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2007.01.20

1/19 市の障害者プランに意見を提出

朝霞市の障害者プラン案がまとめられ、今日までパブリックコメントの意見募集を行っていたので、意見を書いて提出した。
【提出した意見】
朝霞市障害者プラン・障害者計画案への意見(pdfファイル)」をダウンロード
【計画案】
1.朝霞市障害者プラン案
2.朝霞市障害者計画案

個別障害者施策については、私も追っかけきれないことが多いし、おそらく当事者や当事者団体が意見していると思うので、そこには言及せず、バリアフリー、ノーマライゼーション、社会福祉基礎構造改革の観点から計画を検証して、意見をとりまとめた。

こうした理念の基本をねじ曲げて、措置制度時代の残骸のようなしてあげる福祉からの観点が目につくし、安易に想像力も働かせず、美しい言葉に飛びついているのではないか、と思うようなことも見られる。

その中でも障害者の自立という言葉があちこちに使われているが、行政責任や地域責任から障害者を自己責任に放り出すことなのか、それとも自己決定、自己選択できる力づけを行う自立なのか、定義が定かではない。言葉の定義で言い争うことはあまり好きではないが、同じ障害者の自立でも、全然違うとらえ方ができるのだから、めざすべき障害者の自立像を明確にしていかないと具体策が散漫になってしまう。

また、上位計画であり、福祉の総合計画的な意味を持つ地域福祉計画の提言があまり生かされていないように思う。民間企業も福祉やバリアフリーに取り組んでもらうことは想定していないし、権利擁護は、福祉相談なんかと一緒になって、当事者が不安を持つこと自体が問題かのように書いている。ソーシャルワーカーなどの総合的な相談ができる専門職について、全く書かれず、相変わらず「連携」と今やっている各セクションの努力で問題解決できると思っている。

●大阪・八尾で、作業所で働く障害者が子どもをデッキから放り投げた事件で、知的障害者への偏見が広がらないか心配になる。彼らは、意志疎通がうまくいかないため、防犯活動でマークされやすいことも心配である。また「子どもが死んでもいいと思った」と供述した(なぜ供述内容がマスコミに漏洩するのか)と報じられているが、それは刑事事件を立件するときに、故意による殺人未遂(殺そうとして死ななかった)なのか、傷害事件の延長としての未必の故意(殺そうと思ってはいないがその犯罪行為で人が死ぬ可能性があることを認識している)なのか、判別するための供述取りだと思うが、知的障害者であることを考えると、そのまま解釈してよいかどうか、もう一度立ち止まらなくてはならない。犯罪被害者の立場では、障害者だから甘やかすなという声が聞こえてきそうだ。もちろんそれなりの刑事罰を受けるべきだが、その感情に流されて、加害者が何の気無しに断片的に言った供述をことさら悪質に捉えるだけでは、知的障害者がひきおこす事件の本質が見えなくなってしまう。再発防止という点からも加害者がどのような状態だったかを冷静に検証していく必要があると思う。

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