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2007.01.20

1/19 長い会議に充実感を見いだす感覚

●ホワイトカラーエグゼンプションの推進派の中に、残業代という制度が長時間でも働く意欲をある人から働いて自分が成長する自由を奪っているのは問題だ、という意見が目立つ。
実際に、私の職場も活動家的なみなし残業制度から実質残業制度に移行して、窮屈な思いをしたことがあるので、一瞬は、そうかもなと思わせるものがある。
しかし、ほんとうにそれでよいのだろうか。経済活動にしか時間を使わない人があまりにも多いおかげで、社会はいろいろなしわ寄せを受けている。目と鼻の先の経済活動では確かに仕事をばりばりやって成長していくことに大きな意味があると思うが、家庭責任、地域責任を負ってこなかったサラリーマンが、退職後地域や家庭で使い物にならない、とあちこちで言われるのの裏返しに、自立して生きていくためにはある程度、仕事以外のこともやっておく必要があるし、その時間も必要だと思う。
さらにはサラリーマン階層が、専業主婦や学生や自営業の人たちに比べて、社会負担の収奪の対象になっているのも、仕事にばかり時間を割かれて、割いて、社会や地域や家庭にものを言ってこなかったからではないか。
奉仕の精神で、長時間せっせと働いている本人は精神的な高揚感が得られるのかもしれないが、そういう納得の仕方は、会議が長ければ長いほどいい、という感覚ではないか。
その人が長時間働くことで、いろいろな人が巻き添えになる。その人の仕事をサポートする関連業者や下請け業者はブルーカラー的な存在だが、彼らもホワイトカラーが時間に気にせず働かれたら、帰宅後も気が抜けなくなる。
本人の生活を支える人たちも大変だ。コンビニエンスストアや深夜のバスや電車を増発しなくてはならない(個人的には歓迎だが)ことで、その社会コストはいったい誰が負担することになっているのだろうか。
働きたいから働かせるというのはいいけども、度が過ぎると、仕事が個人的趣味になってしまう。中央官庁では、政策を企画した官僚が死ぬまで政策変更ができない、と言われ、相当な腕力がない限り、事業計画が始まって40年も50年も経たないと事業見直しができなかったりする。個人のライフワークとして仕事を置く考え方もほどほどにしないと、その人の熱意のおかげで社会が大迷惑することもある、ということも考えておかなくてはならない。
ドイツや北欧は厳しい労働時間規制をくぐって、企業や社会の競争力がついてきた。教育改革で躾や美徳といった文化人の趣味談義にうつつをぬかしている日本と違って、国民の知的能力を高める努力も社会が払ってきた。
残念なことに日本は、すでに残業代踏み倒しはすでに違法なかたちで常態化していて、人材は延長料金なしだと思っている企業が多いから、能力開発や効率の追求はおろそかになる。残業代制度が機能していれば、2000年前後の激しいリストラは、若年者の労働強化だけに著しいしわ寄せが来ることも避けられていたかもしれない。

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