5/12 食育の認知度はほどほどでいい
食育の認知度が低いというニュースが出る。このぐらいでいいと思う。
私の中では矛盾したものがある。食事という生活の一部をみんなで維持していこう、という考え方には共鳴する。しかし、一方で、「早寝・早起き・朝ご飯」だとか、「これが本当の和食」だとか、俗っぽい「本物」の押しつけ、汚い言葉で言えば草の根ファッショ、きちんとした言い方をすれば、モラリズムの押しつけみたいなことは、ほんとうにご免蒙りたいところだ。
具体的には、食育という言葉で、食事を大切にしようとしている人の生活スタイルをみんなが大切にしてあげよう、という気持ちは大事だと思う。ここ数年、新古典派経済学の(合成の誤謬の)論理で、大半の人たちは働くためにいろいろな生活のためのこと、私的なことを犠牲にさせられてきたから、少しはその歯止めとしてこうした感覚ってあった方がいいと思う。
それから、市場原理にのらない農業をやっていく人に温かい視線や政策を採ろうということもいいと思う。食事を粗末に扱わないというのはグレーゾーンか。個人的にはとても大切にしていることなんだけども。
一方で、早寝早起き朝ご飯が非行防止活動の、エセ科学みたいに広められていることに危機感を持つ。かつて発達心理学を聞きかじったようなエセ科学理論で、共働きの子はグレるというような決めつけをされたことのように。
問題家庭を検索し、あぶり出すための活動として食育をやるとするなら、あるいは忙しすぎる親たちが家庭のいろいろな作業をアウトソーシングしながら人間関係の部分だけでも家族関係を維持しているのに、食育という名のもとにさらに忙しくすることを強制して家族関係がギスギスしてしまったら、本末転倒だろう。
また、本当の日本食とかそういうことも多用されている。京都でにしんそばが郷土料理であるように、江戸期に流通が発達した日本では、郷土料理が必ずしも地産地消とは言い切れなかったりするし、地域によっては栄養源を確保するのがやっとで、郷土料理なんてものを食べられるのは特権階級だったところもあるだろうので、あんまり「本当」自慢はやってほしくないと思う。
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