4/28 市議会の議員定数削減の請願について考える
市報あさかの議会だよりに、請願審議の継続審査として、朝霞市市議会議員定数削減に向けての請願が提出されている。
たびたびこのブログでも地方議会の定数削減運動について書いてきたが、議員が少なければ少ないほどいいという観点での定数削減は、民主主義の空洞化にもなる。議員定数の改定をする場合には、選挙とはそもそも何のために行うのか、その原点にたちかえり、1.民意との緊張関係を保つため適正な競争状態で首長や議員が選ばれているかどうか(つまり能力や民意に離れた議員を落選させることができるか)、2.そこの街では議員を専業と位置づけるのか、それとも兼業であるべきととらえるのか、ということをよく吟味する必要がある。
よく議員は多ければ多いほどいい、という議論に出くわす。左派系の市民派にこういう主張が多い。確かに市民全員が熱心に地域社会について議論し、まともな合意形成をしていく時間的・能力的余力があれば、その通りだと思う。でも現実的に、そんなに市の政治について議論をしつこくやる余力は大半の人にない。
今の議会の状態のまま、定数が多いほどよい、と言っても、左派市民派が望むような議員が増えるとは思えないし、その残りを実力もないのにギラついてる専業政治家と、資産家が埋めるだけである。
江田派的な言い方をすれば、選挙は、よりましな政治家を選んでいくたゆみない革命である。逆に言えばより悪い選択を落としていく作業である。したがって適度な競争状態を保たなくてはならない。
1.の適正な競争状態で選ばれているかどうか、という観点で考えるとき、昨今の近隣市の市議会議員選挙での競争率が低下する傾向について考慮に入れなくてはならない。
統一自治体議員選挙で行われた和光市議会の選挙も、2人が落選するだけで、しかも候補者のうち3人は有権者の1%を割り込む500票を下回っている。結果から見る限り、最下位の当選者は、落選者2人と含めて3人でいすとりゲームを争い、現職は楽勝だったという結果になってしまっている。前回の朝霞市議会議員選挙でも落選者は1人だったが、5人の候補が人口の1%、1000票を下回っている。志木市でも同様の傾向ではなかったか。選挙での適正な競争を維持しておかないと、現職が議会活動、有権者とのコミュニケーション、両方で安穏を決め込んでしまう可能性がある。逆に東京都内は毎度多数の新人候補が出てきて、今回は勢力が激変した市や区もある。
競争率を高めるには、市民が関心を持って投票率を高めることに越したことはないが、そうは言っても魅力ある候補者が少ない選挙なら、どうしようもない。競争率を維持するという観点では、①門を狭くして定数を削減する、②議員になりたくなる要素を増やしてエントリー者を増やすという両方の可能性がある。朝霞市の場合、議員の所属会派(進政会=土着保守と公明、共産で議会の8割)でも、出身職種(農業と自営業者)でも偏っており、サラリーマン住民の多い都市の住民構成と乖離が著しい。②の要素をもっと高めることが大切で、そのためには魅力ある議会情報の発信と、議会の有効性を高めるための議会改革、市役所の係長級以下の報酬の改善が必要だろう。私は今いる議員の顔ぶれを前提にして競争率を高めるよりも、新規参入する政治家を増やすことの方が大事だと思う。魅力ある候補者をどうリクルートするのか、それが今の地方議会の課題と言ってもよい。
2.の専業か兼業かということも大事だと思う。専業なら1.で述べたとおり、優秀な人材を確保するために、報酬改善が必要である。現在の役所の係長級以下の報酬では、ストレス溜めた窓際族か配偶者に定収のある人か、公明党員か共産党員しか、サラリーマンは議員には転職してこない。
議員は否が応でも次の選挙のための積立をしなければならない。税金は経費を認められないサラリーマンとして課税されるのに、社会保険も自営業とみなされ不利な国民年金と、割高な国保に入らざるを得ない。失業保険もないから、落選後再就職までの生活も少しは考えておかなくてはならない。そんな議員になることによる経費などを差し引くと、議員が使える収入は市役所の初任給並の手取りになる。いくらきれい事を言っても、著しく生活水準が下がるんだったら、普通の人はやりたがるわけがない。少ない報酬の穴埋めができない議員は、何をするのだろうか。
こうした状態を放置しておくことは、ベッドタウンの街の合意形成のシステムとして問題がある。急激な高齢化の問題は、自営業者や農民よりも、サラリーマン家庭を直撃する。サラリーマン出身議員が少なければ市役所の職員は議員の大半である自営業者や農民階層にのみ気を配ることになる。結果として、高齢者無年金者、離婚した高齢者の問題などが、一気に生活保護などに集中したり、重度の要介護者がいきなり役所の窓口を訪ねて救済を求めてくるような事態が増えるだろう。
優秀な人材を議会に呼び込むためにも、都内のように年収1000万とは言わないまでも、平均的なサラリーマンの手取り収入になる程度の報酬改善が必要だと思う。そのための定数削減なら賛成してもよい。ただしその場合も年間の議会の開催日数をもう少し増やすべだろうし、行政の作ってきたいろいろな審議会を意志決定機関である議会の下に移管させることなども考えるべきだろう。議会の仕事を増やすことが抱き合わせてなければならないだろう。
もう一つの選択肢は基礎自治体の議員ぐらいは兼業にするということである。それに移行する課題は議会の日中開催である(これはベッドタウンの自治体の議会の開き方としてそもそもナンセンスなことだ)。日中に議会で年80日も拘束されてもやっていける人は、働かない社長か、土を耕さない農家か、専業主婦しかない。実際のところ、農家か自営業以外の議員は、非営利団体の役職以外肩書きがなくなり、議員として専業化してしまう。他の仕事は、副業となってしまう。
兼業であるなら、議員に支払うコストは、報酬は無しで、議会事務局を通して請求される実費経費と費用弁償(休業補償と日当の中間的なもの)だけにするのが正しい。議会事務局の強化も必要になるだろう。
そうであれば、議員を増やすことだって考えたっていいし、各種審議会等も議員として運営してもらったっていいということになる。
あるいは町内会などに市の合意形成の下請けみたいなことをやらせているが、そうした機能も議会に取り戻し、選挙で選ばれたアマチュア市議たちニよる政策論争によって合意形成を図っていくことができる。町内会の仕事を軽減でき、本来あるべき姿である地域の互助組織とに専念できる。
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コメント
基礎的自治体の議員は原則兼業で必要経費以外は最低時給でいいよ。
ただ、東京の場合は自治体の小型化も必須かと思います。
人口60万の基礎的自治体の議員が50人、とかいうのはあきらかにおかしい。
投稿: o-tsuka | 2007.04.30 15:40
基礎自治体の場合、議員の政策活動を誰がどうサポートするのかによって、兼業でいいか専業にすべきか変わってくると思います。本気でやれば生活に密着した課題が多いので、思ったよりずっと専門的な知識が求められます。政党のサポートも市町村までは政策集が送られてくるだけでサポートはありません(だから党の理念や政策と無関係なとんでもない「政党政治家」もいたりする)。
他の自治体の先進事例を追ったり、権利感覚などを身につけていかなくては、使い物にならないというのが今どきの市町村議だと思います。
そのへんは、有権者の生活とは距離が置けて、政党間の駆け引きや政党内の党務を担える都道府県議とは全然違うのかなと思っています。
後段の自治体の小型化について、自治の強化の観点から必要だと思います。たとえば東京で言えば、世田谷区、大田区、杉並区、練馬区、足立区など1つの自治体でいいの?と思います。また横浜市もそうかも知れません。横浜で選挙やってみて、自治体の規模が大きすぎて否が応でもお任せ民主主義になってしまっているなぁ、と感じました。
投稿: 管理人 | 2007.05.04 23:13