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2007.05.15

5/15 育児放棄の助長という前に

熊本赤ちゃんポストに3歳の子が入っていたというニュースについて。
このポストを黙認したはずの厚生労働省をはじめ、世間は、育児放棄という言われ方をするが、それでいいのだろうか。
あるいは、このポスト不要論が強まると思うが、それでいいのだろうか。

第1に不審なのは、このニュース、いったい誰が流しているのか、ということだ。これについて新聞やテレビは全く明らかにしていないが、知りうるのは、第1発見をする病院関係者か、通報を受ける警察か児童相談所である。児童相談所はこうした情報の漏洩に非常に神経質な役所であるし、マスコミとの交際もほとんどない。病院も深刻な内部対立でもなければ情報を漏らすことは自殺行為であり、考えにくい。県警察が保護責任者遺棄罪の立件を検討しているというからあやしい。
余談だが、この問題についてインタビューを受けた安倍晋三は適切だった。「私は正確な情報を入手できる立場にないので、何も言えない。子育てがいきづまったら、児童相談所などに相談してほしい」という内容のコメント。病院が公表してもない個人情報を、内閣総理大臣が収集しているというのは、表面的にはあってはならないことである。また過剰に価値観を入れなかったのが良かった。

第2になぜ3歳児がことさら問題にされるのか。
所管になる厚生労働省の雇用均等・児童家庭局の大谷泰夫局長が「心配していたことが起きてしまった」という発言を早い段階でしているが、法律で0歳と3歳の扱いに何が違うのだろうかがわからない。当初赤ちゃんポストを違法といえないと黙認し、法的解釈を回避したのに、何を言うのかという感じがしてならない。

第3に一斉にマスコミ社会部は「子捨て助長」などと書き立てる。
マスコミで働いている人たちは、配偶者や親に子育てどころか保育園の送迎まで任せきりにしておいてよく言うよという感じがしてならない。子捨て助長と非難するけど、現実には子捨てはあるし、育児放棄や保護者による児童虐待は後を絶たない。子捨て助長している、と非難してこういう施設を無くしても、子捨てはなくならない。どこかの誰かの子捨てを非難して、自分が今子捨てをしないで済む状況に安心しているだけである。

正直、外国でこのポストがあることを知ったとき、私は少しおぞましく捉えた。戦後の孤児対策からスタートした日本の児童福祉行政は、養育されない子どもの救済において世界的にもよくできたシステムであり、そこまで必要か、という思いがあった。そこで児童相談所にたどりつければいいことに間違いはない。しかし、その周辺システム、とくに基礎自治体レベルでの対応能力があまりにも貧弱である。いつでも子どもを手放す場がある、という窮極の手段を明確にしていくことは、その手前でできる様々な児童家庭福祉を再検討する機会になるし、充実させる力学が働く。そのことは決して悪いことではない。
ありえないという予定調和の論理の中での限られた発想では事足りない社会になっている。窮極の事態から、いろいろ考えるクセをつけた方がいい。

今回、3歳の子が持ち込まれたことを悪く捉えるのもいいが、私は別の観点を持っている。
親子関係が行き詰まって、救済すべきは0歳だけではないと思う。そういう意味では、3歳児の子捨てというのはほんとうにありえないことなのか、もう一度考えるべきだと思う。またポストのドアの小ささから、子どもの養育状況についてもいろいろ考えてしまう。

また、連れてきたというのが父親だという。父親と子どもの関係というものを考えさせてくれる機会をつくってくれたのではないか。周辺関係がたぶんずっとわからないと思うが、子どもを「もてあます」のが母親である、子どもを抱えているのは母親である、という固定観念も壊してくれたと思う。

ひょっとすると、父子家庭であることも考えられる。
離婚率が増加している中で、母子家庭の貧困について格差社会の議論がらみで注目されてきた。逆風が吹いているが、経済的支援を守ろうとする人たちや、逆に就労を推進していこうという人たちがいろいろ議論して話題をつくってくれている。名の通った当事者団体もある。
しかし、父子家庭の問題は、ほとんど考えてもくれなかったし、当然議論どころか想像もされてこなかったと言ってよい。「子連れ狼」をモデルにしたような冗談話のレベルでしか語られなかった。
母子家庭のような貧困問題もあるが、貧困より、残業を拒否できないなど「お父さん」が課せられている社会的役割を果たすと、実質上の育児放棄になってしまうという問題があるからだろう。詳しくは、「日米のシングルファーザーたち」という本を読んでもらえばわかると思う。父子家庭のお父さんは経済的にはまだましなものの、時間と、将来のない今とのたたかいで必死で、たぶん少しのつまづきで育児放棄や、一家心中を発生させてしまうような社会環境に囲まれている。
友人にもシングルファーザーがいるが、ほんとうによくたたかっている。それなのに自分では子どもに関われないことをものすごく悩んでいる。

赤ちゃんを産んで路頭に迷っているかわいそうなお母さん、という固定観念だけではない、育児のつまづきについてもう少しいろいろ考えてみるべきだろう。

どうであれ、育児放棄と非難している前に、その子どもにとって最善の利益とは何なのか、もう少し考えてほしい。話題でいっぱいになるような場所に、お気楽気分で子どもを連れてきた親などいるだろうかと思う。少なくとも今日より明日の前進を考えて、連れてきたのではないかと思う。

育児放棄を助長する、と批判できる人は、育児放棄がそこにある問題だということに無自覚なだけなのではないか。私は子どもをかわいいとおもいながらも、時にはもうたまらない、と思うこともある。育児放棄にまで突っ走ってしまう親を、どうしたものかと思いながらも、しかしまったくもってありえないこととは思えない自分もいるのだ。
児童手当をばらまけば子育て支援だと思っているようなバカにはわからないだろうなぁ。

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コメント

仮にフィクションだったとしても余りに悲しい。その子の事を思うと泣けてきた。

投稿: ash | 2007.05.17 00:46

育児放棄って、戦後から全国民に対して行われてるじゃん?
拘束9+残業4+通勤2+睡眠8+朝食着替え夕食風呂1=24時間。
日本の10割の企業が不払い残業が常識、前提として脅迫してくるし。
そんな風に育った子供が親になって子供をポストに捨てても、騒ぐほどのことじゃないし、日本政府が推奨してきた企業優先の成果だ。大成果だ。

投稿:   | 2007.05.17 13:49

行き詰ったらリセットしちゃってもいいですよね。

投稿: ren | 2007.05.17 16:54

こんばんわ(`・ω・´;)はじめまして。コメント失礼します。


>法律で0歳と3歳の扱いに何が違うのだろうかがわからない。

法律ではよくわかりませんが、
全く親の顔もわからない状態の新生児と、
親の顔も声も覚えている状態の3歳児では、
赤ちゃんポストのような外部に「子捨て、子預け」をしたときの子供の捉え方、感じ方が全く異なるんじゃないかなと。

当事者の子供視点で言えば、ものすごく違うんだと思います。


>親子関係が行き詰まって、救済すべきは0歳だけではないと思う。

確かにそう思います。
でも、赤ちゃんポストじゃない手段は無かったのかな・・?
里親とかそういうのは無理なのかな。
あまり知識が無くて、そのあたり解らなくて、何とも言えないのが悔しい(´・ω・`)


あとは、
父子家庭の問題、父親ジェンダーの問題、子育ての実感などの部分について、
すごくそのとおりだと思いました。

投稿: Taso | 2007.05.19 03:14

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