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2007.05.19

5/18 福祉と地方財政と

日本のこれから「地方衰退」をみはじめる(きりがないのでどこかで切り上げたい)。

東京一極集中を(経済原理として)仕方がないとするか、地方に温情のあることをしなくてはならないか、という設問がされた。
出席した学識者では、八田達夫と土居丈郎が前者、神野直彦、片山善雄、高村薫が後者。東京一極集中是認論に「金の卵」論が大流行だ。地方が東京の産み出した富を収奪すると、世界との競争をしている東京の力をそいで金の卵を潰すという議論。今回は土居氏が強烈に主張していた。八田氏は、地方への財源配分をすることはやめて高齢化とか、福祉的指標でお金を送ればいい、と主張。これまで分権化してきた福祉も中央集権的にやるべきだと主張する。ここに新古典派経済学の学者たちが、国権主義者であるというパラドクスが見えてくる。

土居氏の金の卵論は議論の土台として正論であるが、しかし全面展開することは間違いである。地方の力がなくなればなくなるほど、地方を東京が支えなくてはならなくなる。金の卵が自らを壊すことになる。地方が力をもって購買力をつけてくれることが、東京の活力にもつながる。これは地方を中国とか、ベトナムという言葉に置き換えるとよくわかる。
地方に力のつかないような、財政のばらまきの仕方をしてきたことが問題である、という言い方なら話が前に進む。そういう点で、これまで通りの財政ばらまきではダメとしながら、地方を力づけることが必要とした片山前鳥取県知事の態度がいちばんまともである。

土居氏に同調する八田氏の福祉の議論は、見えるものを見ない考えで、バカの壁に近いものがある。
まず今日の福祉の分権化は、効率的な福祉のためにはサービス受給者やサービスを形成される地域社会の中で、システムが作られ、地域の産業となっていくべきだという考え方に基づいている。多少福祉の非効率に目をつぶっても、経済効率のために国際競争力のために(この国際競争力という言葉も怪しいのだ)やるという決断が必要になる。少なくとも、国権で福祉を運営したら、介護を中心にものすごくコスト高になってくるだろう。

さて、福祉を担うのは人である。ヒューマンサービスである。また、福祉はサービスとして供給しているだけではお金が人手がかかる。その人材養成が必要なのだが、今の地方には若者がいない。生産活動かつかつの人しかいない。役所も23区なんかのイメージとは全然違い、人がほんとうに少なくなってきている。福祉の専門教育を受けた若者しか地域社会にいないことになる。また福祉は中途で転業してくる人も結構多い。そのためには、地域社会にベースとなる若者がいなくてはならない。さらに金の卵論で働き盛りの人たちを東京や名古屋に引き抜いていってしまうと、福祉に回すような人材が残らない。カネや制度があっても支える人がいない福祉、ということになる。またそのために尾鷲の産婦人科医の誘致であったように、東京から高額な人件費で福祉の人材を呼んでこなくてはならなくなる。

また福祉サービスの範囲も地域の若者がいるかいないかで大きく変わってくる。NHKの百歳バンザイなんて番組を見ていると、地方では、高齢者に適度な作業や農作業をしてもらう見返りに、近所の人が交代交代で食べ物をもってきてくれたりするエピソードが出てくる。地域の若い人が、働く場を今以上に失い、福祉労働者しかいなくなったら、こうしたことが続けられるかどうか疑問である。あるいは、地域社会の若者がタダで特に意識もしないでやってきたことまで東京のお金を使ってやらなくてはならない。

ギャラリーで、地方に配分すべきでないという立場の人たちがしきりに「国や自治体の財布に依存していく生き方はどうか」という理念的な発言を繰り返すが気になった。感情的には自分が人に依存しないで生きているかのように聞こえる。
彼らは自分の住む自治体財政を見たことがあるのだろうか、と思った。夕張みたいな自治体は自業自得だという人たちに、自分の住む自治体の財政について決算書を見た人がどのくらいいるのだろうか、と思う。さらにそれを評価できる人がいるのだろうか、と思う。
市の審議会・委員会でも「財政の無駄だ」という決めセリフを言う人がいる。しかし、市の決算書を読んでいるのか疑問だし、それを評価しているとは思えない。お金を無駄遣いしてはいけないと言っているだけで、お金を使わないで市民の力を無駄に退蔵させておくことに思いをめぐらせて天秤にかけた発言とはいつも思えない。

というのもこんな経験をしたからだ。昨年、地域福祉計画の市民委員会が東松山市の手厚い福祉制度を見学に行った(私は仕事の都合で行けなかった。残念)。財源について質問した人がいて、東松山市の回答を聞いて同席していた朝霞市の職員さんが「朝霞市より民生費の割合が低い!」と驚いておられた。お金かかりそうなことと、実際にどのくらいお金がかかることなのか、ということは具体的に詰めないとよくわからない。東松山市は、障害者や高齢者の地域生活を支えるため、入口の相談やケースワーカー、ケアマネージャーといったところに力を入れている。そのことで福祉の押し売りが避けられているからである。

とりあえず前半を見たところまでの感想と尾ひれはひれです。

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コメント

面白く読ませていただきました。
番組によってコンパクトシティという言葉が市民権を得ていくようでした。
でも、その理念は正しいと思いますが、10万人~20万人規模の
地方都市で、コンパクトシティが実現することは無いと思います。
効果が無かった中心市街地活性化事業の予算枠を、国交省がなんとか財務省から続けて確保したいために、看板を架け替えただけではないかと感じています。
http://fish.miracle.ne.jp/mail4dl/01-concept/consept7.htm

投稿: 地方在住者 | 2007.05.21 09:53

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