3/18 候補者へのモラルハラスメント
日中、選挙に出る友人の「政治活動」を手伝いに横浜に行く。運動と理屈優先になりがちな左よりの仲間のなかで、この友人は組織をできる優秀な人で、政治家になってほしいなぁ、と思っていたら今度の統一地方選挙で立候補することになった。
事務作業をしていたら、街頭活動を手伝ってくれということで、東横線の某駅前に行く。そこでトラブル発生。
ふだんは各陣営が街頭活動をしている予定の場所が東急電鉄の私有地ということで、駅員が出てきて排除されてしまう。仕方がないので駅周辺の公道で街頭演説をしようと思ったところ、今度は地元の有力者に見せた商店主がやってきて、「選挙違反だ」と大きな声で苦情をいただく。政治団体の広報活動だから選挙違反ではないと説明したが、自分たちの商店街の推薦している自民党候補以外がやるのが不満らしくて「とにかく邪魔なんだ」と、いつまでたってもこちらの言い分を理解しようとしない。仕方がないので「ご迷惑おかけしたので撤収します」と謝罪して退散しようとする。普通の苦情は、ここで「あまりうるさくやるんじゃねえぞ」などと言われて、はい、と返して、いろいろ活動の反省点を考えながら撤収できる。
しかし今日の苦情は強かった。片づけようとすれば証拠隠滅だのなんだのと大声をあげる。最後には110番で警察を呼ばれたが、違反はないので警察にとりなしてもらって事なきを得た。その間1時間超。
それでも法律でひっかけられなかったことが面白くなくて、へりくつのオンパレード。法律上はこちから正しいがしかしなにぶんこちらもお騒がせしている弱みがある。ふだんは市民に対して宣伝活動をやっている場が、市民に対してもめている姿を延々見せてしまっている情けなさもある。理屈で勝っても、さらに悪評振りまかれたり、仲間たちからの半ば妨害のような監視をつけられたりして、身動き取れずに落選してしまっては元も子もない。この方が我々を攻撃してすっきりしてくれるのを待つしかない。正直、選挙では鬼門であるはずの警察が入ってくれて助かったと思う。
その人のいう理屈で、これは旧住民の傲慢としか言えないようなくだりがあった。
男「ふだんから活動をやっていないから街頭でワァワァやらなきゃならないんだろう!」
私たち「ベッドタウン住民には駅でしか伝えられない人がいるんですよね」
男「ベッドタウンだと!ここは寝に帰るだけの街じゃない!」
私たち「ベッドタウンというのは他のところで働いて、職場がここにない人たちのことを言ったのですが」
男「寝に帰るだけの街というなら、なんでその住民相手に拡声器で騒ぐんだ!オレんとこは30代ここにいるんだ。ヨソ者ががたがた政治なんかやるんじゃない」
と断片的には正論だけど、妨害するための手八丁口八丁の域を出ない。
ふだんの活動って何だろうか。街頭で政策を訴えることが日常の政治活動でなければ、どうやって有権者に政策を伝えていくことができるのだろうか。政治家の活動とは、業界団体だの町内会だのの会合に出て、お酌してご機嫌取りすることだろうか。そういうのが古い団体にどっぷり浸かった旧住民の体質なんだろう。
ヨソ者とは、旧住民の驕りとしか言えない。この地域の人口爆発のよって生まれた新住民が落とした生活費でこの人も仕事が成り立っているようなのに、である。先祖30代に至っては噴飯。それいつの話ですか。
世の中の多くの人はうるさい政治活動を迷惑に思いながら、世の中に必要なことだと理解したり、政治家に因縁つけるのは嫌だなと思いながらやりすごしていただいている。そんななかビラを取ってもらったり、笑顔をかけてもらったりするだけでほんとうにありがたい。選挙を手伝っていると、人間の細かな暖かさに敏感になる。それがいいことだ。
しかし、世の中にはごくまれに政治家がみんなに頭を下げなくてはならない立場の弱い人だということをよく知っている人がいて、政策論争とはまったく次元が違うところで力加減もせずにモラルハラスメントをやってくれる人がいる。で、こういう人は自民党や公明党など、その人にとって「怖い」と思っている政党に対しては絶対やらない。
そうした人たちの正論によって、政治家はどんどん厚顔無恥になりあるいは厚顔無恥な人しかつとまらなくなる。苦情を言われても、ただ頭を下げて、そのときだけ心から反省し、世の中こんなことあるさと思いながら、また笑顔を作らなければならない。それはとってもストレスの溜まることだと思う。
したがって政治家は有権者を信頼できなくなっていく。変なニオいのする人には近づかないようになる。だから知的障害者の問題とか、外国人の問題には、差別以前の感覚として、クレーマー住民と一括して「アブナイ人」として近づかないようにしている政治家が多い。モラルハラスメントの地雷を避けるのは危うきに近づかずということだからだ。そのことで政治が拾い上げられるはずの問題が放置されていることも多い。最近、復古系議員が使う「一部の市民」「特殊市民」という言い方もこの感覚から来ている。
政治家がモラルハラスメントに耐えながら、有権者にきちんと政策を伝え、有権者を信じていくということは、正気を保っているのにとても苦労する。
そうした分断した関係のなかから、政治家は有権者をバカにしながら口利き便宜で強い立場で関われる有権者とだけ関わるようになるし、そのはけ口として、社会的弱者のモラル違反を見つけると議会や議会外の活動でよってたかってここぞとばかりに攻撃する言葉を吐くようになるのではないかと感じている。
政治不信は、主に政党や政治家に責任があると思うが、政治にものいう有権者の側の関わり方の質も問われているんじゃないかと感じた一日であった。
場所を変えて街頭演説をしたら、今度は街の人たちが暖かい。自転車二人乗りしているヤンキーねえちゃんが「がんばれよ」と通り過ぎていく。選挙のときにはヤンキーねえちゃんというのは、ほんとうに善人たちなんだとわかる。投票をしてくれないかも知れないけど、笑顔でからかってくれるだけでも、その前に疲れきってしまった私たちにとって、とってもほっとするひとときであった。
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