5/12 友人に子どもが生まれる
4年前の都知事選挙で、絶対負けムードのわが陣営で、若者勝手連をまとめぐいぐい前進させてくれた村井宗明さん。
イラク開戦直後で、タカ派対ハト派という争点づくりをしてしまった結果、芸術家肌の気むずかしい平和運動家たちに投票してもらうよう働きかけを行うことが課題になってしまい、注文と理屈と多様性の多い彼らを説得するのに難航して、苦労していた。
環境運動、平和運動、民主、社民、労組などの出自の違う若者が集まったので、正直、一歩間違えていたら、若者勝手連内部でさえも喧嘩になりかねない状況だったが、運動を前進、前進させていた結果、全然、出自も違い、考え方も若干異なる人間どうし、ものすごい強い絆ができたと思う。負け戦であまりこういうことはないなぁ、と思う。
そのムードメーカーだったのが、村井宗明さんだった。恥ずかしくて尻込みしてしまうようなこと、ハレーションが怖くて言い出しにくいことを、すべて「やらまいか、オレも何とかするから」と言って背中を押し続けてくれた。
その村井さんに子どもが産まれた。嬉しいことです。おめでとう。
村井さんは、今、離婚後300日以内に生まれた子どものことで問題をこじらせ続けているあの長勢甚遠法相の対抗馬として、その秋の総選挙に富山で立候補した。選挙区では長勢氏が当選したものの、比例復活で当選を果たした。野党が勝てない歯が立たないと言われていた北陸・富山県で、なんとか当選にかじりついたことは嬉しかった。初当選がやっとだったので小泉解散でダメかなと思ったけど、やっぱり当選にかじりついた。
最初の選挙に出る前、「オレは民主だけども、めざすことは自民党を倒してタカ派の世の中と、地方をいじめる政治を変えること。幹事長のいる地元の社民とちゃんと話をしなくてはダメだと思うんだよね」と言って、富山出身の又市社民党幹事長と話をしたがっていたことを思い出す。仕事の地元事情でおいそれと何かできる状況ではなかったが、自民党で出られなかったからと民主党に来る若手候補者が問題になっていた時期なので、素晴らしいと思って富山に見送った。
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