自治体・業者一体になった都市計画一家自身のためにやることが第1目的なんだと感じたシーンであった。これがとても市民参加などと言えるしろものではない。
岡山市議会でも議論になり、建設族の市議会議員は、一部市民が議論しているだけで、私の後ろ側にいる4000人の市民とどちらが重いのか、という。しかし、議員が個々の政策について4000人の有権者の合意を取っているわけではない。この選挙民と有権者の関わりとは、個別政策すべての合致ではなく、もっと総合的・人格的な判断じゃないかと思う。したがって個々の政策について議員以外は民意ではないという言い方は限界がある。
国は外交力や安全保障の担保があり、国民は簡単には逃亡できないため、借金は政治的合意の範囲で青天井にできる(極端なのは北朝鮮の例)。しかし、自治体は傾けば住民が逃げるし、軍事力や外交力でエリアの中の勝手が認められるわけもないため、借金には破綻を回避できる範囲しかできない。

●県議会で代表質問ができる「交渉会派」の資格人数を引き上げる自民党の案が撤回された。よかったと思う。その代わり、会派の議員数に比例したメンバーで構成される。今までのように資格のある交渉会派から同じ人数ずつやってきた県議会運営がどう代わるのか。議事運営について主要会派が合意して進めるというシステムのためには、後々問題になる可能性があるかも知れない。それでも少数会派が発言権を奪われているよりいい。

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5/14 ベビーシッター制度拡大を考える

子どもが発熱。私も咳き込む。午後、仕事を休み看病。

●少子化対策をやる「子どもと家族を応援する日本重点戦略会議」で、3歳児未満の保育ママ(在宅保育)拡充をめざすというニュースが夕刊に書かれていた。
記事の中で低コストで保育の普及をはかれるというような書き方をしているが、保育所で多人数保育をやるのと、家庭で1:1で保育するのと、どうして子どもの数に対して人手がかかる家庭の方がコストが安くなるのかわからない。その種明かしは、資格職でなくてよいということらしい。

私は、保育ママでもベビーシッターでも、選択肢が増えるのは構わないと思う。しかし、それをコストが安いからとか、資格がいらないとかいう議論にするのは本末転倒だと思う。人手がかかるのにコストが安いということは人件費を安くすることであり、そこに資格を問わないというのは、ワンコールワーカーに密室で子どもを預けることになる。そのことの危険性は、10年ぐらい前にアメリカでベビーシッターによる児童虐待事件の頻発となって表れている。現実、日本でも無認可保育所に届け出制がなく、行政の監督責任もなかった時代には、児童虐待事件が起きて、時には死亡するようなこともあった。

資格職でなくてよいというなら、すでに「ファミリーサポートセンター事業」という、有償ボランティアがやる極めて安価な仕組みがあって、こちらは資格はいらないけども、見てくれる人たちは地域社会のネットワークの中に位置づけられている。そこに安全弁がある。
そうした、よくよく熟慮されたシステムの上に、抜け穴になるようなシステムを作ることがよくわからない。保育産業に参入したい人材派遣業の利権でもうごめいているのではないか。介護保険の導入時に人材派遣業系のヘルパー業者にぬるいやりかたを取った。結果として、介護保険財政をだまし取られている結果になっている。福祉系事業は、労働コストのピンハネができれば資本もなく儲かる産業になる。たえずこうしたピンハネ系産業に狙われている。

また、地域社会が崩壊したり、クルマ社会の移行で、生活の中で子ども集団の形成が難しいと言われている。教育再生などで、子どもにおとなが何かを教え込むことばかりが注目されているが、実は子どもは子どもどうしでいろいろなやり方をぬすみあったり、成長の競い合いをしてみたり、もめたり、考えたりする中で、生きる術や、コミュニケーションを体得していくことの方が多いし、効果的だ。今、地域の子ども集団がつくれなくなってきて、その代替機能を保育所や幼稚園がやっている。施設保育を核にしている日本の制度は、そういう意味では捨てたものではない。子どもを面倒を誰かが見てほしいと思うが、誰でもいいってもんじゃない。

●「ふるさと納税」を美談で語る政治家が多い。いい加減にしてもらいたい。住むということは地域社会に負荷をかけている。それを住んでいる人たちで分担するのが住民税だ。ゆかりある土地ならどこでも納税あまり好ましくない。自治体のイメージアップのために、電通だとか無駄な企業に血税が使われる可能性だってある。人を育ててきた地方の財政支援なら、地方交付税の基準財政需要額の算定に、もっと子どもの数と高齢者の数を反映するようにすべきだろう。
父の郷里の自治体は、ブランド度の高い自治体である。前市長が公共事業をやり散らかした残骸を片づけながら広告代理店より、地域住民自身がいい街だと実感できるものにお金を使ってきた。九州でも交通不便な地域だが、評価は高い。
朝霞市は、地域ブランド、彩夏祭とコンサルタント会社や広告代理店ばかりが喜びそうなお金の使い方が目立つ。たぶん、多くの自治体は朝霞のようにして税金を集めようとするのだろう。
ところで政調会長の中川昭一氏、現住所は帯広市だが、ふるさとは東京。どういう選択肢をするのだろうか。

●抱き合わせで検討されているNPO寄付の税控除(所得控除どころではない)もどうだろうか。一見中立的に見えるこの施策も、高額納税者ほど自由になるのだから金持ちにおもねるNPOが集金力を高める。自治体で先行事例もあるが、これは納税した1%など上限限定した範囲のものだから影響力を排除できている。税額控除となるともっと多額になり、危険性が高い。
ホームレスを支援する団体より、街の美化を訴えホームレスを排除するような市民活動の方が資金が集まることになる可能性がある。どこが税控除団体になるかということは税務署が決める。市民社会が自ら作り上げたものに、過度に行政が関わるべきではない。カエサルのものはカエサルにではないか。

●国民投票法可決。憲法改正しか国民投票ができない、ということの民主主義の限界。また、18歳選挙権に道開かれず。昔は18歳の3分の2が働いていたんだと説得できるが、この20年間の文部科学省の利権あさりともいえる私立大学の乱造で、18歳は納税者から税金で遊ぶ世代に代わってしまった。
それから、この主務大臣は菅義偉。この間のマスコミ弾圧、公務員制度改革、ふるさと納税と、安倍晋三的なるものの忠実な実行者なんだとまざまざと感じる。

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2007.05.13

5/13 朝霞市40歳

朝霞市政施行40周年記念式典があって、市民会館に出かける。相変わらず公共の交通手段が乏しい街だと思いながら、グットタイミングの東武バスに乗っていく。

地域の有力者も、昔に比べるとよそ出身の人が増えてきた。式典を進めながら、バックに市の昔の姿のスライド上映をやったらよかったのに、と思う。

泥だらけの駅前通り、ベトナム帰還兵を修復する野戦病院を受け入れた歴史、基地に寄生して東上線随一の繁華街があった歴史、東上線の複々線化工事、素朴だった夏祭り、人がうじゃうじゃいた商店街、畑だらけだった朝霞台駅周辺、そんなことを伝えられたら、みんなが感慨を1つにできたのではないかと思う。

式典あいさつで、自民党の早川忠孝代議士が、赤坂の新議員宿舎に入らなかった理由として、妻に地域に感謝する立場なんだから、朝行って来ますと言って選挙区を出て、夜ただいまといって選挙区に帰って来るべきだ、と演説して、まぁ、うまいなぁ、と思った。がよく考えると、赤坂の議員宿舎の入居を提示されたということは、赤坂が建て替えになる前は、どこかの議員宿舎に入っていたんじゃないの?とツッコミたくなった。

●おととい、出先にいく道中で赤坂の議員宿舎が見え、同僚に「家賃をことさら問題にする人がいるけど、そもそも東京都心の家賃相場が50万もしていることがおかしいんじゃない」という話になった。そうだと思う。
家賃が高いつまり土地の値段ばかり上がるのは、「流動性プレミアム」と「利殖」を兼ね備えた金融商品であるからだ。土地の利用規制の緩和で土地の流動化をすれば値段が下がるという人がいるが、それは土地に「流動性プレミアム」としての価値がなくなったデフレ期だけで、デフレ脱却した今は、土地の利用規制の強化が必要だと思う。
赤坂の宿舎の話になれば、建ててしまったものを放置しておくのはもったいないし、おそらく売ってもかけた経費は回収できないだろうから、議員さんたちに必死に使ってもらえばいい。議会の開会日数を増やすとか、すべて平場で本当の議論をするようにして、閉会時間があてにならないようにして、選挙区に帰りにくくしてあげればいいのではないか、などととも考える。そうすれば落選者や新人と機会が均等になるのかな、と思ったりするが、どうだろうか。

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5/12 食育の認知度はほどほどでいい

食育の認知度が低いというニュースが出る。このぐらいでいいと思う。
私の中では矛盾したものがある。食事という生活の一部をみんなで維持していこう、という考え方には共鳴する。しかし、一方で、「早寝・早起き・朝ご飯」だとか、「これが本当の和食」だとか、俗っぽい「本物」の押しつけ、汚い言葉で言えば草の根ファッショ、きちんとした言い方をすれば、モラリズムの押しつけみたいなことは、ほんとうにご免蒙りたいところだ。

具体的には、食育という言葉で、食事を大切にしようとしている人の生活スタイルをみんなが大切にしてあげよう、という気持ちは大事だと思う。ここ数年、新古典派経済学の(合成の誤謬の)論理で、大半の人たちは働くためにいろいろな生活のためのこと、私的なことを犠牲にさせられてきたから、少しはその歯止めとしてこうした感覚ってあった方がいいと思う。
それから、市場原理にのらない農業をやっていく人に温かい視線や政策を採ろうということもいいと思う。食事を粗末に扱わないというのはグレーゾーンか。個人的にはとても大切にしていることなんだけども。

一方で、早寝早起き朝ご飯が非行防止活動の、エセ科学みたいに広められていることに危機感を持つ。かつて発達心理学を聞きかじったようなエセ科学理論で、共働きの子はグレるというような決めつけをされたことのように。
問題家庭を検索し、あぶり出すための活動として食育をやるとするなら、あるいは忙しすぎる親たちが家庭のいろいろな作業をアウトソーシングしながら人間関係の部分だけでも家族関係を維持しているのに、食育という名のもとにさらに忙しくすることを強制して家族関係がギスギスしてしまったら、本末転倒だろう。
また、本当の日本食とかそういうことも多用されている。京都でにしんそばが郷土料理であるように、江戸期に流通が発達した日本では、郷土料理が必ずしも地産地消とは言い切れなかったりするし、地域によっては栄養源を確保するのがやっとで、郷土料理なんてものを食べられるのは特権階級だったところもあるだろうので、あんまり「本当」自慢はやってほしくないと思う。

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5/12 友人に子どもが生まれる

4年前の都知事選挙で、絶対負けムードのわが陣営で、若者勝手連をまとめぐいぐい前進させてくれた村井宗明さん。

イラク開戦直後で、タカ派対ハト派という争点づくりをしてしまった結果、芸術家肌の気むずかしい平和運動家たちに投票してもらうよう働きかけを行うことが課題になってしまい、注文と理屈と多様性の多い彼らを説得するのに難航して、苦労していた。
環境運動、平和運動、民主、社民、労組などの出自の違う若者が集まったので、正直、一歩間違えていたら、若者勝手連内部でさえも喧嘩になりかねない状況だったが、運動を前進、前進させていた結果、全然、出自も違い、考え方も若干異なる人間どうし、ものすごい強い絆ができたと思う。負け戦であまりこういうことはないなぁ、と思う。
そのムードメーカーだったのが、村井宗明さんだった。恥ずかしくて尻込みしてしまうようなこと、ハレーションが怖くて言い出しにくいことを、すべて「やらまいか、オレも何とかするから」と言って背中を押し続けてくれた。

その村井さんに子どもが産まれた。嬉しいことです。おめでとう。

村井さんは、今、離婚後300日以内に生まれた子どものことで問題をこじらせ続けているあの長勢甚遠法相の対抗馬として、その秋の総選挙に富山で立候補した。選挙区では長勢氏が当選したものの、比例復活で当選を果たした。野党が勝てない歯が立たないと言われていた北陸・富山県で、なんとか当選にかじりついたことは嬉しかった。初当選がやっとだったので小泉解散でダメかなと思ったけど、やっぱり当選にかじりついた。

最初の選挙に出る前、「オレは民主だけども、めざすことは自民党を倒してタカ派の世の中と、地方をいじめる政治を変えること。幹事長のいる地元の社民とちゃんと話をしなくてはダメだと思うんだよね」と言って、富山出身の又市社民党幹事長と話をしたがっていたことを思い出す。仕事の地元事情でおいそれと何かできる状況ではなかったが、自民党で出られなかったからと民主党に来る若手候補者が問題になっていた時期なので、素晴らしいと思って富山に見送った。

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2007.05.12

5/11 意味のないこと

今週号の週刊文春を買う。
猪瀬直樹が「神社もフランチャイズで展開した」などと、わかりきったことを書いている。つまらない。ただ●●八幡とか、●●諏訪神社とか、そんなものがあるよ、というエッセイにすぎない。そういう神社がどうして全国に散在するのか、ということについて●●信仰があったから、という二段論法でまったく展開がない。神社のいくつかは「天孫族」が統一していく過程で制圧した、信仰と結びついた古代王権の残骸やその子孫たちのすみかであったことなど一言も触れておらず、深みがない。
フランチャイズが蔓延することが構造改革だと勘違いする、小泉構造改革派のちゃちい感性のなせる業だと思う。
逆に、フランチャイズのいくつかは宗教団体を足がかりに展開した、というルポでも書けばほんとうに面白いエッセイになるし、ネクラな猪瀬に向いていると思う。

それ以外の記事はおおむね面白い。なかには怒りをともにしたり、溜飲の下る記事もあった。

●カルト高橋史朗が出所の「親学」先送りへ。先送りは当たり前だと思うが、参院選の争点にして、自民党の家族観、女性観を社会に露わにしてほしかった。どうせまた選挙後に持ち出すのだろうが。
少子化が問題だといい、そして親学を押しつける。「親として基本的なこと」をわかっているような人は、ただでさえ仕事で細かいことを要求される時代なのに、子どものことまで義務感の負担は耐えられずなかなか子どもをつくらない。ちょっとおっちょこちょいぐらいの人が子どもをつくる。この社会状況のなかでミスマッチな議論だと思う。汐見稔幸さんだったか「昔の親は、子どもにいる場所、寝る場所、食べさせるもの、着るものを与えていればよかったのに、今の親は精神的なものまであれこれ要求される。そんな大変な時代に親になる人なんか奇特ですよ」というようなことを言っていたが、「親学」なんてそんなものだ。親になって苦労しているのに、子どもがいながら赤ちゃんのおむつも取り替えたことのないような人にあれこれ注文ばかりつけられてはたまらない。

●参院大分選挙区の野党候補者が一本化できなかったと、新聞各紙の政治欄に大きく報道される。全く残念な話だ。社民も民主も議席が自民党に渡ることを指をくわえてみるような結果になって、その意味を考えればいい。とくに社民は全国唯一の金城湯地とも言える選挙区でみすみす自滅をすれば、大分の野党第一党は社民党という大分の有権者のムードをぶちこわし、いよいよもって、大分でも野党支持者は社民党を見限る流れをつくってしまうだろう。そして野党の主導権は民主党に渡ることになるだろう。
また、大分民主で右翼的な存在でかつ社民排撃論を抱えているとみられる吉良代議士・足立参議のコンビが、熱心な小沢チルドレンで、小沢一郎が抑えられないのも情けない。

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2007.05.11

5/11 35人学級実現に月250円の財源

朝日新聞の記事で、35人学級を実現するためにかかるコストは全国で3000億円と中教審が試算。

教育は技術であるし、技術は内容が一律ではないから一律少人数学級が必ずしもいいとは思わないが、このぐらいの密度の教職員数を現場に送り込み、60人学級だったり、10人学級だったり、科目や内容によってフレキシブルにやったらどうかと思う。
にしても、必要なコストは3000億。おおざっぱに勘定して国民1人あたり年3000円の負担。月にして250円。缶ジュース2本分。週刊誌一冊分。スターバックスのコーヒーならおつりが来る。ビールジョッキなら1杯で2ヵ月分。

35人学級の是非をめぐって論争するのにかかるコスト(日教組や全教、地方議員候補者が30人学級をめざしてつくりつづけたビラのコスト、配布する人員の手間の時給換算、反論する官僚の作文にかかる人件費、国会審議のコスト、支援したり反論を応援したりする学者や評論家の情熱、放送電波、新聞印刷代)を考えたら、改善のための増税もありだと思う。またこれをやらずに国民が私塾に膨大な私費をつぎ込んだり、教育格差でひがんだり悩むぐらいなら、安い投資だと思う。
社会保障制度への不安からおこる不必要な保険の加入や、教育不安による私塾の負担は、国民負担としてカウントされないけれども、本来的には公共サービスの不足・不安によるコストなのだから、これも国民負担に算入して議論すべきだと思う。

話を戻して、教員を加配するのだから、と条件をあれこれつけると、国会議員の政策秘書制度みたいに制度の目的と現実がかみ合わず運用が歪んでしまうから、保育所の保育士配置ように、過疎地の少人数の学校などを除き、単純に子どもの数に比例させて教員を配分し、クラス数・クラス定員などあまり問わずに自治体の裁量で決定できる仕組みにした方がいいと思う。
安定した子どもの多い地域と、不安定な子どもの多い地域と、同じ職員数でも、配置のありようというのは変わっていくべきものだから。

これまで何となくお金がかかるはずだ、という議論で神学論争ばかり続けてきたが、こうして積算根拠のあるコストが見えててくると、ある程度、冷静かつ前向きな議論ができると思う。教育不安から国民が負担している膨大な私塾の経費(隠れ国民負担)を考えると、こうしたコストは四の五の言わずに捻出した方が国民全体ではトクだ。

●朝日新聞をけなし続けたので、少しいい記事も紹介したい。
8日のリサイクルごみの業者の抜き取りに関する第2社会面の記事はよかった。抜き取りをする業者たちの言い分として、自治体がリサイクルなんて騒ぐ前から仕事をやってきたのに自治体が仕事を奪ったという現実も紹介し、古紙再生業が崩壊していた時代に何とか事業を再建させてきた自治体の苦労も紹介し、両者を珍しく対等に扱って、それぞれの重たい事情を紹介していたと思う。
さらに、リサイクルごみの処理について、自治体がすべてをやるのではなく、自治会に業者と直接収集契約をするよう紹介することにした中野区の取り組みなども紹介していた。多くの自治体はリサイクルごみを直営で完全に収集するわけではなく、役所が決めた委託業者に丸投げするだけなのだから、制度の枠組みを自治体が保障して、地域社会が零細業者ときちんとした関係(抜き取りとそれを告発するという関係ではなく)をつくるというのはいいことだと思う。

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2007.05.10

5/10 食べ物の安全・核攻撃からの安全

アメリカで、中国産の原材料を使ったペットフードに化学物質が混入されたと大騒ぎをしている。それはそれで自分のかわいいペットのために騒いだらいいと思うけども、議会あたりでは中国叩き、黄禍論みたいな話になっていて、なんだかなぁ、と思う。

食肉にする鳥に平気で肉骨粉をを食べさせたり、あるいは確率論と書類管理だけでBSE牛の心配はない、と言い切り、あるいは成長ホルモンを与えて育てている牛。そんな、不気味な誰も食べたくもない買いたくもない米産肉を、政治交渉で押しつけようとする米国。日本の消費者は全頭検査を望んでいるし、それさえやれば買ったっていいと思っている。それなのに、全頭検査はダメ、輸入食品の衛生検査が厳しすぎる(=背骨がちょっとぐらい入っただけでお目こぼしもしないとは何事だ)と因縁をつけ、万一、それで押し負けて輸入条件の緩和を認めても、今度は消費者がそっぽを向いているのに、売らせるために産地表示の義務の緩和まで言い出しかねない雰囲気。

米国はペットのためにこんなに騒いでいるが、こっちは人間が食べさせられようとしているんだ。動物愛護派には申し訳ないが、犬と人間とどっちが大事だと思っているんだか。メディアにのせられている。

●メディアにのせられているという意味では、最近流行しだしているバイオエタノールバッシングもそう。
食料危機なんて目の前にあることではなく、経済成長している人口大国での耕作放棄の方が問題になっているし、中国やブラジルやインドで農業従事者が確実に減っていく現実にどう立ち向かうかという意味で、農業に付加価値を付けることは避けられない。バイオエタノールへの批判の大半は、石油の浪費にもっと言える現実ばかりなのに、あたかも石油を使わずバイオエタノールを使うことが地球や世界経済を痛めつけるなどという論理がまかり通っている。

●高田純「核爆発被害」(中公新書)を読む。核爆弾がどのような被害を与え、どのような防護策が考えられるのか、よくわかる本だ。広島の爆心地近くで生存した人の体験談の紹介が生々しい。
広島や長崎のように、空中で核爆発を起こす(核爆弾の火の玉が地面につかない高さ)核爆弾は、閃光と熱、衝撃波がもたらす被害が大きい。被害は同心円状に広がる。この場合、爆風の回避や初期の被爆を回避することに力を入れるべきだと言う。
一方、ビキニのように、地上(火の玉が地面に到着する高さ以下)で核爆発を起こす核爆弾は、地面や建物を溶かして舞い上がる物質が核反応を起こして、「死の灰」になって風にのり風下では100キロ以上も離れた地域でも影響を与えるという。
わかる人に聞くと詳細に説明してくれて結局何度聞いてもよくわからなかった核爆弾の核反応がどういったことなのか、わかったように思う。
著者は医師なので、国民保護法制から核攻撃に備えた社会づくりや防災教育をせよという主張でしめくくっている。そういう面もあるとは思うが、その主張には慎重に思うところも多い。
あとしばしば文中で出てきた、(鉄骨柔構造のことだと思うが)高層ビルや、一面ガラス張りの建物への警鐘も、地震やテロ対策含めて考えておくべきだということは同感だと思う。首相官邸、核攻撃には最も弱い建物なのではないか、と著者は疑義を呈していた。著者はあのあたりで爆風に耐えられる建物は国会議事堂だけだという。地下も高層ビルの下以外は被害を回避するのに役立つと言うが、最近地下鉄直結の超高層ビルが増えて、地下街も安心できない。

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5/10 赤ちゃんポストが考えさせてくれるもの

熊本の慈恵病院の赤ちゃんポストの運用が始まった。
官房長官が「保護者が子どもを置き去りにする行為はあってはならない。自らの手で親が育てるのが基本だ」と批判的なコメントをしたと報じられている。

しかしねぇ。
慈恵病院の院長が、今回のような窮極の救済手段をぶちあげなければ、望まない妊娠や、喜びだった妊娠の後に人生の流転があって育てるのに厳しい状況に陥った人やその子をどうしていく、なんてだれもまじめに考える機会をつくらなかった。おっと「まじめに考える」とは、この社会ではそういう人をスポイルするようなニュアンスで表現してきた。
それこそ、ふだんは男女平等を党是とするリベ系のエリート女たちでさえ、よほど徹底した女権運動をやっている人でもなければ、その大半は「よく考えもしないで」「自業自得」と言った言葉を本音では吐く。
慈恵病院が、こうして社会に衝撃を与えるまで、「子どもを捨てさせないために相談を充実しよう」「ひとり親でも立派な子どもを育てられる社会にしよう」なんて誰がまともに言っただろうか。ひとり親なんていない方がいいんだ、捨て子なんてあることがいけないんだ、と思考停止してきただけだ。
福祉事務所や職安や母子保健を、こうした親子のためにどうしたらいいか、という課題について、はれ物に触るような人権感覚しか学ばず、積極的な対処は各々の職員の善意に任せてきた。

話は政治的な方向になってしまうが、
新左翼だったのに自民党幹部だった親の後釜で政治家になって、NAISの会だ民主党の若手とどうだこうだと、ちやほやされて官房長官になった塩崎氏。一説では、親の跡継ぎは嫌だといったという話もあったかな(本当の話かな。二世議員の大半はいやいや議員にさせられた、というエピソードをつくる人が多いが、神戸の河上民雄さん以外ほんとうにそうだという人に会ったことはない。逆にお父さんを尊敬していることを公言して二世議員になった人の方がすがすがしい)。
自らのおかれた境遇から、子どもの人生に親自身の因果を報いるのは良くない、と考えるのか、単に運命は仕方がないとたまたま自分の恵まれた生活環境に安住するのか、今後の政策展開が試されていると思う。

あと関心をもって見なければならないのは、日本会議の右翼議員たち。家庭だ親の責任だ母性だと強く訴えてきたのに、赤ちゃんポストに何も反応がない。反フェミニズムの立場で声高に中絶反対を熱心にやってきた立場だし、赤ちゃんポストを否定しきれないのだろう。社会は必ず複雑な事情で生まれてくる子どもがいるからだ。そういう状況の子どもを産んではダメ、中絶もダメだということになれば、アフガニスタンのタリバンのように、神や正義の名のもとに、父親のわからない子を妊娠した女を胎児ともども殺すという論理しか出てこないはずだ。

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2007.05.09

5/9 県議会自民党の対立ととばっちり

大敗して、初めて公認候補だけでは過半数割れした県議会自民党が大混乱らしい。政治は与党を過半数割れに追い込んで初めて動きが出てくるものだ。

県議会の会派(議会での政党)組みで、過半数確保のために自民党公認候補を破った保守系無所属を追加公認しようとする主流派と、公認候補の敵を受け入れることに反発する非主流派で、割れてまとまらないという。
主流派は自民党公認+追加公認の53人で会派届けを出し、非主流派は公認組だけの40人で会派届けを出し、議会事務局長が議長の代理という職権で、主流派の届けを受理した。反発する非主流派は自派だけの16人で第2会派を結成する届けを提出したが、議会事務局長につっかえされたという。非主流派の神谷県議、がんばってもらいたいが、双方、何を大義名分に対立しているのか、その陣容にどんな県議たちがいるのか、わからない。本来こうしたことをおもしろおかしく伝えるべき地元紙の埼玉新聞が、ツッコミ不足・通り一遍でわからない。何かに遠慮しているのだろうか。埼玉新聞が埼玉の政治のレベルを落としていると言って過言ではない。

話を戻して、県議会自民党に。政治集団として収集のつかない状態の自民党が腹いせにやったことは少数会派への圧力。
自民党は県議会の代表質問ができる「交渉会派」の要件を4人から6人に引き上げることを提案して、公明党が追認するという。現在の基準だと、自民党、民主党・無所属の会、公明党、刷新の会(保守系非自民の若手)が交渉会派になるが、新しい基準では、刷新の会が外れる。

埼玉県議会の選挙区の大半は1人区ばかりで、全国一の低投票率とあいまって、自動的に6割の議席が自民党に転がり込むしかけだった。公明党や野党は、2人区以上の選挙区でやっと議席を確保している程度。それも2人区でさえ自民独占を許すような風土もあって、自民党会派以外は少数会派であることを余儀なくされる。

定員が4人以上の選挙区は、川口市(6人)、越谷市、所沢市、川越市(4人)しかない。つまり交渉会派の要件を4人とすれば、4人区で勝てる第四勢力までを認められることになるが、6人を要件とすると、理屈の上では3人区で勝てる政党までしか交渉会派としては認められない。となると、現実的には、2大政党と公明党だけで議会の動きを決めてしまうという暴挙ともいえる(実際には1人区での金星で自民党現職を破った野党系議員もいたりするから、必ずしもこの通りにはならないが、記憶が正しければ第四会派は、80年代の旧社会党、90年代の連合の会、民主党、今回は刷新の会と、だいたい4人ぐらいの会派になっている)。

刷新の会がどういう会派かは知らないのでかばう義理もないが、県議会に会派が大した数あるわけでもないのだから、あえて発言権を奪うようなことをしなくてもよいだろう。

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2007.05.08

5/7 自動車が売れない

国内で自動車が売れなくなっているというニュースを朝やっていた。

そうだろうと思う。1960年ぐらいから40年間が異常な状態だったとしか思えない。他の交通機関を利用することを考えれば、少なくとも、趣味か、ステータスとか所有欲でしか、マイカーを持つことは合理的に説明できない。経済的には全く見合わない。

マイカー嫌いの私も、田舎に住んでいたときに、近所のスーパーが無くなり、マイカーを持とうかどうか真剣に悩んだ。当時交際していた女性から「月5万もマイカーに使うならあたしに使え」と強要され、思い直して、月5万は無理でも貯金することにした。

過日、テレビ番組でプロゴルファーの中島常幸さんの人気が盛り返している話を紹介していた。よくよく考えると、中島さん以降に、私のようなスポーツ全般に暗い人でも知っている男の日本人プロゴルファーっていたかな、と思い返した。いない。

高度成長期を象徴するマイカー、ゴルフ、専業主婦。これらは中産階級のある種の到達点だったのだろうけど、21世紀の苛烈な構造改革で、半分ぐらいの貧困と長時間労働にあえぐ若者には夢のまた夢になり、残り半分の経済的に恵まれた若者にとっては、もっと多様化した趣味が登場したり、マイカーでちょこちょこ出かけたり、八百長半分・賭博半分のゴルフをやることに意味を感じなくなったり、配偶者の経歴が良すぎておいそれと専業主婦におさまれない、ということなのかも知れない。

環境問題からも、1つのいい傾向かも知れない。
それと、特にバス交通網の再建がこれから大切になってくると思う。

●JR九州が九州の都市間バスに対抗して、「2枚きっぷ」「4枚きっぷ」という、乗車券並の料金で特急に乗れる回数券を販売している。そのビラを手に入れたら、欄外に書いてある言葉がいい。
「のるだけエコロジー
列車はCO2排出量を抑えたとってもエコな乗り物です。
だからあなたが列車を選ぶと、それだけでエコになる。
列車に乗っている間、ずっとエコしてる。
地球温暖化を止めるために、出かけるときは、列車でどうぞ。
JR九州」

●マイカーと鉄道の経済波及を考えるとさらに面白い。
車両:マイカーを買うとトヨタや日産など限られたメーカーしか作られていないので、自動車工場のある富裕自治体にお金を貢ぐことになる。鉄道も車両工場は大都市中心だが、自動車工場のあるところほど極端な富裕自治体はない。
運転士:マイカーは自分の労力をすり減らすだけ。鉄道は地域雇用につながる。
燃料:サウジアラビアなどの働かない金持ちを裕福にする割合として考えると、鉄道の方が合理的。
自分:マイカーは運転中常に自分が働いている。鉄道は何もしないで人任せ。勉強したり趣味に使う時間ができる。
整備:これは鉄道会社が囲い込んでいる鉄道より、地域雇用をつくるマイカーに軍配だが、最近の消費者はメーカー系列販売店に車検を持ち込む傾向が強くなっているので、地域経済への効果は弱まっている。
酒や駐車場:マイカーはいつもそれを考えて行動しなくてはならない。鉄道・公共交通は考えないで気ままに動ける。

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5/7 キャリアロスいいじゃない

寒暖の差で声が出ない。カラオケの歌いすぎか、選挙最終日みたいな声をしている。仕事の電話に苦労した。
声楽やっている人はこういうときにどうしているんだろうか、などと考える。

営団地下鉄が4月からクーラーを入れていて、寒くて仕方がない。当然、のどにいいわけがないので腹立たしい。

●AERA「パパ育児ノイローゼ」は駄作。
せっかく、いい視点の題材があるのに、結局は男の「キャリアロス」を絶対に認めないんだよ。女には両立を生き方を強制すべきではないとして提示しながら、男には仕事も絶対両立しなければならないと義務づける。女の書く記事だよまったく、などと憤慨。
子育てと仕事の両立なんてきれいごとできるわけがない。周囲に迷惑かけまくるし、サービス残業などのバッファーがなくなる。子どもの風邪で突然の休暇が入るし、飲み会のドタキャンなんて日常茶飯事。そんな人間、この働き者・過剰サービス社会が評価できるわけがないではないか。
ホームレスが、温情溢れる児童福祉行政を交わしながら捨て子を育てる、チャップリンの「キッド」を見れば、もっといろんなこと相対的に考えられるんじゃないかと思う。

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2007.05.06

5/5 レストランの閉店

近所の島忠家具店の斜め向かいに、ペットも連れて行けるけっこう面白いレストランがあった。
一昨日散歩していたら、無くなっていた。玄関には、今後の連絡先として法律事務所を知らせる文書が張り出されていた。
個性のある店をつくろうとしていたし、食事もうまかったのに、なんだかとても悲しく、また残念な思い。私ももっと足を運べばよかったのではないかと反省もする。チェーンのフードサービスではない店がただでさえ少ないのに、またなくなった。

その後、駅前に戻ると、商店街の残骸に立てられた雑居ビルにプラスチックの派手で大きな看板を出す、チェーンの飲食店しかないことに悲しくなる。入っても、客の眼も見ないで大声で「いらっしゃいませぇ」と怒鳴られたり、大声でメニューを復唱するような、プライバシーも品位のかけらもない店ばかりだ。
この光景は、東上線文化だと思う。商店主たちの力がなさすぎる。この派手な看板の飲食店を取ると、今度は殺風景な田園都市線の沿線になる。

●川越のスカラ座が営業をやめることになったが、それを地元の若手経営者グループが買い取って運営することになったようで、いい話だと思う。
みんなが欲しい、願うと思う娯楽施設をどう作り、残すのか、ということを考えたときに、こうした自主的な試みがもっとあった方が面白いと思う。

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2007.05.04

5/4 一日遅れで憲法改正問題を考える

憲法60年ということと、安倍内閣が憲法改正を政治問題にしていくということで、憲法が前よりは注目されている。先日のNHKスペシャルは、マッカーサー憲法案を受けてさらに加筆していった当時の国会審議の様子が伝えられ、とてもためになった。あるいは、伊藤真という司法資格を目指す人のための予備校を経営している人が、立憲主義についてわかりやすく本を書いたり、講演をしていて、そのことが憲法に対する理解を広げていると思う。

その中で、3日の朝日新聞の憲法記念日特集があまりにもひどい。数ページも使って9条のことしか取り上げていない。内容にはWTO拡大に賛成していたりして変だ。WTOが国際協調のために必要だという議論はわかるけれども、一方で、そのために国内産業が崩壊してしまったり、これからの話では毒性のはっきりしないアメリカ産牛肉を輸入せよ、と判断する可能性もあるわけで、そうなると憲法25条とかどこいっちゃうんだ、と思う。そういう議論に無頓着で、9条のことをめぐってしか護憲論ができない護憲論者はもはや限界だと思う。

私は、憲法9条の意義を高く評価しているし、限界も知った上でできるだけ長く9条護憲ができればいいと思っている(軍事膨張の危険性の高い一国平和主義でいくか、国連への応分の負担を覚悟した国連を中心にした平和主義でいくか、職場や町内会の役員決めのように強者にお任せしていく平和主義でいくのか、それによっていつかは9条が全面改正になるのか、一部改正になるのか、条項追加になるのか、ということは考えておかなくてはならない)が、実質的な平和を実感し、国民の総意として平和を担保していくためには、国民一人ひとりが大切にされていることを実感することのできる憲法条項の方が、憲法が求められている立憲主義のためにはもっと重要だと思っている。
そういう意味では、右派社会党の主張によって加筆された憲法第25条・健康で文化的な生活を営む権利や、憲法第28条の労働基本権、国家による司法弾圧を制限する憲法第31~39条などについて、真剣に議論されたことがあるだろうか。
憲法25条や28条については、少子化高齢社会になってあわてて労働環境を整備したり、保育所を増やしたり始めているけども、もっとお金のあった60年代70年代にこうしたことをやっておけば、負担は楽だったに違いない。先進国でも見劣りのする公共サービスを前に、護憲派が力を持っていた時代に、いったい何をやっていたんだ、というのが後世を支えている私の感覚だ。
憲法第31~39条については、まだまだだ。捜査技術の高まりで自白だけとは言わないが、憲法をないがしろにして自白調書中心で刑事裁判が今も行われている。
また第41条・国会が国権の最高機関である、という規定も、官僚による裁量行政の横行と、それを通用させてきた政権交代のない政治から考えたときに、まだまだきちんと考えられてこなかったと言ってよい。

今、憲法改正に半分ぐらいの人が賛成して、4分の1の人が反対して、4分の1ぐらいの人が迷っている、という世論の構成だと思う。最盛期は改正賛成が3分の2ぐらいいたのが、改憲を政治テーマにしようとする具体的な動きが出て、迷いにシフトしている状況だろう。それでも改憲派は多数だ。
しかし、9条改正には3分の2ぐらいの人が反対していて、いったい国民の多くは何を改正してほしいのか、よくわからないような状況だ。そういう中で、憲法調査会や各党の憲法改正案を見ても、いったい何を改正したらいいのか、9条以外はなんだかわからないような議論になっているように感じてならない。
本当は国家体制の維持という点からは、9条改憲か9条護憲かが最大の議論のヤマ場になるはずだが、ねじれ的な国民世論が、9条以外に議論を拡散させ、親孝行だとか、伝統だとか、立憲主義からすればわけのわからない憲法改正案が噴出することになっているのか。

●あと、朝日が得意の「保守系の人も護憲を言い出しています」みたいな取り上げ方、なんだかなぁ、といつも思う。今年は「元自民党県連幹部が」ということらしい。それで保守の大勢が護憲になった証拠でもあるのですか、と思うし、こうした人物も長年改憲を党是にしている政党で何やってきたんですか、と思うのだ。
護憲・改憲で保守系政党が分裂したりすればそうした記事は意味があると思うが、そんなことがあるわけでもなく、真剣に護憲を願うなら、護憲を訴える政党が躍進するとか、改憲・護憲で揺れる政党の中身を伝えるとか、そうしたことをやったらどうかと思う。
で護憲を願う政党と言ってあげてみると、これまた9条以外については無頓着だったり、利益誘導の観点でしか人権の各条項を利用しない政党だったりして、頭がくらっと来てしまうが。

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2007.05.03

5/3 憲法記念日を前にしてつまらないことにこだわる朝日新聞

朝日新聞の三浦という記者が、公設秘書が給与の一部を議員に寄付していることをさらに問題にしている記事を書いて、一面で取り上げた。さらには、その記事に新藤宗幸千葉大教授が「公金の流用」「政治資金の流れの透明性を保つ政治資金規正法の趣旨にも反している」というコメントを寄せている。朝日のお得意の社会面では、政策秘書が創設された経緯として、中曽根氏のブレーンだった政治学者まで引っ張り出して、社会党が税金にたかったかのような記事の書き方をして悪質きわまりない記事だと思う。
政治家は後ろ暗いお金を動かしている、秘書からもたかっている、そんなイメージしかできない記事だ。

秘書が自分の属している事務所や政治家に給与の一部を入れることの合法性だが、辻本清美氏の秘書給与流用疑惑の摘発を機会に、政策秘書が政治資金規正法の範囲内で、いったん本人が受け取った給与から議員に寄付をすることは認められていることが確認されている。辻本氏は、この法的な枠組みを超え、他人になりすました(名義だけ本人の通帳で受領し、その通帳を事務所で管理)から起訴され処罰された。
次に、新藤氏の公金流用ではないか、という疑義については全くあてはまらないと言ってよい。もしこれが公金流用となるなら、ブロック塀をけっ飛ばしただけで国家財産破壊未遂罪に問われるような旧共産国なみの法解釈ではないだろうか。補助金を流用することと意味が違い、給与や対価として法外でない金額で支出されたものが、どう使われようと公金流用とは言わないだろう。

公設秘書が3人になった経緯も、社会党の要望ということよりも、政治になぜお金がかかりすぎるのか、という議論から出できた話である。多くの議員事務所は秘書をたくさん抱え、その原資として政治献金をあてにするから、政治に群がる企業との癒着関係が断ち切れない、という判断から出てきたものだ。アメリカの国会議員では政策担当の公設秘書だけで15人も20人もいるという例まで引き合いに出している。ただし、当時はすでに小さな政府を目指していた時代に入っていたため、ただ増員要求してはいはいというわけにもいかず、国会議員の政策形成能力を高めるために役立つ秘書なら増設してよし、という議論になって、試験制度付きの政策秘書創設となった。社会党がおねだりしたからだという全体の中から一部の事実を捉えて印象を与える記事は、逆風の社民党に対するイメージに悪のりした記事だと思う。

議員が寄付を要求するのも、議員事務所の少ない人数の中で、誰がどの仕事なんて厳密に役務分担ができるわけでもないのに、政策秘書、公設第1、公設第2、私設秘書と少なくとも4体系の給与が存在し、とりわけ政策秘書が選挙区の泥臭いことから距離をおける立場にいながらもっとも給与が高いという、当の働いている人たちとしてはたまらないような身分制度があるからである(国会開会中には政策秘書として仕事しながら、閉会中や土曜日曜には選挙区で地元秘書以上に泥臭いことをやっている政策担当秘書も知っているが、それは普通に働くというレベルを超えている仕事の仕方になる)。辻本氏がつい「ワークシェアリング」と口をついてしまったのも、わからないではない。

2日の公設秘書のことを取り上げた朝日の記事は、国会議員の秘書がどうあった方が政治が良くなるのか、具体的な視点のない記事で、い~けないんだいけないんだ、と騒いでいるだけである(しかも合法的な寄付であるにもかかわらず)。だからどうなの、という水準の記事だ。ワーキングプアが売って歩いた上前で、銀座に住むカネのある記者がよく言うよ、と思う。
公設秘書からの寄付を禁止したところで、参院比例区候補以外の議員がみんな雇っている私設秘書との激しい給与格差がより拡大するだけだろうし、公設秘書制度そのものをやめてしまえ、という論理もおきかねない。そのことで誰がトクするかといえば、今よりさらに政治家が政治献金に依存することになり、政治家に献金できる金持ちだけがほくそ笑む。

貧乏人でも、素人でも、能力があれば政治家になれる政治システムにするために、こうした記事は害毒しかまきちらさない。この記事は、立憲主義にとってもっともあやうい存在ともいえる、官僚である検察特捜を喜ばせるだけの記事である。

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5/3 海外旅行をニュースにするか

チャベス大統領が、世界銀行・IMFから脱退して、理念を共有する国々と新しい世界銀行みたいなものを作る、というニュースが流れる。

南米左翼って、家父長制や日本でいう田中派のようなニオイがするけれども、先進国の腰の弱い左翼と違って、札びらの力でとにかく前進するところが、面白い。

このニュースを一昨日の18時のニュースで知って、19時のニュースで追っかけようとしたら、一言も報道せず。19時のニュースは「資源外交・官民挙げて」という、安倍晋三と経団連の御手洗がサウジアラビアに利権交渉に言った話や、甘利通産相がカザフスタンにウラン利権を獲得しに行ったニュースをトップで、8分間も流していた。
内容は、彼らが外遊してきた武勇伝みたいなものだ。資源獲得、意味があることだと思う。しかしこのニュースが伝えたことは、その資源がどのように日本に良い影響を与えるのか、科学的な情報がなく、安倍、御手洗、甘利の功績を讃える内容でしかなかった。北朝鮮の将軍様の行脚報道と五十歩百歩の内容だと思った。
もちろんこんな政治家の宣伝でしかないニュースを長時間にわたって流すのは19時のニュースだけで、18時のニュースは流していなかった。

19時のニュース、菅総務相が首相の意を汲んで進める報道管制・政治介入のニオイを感じてくる。

はったりのチャベス大統領のニュースとどちらが重みがあるか私にはわからないが、中身を伝えていたという点では、18時の10分間だけのニュースの方がいい報道だと思う。

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