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2007.01.28

1/28 実はエリートに愛国心がないんじゃないか

NHKスペシャル「インドの衝撃」で理系エリートを養成しているインドがレポートされていた。

国のため村のために一所懸命勉強する若者がいる、という伝え方を見て、愛国心や愛郷心に必要性を感じている教育再生会議の改革論は、発展途上国の教育政策への巻き戻しなんだとわかった。
インドのように高い教育を得られる若者が限られている国(大学進学率で7%、11~14歳で教育を受けている子が61%)では、自然と高学歴の若者は国や地域を背負う立場にならざるを得ない。1960年ぐらいまでの日本の大卒もそんな役割を負っていたのだろう。

エリートでないその他のおおぜいの人は目先の生活だけを追いかけていればよいし、それしか余裕がない。
では日本はどうかというと、やはり、国や地域を背負って立つ若者なんて、はっきりいえば社会に一部いれば済んでしまうのが、現実のこの社会だ。キャリア官僚はそうだし、プラント輸出している商社マンなんかもそうかも知れない。民間人といってもプロジェクトXに出てきたのが大企業の開発者か営業だけだったように、やはり一部の人たちなのだ。
残りの人は持ち場持ち場の大切なところで一所懸命仕事し、生活するので手一杯なのだ。それでも戦後の日本は、職場や労働組合、業界団体、町内会、ボランティア活動、趣味の活動などそれぞれの持ち場で、個々人の社会的役割を位置づける機能が働いていて、そこで高い職業的モラルが維持されてきたのではないか。

そういうモラルの危機を、愛国心や愛郷心の問題に一元的に絞っていることに違和感をもっているが、今日のインドのレポートを見て、そのずれがわかったように思う。

日本のモラルの危機が愛国心の危機として語られるのは、普通の人に愛国心がないことではなくて、トップエリートに国や地域の未来を背負っている自覚がないことなんだ、ということなのか。実際、今の日本のエリートは、大半が専業主婦と学校社会に囲まれながら育ち、家族や地域のしがらみはほとんどなく、自分のしがらみを断ち切る救済思想として国を持ち出す必要もなく、エリートコースに乗っかったまま、ただ観念的な使命感だけでエリートになっていくように思う。政治家や憂国の教育評論家たちが日常的に接するエリートたちに、強烈な国や地域に対する使命感が感じられないということなのか。
一般人に愛国心が無くて、何が困るのか、私にはいまいちわからない。実際、日露戦争までの日本社会はそういう状態だったようだし、それでうまくいっていた。愛国心を持ち出した日露戦争以後に社会はおかしくなっている。
トップエリートが普通の人と同じように持ち場のことしか考えなくなっていて、その責任を普通の人を巻き込んで処理しようとしているのが、愛国心や愛郷心を強調する教育改革論者なのだろう。

私のように、DQN人口の高い地域に住んでいると、国を背負ってもない人にとって、愛国心とモラルが関連しないことがよくわかる。日の丸を愛車に貼り付けているエリートでもない人のその愛車が、マフラーを外していたりすることはよく見る光景である。国や地域を言葉の上で愛していても、地域の人たちに迷惑がかかるということが何なのかということを理解できていない。そういうのをイデオロギー過剰という。
今の教育改革で国民のべたんに愛国心や愛郷心を強調しても、国民がみんなイデオロギー過剰な状態におかれるだけだ。煽られた愛国心にふさわしい役割が与えられない人にとっては、良くて(ゲームボーイを買い与えるお金があるのに)給食費も払わないような連中の間に日の丸シールが氾濫し、2ちゃんねるみたいなところで左翼バッシングが今以上に行われることで、最悪なのは、巷の人々が国に仕える自分さがしを始めて、結果として草の根民族主義の勃興、つまりファッショ的日常がわきおこるということである。

そういう意味で、お侍さんに国を背負って貰って殺し合いを押しつけ、その他の人には愛国心や愛郷心の残酷さから解放する封建主義というのは、一つの知恵なのかと思うときがある。

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コメント

技術者の立場から言わせてもらえば、国を背負うほどの人が滅多にいないのも事実だけど、背負ってる人でさえも扱いは完全に下っ端の使い捨てですよ?
むしろそういう背負ってる人で、かつその自覚がある人なら、この国を捨てることを考えるでしょう。愛国心など育つはずもない。

投稿: とおりすがり | 2007.01.29 07:11

明治時代の講談師が、「最近は愛国、愛国と天下国家のことを女郎との色恋みたいに言い立てる破廉恥な輩が多くてけしからん。国は愛するものではなくて報いるものじゃないか」と憤慨していたのを読んだことがあります。言葉の定義も出来ない「国を愛する」なんかより、国の「恩」に対して「報いる」という方がよほど具体的だし、計量可能だし、ゆえに条件闘争もしやすいように思いますね。美とか愛とか、そんな主観的あやふやなもので公を語ってはいけません。

投稿: ajita | 2007.01.29 12:08

愛国心とは、比喩的に言うと、日本相撲協会に属する相撲取りになる者は、日本相撲協会という存在を、必ず認め、これを必ず守り立てていく義務を負っているようなもの、に喩えることができます。
 もちろん、日本相撲協会内の規則、ルールを尊重し守ることも義務です。
 これは、日本相撲協会の力士になった者の名誉でもあり、誇りでもあり、権利でもあることです。

 日本相撲協会の力士になりながら、日本相撲協会を認めず、その中に、外国人力士が自分の国独自の相撲のルールを持ち込んで日本相撲協会を乗っ取ろうとする者があれば、断乎排除しなければなりません。
 これは外国人差別でも文化の多様性を認めてそれと共存を図ることを否定することでもありません。
 日本相撲協会の力士としての自覚と規則を守る限り、それが柔道でもレスリングでもモンゴル相撲の取り口でも認められています。

 日本相撲協会を、日本国と置き換えて理解しても、この理屈は同じです。

 日本で愛国心に反対する人たちは、在日朝鮮人で日本国を乗っ取ろうとしている人たちのようだ、とここ一年くらい前から推測するようになりました。

 http://blog.goo.ne.jp/i-will-get-you/
 いわゆる神の存在証明がもたらす意味について
      一般法則論者

投稿: 一般法則論者 | 2007.01.31 18:40

>>とおりすがり様
そう、愛国心というのはなかなか報われないものなのです。だから愛国心を大切に思う人の多くが、愛国心を顕示したがります。これがとても迷惑だと思うのです。
>>ajita様
そうですね。計量不可能なもので権力を扱おうとする議論の態度は危険そのものです。
根性で核兵器を開発するような態度です。
>>一般法則論者様
相撲は本意・不本意の問題はあるにしても、職業選択の問題であり、契約として相撲協会とワンパッケージで相撲取りという仕事を選択しているわけですから、国とは話が違うと思います。我が国においては、法律的な考え方では相撲協会に属したり許可を取らなくては相撲を取れないわけではありません。場合によっては第二相撲協会を立ち上げることだって禁止されているわけではありません。
国はおおむね選択の自由はなく、また、権力という契約行為だけでは終わらない不合理な強制力があります。
また、相撲協会を愛する、愛さないということと、相撲協会の組織やルールを守る守らないということは別次元です。組織に所属することと組織を愛することは別次元です。これは国についても言えることです。そうでなければ、愛国心がありながら革命を目論む人たちのことが説明つかなくなるでしょう。どこの組織も、現体制派の腐敗堕落をいい咎めることはできません。
愛国心に反対する人が在日朝鮮人だというのは妄想でしょう。そう割り切ると楽なのかも知れませんが。
国は思うほどあなたのことなんか愛していません。法律によって守る義務を求められているだけです。

投稿: 管理人 | 2007.02.01 06:50

 国の中には国は作れないのです。
 これは、全てのシステムについて普遍的に言うことが出来ます。

 国に愛してもらおうとするから、変なことをするのです。
 国民が一つに共有している国家のために自分は何ができるのかが問題です。
 革命家も、愛国者で無いと困ります。
 私利私欲で独裁者になろうとするものは、健全な愛国心を欠いています。
 http://blog.goo.ne.jp/i-will-get-you/
  いわゆる神の存在証明がもたらす意味について
        一般法則論者

投稿: 一般法則論者 | 2007.02.04 00:57

理想的で熱烈な愛国者の政権が、あなたの信じる一般法則やら神やらを弾圧したときに、どのように理解されるのでしょうか。
という問いかけをすることでこの議論はうち切りたいと思います。

投稿: 管理人 | 2007.02.05 00:59

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