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2007.03.27

3/27 地震にカウンセラーはそんなに必要か

ごみの抜き取りの問題について、今回は罰則。残念な判決だ。

●石川県の地震報道を見ていて。
阪神大震災で木造家屋の被災ばかり伝えられてきたが、実は、マンションも結構ひどいめにあって、壊れた方は粗悪建築を隠蔽するためか、デベロッパーが検証もしないうちに壊してしまい、残った方はデベロッパー系管理会社が強度について難癖つけて無理な建て替えを押しつけて、生活再建がままならないような話がある。
今回の石川県の地震では、思ったより被害が小さかった。第一義的には人口密度のせいだと思う。その上で、きちんとした木造住宅の丈夫さも改めて証明されたところもある。全壊した場合の再建がしやすいこともメリットだと思う。

罹災者への公的救済制度が不十分で、かつ地震保険制度の保障も加入している火災保険の半分が限度だったりして、地震で自宅を失った人がこれから苦しむことを考えるといたたまれない。
最近の大規模災害では必ずクローズアップされる「カウンセラー」、必要だと思うが、何でこんなにクローズアップされるのだろうか。地震の被害でショックを受けるのは当たり前の心の働きで、それをことさらトラウマのように扱うべきなのか、少し疑問を感じている。必死にカウンセラーに相談したって、カウンセラーは受容するばかりで、家は再建されない。一日でも早くがれきを取り除き、そこに暖まれる場所を確保することが、被害のショックを解決することではないか。
地震で罹災した人の救済制度が不十分で、そのリスクを社会共同で負担しようという考えがなくて、個人で解決させるから、必要以上に個人ががんばらなくてはならなくて、そのカンフル剤としてカウンセラーに注目を浴びさせているのではないか。あんまり派手にトラウマにスポットを当てる報道ばかり続くと、カウンセラーに使うカネがあるなら、という感じがしないでもない。

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コメント

こんばんわ。

>今回の石川県の地震では、思ったより被害が小さかった。第一義的には人口密度のせいだと思う。その上で、きちんとした木造住宅の丈夫さも改めて証明されたところもある。
同感ですね。過密していない普通の家屋ばかりだったのが不幸中の幸いでしたね。
今回の震災で、ふと思ったのが、もし東京の真ん中で地震が起こったら目も当てられない結果になっただろうなということです。
只でさえ高層ビルが乱立している大都市。しかも都市再生と称して再開発のための規制緩和が行われ、高層ビルがどこもかしこもひしめく時代です。都市のほうが、災害に脆いかもしれません。(いつぞやの中央公論で片山喜博も似たようなこと言っていたなぁ)高層マンションが増えた割りに小学校や保育園の整備が追いついていなくて、地震のとき寝泊りする避難所は間に合うのですか?マンションが増えて人口が多いのに断水したらトイレの確保とか大変でしょうね。ビルの狭間を緊急車両が走るのは大変そう・・・と、こう考えてみると都市ばかりに人や施設が集中するのはリスクが大ですね。一方で見捨てられた地方は限界集落が増えてインフラ整備にも取り残され災害にひとたまりもないところが増えたと・・・。然るに政府は地方を見捨てて若者が東京に出ざるを得ない状況を助長し、ハゲタカに餌を与えるために野放図な再開発をやってきました。
危機管理というとどうやって外的の攻撃から守るか、ということばかりが強調されてきました(私自身は国防力の強化には賛成ですが)一方で、ここいらあたりを再考することを通して内なる危機管理への備えを万全にすることが大事といえるかもいえませんね。

投稿: 北狐 | 2007.03.27 23:53

そう言えば、イジメや体罰の問題でもカウンセラーを導入してお茶を濁そうという向きがあるそうですね。イジメや体罰が余りに横行したりするのも"世間"の多数派が黙認しているという前提条件があるこそなのに、「癒し」さえ与えれば万事解決というのは物事を矮小化している様に思うんですよね・・・・・

投稿: 杉山真大 | 2007.03.28 21:41

「カウンセラー」について認識不足ですよ。
人間は感情の生き物です。気持ち一つで前向きに生きていけるし、気持ち一つで後ろ向きに生きる生き物なんです。

災害を乗り越えていこうとするには、悲しみ・苦しみ・恐怖という負の感情を、ある程度乗り越えつつ生きていかなければならないわけですよね。その負の感情を一人抱え込んでしまって身動きできない人はどうするんです?「頑張れ!」「ここでへたり込んでしまってどうするんだ!」なんて単なる励ましでは動けない、負の感情で押し潰された人の耳には届かないし、前向いて歩き出すことは出来ませんよ。

人は、誰か自分以外の人に「うん、うん、そうだよね。あなたの気持ちが、よくわかるわぁ」と共感してもらって、初めて自分の置かれている状況や自分の感情を知るものだし、自分に改めて自信を持って前を向いて歩いていけるものなんですよ。ご存じでしょ?

戦前であれば、じっくり愚痴や相談事の時間のかかる話を聴いてくれる人も近所にいたでしょうし、お寺がその責を担っていたでしょうし、世間の時間の流れも今よりかなりゆったりしていたから、特にクローズアップする必要もなかったでしょう。

今、じっくり話を聴いてくれる相手を捜すことすら難しいのです。時間もえらく早く流れていますしね。ですからカウンセラーという話を聴く専門家が必要になってくるのですよ。

あなたは「コーチング」という言葉はご存じでしょ?
これはカウンセリング技術の一つですが、コーチング技術を持った人と二言三言職場で言葉を交わしただけで、大抵の人は気分が明るくなったり、頑張ろうと思ったりするものなんですよ。それが、職場環境によい作用をするので中堅職員や役職のある人に必須になってますよね。

カウンセラーはコーチング技術も当然持っていますから、災害現場や教育現場での需要があるんですよ。カウンセリングというものは、癒しだけでなくて、クライアントが自分で問題解決するための伴走者なのです。

人は、自分自身で納得して「変わりたい」「前に進みたい」と思わなければ、動けない生き物なんですよ。

投稿: 崩壊を眺めるもの | 2007.04.27 19:19

私はカウンセラー不要論を言っているわけではありません。職業的自信があれば、カウンセラー否定論に聞こえないのではないでしょうか。
カウンセラーも、医師と同じように、必要だと思う人は使えばいいのです。
ここで私が言っているのは、地震のリスクは個人が背負うべきものなのですか?という疑問です。地震の再建は社会の問題です。カウンセラーは個人の問題しか対応できません。その限界を無視した地震や学校災害でオカミが安易にカウンセラーに問題解決を促す対応が多すぎます。

阪神大震災の後かたづけから2004年の北陸の大水害ぐらいまで、災害現場に後かたづけの支援するためのごみ収集車の全国動員は、清掃関係の労働組合がやっていたのです。後かたづけ一つ政府はノウハウを持っていなかったのです。


投稿: 管理人 | 2007.04.27 21:04

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