4/16 腑に落ちないこと
腑に落ちないことが2つ。
①野球会社(プロ野球球団というのか?)がアマチュア野球界にお金をばらまいていたことが問題になり、その中で専修大学北上高校の野球部が解散することになったというニュースが流れる。
部活動は、結社の自由じゃないのか。しかもその選択権は、野球をやりたいという当の高校生たちにあるのではないか。何かおかしい。そもそも結社の自由の精神が尊重されていれば、カネまみれの大人がむらがるような構図にはならないはずである。
また、この問題では、いつも野球をやってきた当人たちが、記者会見で矢面に立たされたり、部活を潰されたりしているが、お金を受け取っているのは親族であったり、コーチであったり、野球をやっている子どもたちを出汁にして金権球界に住み着いてきた大人たちである。その人たちは、名前も公開されていないし、世間の制裁も受けていない。
そもそもこの問題、何が問題なのかが明確になっていない。野球会社の本質が興業である以上、お金で選手を買うということはある程度は避けられない。それがプロ就職後ならいいのか、内定後ならいいのか、就職活動中ならいいのか、養成期間ならいいのか、考え方が整理されて公開されておらず、政治倫理みたいな水準の議論しかされていない。
また本人がもらっていいのか、親がもらっていいのか、そのあたりも整理されていない。
②北朝鮮の核廃棄が全然進んでいない。
北朝鮮とのいたずらな対立や、それを政治問題化しようとすること、さらには首相のように選挙のネタにしようということには反対の私でも、いちゃもんをつけて核廃棄に取り組まない北朝鮮いらだつ。アメリカが、金融制裁のカードを手放して、核廃棄が進まない事態を楽観していることも、どうかと思うところだ。
今回の北朝鮮の核廃棄が進まなかったのは、六ヵ国協議の枠外で進められた米朝二国間協議を許してしまったことにあると言ってよい。東アジアの安全保障が不安定化しても無能なヒルのクビが飛ぶだけである。
「大量破壊兵器がある」と言って泥沼のイラク戦争に突入して、さらには日本の自衛隊まで連れていかれたが、実際は大量破壊兵器の証拠すら見つけられなかったが、実際に大量破壊兵器があると認めており(実用に耐えうるかどうかは別だが)証拠まである北朝鮮に、アメリカは何ら軍事制裁を行わないどころか、経済制裁のカードまで捨ててしまったダブルスタンダードも大問題である。
イラクはぬれぎぬのえん罪で、国の中が大混乱にさせられてしまった。中東で一番開明的な国民が、宗教対立という最も未開明的な政治的対立の渦中におかれてしまった。それはアメリカの犯罪的行為によるものである。
日本の右翼は、温家宝首相の来日にぶすぶすいちゃもんつけることに血道を挙げるが、そんなつまらないこと言っている間に、北朝鮮の核廃棄は空中に浮かび、東アジアの安全保障が不安定になっている。民族主義者たちはこの事態に何の不安も抱かず、無定見なネオコンの迷走の結果として行われた米朝二国間協議の失敗に怒りの声も挙げないのだろうか。無意味な、嫌韓、嫌中に血道を挙げる前に、やるべきことがあるんじゃないか。アメリカ大使館前に右翼の街宣車が列をなして、「ヒルのクビを切れ」とやっているとは聞いたことがない。
●AERA今週号が面白い。佐藤優本人についての特集で、佐藤優が浦高生だった頃、旧社会党系青年団体、社会主義青年同盟に入っていたことが紹介されている。母親が浦和の社会党の熱心な支持者だということは繰り返し自著で知っていたが、本人もその関係の場にいたとは。しかも77年という社会主義協会派全盛の頃。埼玉という土地柄もあってか、宇野理論にも詳しいのか。
この組織にいたからと一概に規定できないが、労農派の社会主義運動からは、しばしば優秀な裏方が誕生していると感じる。大衆性はないが、ずっしり重く、陰影に富むような感じだ。
それから「貞操わめく清廉議員」も。離婚後300日以内出生の子の父親をめぐる法改正で、うごめく政界の見取り図としてわかりやすい。
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コメント
佐藤氏が左翼崩れとは意外(ぉ
そう言えば新左翼の闘士が地域医療に身を投じた新潟3区で田中角栄を断固擁護していたのを、高畠通敏が「地方の王国」で取り上げていましたね。反体制の立場にいたのが自らの政策実現のために与党や権力の側に転向するのって、反体制側の問題に起因するのかそれとも・・・・・辛淑玉が『週刊新社会』での連載で指摘したのを思い出すなぁ。
投稿: 杉山真大 | 2007.04.17 23:35
日本の左翼の大半は、社会主義思想も、マルクスも、ケインズも無縁な人たちです。悪く言うと反戦運動で群れているだけ。
残りは、思想のごりっとした部分に惚れ込んだ人たちです。向坂逸郎のような神学者や佐藤優さんは後者でしょう。崩れかどうかわかりませんが、反戦運動一つうまく行かないことで泣き崩れるような左翼とはちょっと違うように私は感じています。
60年代の左翼の闘志が田中派に恭順する話はたくさんあります。地域の党内抗争で負けて引退させられた右派社会党代議士の息子とか、右、左問わず能力があるのに政治的ポジションが恵まれないばかりに冷や飯を食べている人たちを田中派はどんどん組織化していったことがあると思います。
それと田中派は疑似社会民主主義といってもいいものがあります。ギリシャのPASOKや、スペイン社会民主労働党、旧イタリア社会党など南欧の社会民主主義政党と似た利権を核にした再分配を政治理念とする体質があります。あながち左翼の敵とも言えないのかも知れません。
反体制の側の問題としては、田中派のようなリアルさがないことと、佐藤優のような教養や思想の裏打ちがないことです。とにかく票、そんなことを実感させられる4月でした。
あと70年代の左翼は小泉に恭順した人が多かったですね。あれは見苦しいですね。
投稿: 管理人 | 2007.04.17 23:57