« 4/26 「親学」の前に「委員学」だよ | トップページ | 4/27 アメリカには河野談話を上回る謝罪 »

2007.04.26

4/26 コミュニティーバスの管轄が変わる

子どもか発熱。仕方がないので休業。家族が早めに帰ってきたので、保育園通園でネックの1つになっているコミュニティーバス「わくわく号」のことについて夕方、市役所に聞きに行く。回送車が多いし、保有台数も多いのになぜ便数が少ないのか、疑問に思っていたから、一度聞きたいと思っていた。
※こういうときに資料の提供をお願いすると比較的すんなり出してくれるのが朝霞市のいいところだ(利権関係などディープなものを出すかどうかはわからない)。職員にとって七面倒くさい情報公開制度の定着が、情報公開経由で請求されるぐらいなら先に出しておこうということになっているのだろう。

担当部課が変わったばかりで、まだ何もという状態。とても増便をお願いしてすっと考えます、という回答になるような状況ではなかった。ただし以前は、市の重要施策を扱う企画部管轄だったのが、道路交通課に移管されたことは、マイカーや自転車対策と同時にバス整備をやっていくことができるわけでよかったのではないかと思うが、実際のところはどうだろうか。

利用者と収入は増えているものの、それでも維持費の大半は市からの持ち出しであることは変わらない財政構造、CNGガスを燃料としているため遠い営業所まで燃料補充をしにいかなくてはならないこと、国際興業・西武・東武の三社委託のため具体的な乗客数や路線別収支、台別の運行表を把握していないというあたりが課題に思えた。委託契約のあり方に問題がありそうだ。

10年前に調査で入手した、武蔵野市のムーバスの開発に関わる資料をコピーし渡して、使えるコミュニティーバスになる改革を期待しています、とお願いした。ムーバスは全国最初の取り組みだったので、市役所、バス会社、車両会社、関連の知識人、コンサルタントが知恵を全部出し合って開発した。単に地図のバス空白地帯を埋めるだけではなくて、利用されるバスとなるための知恵が大事だと思っているからだ。開発に携わった岡並木さんを3度にわたって訪問して伺った話が生きてくればいいなぁ、と自分では思う。

担当してくれた課長さんが、交通不便地帯の職場に徒歩で通勤していたこともあるということで、好感が持てたし、これからに期待したいと思った。

どうしたらコミュニティーバスの乗客が増えるのか、増えれば採算も改善し増便できてさらにサービス改善ができるし行政効果も高まるのではないか、そんな視点でこの施策に取り組んでほしいし、それをしないで今のまま何年も放置すればやがて「無駄遣い」にうるさい市民から格好のやり玉に挙げられてしまい、結果として、バス車両の更新時期に廃止となって、寝たきり高齢者や公共施設を利用できない市民を増やしてしまうことになることを心配している。

あっ、それと市役所に行くと、いつも駐車券を使うかどうか真っ先に聞いてくる。マイカー族優遇じゃないだろうか。駐車券なんて請求されるまで出すべきじゃないと思う。好きでクルマで来て、公害をまきちらし、渋滞の原因を作っているのだから・・・とアンチマイカー族で市役所にいくたびに公共交通の料金を払っている私は思う。

●阪大の小野先生からいただいた新書を読み進む。
弱者の側に立つ人たちが、政治の温情として再配分を要求するが、それだから新古典派(新自由主義とでも言うのでしょうか)の人たちに、それでは社会効率が低下する、と一蹴されてまうからダメなのだ、という。
再配分は社会効率に叶うことであり、再配分をしない方が効率を低下させるんだ、というケインズ経済学の論理を展開して効率性の問題として所得や社会資源の再配分を要求すべきだ、という小野先生のレトリックはいい。
もちろん、社会効率につながらなくて人権問題の理由でしかやらなくてはならない再配分もあるけれども、生活保護、年金、医療保険、家族にとっての保育や介護、ひとり親家庭への支援、地方交付税などは、社会効率の上からも重要な施策で、これらをもしやらなければ、そのサービスなしに社会参加できない人や家庭は沈殿して、社会効率は大きく低下するに違いない。一つは有効需要の低下というかたちであらわれる。
この社会効率のために再配分という視点をおざなりにして、温情論だけで再配分をやると、地方の土建屋みたいなのが弱者の代理人として跳梁跋扈することになる。

|

« 4/26 「親学」の前に「委員学」だよ | トップページ | 4/27 アメリカには河野談話を上回る謝罪 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 4/26 「親学」の前に「委員学」だよ | トップページ | 4/27 アメリカには河野談話を上回る謝罪 »