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2007.01.25

1/25 下品な議員になりたくない人のガイドブック

労働規制をどうするかという特集では、東洋経済の方が話題になったが、東洋経済はエキセントリックな主張を掲載しているだけ。背景事情などきちんと伝えているのは、「エコノミスト」の方だと思う。

自治研1月号「民主主義の原点 議会改革」がおもしろい。内容もタイミングもいい。この春議会を目指す人たちで下品になりたくない人にはぜひ読んだ方がいい。
最初の佐藤竺さんと小原隆治さんの対談では、市長が公選制であることに意味があるのか、地方議会にも比例代表制を入れてみたらどうか、専決処分の乱用状態への疑義などが提言されている。諸外国の地方議会制度と比較しているのもいい。基本的な理念のところからステロタイプな議会観、議員観をまっさらにできる論文だ。
広瀬克哉さんの「民主主義の舞台としての議会」は、行政に質問するばかりで、存在がいちゃもん屋の集まりみたいになっている議会の復権のためはに、討論の場としての議会の再生を考えるべきだと訴える。行政の市民参加に対抗して、さまざまな計画策定を議会がやり、そこで市民参加を進めていくということも、行政主導の「一部の市民」だけの市民参加に対抗するやり方にならないか、という提言は参考になる。
金井利之さんの「自治体議会改革の視点」での議員・議会についての社会的な存在感についての説明がなかなか笑える(文末に転写したので、時間があったらどうぞ)。“質の悪い労働組合”という言い方が正鵠を得ている。もちろんそうでない人もいっぱい知っているが、その人たちの同僚は右も左もやはりそんな感じで苦労している。そうした職業的慣習を克服するために制度理念を確立していくことの必要性を説く。
北大の神原勝さんの栗山町の自治基本条例の紹介は、なかなかいい。町議会の定着を進めてきた一つのまとめとして自治条例がある。栗山町議会が地域社会に存在感がある様子が伝わってくる。
香川県議の梶さん(社民党)が、耐震化推進条例を議員立法した経験から、議会の改革も試みた経験を書いている。過去に香川県議会の不公平な議会慣習によって議論が封じられた経験から、議会活動と住民との結合の必要性を訴えている。質問時間の運用も与党(自民党)に甘く、野党(民主、社民、共産)にはひどく厳しい香川県議会の実情と改革の必要性を書いている。余計なことだが、社民党もある程度の多数派を形成できる力のあるところはマンネリにならないんだなぁと思う。

議会改革というと定数削減と議員報酬削減ばかりが話題になって、ここには最近、革新系無所属議員まで尻馬に乗っかっている。昨日、幸手市では、定数を25から15に減らす住民請求が行革好きな退職住民から出て、違和感を持ちながらも、抵抗勢力扱いされるのをおそれる保守系4会派の議員の賛成で請求は通ってしまった。
自治体議会の今のような存在感では、そんな程度の改革を繰り返しても構わないけど、議会って何のためにあるのか、議員ってどんな役割があるのか、ということがきちんと定まらずに、議会自身が、野党会派への牽制としての定数と報酬の切り売りばかりやっていると、いつかは消費者迎合のディスカウントを続けてボロボロになったマクドナルドみたいになると思う。
議論の場、討論の場(質問の場ではない)として、議会を再生させ、市民合意をつくる場としての機能をどうやったら作られるのか、試されていると思う。議会が機能不全だから官製タウンミーティングが必要なんだとも思う。
議会と市民との関係については、機能不全の議員と先鋭的な市民が牽制しあう関係を克服しないと、これからの市民社会に議会は不要論ばかり大きくなっていくと思う。そこに“質の悪い労働組合”的な抵抗を試みても市民からますます浮き上がる一方だと思う。
何人かが指摘していたが、役所がつくる計画策定の市民委員会など、議会の下におくというのは、討論の府としての機能再生に有効じゃないかと思う。市民参加の時代に議会が取り残されないためにやってみる価値ありではないか。そこまでいかなくても、議会の各会派が市民シンクタンクを作ることは重要じゃないかと思う。

和光市議の松本さんのブログから。乳幼児医療費無料化を実施している自治体に出している県の補助を、不交付団体の分はカットする、と県知事が表明したことに怒っている。
私自身は、すべての人に対する乳幼児医療費無料化は、小児科医療をパンクさせる危険性があると思って、そもそもの制度には反対する。
しかし、県は埼玉高速鉄道の延伸、八ツ場(やんば)ダムの建設など、将来的にお荷物になる危険性のある事業を推進しておきながら、財政が不足しているからと、一番声を挙げにくい、ベッドタウンの子育て世代をねらい打ちにした補助金カットをやるのは、政治感覚として問題だし、この問題の延長には、政治的発言力がない人が利用している保育所や介護保険への財政カットが想定できる。
不交付団体である和光市も朝霞市も、民主党公認・推薦を名乗っている知事与党の「地方主権の会」の県議候補がいて、4月の選挙を控えている。彼らがこのことについてどう動くのか、有権者はきちんと動向を監視して、投票行動に結びつけるべきだ。

金井さんの論文で紹介した、「官僚、有識者、報道機関、世論、住民の自治体議会・議員を見る目」として「次のようなもの」として挙げたもの。
議員というのは基本的に仕事をしていない。議員が仕事をしているのは、議会が開催されている会期中だけであり、定例会は年間四回しかない。その割には、人数が多く、報酬は高く、しかも、議会が開催されていない月も含めて月給を貰っている。政務調査費の使途はいい加減である。そして、開催される議会で積極的に活動しているのならまだしも、議会の発言は沈滞しており、居眠りしていることも多く、発言したとしても主として執行部への質問・要望・陳情に終始し、議員同士の政策論議はない。議会は立法機関でもありながら、議員提案条例は極めて乏しい。
 議会がたまに「活躍」することはないわけではないが、そのようなときには、むしろ議会・議員の「愚かさ」や不見識さが目立つ。「議会軽視」にクレームをつけるようなつまらない「ためにする」ような論点で、首長を虐めるだけの「政局」的活動が中心である。あるいは、首長の進めようとしている進取の政策を妨害するだけの「抵抗勢力」になっている。たとえばダムなどの公共事業を死守し、警察情報公開に抵抗する。さらには、意に沿わない首長をすげかえようとして、「暗躍」することまである。
 議会・議員は、自分たちのみが住民の代表者であるとし、代表性を「専有」かつ「僭称」し、結果的には、一般住民のナマの声を聞かない。聞くのは、せいぜい後援会や支持者・支持団体の声だけである。さらに悪いことに、後援会や支持団体の声を聞くことで、一般住民の声を聞いたと錯覚している。従って、首長・行政組織では当たり前になっている住民参加や住民との協働には消極的である。さらに、住民投票には総じて敵対的である。一般の住民の感覚からはずれている。一種の特権「身分」であり、世襲も多く、女性、サラリーマンは少ない。しばしば、脂ぎって声は大きく、面と向かって会いたくないような人々である。
 感覚的にいって、議員・議会は、一般住民の利益に背を向け、自ら最小のコストで最大の福祉を得ようとする利権集団であり、大して働かず大きな対価を得ようとする、いわば、“質の悪い労働組合”である。

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