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2007.01.09

1/8 タマちゃんは朝霞市の行方不明者ですか?

あざらしのタマちゃんってその後どうなったのか?と時折、話題になる。行方不明ですね。

●佐藤優「獄中記」を読み進む。子どもと遊んだり一緒に寝てしまって読み進まない。反省ばかり。
高校、大学と共産党系の人たちと「神学」的論争をやりうんざりしたので、その後はできるだけプラグマティズムに物事を考えているし、そのことが日本の左翼陣営では希少価値を持つのでそうしてきたが、佐藤優のようにほんとうに神学をやって、物事を考える本質についてたえず考えている人の書いたものを読むと、プラグマティズムばっかりじゃいけないと、いろいろ考えることが多い。

「国策捜査」で逮捕されたから、世論誘導をいろいろ考えることになるのだと思う。獄中記の中の「弁護団への手紙」にこのようなことが書いてある。

一〇年以上前の「矢鴨」事件の時に強く感じたのですが、自然動物をめぐる事件は、人間の思考のいいかげんさを反省するよい機会だと思うのです。(中略)「矢鴨」にせよ、「タマちゃん」にせよ、サダム・フセインにせよ、鈴木宗男代議士にせよ、人間はそれらの記号の中にその時点の社会がもっている「想い入れ」を含めて「物語」を作っているのだと思います。
イラク戦争や鈴木「疑惑」は、ある意味で非常にシリアスに受け止められているので、「あなたが考えるている鈴木像は十体からかけ離れた虚像ですよ」と言っても、誰も耳を傾けません。しかし「タマちゃん」ならば、「想い入れ」について比較的簡単に反省できると思うのです。
○タマちゃんと同じアゴヒゲアザラシが、なぜオホーツク沿岸の北海道では害獣として駆除されているのか?(あざらし、トド、ラッコ等は住民にとって害獣である。例えばラッコ一匹で一年に市価三〇〇〇万円近くのウニ、ホタテを食べる。)
○なぜタマちゃんは住民登録できるのに、中国人の不法滞在者は社会に別に迷惑をかけるわけでもないのに住民登録できないのか?
○なぜタマちゃんは自由に生活゛てきるのに、帷子側周辺のノラ猫たちは駆除されるのか?少なくとも具体的に人間に危害を加えていない仔猫たちがなぜ毎日駆除されなくてはならないのか。
○タマちゃんの出現による経済効果はどれくらいあったか?
これら1つ1つの問いについて真剣に考察すれば、「タマちゃん」に対する一種のフェチシズム(物神崇拝)がたいへんな危険を孕んでいることに気づくと思います。(p274~275)

2つめの「○」については、中国人不法滞在者はその他の不法滞在者が迷惑かけているかいないかについて議論があるかと思うが、多数派の不法滞在者はやはり佐藤氏の指摘のとおり、生活習慣を除けば迷惑かけるどころか日本社会の面倒なところを一番背負ってくれるし、消費税も払ってくれている。しかしどこの行政も入管の弾圧を期待するようにお荷物扱い。タマちゃんは、荒川を遡上して、河川本流上に係留されているプレジャーボート(今は撤去されているようです。これ違法係留だったんじゃなかったのかな。誰も船主について報じなかったような・・・)が気に入って居着いた私の住む朝霞市。市は喜び勇んで住民登録してした(新座市が「アトム」を住民登録したことに対抗したのでしょう。福祉サービスのいいところは隣市のアラを言い立てて無視して真似しないのに変なところだけ張り合うものです)。今は行方不明のようだが、失踪した市民について市役所は何かしなくていいのか、考えてしまう(本当の話と冗談はほどほどにして)。

パナウェーブという新興宗教がタマちゃんを救うということで捕獲しようとしていた事件が大々的に報道される中で有事法制がほとんど報道されず、一部の左翼の人たちが反対するだけという中で国会通過した。そのことを、佐藤氏が取り上げ、世論が流されやすくなっていることを問題視した一連の記述の1つとして書かれている。
参考に、05年の郵政解散の選挙で自民党圧勝に導き、その存在が明らかにされたPR会社「フラップジャパン」の社長が書いた「好かれる方法」(新潮新書)では、このタマちゃん報道のキャンペーンに関わった(国土交通省河川局の発注事業)ことが何の隠し立てもなく書かれていることへの目配りも必要だ。河川局発注なので有事法制との関係性は証明できず、川を愛してほしいというのがキャンペーンの趣旨だと思うが、タマちゃん報道というのが人々の自然発生的なブームではなく、マスコミのカメラがそこに行くように仕向けられた人為的な感情づくりだったということを認識すべきなのだろう。
佐藤氏はしばしば「マスコミスクラム」という言葉を使うが、そういうタイプの報道が発生したときには、こうした人為的な感情づくりが行われていないか、冷静に自分を振り返ることが大切なのだろう。
情報コントロールがある程度できる体制側というのは常にこうしたことに手を出せるという危機感も持つ必要がある。吉本隆明さんの「反核異論」では、1982年頃に流行した西側諸国の反核運動について、「連帯」によるポーランド民主化から良心的左翼の眼を逸らすソ連や東独の政治工作だったんじゃないか、少なくとも結果的にはそうした役回りを負っている、と左翼の反核運動を批判している。この批判の妥当性はともかく、自分が正義か人道的な感情に燃えてるときには、何かに眼を逸らされているんじゃないか、という危機感はある程度持っておいた方がいいということなのだろう。

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コメント

ガケから降りられなくなった犬は必死に助けるのに、イラクへ行った青年に対して自己責任と言って何もしようとせず【私は、苦境に陥った日本人に対し、どんな日本人(たとえ、政府に批判的な人でも)でも助けようと努力をするような国が本当の民主国家のような気がするのです。】見殺しにして、政府も世論も平気だった国、日本。
何かおかしいと思わずにいられません。

投稿: パパゲーノ | 2007.01.09 07:37

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