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2006.12.31

12/31 「勤労感謝の日」が「家族の日」に。この社会の価値は働くことで報われるより血統へ

11月23日の勤労感謝の日を家族の日にする企てが政府内で進んでいるようだ。
「正しい家族が大事」というモラルだけで子育ての問題を解決しようとするバカ政権の考えそうなことだ。

国家神道に由来を持つ理由で11月23日を勤労感謝の日にすることに是非論もあるが、戦後、働くことをきちんと評価し尊ぶことを価値においたからこそ勤労感謝の日という休日となった。それを政府がアホみたいな思いつきであっという間に休日の意味を変えてしまうということは許しがたい。

「家族の価値を社会全体で共有」などと全体主義的な物言いをするぐらいなら、家族でいる時間を収奪するようなホワイトカラーエグセンプション(残業代不払いを公認)などの構想は永久に破棄するようなことぐらいしたらどうだろうか。

「家族の価値を社会全体で共有」などと言う政治家の言うことなんて、保育園があってようやく成り立っている今日の家族をバカにしてみたり、保育所排撃論を主張されたり(そのくせ裏口入園とも言える入所口利きなんかやるんだ)、所得税や消費税を上げながら努力もしない人への相続税を引き下げたり、二世三世の議員・芸能人・実業家ばかりを持ち上げるような、血統だとか家柄だとか先天的な環境を肯定するだけのことである。安倍首相のじいさんコンプレックス趣味を国民に押しつけるのはやめてもらいたい。社長の娘である首相の妻が贅沢三昧を自慢して自覚がなくて問題になっていることと無関係ではない。少しは家族や血統とは違うチャンネルから、ものごとの価値や智恵を学んでもらいたい。

また労働が人が人を食うような状況になっている中で、家族関係や家庭環境も複雑化している。「家族の価値を社会全体で共有」なんて甘い状況じゃないと思う。

離婚調停が成立してから6ヵ月経っていないで妊娠した後の夫の子どもを、芦屋市役所が前夫の子どもとして届けなければ出生届を受理しないというふざけた話があった。昨日、ようやく後の夫として受理されたが、その過程で、芦屋市役所は「離婚したペナルティーだ」と言ったと報じられている。何が家族の価値なのか、家族とは何のためにあり、家族があることによって人がどうなのか、ということも考察されずに、家族をかたちづくろうとしている人を冷遇するような法律制度を放置して、類型的な家族以外はこのような扱いを受けるような国の家族の価値とは何なのか、ひどい話である。
一方で、DVされても離婚しないことが表彰されるようなことも起きてくるのかな。実際、右派系の地方議員には、DV対策に後ろ向きな人もいる。DVされてもあんたが悪いから我慢しろと教えるとんでもない新興宗教がまだまだ根強い。そういう新興宗教に応援されている保守系政治家は多い。

生活を抱えて働く人をまもとに扱わない国で家族の価値なんて言ったところで、遊んで暮らせる金持ちや資産家の息子や娘を甘やかす政策でしかない。勤労感謝の日を家族の日にしようと企てる人たちの感覚なんてそんなものだ。

余談だが、勤労感謝の日の翌日が私の誕生日で、よく振替休日になる。勤労感謝の日には、金正日ではないが自分の誕生日みたいな愛着がある。それを勝手にいじられるのも面白くない。これは私憤だけれども。

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2006.12.29

12/28 コムスンに都の監査が入る

コムスンが介護報酬を過大請求している疑いがあり、東京都が都内全事業所に立ち入り監査をした、というニュースが流れている。

介護業界にいる人たちの間では、コムスンのケアマネージャーは必要もない介護サービスをつけるという噂が流れていた。今年からの介護保険制度の見直しに際しては、不要なサービスの押し売りが介護財政を悪化させている一因だ、という問題意識があった。悪徳業者のように介護報酬の水増しまでは誰も言わなかったが、不必要なサービスを押しつける代表選手が最大手のコムスンである、と指摘されてきた。

軽度の介護サービスが実質的に廃止になり、新予防給付という生活を無視した制度に切り替わった。こうなってしまった背景には、介護業者が囲い込んでいるケアマネージャーが、介護業者が儲かるように介護サービスを組み立てている、という制度的欠陥があった。高齢者もヘルパーも楽な介護だけをやり、結果として高齢者の精神・身体機能をどんどん低下させてしまっているという問題も指摘されていた。
この制度的欠陥は、介護保険制度導入時の亀井静香自民党政調会長の判断の歪みによる副産物だった。その結果、グッドウィルグループの株価が上がるように政策誘導が行われ、ケアマネージャーが介護業者に雇用されることが認められた(何言っているんだか分かる人にはわかるけど、わかりにくいなぁ)。

また、どこの介護事業者も介護報酬が少なくて、そのために介護労働者を確保するのに苦労している。無駄な経費にはほとんど使えない。研修費用なども介護労働者持ちだったりすることも珍しくないのが、介護業界の現実だ。
それなのに、コムスンはテレビコマーシャルというとてつもなくコストの高いものをバンバン流していて、いったいその金はどこから出てきているのか、不思議で仕方がない。経営努力という面もあるかも知れないが、介護報酬の大半は時間あたり人件費に比例していて、経営努力だけで1本100万はするCM枠を買えるとは思えない。

と思ったら、謎解きができた。さっそく第一報を流した読売新聞にコムスンが事実無根で「法的措置」を行うという。福祉業界は監督官庁がなかなか機能していない。それでも、介護保険法にもとづき立ち入り検査をするというのは、それも都内の全事業所ということは、事実無根ではないだろう。いくつかの事実を「事実無根」とするためにCM枠を買った意味があると考えた方がいい。その後、コムスンに関する報道はバタッと消えた。要介護者の生活を預ける会社がこんな不透明な対応をしていていいのだろうか。

介護保険制度では、ケアマネージャーの独立性ということが話題になっているが、いつまでたっても介護業者と関係が断ち切れない。介護保険制度の信頼性を高めるためには独立性の確保を徹底する具体的な政策が必要で、地域包括支援センターができたりしたが、それすら自治体は地域の福祉事業者に丸投げしているのが実態だ。ケアマネージャーは介護事業をやっていない社会福祉法人やNPOが雇うか、自治体や社会福祉協議会が直接雇うことに限定すべきではないかと思う。

民間業者による福祉サービスが増え続けるなかで、福祉事業者の問題行動について、早めに苦情などの情報を察知して是正させていく制度的メカニズムが必要だが、ほとんどの自治体ではそんなことに全然目を向けていない。耐震偽装事件と同じように性善説で業者を信じてしまっている。行政コストの観点だけで民間参入をやみくもに推進してしまっている。今回の立ち入り監査も、福祉事業に対する監督が何とか機能している東京都だからできたと思う。

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12/28 わけのわからない理屈

今日は当番で強制有給取得日だったが、発送物が1件あって出勤。しかし、コンピューターから出てくるその発送物がない!怒らないでいたら、向いの席の人が「人間できていますねぇ」なんて言う。そんなことはないからいろいろなことを言ってしまうのであって、むかしやっていた仕事でそういうことに慣れきっているからだ。

午後、地域福祉の福祉オンブズマン・プロジェクトの集まり。市の担当課に庁内での作業状況について説明を受けてきた2人から報告を受ける。ゼロ回答どころか、とことん後ろ向きな話を聞いてきたみたいだった。担当課は計画策定のときには馬力があると思ってきたが、推進段階になった途端、何か他人事のようにしている。コンサルはいないのはいいにしても、担当職員すらまともに出てこない。私たちは勝手に議論させられているだけだ。
そして、話の中身については4月に機構改革・人事異動があるから、と話を先送りにされたと聞く。呆れる。以前も「市長選挙があるから」と話を先送りさせられたり、逆に一方的に尻を切られたりしたことがあった。市長選挙や機構改革の前、3ヵ月から半年は意思決定が滞る市役所ってどうなんだ!と思う。市民はその間も納税義務を免除されるわけではない。民間企業で機構改革や人事異動を口実に顧客サービスを低下させるところがどれほどあるだろうか。市職員が機構改革の人事談義を理由に仕事をさぼるなら、機構改革なんてやるべきではない。
そもそも新しい仕事をいっさいやらない状態が何ヶ月も続く機構改革なのに、何のためにどのような効果を狙ってどのように機構改革をやるのか、全く説明が見られない。日頃は行政の継続性だとか、立派なタテマエを言うのに、人事異動1つで行政の継続性が担保されないなら、そんなことは行革ポーズに過ぎない。
それから、地域福祉計画は、市役所がやりたがらないが福祉を利用する当事者たちのための諸施策を求めた見返りに、市民側の責任についてあれこれかぶった。しかし市の責任でやるべきことについては何をやっているのだろうか。報告すら上がってこない。

夕方、保育園の入園申請。言葉のニュアンスでは、また待機児童(うちの場合は保留児という言葉にすりかわる)になりそう。仕事でかかわりのあった朝霞の元住民が「(保育担当課に影響の強い)F市議に頼んだらすぐ決まったわよ」なんて話をしていたことを思い出す。入所決定には不透明感が漂う。でもこの人、すぐに都内に家買って引っ越したんだよね。市議にとって口利きする意味ってあったのだろうか。そんなふうに便利屋的に市議を使う住民にとって、地域社会はどう見えていたんだろうか。いろいろ考えてしまった。
先日の健康診断書の一件についてやりとりをした。説明に苦しそうだった。自治体は何のために福祉をやるのか、社会福祉基礎構造改革がなぜ当事者のためにやるのか、筋の通った共通理解ができていないから、福祉はやってあげている市民サービスという感覚が強いから、こういうことが起こるんだろうと思う。

●被害者である私の職場を、8年も前の犯罪者からのネタで書いてくれた月刊現代(というより元社会党系ライターの問題)だが、今回の2月号「飯島勲異能秘書官の虚像と実像」と「本間税調会長を売った財務省の魂胆」は、面白くてついつい読んでしまった。
後者の記事、本間税調会長の記事の方は、安倍内閣で好き勝手やりはじめたキャリア官僚たちのことを書いている。今回の一件は、便宜を図った官僚が省益のためにリークしたということらしい。
それよりその記事では、公務員制度改革をめぐる動きの方が興味深い。経済財正諮問会議の民間委員(あの八代先生もいるが・・・)が、①再就職(天下り)斡旋を禁止②警察・自衛隊員以外に公務員に労働基本権を付与③年功序列から能力実績主義賃金への移行をペーパーにまとめたものを、官僚出身の首相秘書官たちが「霞ヶ関は干上がる」と批判し、安倍首相の組閣でただ1つのサプライズだった官邸の人物は「机をバンバン叩いて」「公務員と民間サラリーマンを一緒くたにして、訳の分からないことを口走る始末だった」「『天下りは民間企業だってやっている。なぜ官だけがダメなのか。やるなら民間企業が退職者に再就職を紹介するのも禁止しろ!』」とやったそうだ。
経済財政諮問会議の民間委員ペーパーの③はそんな安直な話でいいのか、と思うが、それ以外は日本の公務員制度の歪みを是正する妥当な内容だ。
公共事業をぶら下げて民間企業に転職してくる天下りを禁止しようというのは、公共事業の自己膨脹が問題化された94年ぐらいからの課題で、もはや議論の余地がないと思う。「民間の厳しさ」を知らない退職公務員を、誰が好きこのんで監督官庁が押しつけるままに雇うのだろうか。共済年金が民間より高いのだから天下りを役所が斡旋することなどすべきではない(天下り規制と公務員年金の水準の問題はもっと議論されてよいと思う)。
②についても日本はたちおくれの弊害が大きい。公務員に労働基本権がなく聖職化しているから、普通の賃金労働としての常識、市民常識からズレがあるんじゃないかと思うことがある。公務員の労働基本権制約は「ストや団体交渉・団結権は制約されるぐらい公務員は偉いんだ」という効果になってしまっている。
キャリア官僚が自分たちの人生設計を守るためなら、変な抵抗の仕方をしないで、労働組合でも作って正面からやるべきじゃないだろうか、とも思う。

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2006.12.27

12/27 格差是正法案に期待すること

民主党が格差是正法案を提出するらしい。朝日によれば

鳩山氏は「税や医療費などの負担増、母子世帯の優遇措置の廃止など、弱者の切り捨てが財政再建の名目でなされている」と指摘。これらの格差是正につながるような理念を盛り込むことを想定している

という。しかし、税負担増は格差拡大ではないってば。税をリスク管理&再配分機能と捉え直すことをきちんとやるべきで、増税が庶民イジメ、減税が庶民寄りというレッテルは良くない。
減税はたいがい金持ち優遇になるし、税や社会保険の増といっても、介護保険のスタートで介護保険料を取ったことは、かえって政治的コネクションのない人たちに介護サービスをきちんとつくったという歴史もある。

増税=庶民いじめという政策観は問われているが、母子家庭などこれまで民主党があまり目を向けていなかった微妙なことも取り上げるようだから、期待したい部分もたくさんある。とにかく、格差でも何でもいいが、社会の網から転落しかかっている人をどれだけ励ませるか、公明党や共産党のような裁量行政を前提にした口利き福祉の拡大ではない、民主党らしい政策の描き方を楽しみにしている。しかし、山本孝史さんがどこまでがんばれるか、今は石毛さんもいないし、その他、そういう政策をつくるのに向いている現職議員がいなくて、残っているのは増税反対には燃えられるけど、母子家庭を自業自得と言ってしまいそうな議員が多く、こうした問題への選手不足が否めない。

●佐田行革担当大臣の辞任は対応が早い。旧竹下派の政治家はこうしたときの組織行動が早いと感じるが思い込みだろうか。総会屋の論談同友会のHPで「I」という人物が安倍政権の問題人物のスキャンダルを垂れ流していると書かれている。次は民主党に縁深い高級官僚が原宿の公務員住宅を不正入居していることが狙われているという。標的を見ていると、スキャンダル暴きと検察特捜部を使うのが上手だった前政権の関係者じゃないかと思う。
一方、安倍首相が次の行革担当相を誰にするのか興味深い。税調会長に伊東元重氏を起用するかと思ったら、香西泰という中曽根時代の学者を引っ張ってきた。若手議員や小泉政権の置きみやげのような学者以外のブレーンが89年ぐらいから95年ぐらいの時代の変化に取り残されたような化石のような学者ばっかりで、イノベーションとか使っている言葉も古い。安倍首相の感覚は80歳代ぐらいなのかも知れない。

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2006.12.26

12/26 道の真ん中を歩けない地域住民

わき見運転で散歩中の保育園児が轢かれた事件の後追いで、川口市の「事故防止策」を朝のNHKニュースでいいことのように報じていた。

現場の映像が出てきたが、大人の肩幅程度の「歩行者ゾーン」を色分けしたこと、これで歩行者と自動車が分離できると、市役所のアナウンスのまま報じていた。
今回の事件の問題は、生活道路で子どもがクルマに轢かれたことであり、時速50キロでわき見運転したことである。
現場の映像を見る限りでは、歩行者は車道から分離されたことにされてしまったが、クルマにとって分離はされているとは思えない。まして、わき見運転でハンドルがずれたクルマから歩行者を守ったり、事故の衝撃を軽減する対策はまったくないと言ってよい。ペンキ屋が儲かっただけである。実際、映像の背景では次から次に通る通行人が道の真ん中を歩いていた。雨の日だし当然だろう。ペンキの塗りたくりは、人間を道路のすみに追いやる非生活的思考の賜物である。

歩行者とクルマを分離するというのは第一の対策だが、物理的障壁のないようなかたち(ガードレール程度でもほとんど意味はありません)で中途半端に分離することは、かえってクルマの横暴な運転を許すことになる。「歩行者が道の真ん中を歩くな!」とつぶやくドライバーは珍しくもない。中途半端な歩行者とクルマの分離は、生活道路でも速度を抑制しないドライバーの意識をつくり、死亡事故の原因になる。
むしろ生活道路では、歩車共存という考え方をすべきという考えもある。商店街のように歩行者がたくさん歩いている道路や、公園のようなつくりになっている道路では、クルマは走行速度を相当抑制し、かつ歩行者に注意しながら走行することになる。当然、走行速度を抑制したり、流入するクルマの量を抑制するための対策、ハンプの設置や通り抜けができないような一方通行規制などを組み合わせることは必要である。

道路の色分けは、30年以上前、朝霞の駅前通りでも行われた。小松定男さんという朝霞選出の社会党県議の広報で革新県政の成果として書かれていた記憶がある。死亡事故は1回しか起きてはいないが、以後安全だったとは思えない。あえていえばごちゃごちゃした通りだったので、通るクルマのほとんどが低速で走っていたから、事故になっても大事に至ることは少なかったといえる。

お隣の新座市を見ていて思うが、最近、道路にやたらめったら行政が色を塗りたがる。新座市の場合は路上禁煙だ。しかし実際に取り締まる人がいないから、近隣他市に比べて有名無実化している。行政が訴訟を起こされたときに「対策しました」という言い訳だけの道路の塗りたくりにしか見えない。地方選挙も目前にしてこの道路の塗りたくりに談合はないのか、いろいろ考えてしまう。

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2006.12.25

12/25 北海道のおばあちゃん

帰宅すると、北海道の政治家の後援会だよりが送られてきた。
仕事柄政治家の後援会だよりをよく送っていただくが、いつも寝る前とかお風呂はいる前とか、すきまの時間に読む。しかし、今回はすぐ読まなくてはいけない予感がした。手にとって開いてみれば、その政治家の妻が、義母つまりその政治家のお母さんが脳内出血で要介護状態になった話を書いていた。もちろん政治家の後援会の会報なので私記にとどまらず提言も書かれていたが、やはりそのお母さんの話はショックだった。
北海道にいた頃、何度か同席したことがあるが、品格があって、立派で、なおかつ、髪をきれいな色に染められたりもするおしゃれなおばあちゃんで、私の祖父と同世代なのでとても親近感をもっていた。
そこに書かれているおばあちゃんの振る舞いは立派なものだ。認識があやしくなっても、座談会のホストを務めたり、食事を振る舞うというのだ。また、あるいは兄上が戦前の共産党の幹部で、今の共産党員が足を向けても寝られないような人で、その兄が投獄されて獄死しているが、そこにはいない妹に「凛としていなければならない」と諭しているとも言う。
北海道の昭和史とともに生きたおばあちゃんの歴史の重みと生きた壮絶さを感じた。
また、書き出しの政治家の妻が義母との関わりはじめた話にも、心を打たれる思いがした。私が北海道から実家に帰郷することにしたと報告したときに「育った土地に帰るのはいいけど、実家からは早く自立しなさい」と励まされたことを思い出した。

●8年前に選挙の事務局長を務める機会を与えてくれた友人が、多摩地区の市議選で見事に3選目をトップに近い上位当選で飾る。一般市の市議選は初回に取った票を上回ることは難しいと言われているが、毎回票を伸ばしている。子育てでまともに応援にいけなくて後ろめたい。8年前の選挙は選挙のこともそうだし、つらい体験もあったが、そこで出会った人たちにいろいろ教わることが多かった。

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12/25 いったい誰を何のために守るのか

●規制改革会議が、職場で一定割合の組合員を組織しない労働組合に交渉権を与えないように規制緩和する方向を出していたが、厚生労働省が何とか阻止した新聞記事があった。
最近、派遣労働者や非正社員のひどい労働実態が、個人で入れる労働組合「ユニオン」に加入する人たちの勇気で、明確に社会問題化してきている。労働条件に向かいあった彼らに、経営者たちはひどい仕打ちを行い、正社員との格差をさらに強く印象づけ、働く人たちを分断し、傷つけ合わせている。
1人でも入れる労働組合として勇気ある非正社員や派遣労働者を守り、励ましてきたユニオンの活動を規制するものとして、規制改革会議の企てはとんでもないことだと思う。結社の自由を規制し、労働三権を規制するようなことが平気で行われている。
一方で、社会資源を無視した乱開発とか、景観を壊す土地開発とか、焼畑式の郊外型スーパーの開店、規制外の常設の広告看板、無許可の産業廃棄物処分場についてはほとんど規制されない。やったもの勝ちで、たとえ違法と指弾されても現状復帰されることはまずない。
規制緩和が景気回復と社会改革の特効薬のように伝えられてきたし、前川リポート以来、規制緩和=社会改革とパブロフの犬のように考えさせられてきた。そしてまじめに警鐘を鳴らしてきた内橋克人さんなどを抵抗勢力や左翼よばわりしてきたけど、ほとんうにそんな態度でいいのだろうか。今は経済分野の規制緩和はほんどと行われず、ほとんどが個々人を守る生活分野や労働分野の規制緩和ばかり行われている。規制緩和は何のために行うのか、深い洞察をしていかなくてはならない。

【追記】同じ朝日新聞で、あまりにもむちゃくちゃな規制改革会議の主張が斥けられたことを官僚に屈服して「後退」かのように表現した。平和と文化人のための民主主義を守ることには必死なのに、人々の生活が壊れていることに鈍感な朝日。まったくな左翼リバタリアン新聞だ。

●横浜市で、高さが足りない電線に、ショベルカーを積んだトラックが引っかけて、とおりがかりの子どもが亡くなった事件が報じられている。この高さの足りない違法電線が監視カメラのための電線だったというから、ほんとうに何だかはなしがあべこべだ。監視カメラで犯人は捕まったが、犯罪を予防したことってあるのかな。監視カメラで守られた人っているのかな。
マンションの管理組合の理事長やっていて、設置している監視カメラが意味のないものだと実感してばかばかしい思いをしたことがある。というのも最近、私の住むマンションで根性のねじくれた住民が違法駐車の警告票を毎日数枚ずつ盗んでは1階住民宅の廊下側ベランダにまきちらすことが続いてきた。目撃証言は定まらず、証拠を押さえるのに監視カメラを使おうと思ったが、刑事事件でもない限り見てはいけない、とルール化されていて、見ることを断念した。もちろん、そのルールは大事で、おかしな運用がまかり通れば、財産権を担保する管理組合が治安活動を始めていくことになり、それはとんでもないことが起きうる。したがって監視カメラは使えない。こんな役にもたたないもののために、セキュリティー会社に毎年20万円を垂れ流してきている。設置しないで何かあって住民どうしがもめるより、という組織のガバナンス的判断で設置されて数年になる。新幹線や高速道路と同じで、監視カメラを設置するコストは住民に対する政治工作料みたいなものだ。多分、どんなに意味のないものだと理屈で説明しても、撤去するとなればきっと住民どうし大もめになり、将来にわたって禍根を残すだろう。
最近は、都道府県によっては警察までが監視カメラの営業活動に加担しているという話も聞く。でもやっぱりマンション内の安全のためには、おかしなことに出会ったら、注意する、お互い気を付ける、住民どうしで話題にする、そういうことを不断に続けること以上の特効薬はないと思った。
話は戻して、監視カメラを通じて管理組合や商店街などから吸い上げた高い利用料から、監視カメラを設置したセキュリティー会社がマスコミにばらまく広告宣伝料が効いているのか、マスコミが伝えるのは横浜市の監督責任ばかりだ。違法な電線を設置した当の会社がやりたい放題やっておいて、市役所ばかりが謝罪するのはおかしい。横浜市は電線設置したからと税金を貰っているわけでもないだろうに。マスコミはきちんと設置した受益者の責任を問うべきだろう。

●田原総一郎がおかしいのは、たまにチャンネルを変えるすき間に見るとよくわかる。ずっと見ていると彼の独特の強引さにひきづられて気付かない。
私を含めて視聴者は政治家とか学者の言う言葉はわかりにくい、という先入観がある。田原は気に入らないと、「何言っているんだかわからない!何言ってるんだかわからない!ちょっと○○さん(といって自分の懇意にしている文化人に話しを振る)、この人何言っているんだかわかる?」とわめき始める。すると視聴者はその人の話の難しい部分やあいまいにしか言えない部分を見て「何言っているんだかわからない人」という刷り込みが行われ、たえず「わかりやすく話すべきだ」という脅迫観念に駆られてる当の政治家や学者は一瞬うろたえたえる。そこに田原の主義主張を押しつけて、こう言わなくっちゃ国民にはわからないよ、と断罪する。
一方で、電通と仲良しの政治家には、「ご意見拝聴させていただきます」という態度で、どうでもいいエピソード話を延々垂れ流させる。小泉純一郎や安倍晋三など森喜朗を除く森派の政治家や、胡散臭いベンチャー起業家などたちはこのやり方でヨイショされ続けた。民主党においては前原や小沢側近、松下政経塾出など右シフトがこうしてヨイショされた。ときには同情までして。
田原の出る番組のスポンサーって、日榮とか、KSDとか、怪しい企業ばっかりなのも気になっている。

●地方の同僚が昔、本間正明阪大教授の講演の話題をしていたことを思い出し、我が社とどんなつながりがあるのか調べていたら、90年に社会党が提出した消費税廃止法案のブレーンだったという情報が出てきた。自民党の津島雄二氏がそれを指摘しているらしい。
したがって、本間氏に対して「消費税を上げようとしているのに自分は愛人と官舎で」という安易な批判は間違っている。本間氏は本気で税金を上げようとはしていない可能性がある。今回も、社会党の消費税廃止法案も、自然増収という言葉が飛び交った。根拠のない減税論を信奉しているフシを感じている(だから私は嫌いだし、その政策の帳尻あわせにマイノリティーの支援策が次々にやられていることが下品だと感じている)。したがって消費税増税と官舎問題は別物だ。私は本間氏の税制に対するスタンスの危険性はそれはそれで指摘すべきだと思う。一方、官舎に愛人と住むということは、そもそも小さな政府=官舎を無くすという思想と大きく矛盾するんではないか、と糾すべきだろう。
また本間氏は辞任したが、本間氏に官舎を勧めた財務省官僚が一番のワルで今のところ不問に付されている。当の職員たちがクレクレと言ってできたわけでもない社会保険庁職員の官舎は、マスコミの好餌にされ批判を浴びて、一同雇用すら失いかけていることと対比すると、政治的な悪意を感じる。

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12/25 座れた幸運な人でしょ!

民鉄協会が駅と車内での迷惑行為ランキングを発表し、1位が座り方という結果が出た。
ほんとうにそう思う。何のつもりか股を広げている人、足を組む人、足を投げ出す人はもちろんのこと。浅く腰掛け、肩だけで背もたれに座る、腹の出たがまガエルみたいな体勢で座っている人(本人自覚なし)は、体を支える面積が少ないのでブレーキや発進のときに隣の人に力がかかってくるし、肩は抜けず肩を張って座ることになる。股は広がるし、足が前に出てしまう。迷惑極まりないのだ。
座ってる人が立っている人に払うマナーってあると思う。足はできるだけ引くべきでしょう。浅く座るなんてもってのほか。満員電車で座れるという幸せを手に入れたのだから、せめて立っている人たちの迷惑にならないようにしてほしい。
今回、電車の荷物の置き方も上位にランクされている。膝の上に載せられる程度の荷物しかないのに座っている奴が網棚を使い占領していると許せない気持ちになる。立っているときに荷物を上げられないでいると目の前の座っている人を蹴ってやりたくなる。

ヘッドフォンステレオの迷惑ランキングが急上昇。ウォークマン、CD、MDとだんだん音漏れ対策が進んだのに、通勤電車のない田舎国アメリカで開発されたi-podが急に普及したせいじゃないだろうか。i-podのイヤフォンを付けた人の大半が音漏れしている。また、SONYだろうか、どう見ても音漏れする構造の小型のヘッドフォンを売っている。どうかと思う。昔、音漏れが原因で殺人事件ってあったように記憶している。最近はそういう話はない。メーカーはユーザーが殺されないように、という配慮をしなくてもいいようになったのか。

マナーというと若者バッシングの話になる。見た目からして予感させるし隣にくれば予想どおりのことをするどうしようもない若者も確かにいるが、それだけでなく、数としては、30代今時ヤンエグ風、日経新聞読者と、50代がひどい。そういえば禁煙区域の喫煙者も50代が多いと聞いた。50代って何かあるのだろうか。

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2006.12.24

12/24 若者との政治談義

楽しみにしてきた年に1回の忘年会が昨日あった。10代、20代にいろいろな運動をしてきた(している)人たちが集まる。政治好きの若者も多いので、政治談義をいろいろ聞くと、今の若い人たちがどんな政治センスをしているのか、どんな判断するのかがまぁまぁ分かる。社会党河上派の研究をしている友人が自己紹介しても若者にポカンとされるのは昔からだ。
昨年までは、いかによい改革を行うか、という議論がほとんどだったが、今年からは、改革の話はほとんどなくなり、昨年までは色物に見られがちだった「左派」という言葉が飛び交ったのが印象的だった。
酒が久しぶりだったので不覚にも悪酔いしてしまって、完徹するつもりが、3時にドロップアウト。少しお財布に無理してタクシーで帰宅(参加費がタダみたいなものだから、トントンだが)。タクシーの運転手さんがやさしい運転をしてくれて心地よかった。

●参議院富山選挙区で、民主・社民の共同候補が擁立されることになった。まだまだ社民党の組織力が強い地域が残っており、それを他の地域のように自然解散のようにせず、未来の「よりまし」な選択のためにも、富山の民主・社民の関係者の決断は嬉しい。
社民党には、独自性=独自候補という乱暴な玉砕理論が根強い。とりあえず今ある組織のうち大多数の人たちを囲い込んでおくことができるから。でもそれを10回繰り返すと、1回の選挙での歩留まり95%が続いても、10回続くと6割まで凹んでしまう。
現実に選挙をたたかう側からはそれだけでいいのか、という反問がずっと続いていて、それに党が満足な答えを出さないことで、この間、数少ない現職議員が改選時に次から次に引退したり、民主に移籍したりすることが続いていた。
民主党が保守的な日本のマジョリティーを市民社会的にアレンジ(市民が主役とかタウンミーティングとか)した手法で捕まえているとすれば、自民党は保守的なマジョリティーを家父長的にアレンジ(絶叫パフォーマンスとか私に任せろとか)した手法で捕まえている。自民党には公明党というバランサーがついているが、今のところ民主党にはそれがなく、党内抗争で意地を張ってバランスを取るしかない。民主党のバランサーとして社民党の役割は大きいが、なかなかその役割を見いだすような状況ではないようだ。

●政府予算の財務省原案が発表される。整備新幹線に大甘な予算に疑問を感じる。計画の中で合理的な意義を見いだせるのは、九州新幹線の博多・熊本間ぐらい。今の在来線では1時間に特急が3本走っていて、普通電車に影響が大きく、都会の複々線のコストに比べたら建設費は少ないのでやってみたらいいと思う。他は、採算も利便性も怪しいものが多い。特に北海道新幹線、長崎新幹線は、現在の在来線の改良するのと、コストや効果の比較をきちんとやるべきではないか。
北海道新幹線は青函トンネルを速度の遅い在来線の寝台列車や貨物列車と共有して使用するため、新幹線そのものは高規格でも、有効なダイヤを組めるのか疑問だ。それなら青函トンネルに貨物を通さなければいいという議論が出てくるが、残念なことに青函トンネルの収入は貨物に依存している割合がとても高い。貨物を無視して青函トンネルが維持できるかどうか危ういのだ。また札幌延伸という欲深い無謀な要求のために、新函館駅が函館市内から自動車で30分はかかるところにできたことで、青函航路の高速艇との時間競争力はない。運賃も多分新幹線の方が高くなるだろう。
長崎新幹線は、現在のJR九州の在来線特急より10分から20分しか時間短縮しないというし、佐賀県鹿島市など在来線特急がなくなると交通手段を失う地域も出てくるため、全ての費用対効果ではマイナスではないかと思う。
佐賀県や鹿島市が慎重姿勢を示していることは大切なことだと思う。あと新幹線になると特急料金がはね上がる。それも効果としてどうなのだろうか。

●21時からテレビで「北の零年」が放映される。小学校のときの友人が助監督となった作品だ。

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2006.12.22

12/21 健保組合加入者だけますます厚遇される

社会連帯だから社会保険と言ってきたのに、大企業で働く人だけを優遇する健康保険制度がさらにパワーアップするようだ。でもちょっと待て、と思う。
政府は健康保険組合に対する規制緩和をすることにしたようで、健康保険組合加入者はメリットがあれこれ増えるようだが、今問題になっている市町村の国民健康保険や、政管健保などの抜本的な改革は何も手をつけられず、こちらは財政問題だけでひいひい言っていて、制度拡充どころか、制度の存続自体が危うくなっている。それを見ると、格差をさらに社会保険制度が広げるようなことになる。
健康保険組合が、大企業を退職していった病気(うつ病やノイローゼも含む)やけがで事実上の失業をした人まで面倒見るならいいけども、そういう人は国保に放り出すわけだから、なんだかずるい気かする。情報誌のR社とか、教育産業のB社とか、失業者をいっぱい出している会社にとって健康保険組合は体のいい社会保険逃れだ。

そもそも健康保険って何のためにあるのか、どうして保険料が強制徴収になっているのか、そのあたりをもう一度整理して、きちんと国民全体で健康リスクが分担できるものに再設計する必要があると思う。
この問題は選挙での対抗軸になりうると思うのだが、どうも連合の大企業労組に支えられた民主も、格差社会を肯定する自民党も取り上げたがらない。

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2006.12.21

12/20 まず八代先生が範を示して非常勤講師並みの給料で「既得権益」を手放してみてください

経済財政諮問会議のメンバーである八代尚宏ICU教授が、労働市場改革の方向について、正社員と非正社員の格差是正のために、正社員の待遇を非正社員の水準に合わせる方向で検討する、と発言したようだ。

労働市場の規制緩和が今日のような労働ダンピングを引き起こしていることを無視して、正社員批判。「既得権益」で話をすり替えるのが八代先生の十八番。何だか正体ははっきりしないけどずるそうな「既得権益」というと、正社員を面白く思っていない自営業、不安定雇用労働者、さらにはそうした労働形態の集積ともいえる政治業界の人たちはフィーバーする。正社員と呼ばれる人が、安倍首相のように「給料返上」すればほんとうに公正で公平な社会がやってくるのだろうか。そもそも公平や公正を否定してきたのが八代氏の立場だから、正社員をやっかむ人に「ざまあみろ」というのが仕事じゃなかったっけ。

それにしても、今回の八代氏の処方箋が本当に日本人の働き方の歪みを直す特効薬だというなら、まずは大学、なかんずく八代先生の職場のICUの雇用改革からやってほしい。
大学の常勤の先生は、給料額面こそ高くはないが、研究活動費、出張手当、場合によっては日々の通勤の送迎の自動車やらタクシー代、グリーン料金まで手当されていたりする。しかも大学の経費で研究した成果で、商業雑誌に原稿を書いて原稿料貰っても自分のフトコロに。一方、大学の非常勤講師たちは、時給労働で、研究活動での出張はたいてい自腹、さまざまな経費を削ってなんとかやりくりしている。しかも教授会政治で、有力教授に可愛がられなければ使い捨てだし、教授会の権力構造が変われば、連座して4月から「理由もなく」失業することだってある。その中身は市井のサラリーマンの正規・非正規の格差なんてレベルではない。

八代先生の言っていることが正しければ、まずご自身の大学から労働市場改革のビックバンをやって、自分の待遇を若い研究者たちに「開放」してみせてほしいものだ。年収1000万は取れる経済財政諮問会議の委員をはじめお金になる政府委員をいくつも掛け持ちし、政府情報をネタにあちこちで講演料収入を稼いでいるのだから、非常勤講師なみの給料で生活していけないわけではないでしょうに。

それもせず、せいぜいが年収1000万の大企業正社員と、年収300万の派遣労働者をケンカさせて楽しむような下品なことはやめるべきです。

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2006.12.20

12/20 社会のリスク管理としての予算

国の予算案の財務省原案がまとめられる。財政支出についての景気への影響は効果がないという議論が流行していて(そうとばかりは思わないが)この点について見ていくことに意味があるかどうかはもうすこし状況をまたなくてはならない。
日本人の雇用の流動化をはじめ、離婚率の高まり、少子化による親族によるリスクカバーが機能しなくなっていることなど、生活リスクの増大に着目すると、リスクの再配分という観点で予算分析してみることも必要じゃないかと思う。
少子化対策として児童手当や育児休業給付の拡大が出てきているが、効果はないだろう。育児休業の取得そのものがわずかな恵まれた人の制度にしか過ぎないのに、給付率を高めても少子化にはまったく効果がない。育児休業の取得率があがらないことには、
①取りたいけど取れない職場(雇用主もだが、本人をとりまく同僚や中間管理職)の問題、②出生率の低下の原因である働きすぎのエリートには全く効果がない、③同じく派遣労働者やパートなどの低所得層は妊娠と同時に退職になる、④仕事より子育てに価値を置く人は夫婦のどちらかがたいてい退職してしまう、などの問題が横たわっている。机上の金銭のインセンティブではなく、施策の策定にあたる内閣府の少子化担当セクションや、厚生労働省の子育て関連課の男性職員たちが育児休業を取ってみないと、どうしたら取得率が上がるか、出生率回復につながるか、なんてことはわからないだろう。

一方、生活保護の母子家庭加算が削減される。自立しろ=仕事をしろ、ということになるし、その考え方はおおむね同意できるが、具体的なものが良くない。現実に母子家庭がやっていけるような労働がこの社会のどこにそうたくさんあるのだろうか。労働の規制緩和をバンバンやって、何にも守られない仕事ばかり増やして、子どもを抱えて自立もクソもないだろう。子どもを抱えた人でも働けるような労働者保護をきちんとやってから、自立せよ、と社会に出していくのがほんとうの自立支援策ではないだろうか。八代尚宏あたりが雇用の多様化すればチチンプイ解決する、というような甘言を弄しているが、現実は逆で、前は中小企業の事務あたりだと、食って、アパート借りて、子どもを保育園に入れるぐらい、8時30分に出勤して18時に帰宅できて月20万弱のボーナスありの仕事ぐらいは何とかあったけど、今はほんとうにない。ここ数年の労働力ダンピングのおかげで、それだけ稼ごうとすれば子どもを寝かせてからまた働くしかない。
そして努力している親に健全育成がらみの人たちから「親が子とかかわらないと非行に走る」などと半ば差別的な言葉が投げかけられる。

いろんな人が言っているから細かく言わないが、個人に実質増税をお願いしておきながら、黒字法人への大型減税は何の財源の手当もなく行われる。

リスクの再配分という観点からは、「庶民が喜ぶ」「国際競争力」のためのばらまき施策はどんどん実行されて、社会のリスク管理に類する支出や必要な徴税は見送られている。

税金や国の予算が決まるときに、決まって流れるマスコミで街頭のインタビューって何とかならないかとおもう。時々いい意見があるけども。昼の銀座をうろうろしている専業主婦が「取られる側の気持ちになってよ。夫の飲み代減らすかな」だって。それはあなたの夫のセリフじゃないのかな。母子家庭のお母さんの苦労なんか考えると、遊べる余裕のある主婦からは税金取ってあげたくなってくる。
「児童手当ありがたいね」そうしてばらまかれる予算のお陰で泣いている人のことに思いを馳せてください。
うーむ。そういう意見しか選べないマスコミや視聴者のレベルの問題なのかな。

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2006.12.19

12/18 実践論・矛盾論

職場で入手した「ILO87号条約批准の舞台裏」という講演録のパンフレットを読む。表紙に著者名として小沢一郎の側近で引退した元参議院議員「平野貞夫」と書かれていたので手に取ったものだ。世間の敵にされている連合の公務員労組の部隊「公務労協」での講演で、元気出せとハッパをかけてくれているのか、講演をそのまま起こした原稿なので少し読みにくいが、内容はとても面白い。
公務員労働者の結社の自由を認めるILO87号条約を、先進国入りしようとしていた日本がなかなか批准しないので、ILO委員長自らが調査団を率いてやってくるようなことがあって、1960年代後半は国際公約として政治問題化していた、その批准をめぐる政界のうちあけ話が主題だが、話はそこから、重化学工業から情報社会への資本主義の変質という時代認識から、良い社会をつくる公共サービスをきちんとつくれるのか、それともこのまま解体していくのか問われている、という内容。
参議院で共産党席のすぐ隣で一緒に座った角田参議院副議長に、野党の共闘の秘策について教えろと食い下がられて「民主党も、社民党も、無所属も1回共産党に入ったらどうですか」と大声で答えて、隣で聞いていた共産党の幹部に怒られたなんてエピソードの紹介も面白い。いままで共産党が社会党に秘密入党してきた事例はいくつもあるけども、逆に大挙して共産党に押しかけたら、共産党はどうなるのか。入党審査があるからはねられるだけかな。毛沢東の「実践論・矛盾論」がよいテキストだと言い、こんなことを言う。

ある社会ある組織が滅びるときには、滅ぼそうとする敵からたたかれ、攻撃を受けるほど敵のいうことを聞くことになることがあります。一種の組織の自虐性といいますか、そして滅びていく。抵抗していかないのです。政党のことをいうとなんですが、政治でもそういう現象があります。(中略)いいかげんな作成では今の権力パワーには勝てないと私は思っております。
率直にいいまして、今の民主党を含めまして、非常に乱暴な口を聞くと連合全体も含めてして、矛盾論でいう、現在の日本の主要な矛盾は何かという分析から始めなければならないと思います。そして、その主要な矛盾の主要な側面は何か、要するに本当の敵は何かということをきちっと認識しておかなければだめだと思います。

前半はいろいろなことに思い当たる。

小沢一郎側近なのに、もろ中道左派の神野直彦東大教授を最も評価していたのが興味深い。旧自由党というと松波健四郎とか、西村真悟とか、二階俊博とか(阪和線を下っていくなぁ)、野蛮なイメージが強い中で、平野貞夫さんは何か違うと思ってきた。神野教授について菅党首(当時)に推薦してみたところ後ろ向きだったというエピソードも気になった。

神野教授の考えていることについては、公務労協「良い社会をつくる公共サービスを考える研究会報告」によくまとめられている。

●中川昭一がまた酔っぱらって暴走している。アメリカが日本に原爆投下したのは犯罪だと公言している。被爆者が道義的に米国をそうやって責める分には何の不都合もないが、日米政府間では決着した話を犯罪として騒ぎ出して大丈夫なのだろうか。
一方で、裁判での敗訴を受けて原爆症被爆者認定基準の見直しを検討してきた厚生労働省の審査会は、何も見直さない報告をまとめた、というニュースが今日伝えられた。
原爆投下は犯罪である、と言い切るなら、原爆症被爆者は犯罪被害者と同等である。戦争時の国民の被害については自国政府が補償するのが慣習である。中川昭一が政調会長という重責にいて、原爆投下が犯罪と認めるなら、被爆者の補償について後ろ向きなわが国政府の尻を叩くのが仕事ではないだろうか。それなくして自らの安全保障の持論のために被爆国のナショナリズムや被爆者感情だけを利用するのはムシが良すぎるのではないか。

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2006.12.18

12/18 障害者保育を実施しない法的根拠を探してみる

●障害児が障害者用ではない保育所に通所できるようにしている国の通知についてはよく知っているつもりだが、よく考えると児童福祉法で、保育所は「保育に欠ける子」を保育する施設として定義されているだけで、障害児は入れないと書いてあったとは思えない。
逆に、国の障害児保育の実施の通知がなければどうして障害児が障害者用ではない保育所に入所できないのか、その法的根拠はどこにあったのか気になって、調べてみることにした。
今年の10月に東大和市で、吸引の必要な子の保育所入所を認めよと保護者が起こした裁判の判決があり、東大和市はその子の保育所入所を認めよ、という画期的な判決が出された。その判決のなかに、障害児の保育所通所についての法的な整理が行われているはずだと思い、判決文が読みたくなって、「判例地方自治」2006年12月号を買い求める。
同じ号に、大阪・高石市の保育所民営化の取消処分請求が棄却された判決文もあった。保育所を考えるのに役に立つ号だ。もっとも保育所民営化について争われた裁判で、高石市は棄却、横浜市は民営化はひっくり返さないが保護者に賠償するよう否定的な判決が下りており、横浜市の判決もふまえることが重要だ。
しかし、裁判で争えるのは、公立が民営になった場合の逸失利益をめぐって。新設園の質が低い場合は、児童福祉法にもとづく保育所最低基準を下回らない限り、裁判で争いようがない(ここに民営化反対闘争が既得権益と非難されてしまいがちな法律上の構造がある)。
保育所の質については、裁判では担保にならないし、現に現在も保育がされている状態のまま長期間にわたって裁判で争うのも、子ども・保育者・保護者・行政どれもしんどいので、行政施策での住民参画や、第三者評価やオンブズマン(苦情解決)、公益通報、保護者会活動や保育労働運動などを配置して、公立でも民営でも質が下がらないようにしていくシステムが必要だ。

●NHKスペシャル「認知症」は思ったよりずっとよかった。じっくり見ることができなかったのが残念だが、認知症になってしまった人をよく理解することで、症状は緩和されるということがきちんと伝えられていてよかったし、介護施設の労働にも目が向けられていて、よかったのではないか。

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2006.12.17

12/15 東松山市見学の報告から

どういうわけかエリート予備軍の人たちと呑む機会を得る。労組の職員が参加するらしいと、みんなとてつもなく警戒して来たらしい。マイノリティーなんだなぁ。
彼らは人事に強い関心を持つところが偉いと思った。私はそういうことにあまり執着しないから勝負に弱いと実感している最近。

帰宅後、VTRに録画した14才の母を観る。相手の男の子の家庭環境の設定ができすぎだと思うが、いい問題提起をしてくれるドラマだと思う。どこにでも可能性のある話でありながら、「ありえない」「あってはならない」ということで問題を抱えた当事者しか考えてこなかったテーマ。未成年に命が宿ってしまったときに、その命とどう向き合っていくのか、ほんとうによく考えさせてくれる。新聞の投書なんかで倫理にもとる番組だから放映をやめろという意見があったが、妊娠するって大なり小なり14才の母と同じような課題を背負うんじゃないのか、と思う。14才で母になるという言葉や映像をこの社会から抹殺すれば若年妊娠がなくなると思うのは、井沢元彦じゃないけど、言霊崇拝の大和民族的意見だなぁ、と思う。
ドラマのロケで使われた学校が、昨日の教育基本法改正に疑義を呈したというニュースを聞いた。

●地域福祉計画の推進委員会があった。今回はとてもいい集まりだったと思う。
11月27日に半分以上の委員が東松山市の社協が運営する「総合福祉エリア」を見学に行ってきたため、その報告が中心となった。これまで地域福祉では街おこしや住民の自発性を中心に議論をされてきたが、そもそもおおもとの福祉のコーディネートをどうするのか、という実地の見学、そしてその効果を確認してきたこと、みずみずしい理念、そうしたものに触れて、とってもいい発言が続いた。

大きく分けて、①福祉提供体制の総合化(提供する側の都合のタテ割制度に利用者が合わせるのではなく、利用者にあわせてタテ割の制度を組み立てるシステム)、②尻を叩く方法ではなく障害者の社会参加を人材育成の観点から強力に支援していく地域の体制、③市予算に占める民生費割合が高くないでもできる現実、④ノーマライゼーションの理念が徹底されている、⑤これらの考えをきちんと持って推進する首長の存在、に評価意見が上がった。どれも朝霞市ではまだこれからの話。

③についてはいろいろ判断しなければならないこともあるので、一概に言えないが、高齢・障害の分野に限定すれば確かに東松山市のやり方の方が民生費は高くならない。総合的な支援で早くにニーズをつかみ、今の生活を大きく変えないようにその人の自立をめざしていけば、所得から生活から何から何まで支える福祉にはならなくて済む。施設入所も、本人が望まなければ回避できる。朝霞の場合は、介護が必要になった多くの家族から出てくる言葉が、入院する病院、入所する施設がない、という言葉。まちを1つの開放施設のようにしていくという発想で変えていく必要がある。
福祉が充実していない朝霞市の民生費が高いという理由については、保育所の数と職員配置の状況がどの程度影響しているのか、分母の問題して朝霞市が不交付団体となっていることの影響が出ているのかどうなのか、検証して判断する必要がありそうだ。

④⑤については、地方自治や地方政治に関わる人たちのものの考え方をもう少し整理してもらう必要がありそうで、財政問題から、自立、民、NPO、起業という言葉を安易に組み合わせて選挙公約にしてしまうような流行についてもう少し冷静になってもらうようなことが必要だろう。最も効果的な福祉に対するお金の使い方は、どこに力点を置くのか、今あるサービスのままでそれを単に民間に投げたり、NPOに安価で押しつけたりするだけで改革となるのだろうか。
それらを問い直すためには、支援が必要な人にとっての自立や自己決定権とは何か、という福祉に対する原理的なところからの理解がどうしても避けられないが、少なくとも政治についてはマッチョな人がなる仕事だから、自立といえば脛を囓らない程度の認識しかなくて、根源的な政策の問い直しにはならない。東松山市の市長とその他大勢の違いはそこにあるのだろう。だとすると福祉行政に政治が下手にタッチすることは避けてもらいたい、という感じもする。

最後に自由発言の機会を得たので、先日書いた保育所入所申請用紙の問題を指摘しノーマライゼーションについて全く理解できない対応であること、ノーマライゼーションの原点に人権を支える福祉という観点が問われているのにわからないことの問題、そして、市の人権啓発と言えば毎回のスローガンとしての同和問題の広報活動、その内容も「エセ同和」への注意喚起(本題の部落差別をなくそうという記事の倍ぐらいの分量がある。エセ同和の脅威なんて公共事業関連の人しか関係のない話でしょうに!)に大半が占められていることの問題を指摘する。

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2006.12.14

12/13 美しくない態度

印税を払うのも癪なので新刊を買い控えていたが、ようやく古書店に安倍晋三の「美しい国」が並んできたので、買い求め読む。
安倍晋三の右側の支持層を吸引しているのがネットウヨ言説や産経新聞だとすれば、この本は穏健派ややや左よりの支持層を意識して書かれているように思った。
相当におじいさんコンプレックスがあるのか、じいさんの正当性とその伝統を受け継ぐ晋三というストーリーに多くの分量を割いていた。三世政治家の悲哀ではないか。
書かれている政策の中身は、問題意識は今日的でも、その処方箋は中曽根政権時代のままじゃないだろうか。「ブレーン」に中曽根政権時代に活躍し、政治改革を右よりの立場から苦々しく見てきた人材が多いことと、この本の記述は無関係ではないだろう。前提としている社会構造が古い気がしている。
社会保障制度に対する認識は妥当だが、基礎年金の空洞化とか、そうしたものに全く処方箋がない。国営年金は2倍トクするというような処世術めいたことを説いているだけ。ダメな学生自治会のように「宣伝の仕方を工夫する」程度の改革。そうであるなら社会保険庁解体は何のためにやるのかわからない。

社会党をそれなりに愛してきた自分としては許せない表現もあった。

祖父の一高時代からの親友で、三輪寿壮という社会運動家がいた。労働争議関係の弁護士として活躍し、一九二六年(大正十五年)にできた日本労農党の初代書記長を務めた人物である。祖父と三輪は、目的は同じでも、そこにいたる道がちがった。三輪は目の前にいる貧しい人のために、弁護士として、また政治家として相談に乗り、運動した。しかし祖父の場合は、その貧しさを産み出している国家を改造しようとしたのである。(p169~170)

三輪が社会党の有力国会議員であったことが伏せられ、わずかに「政治家」と書かれ、穏健な社会主義者として社会改造をしようとした理想は、労働相談しかやってこなかったような書き方である。
右翼気取りで社民党をいじめて政治的正当性を獲得してきた晋三は、社会党とちょっとでも関わりがあるという事実が認められないことなのかも知れない。

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12/13 聖域ある構造改革

東上線の怠慢運転に憤る。
ふだんは最高速度時速70キロ~80キロで走る東上線(それでも遅く感じる)だが、遅れているにもかかわらず時速50キロぐらいで走って、志木駅に着く頃には5分遅れ。
志木駅の駅員が利用者に遅れて申し訳ないと大声で謝罪のアナウンスを入れ、運転士にあてこすったのはナイス。
混雑するし、それなのに前で座っている愚か者(顔はそのまんま東で服装はメンズクラブのまんま。胸にハンカチまで入れている)は足を伸ばしているし、腹が立つことばかりの通勤電車である。

●小さな政府構造改革の旗振り役の本間正明が、あれだけ公務員の特権、公務員削減を声高に主張していたのに、渋谷の公務員宿舎を借りていた。しかも、彼が借りている国家公務員としての籍は大阪大学教授。大阪の大学なのにどうして東京の官舎を借りれるのか。与党の御用学者にはいろいろ便宜を図ってもらえるらしい。まさに聖域ある構造改革だ。転勤で官舎がなくなって不動産屋をさまよう一般公務員はいい面の皮だと思う。

【追記】
実際に住んでいたのは愛人らしい。もてることは悪いことじゃないと思うので、私生活がどうであってもいいけども、自分のカネでやれ、と思う。公共財産を使って愛人宅を借りるのはどうか。本間氏お得意の財政構造改革のしわ寄せで、ばっさり給付がカットされることになった母子家庭の呻吟を聞くと、こんなこと許されるべきではない。我が国は政策決定に影響の大きいこういう国家公務員を放置しておいて、金正日のことが笑えるのだろうか。

小さな政府構造改革系学者は、口を開けば、どんな社会的弱者にも「既得権益」「抵抗勢力」と呼び、自分たちの原理論に見合わない現実は「改革が徹底しないからだ」と非科学的なイメージで世論誘導をしてきました。
ところが彼らの大半は、新たな産業(人材派遣業者など)の利権のために動いたり、こうして自分のコネクションが利用できる公共施設をタダや格安で利用していたりするのが実態です。
政府の審議会で、恩義も借りもないのに、特定の業界に有利な発言をして、タダで済むことがないというのは常識です。

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2006.12.12

12/12 不良息子にお金だけ渡す親

児童手当がまた積み増される見込みだ。子育てしていて、もらえるものはありがたいけど、助かる感じはしない。
公明党の参議院選挙の候補のビラがマンションのポストに投函されていたが(共産党なら無実の罪で逮捕されて、公明党ならいいのか。暗黒選挙だ)、その中で「児童手当を7倍に」と、公明党が与党入りしてから対象者が7倍に増えた実績を自慢していた。対象者を増やすことがよかったのかどうか私は疑問に思う。ワーキングプアの家に生まれてしまった子も、実質年収1000万円の家庭の子も、月1万の児童手当が出ていることに意味があるのだろうか。
同じ財源が7倍でも、それは貧困家庭や母子家庭や父子家庭にもっと集中的に手当を出した方がよかったのではないか。あるいは、現金じゃなくて保育サービスとか子育て家庭へのヘルパー派遣とか、現物サービスを出すべきだったのではないか。いろいろな反問が出てしまう。

教育再生会議やら教育基本法の議論で、親として責任を果たさない親が問題にされている。不良息子の親で一番ダメなのが、子どもとまともに話もしない、目も見ないで、アンタッチャブルに扱って「カネがたりねぇんだよ」と言われるままにお金を渡す親だ。国民が「お金がかかるから子育てしない」と言っているからお金を渡せばいいんだ、と、児童手当拡大には不良息子にお金を渡すような感じがしてならない。子育てなんて、女がやる為政者にはわからない世界だ、ごちゃごちゃ考えて下手に政治的に火傷するよりお金でも渡しておけばいい、そういうメッセージが取れる。そこには展望が全くない。

今度の児童手当は財源もまたあやふやで、これまた良くない。今、少し景気がいいからと財政の大盤振る舞いしているが、これでまた景気が良くなったらどう始末するつもりなのだろうか。
財政は今もって赤字なのに、必要な増税もせず、やり散らかしの放漫財政構造である道路特定財源をほぼそのまま残しながら、黒字企業に補助金をばらまくような法人税の大幅減税に続いて、子育て支援していますという言い訳のような児童手当の増額、ほんとうに大丈夫なのだろうか。景気が悪いときに財政を絞めて、景気が良くなったら放漫財政をやって、政府のニーズと逆なことばかりやっている。
きょうも歩く 過去の児童手当に関する記事

●タウンミーティングのやらせが「教育」と「司法制度改革」だけだったと報告する見込み。ほんとうか。この2つだけがやり玉にあがって、国会でも指摘されている「再チャレンジ」がなかったことになっていることがあやしい。

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12/12 非営利組織の専従者

友人がここ数ヶ月、半分専従みたいにしていた人(給料は払っていなかったが、他の団体の専従者としてかなりの自由時間があった)に牛耳られたNPOの軌道修正に奮闘した。制度改革をめざすNPOだったのに、専従者の趣味ともいえるイベントばかりやって、社会改革の取り組みを放棄してしまったからだ。
友人はそのNPOの立ち上げから関わっていたので気持ちはわかったが、私は冷たいもので、「たかがNPO1つの権力闘争によく熱を上げられますねぇ」なんて傍観していた。

結果は友人のめざした軌道修正に成功し、専従者を解任することに成功したが、その解任された人は往生際が悪い。ブログでは「こういう事態にいたった私にも反省すべきところがある」と言いながら、その反省点について何も言及しないで、NPO乗っ取り屋のリンクまで貼って、解任を決断した人たち全員を非難している。私もずっとそのNPOを傍観していたが、どう見ても、その専従者が日中の組織を独占できる立場を利用して、みんなの組織なのに、周囲に何も諮らず、やりたいようにやっていたように思う。

NPO関係者は、私の勤務先の業種である労働組合を、体質が古いから始まって、言いたい放題非難する人も少なくない(その骨頂とも言えるのがNPO業界に君臨する元検事だ。余談だがこの元検事の一派は、公務員はNPOスタッフのようなものだから団結権や団体交渉権は認めるのがおかしいと言っている。NPO労働者に対する人権感覚を見ることができる)。それらは大半が当たっている。
しかし、私は目的意識を失ったNPOには、老舗の労働組合の問題と同じような芽を持っていると思う。本業そっちのけで事業に熱を上げたり、ほんとうに組織を必要としている人を見殺しにしてしまったり、イベントばかりにうつつを抜かしたりする。
その他、労組やNPOに限らず、政治団体にしても、学校法人にしても、宗教法人にしても、ダメな非営利組織となったところは、専従者の趣味を加入者に押しつけるところから始まる。専従者だけが提案権を持ち、会議での自由な発言が許されなくなり、役員に特権や利権が発生し、非公式な話し合いが増え不自然な運営が目立つようになり、役員は専従者への不信感ばかり陰では語り、メンバーズシップが発揮されなくなる。

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2006.12.11

12/11 保守王国でも苦戦する自民党

誰も関心を払わないが、茨城県議会議員選挙の結果は興味深い。民主が6、公明が4、共産が2を取った以外は、ほとんど自民党か保守系無所属。全体から見れば何も変わっていないように見えるが、個々の選挙区を見てみると、変化を感じる。
読売新聞 茨城県議会議員選挙の結果
朝日新聞 茨城県知事選挙関連ニュース

都市部では、自民党以外の選択肢が定着しつつあるように思う。水戸市は、定数5に自民党が3人擁立したが、当選したのは1人。日立、土浦やつくばなど大きい都市で自民党が上位当選できていない。
県南県西部に多い1人区は、自民党と保守系無所属が争って、自民党候補がずり負けたパターンが多い。

茨城は、日立を除き、圧倒的に自民党が強い地域で、自民党が余裕で勝っていないということに何かを感じる必要がありそうだ。
また、同日行われた逗子市長選挙も大差で自民党推薦候補が敗れている。安倍政権になってから、対決型選挙となった地方首長選挙では、沖縄県知事選挙を除いて、自民党の成績が良くない。

そこで気になるのは東京都知事選挙だが、菅直人と田中康夫の名前が取りざたされている。菅直人擁立論をぶちあげている人は、東京の民主党から菅直人の影響力を取り去ろうとしている人でなはいかと思う。本気でそんなことを考えているなら、もっと違う話の出方をするはずだ。田中康夫についてはゴメンこうむりたい。長野で田中康夫を支えた人たちがその後どのようになっているのか考えると、とても担ぐ気にはならない。

●事務労働者から残業代制度そのものをなくす「ホワイトカラーエグゼンプション」が議論されている。労働経済とか労務管理とかそういう世界ではそういうものが「国際競争力」のチチンプイで「自然な流れ」なのかも知れないが、拘束性の高い賃金労働者をつかまえてカネを払わないと公言することになる。残業代を払わない社会は、人を効率的に働かそうというインセンティブが働かない。拘束したらしただけトクな制度は危うい。
もっとも、連合が席を蹴ろうとしてまで積み重ねてきたこれまでの議論で、20代30代の若年労働者の大半には適用されないような雰囲気になってきたが、それでもやっぱり、という話だ。そしてきょう、それをめぐる動きについて報道を見て感じたこと。
きょう、日本経団連は厚生労働大臣を呼びつけて、導入するように促した。大臣以下、国会議員、厚生労働省幹部がぞろぞろとついてきた。
一方で同じきょう、過労死の遺族団体が厚生労働省に制度の導入反対を申し入れをした。テレビの画面を見ると、年格好からどうみても係長級の人と、遺族が部屋に入るときにドアを押さえていた記録係っぽい職員2人で「陳情」として対応したようだ。
金儲けの話なら、厚生労働大臣がのこのこ出てきて、命の話をすると係長が同情するような迷惑なような顔して対応する、この国が何を国民に求めているのかよくわかるような映像だった。

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2006.12.10

12/10 ワーキングプアが産み出す富はどこへ

不動産屋が送ってくる月刊誌に、近所で一戸建て住宅を販売しているというので見に行く。
住宅用地取得が、マンションブームの惰性で品薄になり、来年あたりから住宅価格が1000万ぐらい上がると脅かされる。リストラで工場用地をマンションにして儲けた会社が二匹目のどじょうを狙って、もとから不動産業をやっている人たちには信じられないような値段で、あちこちの土地を高く買い漁っているという。
私が急いで買う必要がない人物だとわかると、セールストークは落ち着いたものの、次のミニバブルが崩壊するまで10年ぐらい様子をみた方がいいというので、やはり本当の話のようだ。

東上線の沿線、ガラの悪い朝霞ごときで、ほんとうにそんな高い住宅を買わされるような時代が来れば、それはミニバブルだし、逆に、そんな高い土地で開発がうまくいかなければ、またクレジットクランチ・つまり規模はともかくバブル崩壊が起きるのだろう。もっと長い目で見れば、高齢社会になって、悠長に不動産にお金を掛けていられる時代ではなくなる。少子化でそもそもの需要が伸びないのだから。
政府や財界は必死になって不況論を宣伝流布して、金利を抑え、景気対策を煽っているが、それは不動産業者の延命を計ることにはなるが、購買力に釣り合わない土地への投資そのものがおかしいとするべきだろう。

●NHK「ワーキングプアⅡ」を観る。
①仕事→家事→夜間の仕事を渡り歩く福島の母子家庭の母親、②父親の看護のために故郷を離れられなくなって約束されていたコンピューターグラフィックの仕事を諦めた北海道の調理員の女性、③外国人研修生制度を悪用した低賃金労働で駆逐されてしまった岐阜の仕立屋たち、④老後に缶拾いや公園清掃をやりながら基礎年金程度の収入で何とか暮らしている高齢者たちが紹介される。

①は、休憩時間はめいっぱい睡眠しながら日中働いて、夕方子どもと夕食を食べて、寝る前に家を出てさらに2時まで働く母子家庭のお母さん。これを見て、離婚家庭への無策を感じる。自業自得なんだから我慢しろというような、政策センスの悪さを感じる。地域福祉計画づくりでも離婚相談についてテーマに挙げたら、事務局にものすごい抵抗をされた。離婚しようかしていまいが、8時間働けばそこそこ食べていける給料を払うのが健全な社会で、背景事情で就業差別をする社会は異常だ。

②を見て、北海道時代を思い出した。私の出た大学は北海道の底辺校だったので、ほんとうみんな就職に苦労したし、就職した後も、不本意な仕事をさせられて大変そうだった。転職すればまさにワーキングプアへの道を走っていた。それでも親もとにいられた人はまだよかったと思う。
教員採用試験とか、公務員試験に通るのは、底辺校に不釣り合いな特別優秀な人か、コネがある人ばかりで、そういうのがない状態で、北海道の、さらに女性で、さらに親が病気療養中となると、とことん足元見られて時給500円になるかならないかのような仕事しかない。まったく努力のしようながないというのは実感する。ほんとうにいろいろな産業があって、虚業同然のお金もっているベンチャー企業がある東京と、構造改革でありとあらゆる産業が消えていった地方、さらにはその町村部は全然違うと思う。

③時給200円で働かせる外国人と、腕利きの職人が対抗できるわけがない。外国人労働について、人権の視点から制度の再設計をしないと、外国人にとっても不幸だし、日本人にとっても職を失うし、ろくでもない効果しかないように思う。第二の在日朝鮮人問題をつくることになると思う。

④缶拾いしていたおじいさん夫婦が、ずっと日々の生活に必死で年金を掛けてこなかったことについて「長生きなんかするとは思わなくて」と釈明した言葉が印象的だった。年金制度が維持できないかもしれない、というタレント評論家のコメントを真に受けて、捨て鉢になって国民年金を払わない人がいるけど、このおじいさん夫婦のコメントは重い。
貧困者ほど自覚的に年金なんか払う余裕はないのだから、最低年金制度を保険料方式でやることがおかしいと考えるべきだろう。まして積立方式の年金なんてもっとおかしなことになる。

こうしたルポルタージュに対して、有識者のコメンテーターは3人。
貧困研究をしている岩田正美日本女子大教授、原理的規制緩和信者で安倍内閣の経済財政諮問委員の八代尚宏ICU教授、経済評論家の内橋克人さんがコメンテーター。

岩田教授の「生産力水準に見合わない貧困の水準、貧困者の数」と家庭環境や人生のふとした落とし穴で貧困生活に陥っていく人、「世界一よく働く母子家庭の母親なのに最も貧しい生活をしている」「就職支援といって資格を取っても時給が10円しか上がらないという就労支援の無意味さ」を問題にしていた。21世紀に入るまで貧困研究は岩田正美さん以外は共産党系の研究者しかやっておらず、その分野で第一人者と言える。
内橋さんは「勤労を報いない社会は豊かな社会を維持できない」と予測した。私もそう思う。貧困層が多数派になるとも予測した。その言葉を聞いて、構造改革推進派はマルキストにエサをやっていると感じる。古典的マルキストの主張に沿うような経済になってきている。

八代尚宏は、日頃は、努力しない貧乏人ざまあみろという社会にしないと市場原理が機能しないし、国際競争力や社会資源の再配分がうまくいかない、というようなことを言っていたが、今回は関心ある視聴者を意識してか「健全な市場主義」「セーフティーネットの構築」などと意味不明なコメントで留まった。
しかし、健全な市場主義とは、何を言いたかったのだろうか。私は、ゼータク望まなければ人並みまじめに働いていれば食うに困らない、そのぐらいの社会が健全な市場主義だと思うが、観念論の八代氏の言う健全とは、最低生活水準とか、規制とかそういうものが一切ない、タブーなき市場原理が働くことが健全な市場主義と言ってきたのに、誤魔化している。セーフティーネットだって、市場原理主義者の夢物語の矛盾を全て税金に押しつけるだけの話だし、貧困者が自殺しない程度の内容なのか、ナショナルミニマムを意識しながらもう一回借金も過去のマイナスの思い出もすべてクリアにしてやり直せる内容なのかで全然違う。

ちょっとした人生のレールから外れると300万稼ぐのがやっとという社会になっているのに、土地バブルで東上線沿線の朝霞くんだりで6000万もする家を買う人がいること、そこに経済構造のいびつさを感じる。
デフレで物は次から次に安くなった。そして労働賃金はもっと安くなった。高止まりと言われてきた公務員賃金も切り下げ競争が行われている。しかし不動産だけは、使用価値までには下がらない。そして不動産コストを負担するために、サービス関連のコストが下がらない。NPOも活動場所を確保できない。公共用地の取得に手間取る。その弊害はバブル崩壊した今も続いているし、ミニバブルが近づいてる中で、またぞろ不動産業だけが儲かる社会になりそうだ。

●政府与党は、景気対策だとか、再チャレンジだとか、住宅取得だとかで減税のオンパレード。減税は税金を払える人にしかメリットを生まない。政府がきちんと考えて施策を打つより、税金を払いたくないインセンティブが問題解決すると考えているとしたら、国民とその叡智を愚弄する態度だと思う。また政策減税は、政策効果も測定不能だ。税制を複雑にしてしまうと民主的で公平性の高い徴税がやりにくくなる。減税の対象となる事業の説明が複雑で、再チャレンジ寄附控除など、そのシステムが理解不能だ。
ワーキングプア、ニート、貧困者の問題を解決するなら、税金をきちんと取って、彼らにピンポイントで施策を打たないと意味がない。

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12/9 路上喫煙条例の成果

午前中は、地域福祉計画の、高齢障害者の危機管理プロジェクトの打ち合わせ。全体的な日程と、当事者ヒアリングのダンドリが決まる。家族の状態や障害種別によって危険と感じることの内容は全然違うし、災害などの後の過ごし方も全然違うことになるので、少し細かくなるが3ヵ月ぐらいかけてじっくりヒアリングをしていくことにする。
東松山の福祉の話が出てきてなかなかいいらしい。

午後はマンション管理組合の支援組織の理事会。自分の宿題ができていなくて恥ずかしい。

夜、大切な友だちの赤杉さんがコメントするというので「これからの多様な性&家族&ライフスタイル」に出ようと思ったけど、雨の中荷物を抱えて移動するのに疲れて、帰宅してしまう。最近、自分の根性がなくてやりたいと思ったことの半分もやっていないことに情けない思い。

●路上禁煙条例がスタートして、不徹底じゃないかという不満を何回か書いた。
4日の埼玉新聞で、志木市の状況が報じられている。条例がつくられる前より良くなったが、ゼロにはならないし、開き直る市民もまだいるという状況。
私の感覚では、朝霞市、志木市、和光市の順で少なくなっている。朝霞も条例施行直後は悪かったが、11月に入ったぐらいからだいぶ少なくなった。それでも保育園の送迎で、平気で路上で喫煙している人は1人はいる。
条例施行後も状況の悪いのは新座市。志木駅南口はほんとうひどい。家から志木駅まで1回通る(約5分)と3~5人は喫煙者がいる。それも罰金徴収の対象地域でだ。新座市の職員が、禁煙指導したり、罰金徴収をしている姿を見たのは1回だけしかない。新座市には法律を守って仕事してもらいたい。
4市共通していることだと思うが、罰金徴収をしている人がいないことも問題だと思う。千代田区は容赦なく罰金を取る。禁煙を否定する論理は百と出てくる。どれもこれも幼稚な理屈だが根強い。そういうことには強権的にやるしかない。条例が嫌なら選挙で議員を替えて条例を変えればいいことだ。2000円程度の罰金、人権侵害になるものだろうか。だから指導・勧告・罰金徴収なんて段階をふんだことをするような条例に問題があると思う。

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2006.12.09

12/9 日本の公教育がバカ国民を製造する

教育再生会議が、公教育に「徳目」「規範意識」「友情」「親孝行」「奉仕の精神」「規範意識」を身につけさせることが必要と報告することになりそうだ。また、「地域に伝わる伝説や童謡、言い伝えなどを学校で教え、国や地域の伝統を尊重する心を養うとしている。また、郷土の偉人について学ぶ機会を増やし、子供の郷土への関心を高めることが重要だ」とまとめている。

ああ、うざい。誇れる郷土もない地域の人はどうするんだ、という疑問も起きる。それとともにニート・フリーターを大量生産して、若者を搾取するこの国に、自尊心や愛国心や愛郷心を押しつけられるのか。
地方政治を見ているとわかるが、郷土愛というのは、地域の進歩を妨げる勢力が、何とか地域を良くしようとする人を抑圧するために使うロジックだ。古くからきた俺らに無条件で帰依せよ、という意味で、「この街大好き」「郷土愛」を使うのだ。愛郷心や愛国心に魂がこもれば、地域のもつ桎梏や矛盾に気付いたときに、既存の秩序を破壊し、革命が起こされることも可能性に入れるべきだろう。私は社会思想史を学ぶ中で、革命家の愛国的な態度を学んできた。毛沢東の最初の妻が、中国共産党の指導するストライキを冷やかして参加しない青幇の港湾労働者(日本では山口組に組織化された港湾日雇労働者のようなもの)の前に、指を切って白布に「熱烈愛国」と書ききり革命の隊列に組み入れる話で涙したが、青幇の港湾労働者にしても毛沢東の妻にしても当時の中国社会では反秩序、反体制そのものだった。

放課後まで学校社会に子どもを縛り付け、各地で学童保育の質の低下をもたらしている「放課後子どもプラン」についても言及されているが(もっというと専業主婦の子育て逃避支援政策とも思える)、オリンピック選手の講演を聴かせるなんてメニューも盛り込まれる。オリンピック選手のリサイクル事業に税金をもっと使えなんてゴメンだ。今でも教育委員会は、御用済みの芸能人やスポーツ選手を講師に立てて本題と関係のない役にも立たない講演会を何十万もの謝礼を払って主催てばかりだ。今以上に税金を食い散らかすのだろうか。過去の栄光にしがみついているような有名人が、聴衆と満足なコミュニケーションもしないまま話したいことだけ一方的に話して何の効果があるのだろうか。いい話を聞かせる→いい子になる、そういうインスタント食品的、コンビニ的、ファストフード的発想で子どもたちと接してきたことが子どもたちをダメにしているのではないか(どうせ小谷実可子あたりが思いつきで言っているだけなんだろうけど。支配階層に仲良くしている文化人たちが日本の公教育を憂いているような顔して営業活動やるのはたいがいにしてくれ)。

まぁ、戦後以来の教育改革がこんな調子では、ろくな公教育にならないのは目に見えている。公教育の信頼はさらに低下していくのではないか。同世代の目端の利く親たちは、いかに公立学校から脱出するかばかりを議論している。そのことにどうかと思いながら、質の低い教育改革談義を聞かされていると、その親たちの気持ちがとってもよくわかる。
教育の知的水準を問わずに、観念的な徳目を並べて教育改革をやっても時間の無駄遣いになるだろう。バカ国民を製造するだけになる。バカ国民として無謀なことをせず従順に生きよというメッセージなのだろうか。
徳目だの規範意識だのが必要だとしても、それは人と人とが関わる社会があってこそ自然に身につけていくものでしかない。学校なんて同質社会の中で耳学問で身につくとは思えない。子どもや目下に徳目だ規範だという奴が、回りに気を遣わずにたばこをプカプカ、吸い終われば吸い殻ポイなんて光景は珍しくもない。

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2006.12.08

12/8 平和とは貧困が固定化することなのか

往復の通勤電車で月刊「論座」を読む。特集の「現代の貧困」が面白い。

湯浅誠さん「生活困窮フリーターと貧困ビジネス」では貧困者を利用するさまざまな商売が、どんなことしているか告発している。とくに貧困者向けの宿泊施設や住居を提供している業者が、労働と抱き合わせで中間搾取をしたり、金融と抱き合わせでクレジット・サラ金地獄への道を開いたり、ろくでもない。
湯浅さんは、ホームレス・貧困者の支援活動を続けて、住宅保証人を斡旋するNPO「もやい」の事務局長をされている。組合の機関紙づくりをやっているときに、入ったばかりの新人職員が「新しい公共」という特集連載記事の1回を「セーフティーネット」というお題で書くことになって、一緒に「もやい」に行って湯浅さんにインタビューした。

山本譲司さんと浜井浩一龍谷大学教授の福祉施設化している刑務所についての問題提起の対談、フリーターのインタビュー記事どれも読み応えがある。
とくに、左翼陣営にいる身として、フリーターのライター赤木智弘さんの「丸山真男をひっぱたきたい 31歳希望は、戦争。」は考えさせられる。

平和という言葉の意味は「穏やかで変わりがないこと」、すなわち「今現在の生活がまったく変わらずに続いていくこと」だそうで、多くの人が今日と明日で何ひとつ変わらない生活を続けられれば、それは「平和な社会」ということになる。
ならば、私から見た「平和な社会」というのはロクなものじゃない。

人が人を大切にされない問題って様々な切り口にあって、それらを共同解決していくのが左翼であるべきなのに、そうしたことを放置し、生存の危機感だけを煽って何においても平和運動最優先する左翼陣営のあり方は問われるべきと思う。4年前、石原慎太郎に一矢報いるべき都知事選挙で、平和運動に熱心な若者に何とか接触した。彼らは、私たちが設定した候補者と会っている時間だけは、偉い人に慰撫されてニコニコしていたが、いなくなった途端、私たちを「選挙なんかやっているヒマがあったら」と罵倒し続けた。私たちは頼む側だったのでひたすらなぶられ続けた。彼らが私たちに求めるのは生活を棚に上げた座り込みの毎日。でも彼らはいい服着て、理解のある夫や親から経済的に守られていて、それはすばらしかった。読んでいてそんなことを思い出した。
最後に筆者は、丸山真男が軍隊で百姓出身の一等兵に執拗にいじめられる体験を引き出して、「中学にも進んでいない一等兵にとっては、東大のエリートをイジメることができる機会など戦争が起こらない限りはありえなかった」と指摘する。
社会に出た時期が人間の序列を決める疑似デモクラティックな社会の中で、一方的にイジメ抜かれる私たちにとっての戦争とは、現状をひっくり返して、「丸山真男」の横っ面をひっばたける立場にたてるかもしれないという、まさに希望の光なのだ。
しかし、それでも、と思う。
それでもやはり見ず知らずの他人であっても、我々を見下す連中であっても、彼らが戦争に苦しむさまを見たくはない。だからこうして訴えている。私を戦争に向かわせないでほしいと。
しかし、それでも社会が平和の名の下に、私に対して弱者であることを強制し続け、私のささやかな幸せへの願望を嘲笑いつづけるのだとしたら、そのとき私は「国民全員が苦しみつづける平等」を望み、それを選択することに躊躇しないだろう。

左翼陣営は今、強烈な自己改革が必要だ。

【追記】この赤木さんの書いているHP「深夜のシマネコ」。
組織労働者に対するむきだしの対抗意識がひっかかるけど、そうなってしまうよね。今の世の中と感じることもある。これは配分の問題のように見えるけど、中間層大衆に残れている人たちの強烈な生活保守ぶりと共感能力の低さへの怒りなのかなぁと思う。自分も含めて。
先日の派遣労働者の賃金不払いで私に相談をもちかけてくれた人は、職場である派遣先企業の労働組合がまったく機能しないと嘆いていた。彼もかつてその労働組合の役員を務めたが、とにかく余計なことを言わせないようにさせられるので、あほくさくて役員をさっさと辞めたという。多忙な職場にいながら市民活動を切り盛りする優秀な人材なのに。
民間大手労組にはこういう話は尽きない。労働組合がしばしば使う統一と団結。仲間を売らない裏切らないという意味ならOKだが、異論を差し挟んではいけないというなら、それは民主主義と自治の自己崩壊だと思う。大学自治会でも、町内会でも、こうした光景は少なくない。そしてその組織は都合の悪い情報が入らなくなり、機能不全におちいり、手間ばかりかかる割に意味を見いだせず誰もやらなくなる。すでに大学自治会は大半の学校で崩壊している。

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12/8 議員と市民との協働を考える

夕方、市民活動と政治がどのように共同作業ができるか、というお題で意見を求められる。貧困な政治風土の中で票、カネ、次に理念が来る政治家の習性が、何をおいても難しい。
とくに、自治体では今、施策の計画・推進への市民参画を進めている。市の様々な審議会や委員会に公募市民の参加を広げている。そこに参加した市民は、きちんと勉強すればそれなりにいろいろなことを前に進めさせることもできる。行政も市民も企業もだんだん市民社会に合わせた自己変革を進めているのに、地方議会は相当取り残されている。中には気付いている議員もいて、何とか市民参画のレベルダウンを画策するのもいる。
数日前、財政破綻した夕張市の議会で、議員が市長を糾弾しているニュースを見たが、ここまで危機に至って、相も変わらず自分たち議員の責任を棚に上げて問題をすべて行政に押しつける地方議員のステロタイプを見たような気がした。

一方、市民参画が進むと困った市民がいることも事実だ。市民参画は、特定分野に関して優秀な市民の力を入れること、政策決定過程を透明化し公正なものにすること、当事者に発言の場を与えることなどが目的になっている。それなのに議員のまねごとして、配分の論理にばかり力を入れてしまう人もいる。基地跡地の100人委員会はそのあたりを間違えて、結果として、せっかく与えられた機会を有効に活かしていない。

話を戻し、地方議員が市民社会にあわせて変わっていくためには、いくつか条件があると思う。

議員どうしの討論をもっと大切にしてほしい。今の議会は、議員が行政におうかがい質問をしたり、糾弾質問をするだけで、議論とは言えない。市長が提案する議案に、賛成したり反対することでしか会派ごとの態度が明確にならない。もっともこれは議会に限らず、執行部が提案して、参加者がそれに質問するかたちでしか自説の主張ができない日本の民主主義システム全体の問題でもある。労組も学生自治会も、町内会も生協も同じだ。対案提案権なんか謀反としての意味でしか与えられていない。

それから市民と議員の地域での共同シンクタンクが必要だと思う。議員の調査活動や質問調整などに利用していくことで、自治体議員の立法過程に市民が参加する道を開く。市民が立法過程に関与し、行政権と勝負していく経験を積むことで、おねだり民主主義とおめぐみ民主主義の汚職体質から自治体議会は変わっていく道筋ができてくる。市民にとってもほんとうに役に立つ議会ってどんなものか、政治合意を作る楽しさみたいなものを体得できる機会が作られるだろう。
旧民主党時代には民主党を支持する市民運動が中心になって市民政調というものが設立されて、いろいろな政策課題をもった人たちが民主党の議員や政策スタッフと一緒になって政策や法案を作っていた。基本政策のようなものはやりきれなかったが、今の社会において必要な環境問題、福祉、交通、議会改革、入札などの各論の政策提言はとても力強く、面白かった。
しかし、だんだん民主党が政策を党直属機関で創るようになり、さらには党直属のシンクタンクを創ることになって、市民政調はほとんど利用されなくなってしまった。市民も議員と政策を創る機会が少なくなった。

また、議員報酬の見直しも必要だ。今は下げろという議論が華やかだが、それは逆だと思う。ますます優秀な人が政治家にならなくなる。
サラリーマンでも仕事を辞めて議会に参加できるような待遇を整備することだと思う。日本人の半数以上を占める階層の人たちが地域社会で発言の場を持っていないということは、由々しき事態だし、将来まで考えると危機的状況だと思う。地域には全然新しい血が流さないと。
自治体議員の視察旅行などつまらないものはカットして本給を改善すべきだろう。市職員より高い低いという議論はナンセンスだと思うが、課長補佐や係長級の給料より安いのはおかしい。最も高い市長との給料のバランスが悪いこともおかしい。行政権が立法権より高い位置におかれている官治主義そのものだろう。また互選である議長・副議長だけ飛び抜けて待遇がいいのもおかしい。

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2006.12.07

12/6 

職場で一斉カウンセリングを受ける。いくら労働組合の職員といえども、メンタルヘルスの問題があって、職場の悩みになっていることは他の世界と変わらない。労働安全衛生の一環として実施された。
でも、トラウマなのか内面についてあれこれ聞かれて話すのは嫌な感じがして、コーヒーでも頼んでご接待しようか、それとも完黙を貫こうかと決意して、カウンセラーになめられてはいけないと秒単位に正確に部屋に入室。

・・・しかし、刑事物ドラマでカツ丼を勧められた容疑者のように、ついつい口をついてしまった。自分の革命伝説をつくるためには、こういう場でも完黙する練習をしなくては。

●携帯電話を買い替えた。時間の都合で池袋で買い替える。地元で買い物しろ、を信条にしているから志木のドコモの店で買い替えようと思っていたが、同じドコモの店なのに同じ携帯電話の機種の値段が池袋の方が1万3000円以上も安かった。京都や大阪に行く区新幹線代になる。トクしたと考えればいいのか、おかしいと考えればいいのかわからない。

●来年こそ認可保育所に入れたらと思い、新設園の運営者に話を聴きにいく。なかなか面白そうな保育所になりそうだ。外国人や母子家庭と接した経験も大切にした保育メニューに注目。障害児保育は公立独占で実施できず残念そうにしていた。労組職員として気になっている人材確保などについても、率直に話していただいた。商業主義と福祉的な思いを両立させていることはとても好感が持てた。
官僚的な大手保育業者が運営する公設民営園より、地元業者の民設民営園の方が地域責任が発生するので実態はまともになりそうだ。仕事柄、公共サービスの民営化反対にかかわらざるを得ない。基本的に長い目で見れば公営の方がいいと思う。しかし民営化する場合、施設や運営費が役所のもので、受託した民間会社は親方日の丸になりがちな公設民営より、自分たちの身銭を切って借金を背負って作った民設民営園の保育所の方がいいという感じがしている。
保育・福祉・教育は地域がつくる公共サービスであるべきという、私の勤務先の労働組合の基本的な考え方は間違っていないと思う。自発的に民間保育所を立ち上げていった業者にどのように関わっていくのか、生かすも殺すも市の児童福祉行政の能力が問われていると思う。

●道路特定財源の一般財源化はめちゃくちゃになっている。道路建設計画で位置づけられた建設費は道路特定財源で賄うという。その計画が、技術官僚や土建屋や政治家がよってたかって膨らますから話にならない。道路特定財源を一文たりとも引き渡さないというのなら、地方交付税を道路建設に流用するのはやめてもらいたい。地方交付税で道路建設費の自治体負担分を手当するのをやめるべきだろう。
TBSは道路特定財源という税制度が異常であるということも視点をあててまともな報道をしていたが、NHKが税金がむしり取られているという論理で、道路・自動車業界寄りの報道だった。高齢化で、財政再建と高齢社会や障害者の自立を促す施策を同時に進めていかなくてはならないこの時代に、不要不急なことに税金をむしり取っているのは誰か、正しく報道すべきだ。

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2006.12.05

12/5 道路をめぐるNHK報道のインチキ

NHKニュースの道路特定財源の改革の報道がひどい。道路をつくれと税金にたかる人たちの言い分だけを伝えている。

私のように主に電車しか使わない人間は、建設費など運賃として負担している。しかし、渋滞などの社会の迷惑を省みずマイカーで楽々通勤しているような人は、税金で作られた道路をタダで使っている。この道路利用料にあたるのがガソリン税だったり軽油引取税だと思うが、今の水準はそれでも安い。それなのに税金を払いたくないとは太い根性していると思う。鉄道会社は、水力発電の水源涵養まで運賃の中でやっている。マイカー族は乗ったら乗りっぱなしだ。事故を起こしても交通警察に手数料を払うわけでもない。首都圏という限られた範囲だけで言えば、相対的に税金をまじめに払っているのは給与所得者ばかりの通勤電車の乗客じゃないかと思う。その納税者のお金でマイカー族の不始末をやっている。

またインセンティブの考え方でいけば、電車やバスより環境や社会資本への負荷の高いマイカー利用が、コストとして高くつかないと、環境にいい電車やバスを使おうというインセンティブが働かない。まちづくりだって公共交通のないようなところに平気で住宅団地やスーパーがつくられてしまう。ガソリンをバカバカ使って環境を汚した方が勝ちということになってしまう。クルマに乗れば乗るほど税金が高くなれば、クルマが必要なときとそうでないときときちんと使い分けが起こる。そして、渋滞の原因であるそもそもの交通需要を抑制することもできる。それがドライバーにデメリットだろうか。よく考えるべきだ。そう考えるとガソリン税からバス会社への補助金や地域の人が使う鉄道建設費などに回してもおかしくないし、排気ガス対策に森林涵養にお金を使ってもおかしくない。過去の道路建設で発行した国債・地方債の返済に回すことも考えるべきだろう。

それから道路特定財源は、自治体負担分がカバーされていない。つまり国が道路計画を立てて道路建設を押しつけるが、国が道路特定財源から負担するのは国負担分だけ。その割合は建設費総額の半分から7割ぐらいで、残りの負担は受益者負担、地元負担として自治体に回されてくる。その損は地方交付税がカバーする。
となると、地方交付税が手当される財政力の弱い田舎の自治体は道路をつくればつくるほど交付税が降りてくる。だからニーズがあるかどうか疑わしい田舎にばかり立派な道路が造られる。
一方、財政力があって地方交付税をもらっていない都会の自治体(横浜市、川崎市、東京都、それから私の住む朝霞市や和光市)はどんなに道路需要があっても、地方負担分については地方交付税で手当てされず、持ち出しになって財政破綻してしまうから、ニーズがあっても道路が造られない。
そのことを隠して、まるで道路特定財源だけで道路建設がされているように報道するNHKはじめマスコミのインチキには毎度腹が立ってくる。彼らは黒塗りの社用車しか乗らないから、通勤電車の乗客の感覚がわからないのだろうか。

そのニュースの冒頭で川口市の保育園児が脇見運転で殺された後始末のことが報道されていたが、マイカー族と石油業界、道路建設業者、それにワイロをもらっている自治体の首長団体の甘ったれた要求の情報を垂れ流して(「ガソリン税を払うことを強いられている」などという言い方で)いる。地方自治体の首長団体は何だろうか。ついこの前まで地方に財源をと大騒ぎしていたのに、道路だけは、二級国道であれ県道であれ市道でれ、国が道路特定財源を堅持して責任持てなんてご都合主義だ。
いったい川口のニュースから何を学んでいるのだろうか。マイカーのエゴを有権者の正当な要求としている感覚が、裏道なのに制限速度60キロの道路のままにされていたし、運転中にCDの入れ替えしたり携帯電話をしていても実質的には何のお咎めもない状態が放置されている。

事故の後、川口市は裏道の歩行者通行部分30センチだけ緑色に塗る工事をしたそうだ。制限速度60キロはそのまま、裏道に入りにくいインセンティブについては何もしていない。

以前、市の次世代育成支援行動計画づくりに、市内の仲間と共同作業をしてパブリックコメントを出した。その中で子どもたちにだけ交通安全を求めるやり方は間違いで、狭隘道路への自動車通行制限などおとなの側も我慢することを要求しなければダメだと書いたが、全然取り入れられなかった。

教育でも子どもたちには我慢や義務ばかり教えようとして、自分たちは自らを省みているのだろうか。

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2006.12.04

12/4 保育園の入園申請で「精神運動発達」の「正」「遅延」を届ける必要があるのか

保育園の入園申請用紙を入手する。取りに行った家族が怒っている。私も怒った。

昨年までなかった「入園希望乳児の健康診断書」が入っていて、病院に行って、診察料を払って、ハンコ押してもらわなければならないという。なぜこんなものが必要なのだろうか。保育所は生活を見るところのはずで、病院とは違うはずだ。身長・体重なら自分たちで調べられる。
児童福祉法は認可保育園の入所基準を「保育に欠ける子」としているはずで、保育に欠けるかということと関係のないこうした健康状態の情報を収集することの意味がわからない。
項目には「精神運動発達 正 遅延」などの項目もあり、その表現の差別性を感じるし、当事者の保護者からするととてつもなく傷つけられる思いがするんじゃないかと思った。日頃、市の仕事を受注する業者の問題を言っても、守秘義務だとか個人情報保護だとか言って何も対応しないのに、市民のデリケートな情報を、入園審査の段階で収集することは大問題だと思う。保育園の入園申請に臨む保護者は、書類の1つ1つ書くことが入園に不利に扱われないかどうか、心配しながら書いている。
また障害者の親や病弱な親たちの話を聴くと、長いこと「障害者の親なんだから」「病弱な子の親なんだから」という言葉に縛られて、どんな親であろうと認められる権利すら自ら返上し我慢するような状況だった。保育園に入れるということはそのもっとも束縛される最たるものだ。最近まで制度のうえでも障害児の保護者は就労を理由にしても保育園に入ることから排除されてきた。
そんなことを感じて見過ごせないと思い、児童福祉課に電話をする。

市役所の説明では、①乳児は健康状態がわからない②体の弱い子に適切な担当保育士をつけたい、という回答。①については健康状態なんていつどうなるかわからないのが乳児ではないだろうか(生まれて1年もしない子の健康診断なんてあまりあてにならない)。医師に書いてもらった書類1つでわかったことにしようとするのは間違いだと思う。②については理由としては成り立っているものの、最終的に全員の入所が決定するのは2月なのだから、それから考えれることもできる。職員の配置に3ヵ月以上もかけるのだろうか。それも疑問だ。

その他、入園申請用紙とそのガイドをもらって感じたこと。
7月開所といわれていた仲町保育園の開所もいつの間にか延期になっていた(2007年7月→10月)。繰り返される開所延期はどうかと思うが、思い切って10月にしたことは今年の秋生まれの赤ちゃんにはちょっと朗報かもしれない。しかしこの保育園の委託先の業者選定過程も、業者の選定基準も、どんな業者が応募しているのかも全く公開されていない。そうしたことを次世代育成支援行動計画の推進委員会でも報告されない。
子育てもしたことのない公権力が委託先業者を一方的に選ぶということが妥当なのか。先の民間委託園のように、保護者に笑顔だけを売って、中では何がどうなっているのかまったくわからない状態の業者に行ってしまわないことを願うばかりだ。

入園の選考方法について書かれたところを見てまたびっくり。今度追及したい。保育園の入所判定はいろいろな条件を点数化してその合計点で決めていくが、同点の子には、①家庭の状況、②母親の状況、③父親の状況、④児童の保育状況、⑤同居者の状況の順で裁量で決まる
しかし、この母親→父親という順は、子育ては母親がやるものだという価値判断による性差別だ。母親が養育しにくい場合より父親が養育できない場合の方が保育園入園に不利になるというのは、母親が家事と仕事、父親は家事をしなくて仕事、という固定観念から生まれている。同点の場合に判断すべきなのは、④の児童にとっての保育状況がどうか、その一点であるべきだし、厚生労働省も県庁も保護者という言葉を使っているのに母親、父親という言葉で「普通の家族」「そうでない家族」という線引きをつくるのは間違った行政である。大きな問題だと思う。

あと細かいことだが、市の保育園は使用済みのおむつは持ち帰らなくてはならない。そのためにビニル袋を100枚も買って用意しなくてはならない。クルマを持たない私のような人には、たまらないなんて思いながらも、それ自体、少し不満があるものの、まぁいいいとしよう。
使用済みのおむつが、ビニル袋にこまごまと包まれて家庭ごみとして出される方が、ごみ減量からみてどうなのだろうか、そんなことを考えてしまった。保育園っておむつのごみを処理できないのだろうか。大きな怒りからすればどうでもいいことだけど、考えなきゃいけないんじゃないか。

しかしどうして入れもしない保育園のことについてこんなに怒らなくてはならないのか。税金の払い甲斐のある自治体になってもらいたい。

●飯田泰之「ダメな議論」を読む。ダメな議論についての切り方が面白かった。75年生まれの著者は参議院で経済政策を担当していたため、バブル崩壊と構造改革についての議論をずっと見てきた。そこで様々な俗論とたたかいながらダメな議論の見ぬき方を学んだという。
小泉構造改革を批判する側に追い風が吹いているのにどうして論理力がないのか、と思っていたけど、そこにも明確な回答があった。結局、構造改革の基本的な理念を否定できてもないのに、「大きな政府派」だとレッテル貼られることを怖がっているから、小泉みたいな変人が珍奇なことやって許せない、という程度の批判だからだろう。「国民に冷たい」とか「暖かみのない」という飯田氏に言わせれば論証不可能な価値で議論をしているからだ。これは自民党の抵抗勢力はもとより、国民新党から共産党までのほとんどの政治家にいえることだ。

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2006.12.03

12/3 障害者・高齢者などが朝霞市で災害にあったら

今朝の毎日新聞1面で、国の災害時要援護者の避難支援ガイドラインが策定を求めている、災害時要援護者の避難支援計画を策定している自治体が1割というニュースを報じている。毎日新聞が全国の自治体にアンケート調査した結果。

災害時要援護者とは、高齢者や障害者、子どもなど災害時に支援や特別の対応をしなければ避難や避難生活、その後の生活再建に支障の出やすい人たちのこと。

朝霞市の地域福祉計画の策定のさなか、新潟県中部地震があり、NHK教育「福祉ネットワーク」で体育館に避難した「健常者」が自治体職員をなじっておにぎりを配給させる一方で、自治体職員がいないからとおざなりにされた知的障害者とその家族の大変な状況が報じられ、当事者家族とともに、7項目ある地域福祉計画の1項目として特出しさせてもらったし、そのことをうけて防災を担当している市の庶務課でも、当初は福祉が防災になぜ口だしするのか、といぶかしがっておられたが、後半にはむしろ率先してこの問題の対応策をまとめていただいた。

毎日新聞社の提示した4択の数字では朝霞市は周辺自治体と同じようなパッとしない回答になっているが、いろいろやりとりがあったので、完全ではないものの、一般的な高齢者や障害者だけを想定したような計画ではなく、もう一歩ふみこんだ内容になると期待している。

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12/3 国保が抱える高いリスクを社会がどう分担できるか

NHKスペシャル「もう医療にかかれない」を見る。

国民健康保険の保険料(税)は信じられないぐらいバカ高い。前年収入で計算されるから、仕事をやめて入ると、信じられないぐらい重たい保険料を払うハメになる。正直な話、私も転職の間の無業の3ヵ月は健康保険を無保険で過ごした。そもそもの国民健康保険制度のおかしさについて番組が取り上げていてよかった。
滞納率が高く、保険料滞納者に対する激烈な国民健康保険外しを行っている福岡市を舞台に、ヘルニアになりながら収入がないために保険料も払えず病院にも行けない左官屋さんを事例に番組は問題提起をしていった。

国民健康保険(国保)は、自治体関係者では財政問題の頭痛の種になっている。大企業のサラリーマンは組合健保、公務員は共済組合、一般サラリーマンは政管健保で囲い込まれ、残った人たちが国保に集中する。その人たちはお金がない人が多く、しかも病気やけがのリスクが高く、自治体としても見殺しにできず、国保財政を悪化させながら何とか制度を維持しているという状況だ。
国保は農業・自営業者がたくさんいた時代を想定した制度だが、今日では、失業者・フリーター・派遣労働者・パート労働者がこの制度に集中する仕組みになっていて、低収入の人たちがハイリスクの人たちを支える仕組みになっている。

そもそもの財政状況の悪化とともに、自由な職業のエリートたちの間で社会保険逃れがブームみたいになってきて(財政学の教授の講演では大学院生がひどいと嘆いてらした)、社会保険料を払わない人に対するペナルティーが厳しくなってきているが、その影響をもろに直撃しているのが、もともと払いたくても払えない収入の人たちに対してである。早期に医療にかかれば重度化せずお金がかからない医療ができる可能性があるのに、その機会を奪っている。保険料を払えなければその何十倍もの医療費を自己負担で払わなければならないから、こうなるとサラ金やヤミ金に行かないと医療が受けられないわな、と思う。あるいは、結果的に自治体は、国保料の債権をサラ金に売り払うことをやっているのではないか、と思う。

さきのヘルニアの左官屋さんが結局駆け込んだのは、共産党系と思われる個人土建業の団体で、そこでは生活保護の申請を突破口に、保険証の発行をとっていく方法を薦められ、実際、そのことで左官屋さんは短い間だけだが保険証をゲットすることに成功した。番組ではないが、日本で一番厳しい北九州市での生活保護のカットでは、政治に因縁のない人には自殺未遂でもしない限り申請書すら渡さずに、政党の支持者にだけはほいほいと申請を受理しているという話もあり、貧困者に対する行政の裁量はしばしば特定政党の支持基盤を培養しているのだ。ちょっと前の障害者福祉がそんな状況だったし、介護保険制度が導入されるまでの高齢者福祉もそうだった。議員に頼むと入れたり、正面からぶつかっていくと書類の受理もされなかったりした(そんな仲介斡旋みたいなことたけやっている地方議員が選挙に強かったりして、名刺を見せてもらったら裏に両面テープが貼ってあって、冷蔵庫や電話に貼って、と配っていると自慢していた)。

厚生労働省は払えるのに滞納している住民を選んで重点的に対策を行え、と通知しているが、払えないことの証明に奔走する福岡市職員の仕事もばかばかしい。返したものを返されていないと言われたときのように、無いことを証明することは難しい。無駄な作業のような気がしてならない。

やはり、そもそもの制度設計に問題があるとしか思えない。そもそもいちばん健康リスクの少ない大企業の現役社員と現役公務員がおいしい制度を先取りして、その残りのうち、仕事のある現役の人を平均的な政管健保にとどめ、国民健康保険に高リスクの人たちを集中させていることに問題がある。ウチのオヤジが働いていた会社は組合健保があったけど、(民間企業だから当然)大病の人は退職してしまうものだから、健保財政は良かったみたいで、保険料率は2割程度低かったし、年末になると売薬セットが送り届けられるぐらいだった。保険料率は政治が決める全国統一の政管健保に加入する中小企業に働いていた私には何だか釈然としない気持ちがあったが、それでも国保加入者に比べるとまだ恵まれていた話なのだ。

こんなこと私が言うと仕事上問題があるかもしれないが、連合も、不安定雇用労働者やフリーターや仕事のない若者と共闘したいとしばしば言っているが、この国保財政の問題に一定の見直しを行わないと彼らからは信用されないだろう。連合は健康保険組合制度を維持して、それを退職後も加入できるような制度にすることを主張している。高齢者の医療費問題には一定の解決を与えているが、格差・階層問題に起因する健康保険制度の矛盾に対しては、解決策が出ていない。
リストラされた犠牲者や派遣労働者たちがどんな社会保障制度を利用しているのか、全労働者の代表組織をめざす連合なら、社会全体のささえあいの仕組みからもう一度、健康保険組合の利害を代表するような考えを改めるべぎしゃないかと思う。実は、こうした問題提起は、都道府県の国保連合会の職員の労働組合が早くから行ってきて一定の共感はあったものの、なかなか主流の議論にされなかった。もっとも連合の言う、保険者機能(給付の無駄に対する監督機能が働く)の強化のためには、現行の健康保険組合制度が有効だという主張もわかるが、そのためなら他の手段も考えられる。失業者や貧困者の医療をどう支えるのか、というのは、社会連帯を徹底していくしか方法はない。それをやらなければ失業者や貧困者が医療にかかるためには、結局のところ、サラ金が支えるか、もっと税金を高くして国や自治体が自腹で面倒見るかしかない。

一方、自民党や民主党の一部には健康保険制度の民営化を訴える人たちがいる。これはこれでナンセンスで、今の民間医療保険のように、誰でも入れるけども告知義務違反で保険金を払わない、あるいは、そもそもの加入を制限しリスクの低い人だけを選ぶ(逆選択)が起こりかねない。組合健保の制度よりさらに社会連帯をぶっ壊すことになる。社会保険はそもそも社会全体の中で必ず発生するリスクを、社会全体で分担しようというものなのだから、リスクの排除や囲い込みを公的な制度で行うのはおかしい話になる。

健康リスクが最も高い人たちほど、社会的つながりが失われている可能性が高い。そうした人たちが負担しなくてよいとは言わないが人並み以上の負担を求められる今の制度はおかしく、健康リスクを社会全体で管理するような健康保険制度の改革が必要だと痛感する。

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12/3 念力ナショナリズムで北方領土は還らない

●北方領土の領有権について、学校教育できちんと教えろ、と高市早苗国務大臣が教員集めた懇談の席で発言したらしい。4島一括返還論を徹底せよというものだろう。政治の無能を教育に押しつけるのはいい加減にした方がいい。うんざりする。キャンペーンと署名と教育と口伝だけをやる戦後進歩勢力の平和運動を念力平和主義とネーミングした右派の人たちがいたが、今の時代は逆に、念力ナショナリズムというべきものが見られる。決議をあげたり教育で愛国心やナショナリズムを教えれば、きっとすばらしい国になって国力が回復する、という念力主義だ。こんなことやっている限り右派の衰退はそんなに遠くないだろう。

北方領土の4島一括返還論は、国際法上無理があるということは、「おバカさんかそれとも超策士か」をお読みいただければ多分概要がわかると思う。詳しくは、和田春樹氏や、佐藤優氏、木村汎氏などがそれぞれに書いているのでそれらを読むといいのではないだろうか。
北方領土の現実的利益って何か、それなしにイタズラにナショナリズムを刺激する教育をするのは江沢民時代の中国と同レベルだと思う。北方領土の資源は今のところほとんど貿易で獲得できるため、っ資源的魅力にとぼしい。開発できる領土としても、対岸の北海道東部がムネオの選挙区であるように、同じくらい公共投資が必要になる。現実的には、根室の漁民がロシアに脅かされず安全操業ができることが最大の目的であり、根室の目と鼻の先にある2島だけの返還論または2島の先行返還論が現実的な解決策である。
相手のある領土交渉で4島返還論である限り国境線の変更はありえず、根室の漁民の安全操業はほど遠く、ロシアの利益にかなった主張といえる。相手もなく、状況も見ず、政治家が自らの愛国心を証明するためだけに、無理な領土主張をするのは慎むべきだろう。

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12/2 異形の者を排他する議会-中津川市

岐阜県中津川市の小池議員(共産党)が、咽頭がんのために声を失ったため、本人は代読の許可を議会に要求していたがを禁止され、一方的にパソコン機器での音声変換しか認めない決定を受けた。この市議会の議員、自分たちの仕事についてとんでもない勘違いしているんじゃないだろうか。
公職で選ばれる人というのは、選挙で当選さえすればどんな人でも受け入れなくてはならないし、発言の場を与えなくてはならない。それを障害者だから、自分たちが配慮してやっているやり方を呑まないのだから、と発言の機会と方法を奪い、障害者議員だからと卑屈にならなくてはならないようではおかしいものだ。
こういうアホな差別をやっているから障害者差別禁止法(条例)が必要だというのに、差別する自由とでもいいたいのだろうか、日本会議に参加する地方議員を中心に、千葉県の障害者差別禁止条例への批判は熱心だ。

障害者政策として障害者が働いたり社会参加したりする場合、当事者の相談なしにコミュニケーションの方法を押しつけることが政策として妥当なのか、考えてもらいたい。とくに中津川市の民主系市議会議員は党本部に自分たちのやっていることが民主党の障害者政策に合致しているのか、問いあわせてみるべきだろう。前原、小沢でだいぶ反動的になったが、障害者政策については、当事者の権利性と、社会参加について色濃い制度のままのはずだ。

しかし、多くの地域社会や自治体で「偉い人」たちが集まる場に異形の者がいてはいけない、とは、何の顧みもなく規定されることが少なくない。
以前、朝霞市でも市の審議会・委員会に18歳未満の傍聴を禁止する規定が、何の検討もなく入っていた(私の関わっている範囲では今は見なくなってはいる)。地域福祉計画の策定委員会(公募市民ではない団体推薦の人たちだけの方の委員会)も、18歳未満の市民の自由傍聴を認めていなくて、私が異議を申し立てたが結局、僅差で否決されてしまった。
議会傍聴をはじめ、その他、こうした自治体のやるさまざまな会議傍聴には、あれこれつまらない制限が設けられ、子どもや障害者など理由もなく「こういうところに来るべきではない」とされている人たちを実質的に排除してきた。

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2006.12.02

12/2 子どもへの暴力を正当化する栃木裁判長

新聞各紙1面で報じられている板橋の両親殺害事件の判決に憤る。

やはり、16歳の少年に対する刑罰として、懲役14年とは最も長い。この少年より情状酌量の余地もなく、残忍な少年による殺人なんて他にもあったが、こんなに長い懲役はやはりない、ということだ。子どもの殺人に懲役刑を科すべきなのか、何があっても更生の余地あり矯正処分がいいのか、後者に近い立場の私でも、最終的なところはわからない。
しかし、集団リンチをした、通りがかりの人にレイプをした、弱い者いじめのエスカレートなどと違い、この事件の背景に歪んだ父親の関わりがあることがあまりにも明らかで、それがなかったらこの被告はここまでのことをしただろうか、そんなことを考えると、同じ事件をおこした大人でもこのような事件でここまで長い懲役となるかどうか、疑問に感じる。また懲役刑が更生のためになるのかどうか、疑問に思う。

まだ判決は罪刑法定主義なので、刑法にのっとって妥当だと思う判決を下しているのだから、そのこと自体に1つの正当性はある。本人や弁護人が納得できなければ控訴することもできる。

しかし栃木力裁判長の行為には問題を感じる。栃木裁判長は、父親の虐待を虐待と認めず、判決朗読の後に、「親子関係の持ち方に問題があったとは思います。しかし、ご両親なりに愛情をもって育てていたと思います。あなたにはそのことに気付いてほしいと思います」などと、事件の状況を一方的な立場で倫理的に評価する内容の私見をご披露している。

判決を申し伝えるという権力的な場面で、愛情とか、親子関係とか、私的な価値観を持ち出して、私見として被告を押し黙らせるというのは公正な裁判ではないように感じる。虐待は虐待だけども殺人はよくない、まして手の込んだことをしたのはさらによくない、と認識させるべきで、親から子には愛情があれば何しても免罪され我慢しなくてはならないんだ、といわんばかりの理屈は問題だ。
子どものためを思って・・・親はこのセリフで暴走することを経験してしまうことはあると思う。しかし、やはりそれは殺人が殺人でしかないように、どんなに正当化しても子どもへの暴力である。そのことは昨今の児童虐待防止の基本認識である。虐待が虐待であることを不問に付し、さらには愛情として言いくるめてしまうことは、児童虐待がひきおこす社会問題があまりにも多い中で、少年司法に携わる裁判官としての資質を疑わざるを得ない。

【追記】あらためて事件の全容を「手軽に」調べようと検索サイトを叩いて、この事件を探したら、新聞記事以外は、どうしようもない。いちばんまとまっていたのがこのサイトの記事。少し不気味なサイトのようだけども。
被害者である父親は、加害者となった子に放し飼いのイグアナや蛇と同室で生活させたり、父親はツーリングに行ったり冷房に当たって仕事をさぼっているのに、その仕事を毎日毎日、土曜日曜もなく子どもに押しつけていたらしい。
それに対して、ブロガーたちは「忍耐がない」だの「規範が崩れている」といって、この被告だけをなじって、復古調の夢の親孝行倫理をとくとくと語っている。バカじゃいなだろうか。また、父親をなじる方も、そんな奴がどうして子どもをつくったんだ、だと。加害者となった子どもは親を選べなかったんだ。後から四の五の言ってどうなる?
親が仕事が好きな子どもに仕事をさせるのは仕方がない。しかし嫌がっている子どもに仕事をおしつけて自分はさぼり、イグアナや蛇と生活させるとは、どう考えても虐待だ。忍耐がない、とか、規範が崩れている、という連中はこういう仕事に忍耐力がなく無規範で猟奇的な親族と生活してみるべきだ。

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12/1 企業は豊かになっても個人が豊かになるとは限らない

ひどいデフレのときには、早く不況を脱出したいと思ったが、景気が良くなっても、この国はちっともよくならない。先のバブル景気のときには、社会の24時間化が進んだ。今日、若者がこき使われるのも、この時代に深夜残業を社会全体が当たり前にするようになってからではないか。景気回復のたびに企業だけが豊かになって個人は摩耗していく。今度の景気回復では、労働者への分配は上がらないし、ワーキングプアが解決される見通しもなく、サービス残業はもっとひどくなるような傾向がある。働く人たちは何を失っていくのだろうか、ほんとうに心配になってしまう。
国益という観点から見ても、金融か知的財産かサービスで食っていくしか未来が見いだせないこの国で、猛烈に悪いホスピタリティーで暮らしている国民が他国に勝る知的財産やサービスを提供できるか疑わしい。バンコクのBTSという都市高架鉄道の受注に土壇場で川崎重工がひっくり返され、シーメンスに決まった。そのシーメンスの作った高架鉄道のホスビタリティは高く、すし詰め満員電車か窮屈な新幹線しか作ったことのない日本のメーカーの弱さを感じた(そう思ったら、日本でも一番高密度なのに遅れないダイヤを組んでいる京急はシーメンスの車両を購入しているという日経流通の記事を思い出す)。

個人の豊かさにつながらない景気回復が、経済成長に悪影響を与え始めているのではないか。昨日読んだ「生活経済研究」の報告で、この間の景気回復は、アメリカの過剰消費、中国のバブル経済、労働コストの抑制でもらたされたと分析されている。さらにこれ以上の経済成長にとってブレーキ役になっているのは個人消費の下支えが弱いことだ、とも分析していて、それはとりもなおさず、労働コストが低すぎる人たちが大きな固まりでいるということだろう。アメリカでの過剰消費にはストップがかかり始めているから、この状況のままでは中国のバブル崩壊や、労働の質が低下することで簡単に経済成長は止まってしまうという。

そういう状況に対する政権の処方箋は、相も変わらず財政を痛めつけながら企業の蓄積を増やすことだけだ。個人消費への処方箋はまったくない。つまり、企業の富を支えるために、企業に対して減税などで直接富を補填するやり方や、労働分野の規制緩和や職安の民営化による労働力コストを抑制するやり方しか出てこない。その方便が「企業が豊かになれば個人にも豊かさがまわってくる」という。サラリーマンが会社が儲からなければ給料がもらえない、という一般常識をすりかえた理屈だ。給料が上がるのは企業が儲からなくてはならないが、儲かった企業が給料を上げるとは限らないし、今回の政権の経済政策は、まさに儲かった企業が給料を上げる必要性を薄らぐ施策ばっかりなのだ。

安倍政権になってメンバー入れ替えした経済財政諮問会議は、人材派遣業の利権づくりに加担するICUの八代尚宏と、偽装請負でやり玉に挙がったリベンジを企むキャノンの御手洗が、労働市場のさらなる規制緩和と職安の民営(営利事業)化を企んでいる。無産者相手に、金持ちや権力が最低限の生活をちらつかせて労働力を買いたたく光景はあさましい。さらに、公務員がやっている職安は非効率なはずだという非科学的な思い込みを前提に、人材派遣業を野に放とうとしている。人身売買を正当化する暴挙と言ってよい。時給3000円受け取って、本人には半分しか払わない人材派遣業の搾取率は、3K労働の風俗産業以上なのだ(都会の話。アルバイトの時給が低い地方では搾取率は6割にもなる場合がある)。

手数料を払う企業に阿って、社会的規制を守らせるインセンティブが働かない、民営化された職安が、働く人の立場を考えた人材募集をするとは思えない。労働分野の規制緩和は、労働契約を企業と無産者個人との契約におきかえ、社会的規制を空洞化させてきた。企業と無産者労働者との関係は一方的なものになっていると言わざるを得ない(中野麻美「労働ダンピング」を読んでほしい)。

法人税率の引き下げも一部(減価償却の残存率の廃止など)を除けば、引き下げそのものはめちゃくちゃな話だ。実効税率が高すぎるという言い方をするが、「実効税率」とは国と地方の税率を合算したもので経費算入や、政策減税などを無視しているから、GDP比の法人税の割合は国際比較でいえば日本は高くない。そもそも実効税率はアメリカの豊かな州の方が日本より高い。
また法人税率が高ければ税金に取られるぐらいならと給料を払うインセンティブが働くか、税率が下がってしまえば内部留保にしておいても損は少なくなる。
どう考えても、この改革で法人の利益が個人に還元されるインセンティブはどこにもないから、個人消費に火が付くとは思わない。

さらに道路特定財源の一般財源化では猛反対する自民党議員たちを野放しにして、財政を食い物にする道路族を甘やかしている。

こうした企業亡国とも言えるような状態は、この国が社会民主主義政権をほとんど経験してこなかった弱さを感じざるを得ない。重要政策を決める政府税調も、経済財政諮問会議も、今は連合推薦委員はいない。中曽根政権時代の自公民路線の財産とも言える、政府の審議会委員を確保して政策実現をめざす連合のスタンスも、そろそろ限界が近づいているのではないかと感じる。無産者を守るために、政権交代の王道を歩くべきなのだろうけど、野党も野党でそこは無産者の味方というよりは、大学教員になりそこねた大学院卒の互助会組織に成り下がっていて、さらに見通しが暗い。

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2006.12.01

12/1 奉仕という2文字にまつわる糞尿のにおいの思い出

いじめ加害者の社会奉仕で思い出すことがいろいろ。
昔、朝霞市を走っていたバキュームカーは、うしろに大きく「奉仕」と書いてあった。だから「奉仕」と聞くと、糞尿の煮詰めたようなにおいを思い出してしまう。復古系政治家が「奉仕」と騒ぐと、そいつのスーツから糞尿の煮詰めたにおいがしてくる気がするのはトラウマか。強い者が弱い者に自分たちではやりたくないこと負担したくないことをタダ働きとしてやらせて、さらに倫理道徳まで押しつける、いやらしいにおいがプンプンする。誰かのために働くことは相手のために働くことで、ダメなそいつの根性を直したり、自分探しをすることではないだろう。「社会奉仕」によるサービスを受け取る側も、囚人みたいな人間を押しつけられていい迷惑だ。
なお、くみ取りの仕事を「奉仕」だと位置づける当時の朝霞市の下水道行政の感覚がおかしかったのだが。都市には欠かせない仕事だっただろうに。

余談はともかく、安倍晋三の経歴を見る限り、学生時代に奉仕はおろかボランティアをやっていたかどうかもあやしくて、友だちと遊んでばかりいた学生だったみたいじゃないか。いいわけ程度に履歴書に傷つかないぐらいの間「民間企業」にちょっと勤めて(雇った企業がボランティアだったりして。)、あとは二世の立場を利用して政治でメシ食ってきた。まさか、オヤジの秘書をやってきたことをボランティアとか奉仕とか言うのではあるまい。政治家にはこの手合いが多い。自分がやったこともないくせに、そして一般社会では苦行でもしてこい、と言われかねないような人物が、平気で他人に奉仕をせよ、礼儀を守れなどと要求する。注文の多い料理店である。

公務員への福利厚生がおかしいと、公務員宿舎の閉鎖と売却を積極的に進めているが、自分の住む首相官邸は、先代の住民小泉純一郎と違って、女房のわがままで内装をあれこれお金かけたらしい。渋谷のまちに必要なものを買いに行ったと報じられ、自分の身の回りのことは自分でやるというような印象を与えたがが、首相ともあろう人が繁華街で周囲から落ち着いた環境で買い物なんかできるわけがなく、ただのパフォーマンスだろう。

●労働問題、税制改革、公務員バッシング、生活保護の締め付け、母子家庭への自立支援策の剥奪など、いじめは子ども社会だけではない。次の国政選挙はいじめが切り口になるかも知れない。が、共産党や福島みずほがよく使う「庶民いじめ」みたいな、お代官様お情けくだせぇ、みたいなキャッチフレーズだとすべるだろう。

●板橋区の親殺し事件に懲役14年の判決。寮の管理人をしている親の暴力に苦しんで、親を殺害した事件だった。そういう経緯を考えると、判決は厳しすぎる。親から子への暴力には甘々の司法が、子から親への暴力には情状酌量をせずに厳しくなっているように感じるのは誤解か。

●オヤコーコーで思い出したが、やっぱり政権政策の社会保障分野の政策トップに親孝行手当を掲げた民主党には不愉快。独立生計を立てることが国賊とも言う気なのだろうか。もはや親子関係と介護は別問題と考える世論が半分を超えているこの社会に逆行している。非科学的な思いつき政策をぶちあげるからバカにされるのだこの党は。かねがね民主党の政策は2ちゃんねるによって形成されていると感じるが、親の家元で脛囓って罵詈雑言書き込んでいる2ちゃんねらー保護政策か。

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11/30 歩道の自転車走行に規制強化を

●警察庁が、自転車の歩道走行に関するルールづくりに着手するようだ。クルマ問題に敏感な人も、自転車に関しては甘々で、それでいいのかと思っていた。子どもや高齢者にとって、歩道を我が物顔で走行する自転車は脅威そのものだ。自転車による事故で寝たきりになる高齢者は少なくない。それなのに、ひき逃げした自転車はナンバーもなければ、車種も不明確なので、加害責任を追及できないで泣き寝入りしなければならないことばかりらしい。
安全に関してとてもうるさい社会になっているのに、自転車だけは野放しだ。ようやく本格的にルールづくりに着手する警察庁に努力を求めたい。

●防衛省への昇格法案が通る。この法案について、海外派兵の正当化という問題があるが、その他についてはよくわからない。議論がちゃんと行われていない証拠だろう。
沖縄県知事選挙の敗北以来、民主党は腰砕けのような感じがしてならない。菅直人代表代行が記者会見で言い訳みたいなコメントをしているのを聞いて、完全には納得できないけど、反対する理由を積極的に探すチャンスも時間も失ってなんとなく流れに乗って賛成してしまった、というような雰囲気を感じた。流されてしまうのは、党首の健康問題があるのじゃないかと思うこともある。かといって小沢一郎氏が消えれば、待ってましたとばかりに前原たち40代若手議員による、マスコミへの党内スキャンダルのたれこみを手口とした野党内権力闘争が始まり、社会党の派閥抗争の過ちを繰り返すことになりそうだ。

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