2/6 健全って使わない方がいいよ
柳沢厚生労働相また失言。文脈は失言じゃないと思うが、結婚して子どもを2人持つことを「健全」としたことが良くなかったと思う。
「健全」という言葉は、行政や政治関係者に無意識で使われているが、人間の特定の生活スタイルや価値観を健全とするなら、そうでないものは不健全となるわけで、それが問題とならないわけがない。
健全というと、地域社会での子育て施策が語られるときに、よく使われる。とくに中学生、高校生に対する施策など、「健全育成」のワンパターンである。中高生が非行に走ってほしいとは思わないが、健全性ばかりを強調して、学校に行っていなければ、マッチョな体育に明け暮れて、ジャージばっかり着ている青春というのもどうかと思っている(あれ、臭そうなんだよね)。健全性を追い求めるばかりに、地域社会に閉じこめて、東京にこんなに近い自治体なのに、都会の良さも知らないでおとなになることはどうかと思っている。
それから、健全に育つという言葉には、非行防止のほかに(であるなら非行防止と言えばいい)、乳幼児に対して使われる場合は、ネグレクトの防止という意味を超えて、障害児の早期選別と、専門教育という名のもとの隔離教育を意味してきた。あるいは体育のできない子どもの根性を鍛え直すというような意味も持つ。ほんとうは地域社会は、不健全な家庭の子でも、障害があっても、包まれて育つ環境が必要なのに。とくに子どもが少なくて人材不足の社会になるなら、家庭環境や障害は、本人の能力と別問題としていく必要があるだろう。
そういうことの問題性を市の次世代計画の委員会で指摘したが、全く何を言っているのか理解できないようだった。
健全という言葉は、自分たちは健全と思っている人たちはにとてつもなく感覚を鈍感に麻痺させて、一方で、不健全とした人たちに過剰な警戒心を抱かせた上に、草の根ファッショみたいなことを始めさせる危険がある言葉だと思う。健全という言葉には、そうした人と人とを結びつける力に、偏見による分断を持ち込む危険な言葉だと思う。だから私は、柳沢氏に対して、とてつもなく鈍感な人間だという印象ができてしまった。
柳沢厚生労働相の発言を善意で受け取れば、産みたい子どもの数と、雇用環境や保育環境の限界で、育てられると考えている子どもの数のギャップを埋めたいということだと思うけど、それならそういう風に、価値観の入らない表現をすべきだったのではないだろうか。
安倍政権は、美しい国、正しい家族、そうした価値観を支配イデオロギーに取り込もうとしている臭いがプンプンしている。そのことに警戒心を持っている人たちには、一連の柳沢氏の発言は、ちょうどいい具合に刺激となる発言になってしまったと思う。
柳沢氏の70歳ぐらいの世代は、幼少期を軍国少年として育ち、戦後の民主主義の価値は何がなんだかわからないまま、違和感だけを抱え、大人になれば男が月給取りで女が主婦としてもっともうまくいっていった世代で、「健全」としている家庭以外の見本がわからないのかも知れない。そういう自分の世界の狭さをもっと認識しないとまずいと思う。
自民も、民主も、それから虹と緑のような旧革新系も今や保守との共闘に熱心だ。政治パワーゲームとしてそれはそれでいいけど、その結果として、こうした価値観を縛る言葉が氾濫しているように思えてならないし、「そうだよな、だけども、そこまで言うとやばいだろ」というような、価値観を縛る言語の危険性をふまえた使い方を国民の側もできなくなっていている。
●谷崎潤一郎「痴人の愛」を読む。面白かったが、主人公のダメさ加減にいらだってきた。
●伊藤真「日本国憲法の論点」を読む。文章が平易で良書だった。憲法の存在意義そのものについて理解できる。
人権・権利というとせせら笑われて、何か強い者がモラルを押しつけることを迎え入れる社会風土の中で、権力が暴走しがちな状況が続いている。ターゲット選定が恣意的な検察特捜の捜査、政治家のマスコミ介入とその裏返しとしての過剰な北朝鮮報道、個人情報保護・国民保護といった保護の名のもとによる騙しなど。日本国憲法を学び直すよい機会でもある。改憲論者のちゃらんぽらんで情緒的な課題設定や、護憲論者の半分ぐらいの賛同署名集め道楽のための議論に、抵抗力を付けるためにも。
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コメント
黒川さん、こんばんは。
私は残念ながら、結婚して子供を2人以上持ちたいと願ってはいません。いや、そのような願望を健全に持てるだけの経済的リソースが今後にわたっても望めないので、健全な願望とやらも対岸の火事でしかないという後ろ向きの理由なのですが。もうひとつ大事なことは、柳沢大臣の愚かしさはこの国立社会保障・人口問題研究所の調査でこのように回答した若い人がその後その希望をどれだけかなえられたのか、何がそれを阻害してきたのか(それは当然、若い人の採用抑制で高齢者を厚遇してきたことに尽きるのですが)の検証と是正策を何も提案しないままで「健全」を発言してしまったことです。高所得者の論客はこの発言は問題ではない、揚げ足を取る野党の頭がおかしいなどとしたり顔で語っていますが、この無神経さは怒りを買って当然であると思います。
投稿: Lenazo | 2007.02.07 21:31