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2007.01.17

1/17 「現場」を語る運動のミスリード

お迎えの束の間に書店に立ち寄るが、そこで発見した本を買う。

矢沢進「保育労働運動の探究」という本。出版社が萌文社だから、職場である労組と保育イデオロギーで対立してきた東京都の共産党系の公務員保育労働運動家の著書。敵の保育運動が社会情勢に対してどのような議論をしてきたのか、タテマエより踏み込んで知ることができると思い、古本にしては高かったが買った。

保育制度の議論をすると、東京に住む政府審議会の委員や、その友だちのフェミニスト資本家は、公立保育所や認可保育所の融通のきかなさをしきりに攻撃材料にして、保育の市場化(vs社会化)をどんどん進める。しかも、背後関係に労働組合が妨害しているからというような批判を重ねて、この防戦にずいぶん苦労した。労働組合が妨害していない、と証明することは、労力としてそもそも無駄だし、やっていないことを証明する証拠は、えん罪を証明するぐらい難しい。
今はだいぶよくなったが、私が保育政策に携わっている頃、地方都市の保育所が結構努力している中で、東京を中心に確かにサービスの立ち後れが目立っていたし、保育所が保護者に要求することも多く、それらが連合内部でも民間労組の女性活動家を中心に厳しく批判されてきた。

私が保育労働運動に関わって、確かに頭かちこちの現場職員もいるが、大多数の保育所の職員は職場をよりよくしたいし、子どもや保護者のために何とかしようという思いで働いている。特に、地方交付税で自治体を維持している地域の保育士たちは、自分たちの自治体の能力の限界というものもよく知っているし、保護者は地域の知り合いでもあるので、労働条件の話はそれはそれで、労働条件を盾にサービスを削るという発想はあまりなかった。だから首都圏の外の地域の方が休日保育や病後児保育の実施は進んでいる。

しかし、東京23区を中心にした同心円状に、組合の保育部会の幹部に延長保育をはじめ、土曜休日保育、病後児保育、障害児保育に後ろ向きな保育関係者の意見が根強い。お迎えの前に買い物に行ったら怒らるなど1分1秒でも余計に預けたとみなされると怒られるエピソードはよく聞く(赤ちゃんを抱えながら買い物することが子どものためなのだろうか。子どもを家に放置して買い物に行けというのだろうか)。延長保育の反対論も、子どものためと言うが、本当だろうか。そこで公立保育園や認可保育園が責任を放棄したら、ベビーホテルに流れていくだけだというのは歴史が証明していることだ。それが子どものためなのだろうか。労働条件は労働条件であって必要なら増員や予算要求をすべきであって、保育所が子どものためという言葉を楯にとって責任放棄する理屈を立てることはどうかと思ってきた。現に、地方都市ではできていることなのに。

どうして東京の保育労働運動はこんなに非現実的な主張が根強いのか、そしてそのことで、政府審議会に出入りするような人たちをはじめ、全国で最も要求水準が高い人たちがすんでいるのに、その人たちに揚げ足とられ、あちこちで喧伝されるような発言するのか、と正直不満だった。

この本は、敵側共産党系労組という場で、保育現場をミスリードした人物が自分史として書いたためよく状況がわかってきた。著者がやってきた運動は、「現場に」依拠すると言いながら、保育労働者は公務員じゃなければならないから公務員保育士しか仲間に入れないと、それこそ「階級的」な運動をしている。でもそれは間違いじゃないだろうか。労働者という観点では、公務員も民間もなく、同じ公共サービス従事者、同じ保育士だと思う。公務員であることで公的責任は負いやすいことは間違いないが、そもそも保育所というのは公的な場なのだし、私立であっても、児童福祉法で厳密に定義され公的管理されて税金を出している施設いるものなのだから、それを排除するというのはおかしな運動の建て方である。

また「土曜開庁原則論批判」で、延長保育や土日保育は保育所のコンビニ化だと断罪し、可能な限り土曜勤務はしないよう保護者に求めることが望ましいと言っており、一般労働者の生活状況を全く無視するような議論をしている。まさに「注文の多い料理店」で、結果として、今日の東京都内の公立保育所の「非効率性」への批判を挑発した議論だった。 1981年、ベビーホテルで乳児が相次いで死亡する事件を受けて、厚生省は認可保育所の最低の開所時間を、8時間から11時間にのばした。私の勤務先の労働組合に対して、過去の8時間開所の運動方針に自己批判もなく容認したと批判している。私はこの方針転換は正しかったと思う。自己批判がなぜ必要なのか全くわかない。当時の共産党ワールドの流儀に従えといっているだけである。

興味深かったのは、こうした豊かな東京の独特の保育運動が、どうも共産党の世界でも全国的な広がりを持ち得なかったことで、それは私の問題意識の表裏で重なりあう。著者の加入していた共産党系の自治労連の保育政策の方針が、延長保育容認や土曜開所容認論であることを批判し、容認論の自治労連保育部会長と公開質問状でやりとりしている。
共産党は、私の職場の組合である旧社会党系よりも保育問題ではずっと深く地域に入り込んでいる(旧社会党はこうしたことに深入りできなかったことを反省すべきだと思うし、今現在も保育問題で民主党は入れ込めないどころか浮き上がっている状況)。保育団体連絡協議会などを作り、地域の保護者活動などと密接に関わってきている。そうした保護者会運動の中で、東京の公務員保育士たちの独特の理屈を出せば、信頼感を獲得できないと計算したのだろうか。あるいは、そもそも東京以外の自治体ではそんなに財政的余裕もないことから、無茶な要求もできないということなのだろうか。

著者のような理屈がまきちらした問題の後始末を、規制緩和委員会、規制改革委員会などの圧力におされそうな厚生省相手に、だましすかしやってきた自分としては、いろいろ見えてくるものがある一冊だった。

労働運動のような仕事は「現場」の重みがある。たいした能力もないが私はいろいろな「現場」に行くことが大好きだ。私のような学校を満足に通っていないバカには、現場に行ってそこで何が起きているか見て聞いてかかわってくることが最も効果的な能力開発であり、組合員へのお返しである。
しかし、安易に口先だけ「現場」を語り、自分が全面的に現場の代弁者のように振る舞う間違いを、この著者に見た気がしている。理屈に理屈を重ねるような著者の指導で、ほとんうに現場は有意義な職場になっているのだろうか。社会福祉の高邁な理想を学んだ職員たちが能力を窒息させていないのか、それが気になってしまった。

●延長保育の話でも思い出したが、私は厚生省保育課と、延長保育とは、11時間を超えたところからなのか、延長保育の補助金を支給開始となる11時間30分なのか、さらにその時間を延ばすのか、ということで議論を重ねた。地方分権もあって微妙だが、補助金を通した法律的な考え方では、延長保育というのは、正確には11時間を超える保育のことを言う。
しかし、朝霞市の保育園のガイドを読むと、16時30分以後が延長という扱いになっている。これでは8時間保育の理屈のままである。ちなみに公立園では延長保育料は取らないから、保護者にその意味はあまり重くなく実損もないが、考え方としては16時30分以後は、子どもや保護者の保育を求める権利として実施するのではなく、サービスとしてやってやっているんだから、万難排して1分でも早く迎えに来い、という意味なのだろう。

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