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●柳沢厚生労働相の問題発言の波紋が興味深い。
右派で古い家族観を政策の売り物にしてきた高市早苗氏が反発していたりする。女性の人権=左派、男女の性別役割分業=右派みたいな固定観念があるけれども、95年ぐらいから、そういう固定的図式は崩壊していると思う。
すごい護憲主義者でフェミニズム的なことをいう女の人が、労働観や国家観、経済思想ではとっても競争選抜主義で右よりだったり、労働観や国家観、経済思想では社会主義的なのに、男女の役割分担についてはものすごく固定的に捉えている女の人も多くなったと感じる。
あるいは、保育なんか関わっているとよくわかるけど、左翼政党を熱心に支持して福祉運動をかんばっているような人が「お母さんの愛情」という極めて保守的な言葉を使って、人間の能力を母親の役割という言葉で封じ込めたり、商業主義丸出しの保育事業者が、性的役割分業の考え方から比較的自由で、育児を社会化している保護者に寄り添うようなことしていたり(ただし保育士の労働条件確保に関しては違うが)、ぐちゃぐちゃな状況である。
左翼側が男女観、家庭観、子育て観についてずいぶん流動化したのに対して、右翼側は相変わらずで、女系天皇といえば反対、男女平等といえば反対、夫婦別姓といえば反対、何でも反対の化石状態である。図らずも高市氏がそうでもないということを露呈しているのだ。
話を戻して、柳沢氏の発言に関して言えば、「少子化対策」という問題設定が歪んでいて、「少子化」を克服すればこの国が豊かになるという固定観念が古いのではないかと思う。ニート問題や、学力低下が問題になる状況などをとらえると、若者が増えたって満足に職業を用意できない社会になってきているし、誠実に働くことだけが売りの労働力が働くことのできる現場は、おおむね低賃金職場しか用意できなくなっているのだから、もはや若者が増えれば社会が豊かになるという固定観念がそもそも間違っていると思う。
●田中哲二「キルギス大統領顧問日記」(中公新書)を読む。ソ連中央銀行の支店から切り離されたキルギス中央銀行の顧問として日銀から派遣された人物が、その見識を認められ、大統領顧問になって活躍する話。
IMFの新古典派経済学に全面依拠した金融改革が、混乱から立ち上がったばかりの国には劇薬すぎるというような指摘をしている。経済混乱と金融自由化で、成金の設立したポケットバンクが乱立し、インフレ気味になるため、緊縮財政によるインフレ抑制策を行うため、経済が一次的に崩壊状況に陥るという。また経済効率の低い農業などへの投資や、ポケットバンクの整理・統合が行われるまで大規模な投資に見合う金融システムが確立できないことも問題だと指摘している。
その反対の見本が終戦直後の日本で、官製金融や長期信用銀行(興銀、長銀、日債銀)の創設と、貯蓄増強運動を通して、終戦直後の混乱に金融機関の混乱で経済が振り回されることもなく、農業の復興や大規模な設備投資を行えたというし、キルギスもそれが適用し、官製金融と長期信用銀行の複合型の金融機関を作りたかったようだが、IMFの介入と資金不足でできなかったと残念がっている。もっとも著者は官製金融が今の日本にとって無用になってきていることの指摘も忘れてはいない。
新古典派経済学が通用しないこともある、ということを知るための良書だと思う。
●昨秋知り合ったばかりの経済誌の記者が退職される。若年者の雇用問題を、最も触れたがらない読者がいる経済誌で書き続けた記者で、心底尊敬していた。少し残念だけども、きっと次に活躍する場が見つかったのだと思う。その新しい活躍を期待している。
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コメント
> 柳沢厚生労働相の問題発言
テレビを見ていると、メディアも議員たちも、‘機械’‘装置’というコトバの問題とだけ捉えている、ないし、コトバの次元だけに矮小化することに腐心している感があります。柳沢氏の件んの発言の中で、もし‘機械’‘装置’ということばを使わず、「生む役割を担える方の人数は…」云々とやっていたらよかったのか、というと、ヤッパリおかしい。“生める人の数は決まっているから、その人たちにガンバってもらわないと”というのは、そのまま取れば、「国は少子化対策をしませんよ」と明言しているようなものでしょう。問題が単語の次元に矮小化され切ってしまった観がありますが、日本の男性の大半の潜在意識にかかわっているような気が…。
相応しからぬリファーかもしれませんが、北村邦夫『幸せのSEX』(小学館)という本(書くのが恥かしいなー^^ゞ、しかし典拠なので…)には、日本人カップルの年間性交渉回数が、フランスなどに比して圧倒的に少ない一方で、日本人男性の避妊に対する意識が極めて低いことを指摘していました。男性が、避妊という局面でパートナーに対してデリカシーを欠くことが、性交渉減少→少子化の一因、というわけです(あくまで乱暴なまとめです)。‘性’と‘生殖’が、男の都合(+企業の都合)中心で扱われすぎてきた弊が少子化現象に現われているのに、柳沢氏の発言は、男性が全然気づいていないということを改めて印象づけてくれたように感じます。もちろん、「「少子化対策」という問題設定が歪んでい」る、という視点も重要ですね。
投稿: へうたむ | 2007.02.01 03:51
>>へうたむ様
確かに柳沢さんの言葉尻に反応が過剰なような気がします。15年ぐらい前だったら日常的に使われた言い方ですし、地方議員なんか飲めばこういう語り口の人がいます。
でも、やっぱりよくない感覚です。しかも厚生労働省という出産、育児、男女平等など人権に関わる具体的施策を担当するところの大臣としては、辞めてもらうべきだと思います。
しかし、政治ゲームというのはこういう側面があります。議員内閣制をとる国では、選挙と選挙の間はおおむね与党ベースで議論が進みます。野党は次の選挙をめがけて、上手に与党の議論に賛意を示すか、世論に訴えるように反対するか、が基本的な行動原理とならざるを得ません。
また、柳沢さんは目立ちませんが、これまでこの類の問題発言を繰り返してきており、とうとう責任を取らされたという側面もあります。
少子化対策という課題設定がどうもおかしいと思うのです。子どもを増やしたいだけの自民党政治家を説得しながら保守系政治家の嫌う保育所増設などを実現していくために、子どもを大切に育てるための政策展開ということと、子どもを増やすことが混同して展開されてきたきらいがあります。もちろん両方に重複する部分も多いのですが。
こうした保守派の子ども家庭観というのは、最終的には、産めよ殖やせよと言わないと国が維持できないと思っている、植民政策時代に育った方なのだと思う限りです。
投稿: 管理人 | 2007.02.01 07:24