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2007.01.15

1/15 改革ってなんだろうかね

大量の事務作業があった。

●クローズアップ現代で金属価格の高騰を取り上げていた。
欧米の大量な年金資金が投機先を探して、資源価格にまで手を出している結果、使用価値を大幅に超える投機が行われていて、生産の現場にとんでもない影響が出始めている。
私は原材料価格はある程度高い方がいいと思っている。ここ数年、原材料が為替とデフレであまりにも価格が低かったので、省エネやリサイクルがないがしろにされてきた。構造改革イデオロギーのおかげで、社会的価値を規制だ非効率だとぼろかすに言っては無視し、経済的価値の追求に邁進することが、「努力した」ことの証として崇高な人間的価値のように言われてきた。そのしわ寄せは原材料や労働力のコストなき浪費というかたちで現れた。原材料価格が上がるということは、そのイデオロギーの歪みを調整することになる。また、自治体が独占化する傾向があったごみ処理を、かつてのように民間の自律的な経済活動に取り戻すことができる。町内会やボランティア団体の資金確保にも道が開ける。
しかし、今日のように投機の結果として生産現場が傷つき、金属泥棒が横行するような状況はよくない。原資が年金資金ということで、改めて年金制度が積立方式である弊害を感じ、賦課方式の利点を確信した。積立方式だと、大量の不労所得の確保のためにお金が動き回り、結果として働く現場が痛む。ヘッジファンドがアジア経済をぶっ壊したその教訓は今も何も変わっていない。
この裏をかいて何ができるかな。そういえばアメリカのごみ処理は分別もせず原野に放り捨てているだけだったような気が。アメリカの大きなごみ捨て場に再処理工場を造って、ごみの山をほじくり返し、原材料を発掘するのがいいのかもしれない。

●あまりにも企業寄りのコメンテーターばかりをそろえた今回の東洋経済の「労働」特集。人買い会社の社長の奥谷礼子か暴走コメントを寄稿しているらしくて、ブログの世界でちょっとした話題になっている。8年ぐらい前の規制改革委員会での奥谷氏の発言のめちゃくちゃさにびっくりして以来、改革利権のコメンテーターである、宮内義彦八代尚宏と並んで批判してきたが、ようやくそのめちゃくちゃさが世間にも認知されてきて、孤独にやってきた主張が少しだけ報われた気分だ。
愛読している「LovelessZero」が紹介するだけでも10本近いブログ。その中で労政審議会の奥谷氏の暴論が紹介されている
奥谷氏は、ホワイトカラーエグゼンプションを強烈に推進する立場から、労働時間は多様化して出勤時間・退勤時間を多様化すればホワイトカラーエグゼンプションをやっても労働時間は守られるはずだ、労基署は存在意義がない、ひどい働かせ方をすれば裁判で経営者は負けるからそんなことはしない、というむちゃくちゃ楽観的な我田引水発言をしていた。労組でもないほかの委員から、日本の労働者は些細な遅刻で罰則を食らったり、サービス残業を断れば人事で報復されるような国だし、裁判でたたかうといっても資力にそもそもの格差があって話にならない、と諫められている。その腹いせを連合推薦の長谷川裕子委員にぶつけて、「労組が甘やかすからいけないのよ(日本人は労働者が努力しないのよ)」といった発言をしている。
このやりとりをみて、奥谷氏の認識能力を疑ってしまう。個々の労働者の状況については、奥谷氏を諫めた委員の言う通りだろう。企業は金の力をもって顧問弁護士を雇い、文句をいうステークホルダーに話の本筋ではない損害賠償や名誉毀損で恫喝して、相手に法律的費用の負担をさせて屈服させることもできる。個別労使関係など、よほどのずるい労働者でなければ、屈服する自由しか与えられていない。
労働組合が労働者を甘やかしているというのはどういう事実を指すのだろうか。自分の仕事の恥かもしれないが、個々の労働者に労働組合に甘やかしてもらったことがあるか聞いてみろ、と思う。
エキセントリックな経営者は、自分の思うように動かない職場の仲間に、努力しない、使えないという言葉をすぐ投げつける。どうせ、その文脈での「甘やかす」という言葉だろう。奥谷氏の人間観のなかには、自分の政治的支配に屈しなくなることを、努力しないという見方があるのだと思う。改革利権系の経営者は前近代的な人間観、労働者観を持ったこういう手合いが多いと思う。

●山口二郎「強者の政治に対抗する!」を読み始める。改革利権の政商を厳しく批判していてこぎみよい。日本人は人格の統合しているものだという前提が崩れ、矛盾を平然と受け入れる精神になってきている、という香山りか氏の分析を紹介し、批判が批判として成立せず、政治家の責任転嫁が社会の正当性としてまかり通ると前書きで分析している。ここのところの自民党と民主党若手議員の、社会保険庁へのスケープゴート報道、教育水準の低下を教育基本法の改正で解決しようとするやり方、みんなそうである。あまり効き目がないけど奥谷氏の労組批判も。何の因果関係もないところへの煽動でしかない。

●山手線がまた人が線路に立ち入って止まっているらしい。毎週のように同じような問題が起きて、ホームドアもつけるなど物理的な問題解決をせずに、30分から1時間もの全線運行停止ばかりしている。これだけ同じ問題が起きて何の改善もしないのは馬鹿だと思う。首都圏3000万人もいれば線路に入るなと言って通じる人間ばかりじゃないことぐらい想定すべきだろう。モラルだけに頼る問題解決はダメだという見本だ。山手線を使うというのは、かなりの頻度で時間リスクを背負うことになる。私はできるだけ使いたくないと思って、乗り心地や雰囲気が悪くてもなるべく地下鉄を使うようにしている。山手線を使わないと行かれないようなところはなるべく行かないようにしている。

●近所から猛烈なカレー粉のにおい。最初はいい匂いだとおもったが、だんだん強くなって頭が痛い。

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コメント

>アメリカの大きなごみ捨て場に再処理工場を造って、ごみの山をほじくり返し、原材料を発掘するのがいいのかもしれない

最近、疲れたらGYAO!で「未来少年コナン」を見ているのですが、あれはまさに未来にそのように資源を使っている図ですね。

投稿: takeyan | 2007.01.15 23:48

原材料価格がある程度適正な水準で落ち着けば、下手な鉱物より純度が高いらしくて資源の山のようですね。
南米左派政権やロシアが資源開発に力を入れていている中で、日本はまだましだけども、アメリカのように資源を浪費しているだけの国は、やがて恐竜のようになるんじゃないかという気がしています。

投稿: 管理人 | 2007.01.16 01:38

内橋克人氏なら、「働かせる自由」と「働く自由」とは違うと一喝するところ。奥谷氏は明らかに働かせる側の自由の全面的な擁護者、礼賛者。

 しかし、奥谷女史の浅薄さを明らかにするためにも私たち労働者も考えてみたい。「働くということ」について。「働く自由」について。そして、その自由獲得のための運動について。

投稿: ともちゃん | 2007.04.24 00:21

廃棄物の資源化には問題があります。

というのも、天然資源は核反応と天文学的時間をかけて純化されてきたものなのに対し、廃棄物は熱反応によって様々な加工を施されているところです。
これを再資源化するには、天然資源を加工するよりも困難な行程と大きなエネルギーが必要となります。

そんなことするよりは、さらに深く鉱山を掘ったほうがマシ、というのが人類の今いる地点です。

投稿: o-tsuka | 2007.04.30 15:48

人類のいる地点がそうだと断定してよいのか詳細はわかりませんが、ごみ資源を再利用するというのは、ごみの種類によっては徳川時代から続けられているものもあり、あるいは日本が貧しかった頃に積極的にやっていたものもあり、そうなのかなぁ、と思います。天然資源が大量の石ころや砂など不純物とともに存在し、純粋なものではない、ということもあるように思います。

天然資源にも不純物が混入しており、精製をしたり加工したりする過程が避けられません。一番顕著なのがアルミニウムで、再資源化した方が圧倒的にエネルギーを使いません。金属は再資源化の方が効果的なようです。

専門的な知識がないと何が効率的かわからないので、ファッション環境運動のように個々人が資源をそもそも浪費しないということがいいという結論になりやすいのですが、それではケインズ経済学では、生活を成り立たせている経済基盤自体が縮小=環境デフレが発生していくということも、考えにいれておかなくてはならないのかも知れません。

投稿: 管理人 | 2007.05.04 23:26

説明不足でした。
もちろん、リサイクルが有効な分野はあります。だから自治体も鉄やアルミを分別回収しているわけで。

しかし、現在のところ、天然資源由来のバージンな金属と、産業的に再生された金属の違いは歴然としています。
なぜなら、金属の多くはその用途によって、自然界にはほぼ存在しない合金などに加工されてしまうからです。
そして少量でもそうした合金が混入した金属は、バージンのものとは性質が変わってしまいます。
また、大量に種類がある合金を経済的に見分けることは困難なのです。

ですから、再生金属は再生金属に適した用途、純度に厳しくなく、重量制限がうるさくなく、安全係数が大きく取れる分野(一般的な建築など)にしか使えないのです。
輸送機器のボディ、鍛造部品など、産業用に大きなシェアを持つ分野では、依然として天然資源由来のバージンな素材が必要とされています。

(さらに特殊な分野では、現在のバージン金属でも用途不適格で、戦前の鉄鋼を使用しているところもあります。ガイガーカウンターや刃物など)。

もっとも、再生金属をさらに純化する工程が経済的になれば、誰しも喜んで使うようになるわけで、その意味では「原材料価格はある程度高い方がいい」という黒川さんの意見は正鵠を得ていますね。

投稿: o-tsuka | 2007.05.07 12:50

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