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2007.01.03

1/3 子どもや子育てに至上の価値があるのか

政府が少子化対策を見直すという。少人口社会に備えるという。その視点はいい。しかしなのだ。
少子化対策の出自は少しうさんくさくて、もともとは森喜朗あたりの保守政治家が「女が子どもを産まなくなった」と嘆いて産めよ殖やせよ政策を始めようというところから話が始まり、それを厚生労働省の官僚たちが何とかイデオロギー的色彩を薄めて、代わりに本来は少子化対策とは別にニーズのあった保育所充実策とか、子育て家庭への経済支援などに力点をおきかえて、イデオロギーを超えた国民合意として取り組まれてきた。結局、産めよ殖やせよ女は家庭から出るな、と言っている保守政治家たちはそれでは面白くなくて、少子化対策をばっさり切り捨て、再び、巧妙に保守イデオロギーの差別的な家族政策を持ち込もうとしている。

そこには、保育所拡大政策をやめ、家族や地域の結びつきを強めるという言葉で、イレギュラーな家族や、町内会に頼らない地域を、排除したり冷遇したりする政策が進められる危険性が出てきた。またもや「ふざけるな専業主婦」みたいな議論を一からやり直して、落としどころをさぐるようなことをしなければならなくなる。

事実、山谷えり子首相補佐官が、母親は労働をすべきではない、ということを産経新聞の新年インタビューで話している(山谷さん自身はどうなのですか、と聞きたいけれども。実際、山谷氏のようにキャリアで働くとなれば、母親としての責任なんて保育所預けっぱなしにしてもたえられないわけです。本人が自分でそれをやってきたのか疑わしい思いです)。

ここ2年地域福祉計画づくりに携わってきた。それ自体に意義は高くある。でも、今回の政府の見直し案のように、なんとなく政府の都合のよいように住民を動員して、政府の都合のよいように「あるべき家庭の姿」「あるべき地域の姿」などを町内会や地域のNPOがマイノリティーを差別することで語り合い不本意な人まで監視しあうような姿にはしてはならないと、ほんとうに思う。実際に、最近、地域社会で大流行している防犯活動では地域の「へんな人」探しを必死にやって、知的障害者をはじめ、ちょっとでも変わった危険でもない人をマークしてしまったりする。そんなことでいいとは思えない。

もっとも、保育所が必要だと言い続けてきた側も、安易に少子化対策に話を結びつけてやってきたことの反省は必要だと思う。人が自立して生きていくために、そして人材を社会参加のチャンスから脱落させてはならないという社会のリスク管理の一環として保育所政策があるべきだが、子どもを殖やすために位置づけたことの弊害はこういうところで出てくる。

あと、安倍晋三みたいな考え方をしている男は、そんなに家族が大切なら、仕事を辞めたり休んで子育てをやってみろ、と言いたいものだ。能力とは関係のない先天的なものでしかない性別を前提に、子育ての全知全能的な責任を押しつけて、好きなこと言っているな、と思う。

●となりの市で24歳の母子家庭の母親がスノボに出かけて、残った子どもが火事にあい、焼死する事件があった。
この母親がどんな人物だったかは伝わってこないが、おそらく社会は「母親が何をやっているんだ」という論調だろう(そういう俗論が2ちゃんねるあたりに山と書き込まれていそうだ)。私も一部それは認める。チャップリンの「キッド」を見て涙してからは、他人の子にでさえも守ってやらなきゃ、という気持ちが大事だという感じがしているからだ。
しかし、じゃ、同世代が、それこそ森喜朗的な言い方をすれば「子どもも産まずに」連日遊び歩いている中で、子どもを抱え、どういう因縁なのか母子家庭としてやってきて、社会に排除されている気持ちは、たとえしょっちゅう子どもを置き去りにしてスノボに行っていたとしても、とても強かったのではないかと思うと、そんな安倍晋三や山谷えり子のような責任論だけで片づけられる問題じゃないと思う。
こうした親を受け入れて、たまには遊んでおいでと預かってくれるのは、今の日本社会では理解のある親しかいない。理解のない親は最悪だ(だから安易に三世代同居なんて言えない)。保育関係者や地域の子育てネットに相談しても、よほど良心的な人に出会わない限り子どもの価値をやまほど言われて「遊んでいるヒマがあったら子どもと」とやさしいけれども執拗に言われるのが関のヤマである。じゃあどうしてそんなに子どもや子育ての価値があるなら、同世代は妊娠することを危険視して子育てリスクを回避して、遊び歩いたり仕事に邁進しているのか、ということに何の回答も与えていない。
したがって保守的な家族イデオロギーを押しつければ押しつけるほど、子どもや子育ての厳しい現実がある以上、子どもや子育てが社会から忌避されることになるのだ。

「少人口」前提に国家像 政府、少子化対策を全面見直し1月3日8時0分配信 産経新聞

 政府は2日、人口激減による少人口社会の到来は避けられないものとみて、検討会議を設置して各種政策の見直しに入る方針を固めた。昨年末に公表された将来人口推計で出生率予測が下方修正され、人口減少に歯止めがかからないとの見通しが出たことに基づく判断。人口減少を抑えることに力点を置いた現在の少子化対策だけでなく、少人口社会の到来を前提に、経済政策や社会保障などの各分野の施策を検討し、「少人口国家」としての日本の国家像を再設計する。

 政府が人口減少後の社会の具体的検討に入るのは、昨年12月に厚生労働省が公表した将来人口推計で合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む子供の平均数の推計値)が大きく下方修正され、50年後には、日本の人口が8993万人に減るとの予測が示されたため。

 政府は、「少人口社会になれば、働き手不足によって日本経済に大きな影響が出る」(厚生労働省幹部)と想定。また、税制や社会保障制度の見直しも避けられないとみている。さらに、「日本の社会構造そのものが根本的に変化し、地方自治や教育制度のほか、エネルギーや食糧政策などについても、新たな視点から再構築しなければならなくなる」(政府筋)ことが予想されるという。

 新たに設置する有識者会議は、官房長官や厚生労働相、少子化担当相などの関係閣僚のほか経済界や労働団体の代表者、学者などで構成する予定。人口が今後急激に減った後にどのような社会が到来するのかについて、課題や問題点を探った上で、少人口国家としての基本政策の方向性も練る。

 また、人口の急激な減少に伴う激変を緩和し、少人口社会へと軟着陸させる方策も探る。たとえば、労働力人口(15歳以上の就業者と求職者の合計)を確保するため、30歳代前半の女性や定年退職後の高齢者の雇用環境整備も検討課題とする予定だ。

 一方、政府は現在の少子化対策の実施計画「子ども・子育て応援プラン」を全面的に見直す。これまでの少子化対策では、保育サービスの充実や児童手当の拡充、企業助成といった経済支援策が中心だった。しかし、今後は、こうした経済支援策をさらに充実させるだけでなく、「子育ては社会全体で取り組むべき課題」と位置付け、家族のきずなや地域社会の結びつきを強めるための仕組み作りも検討。妊婦や小さな子供を抱える家庭への総合的な支援策の充実に重点を置く。(最終更新:1月3日8時0分)

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