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2007.02.28

2/27 時代の評価

政治判断は、やはり時代の評価にさらされると思う。政治と関わっているとどうしてもイヤな潮流というのがあったりする。そんなときには、こんな無理はそうそう長くは続けられないだろうと思う。すると5年ぐらいして、そういう無理がたたった結果になったりする。

教育水準が低下していることにつけこんで、愛国心教育を押しつけようという安倍晋三一派のもくろみでスタートした教育再生会議。非公開の議論で、文化人たちの思いつきのような議論を重ね、論理もくそもないような乱暴な答申をまとめた。
それがここにきて、地方分権への逆行をめぐって規制改革会議と地方6団体から激しく批判されていて興味深い。自分たちのことは自分たちで決める、という時代の流れに逆行するような改革は早晩、見直しが迫られると思う。

●井上治代「子の世話にならずに死にたい」を読む。親の介護と葬祭権は遺産相続と密接不可分な可能性にあったのに、戦後、遺産相続が均分相続になったにもかかわらず、親の介護を特定の親族に押しつけてきた歴史が老後や死を窮地においやっているという著者の考えには大いにうなづくことが多い。
与野党問わず、政治家や高級官僚、それから困ったことに裁判官の多くには、とても保守的な家族観をお持ちの方が多い。そういう人たちが推進する社会保障制度の改革にあたって、家族責任が強調される。しかし、遺産相続の民主化にともなって、福祉の必要のある人を親族が介護を行う必要性がなくなってしまったのに、いまだに親子関係をあてにした福祉制度、介護や死の看取り、そして死の始末を前提としていることが、親子や家族の混乱につながっている、と説く著者の分析は的確だと思う。

●フィリピン人と日本人の間に生まれ、ほとんど日本人として育った子どもに、日本人の父親の出生前認知がなかったからと、日本国籍を与えない戸籍法に、人権の観点からも違法性がないという高裁判決が出る。日本男児の子として生まれ、日本語を話し、日本を愛して永住を希望している子どもに国籍を与えない無責任な国のどこが「美しい国」だろうか。笑ってしまう。なんだか裁判がおかしいと感じる。

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