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2006.12.08

12/8 議員と市民との協働を考える

夕方、市民活動と政治がどのように共同作業ができるか、というお題で意見を求められる。貧困な政治風土の中で票、カネ、次に理念が来る政治家の習性が、何をおいても難しい。
とくに、自治体では今、施策の計画・推進への市民参画を進めている。市の様々な審議会や委員会に公募市民の参加を広げている。そこに参加した市民は、きちんと勉強すればそれなりにいろいろなことを前に進めさせることもできる。行政も市民も企業もだんだん市民社会に合わせた自己変革を進めているのに、地方議会は相当取り残されている。中には気付いている議員もいて、何とか市民参画のレベルダウンを画策するのもいる。
数日前、財政破綻した夕張市の議会で、議員が市長を糾弾しているニュースを見たが、ここまで危機に至って、相も変わらず自分たち議員の責任を棚に上げて問題をすべて行政に押しつける地方議員のステロタイプを見たような気がした。

一方、市民参画が進むと困った市民がいることも事実だ。市民参画は、特定分野に関して優秀な市民の力を入れること、政策決定過程を透明化し公正なものにすること、当事者に発言の場を与えることなどが目的になっている。それなのに議員のまねごとして、配分の論理にばかり力を入れてしまう人もいる。基地跡地の100人委員会はそのあたりを間違えて、結果として、せっかく与えられた機会を有効に活かしていない。

話を戻し、地方議員が市民社会にあわせて変わっていくためには、いくつか条件があると思う。

議員どうしの討論をもっと大切にしてほしい。今の議会は、議員が行政におうかがい質問をしたり、糾弾質問をするだけで、議論とは言えない。市長が提案する議案に、賛成したり反対することでしか会派ごとの態度が明確にならない。もっともこれは議会に限らず、執行部が提案して、参加者がそれに質問するかたちでしか自説の主張ができない日本の民主主義システム全体の問題でもある。労組も学生自治会も、町内会も生協も同じだ。対案提案権なんか謀反としての意味でしか与えられていない。

それから市民と議員の地域での共同シンクタンクが必要だと思う。議員の調査活動や質問調整などに利用していくことで、自治体議員の立法過程に市民が参加する道を開く。市民が立法過程に関与し、行政権と勝負していく経験を積むことで、おねだり民主主義とおめぐみ民主主義の汚職体質から自治体議会は変わっていく道筋ができてくる。市民にとってもほんとうに役に立つ議会ってどんなものか、政治合意を作る楽しさみたいなものを体得できる機会が作られるだろう。
旧民主党時代には民主党を支持する市民運動が中心になって市民政調というものが設立されて、いろいろな政策課題をもった人たちが民主党の議員や政策スタッフと一緒になって政策や法案を作っていた。基本政策のようなものはやりきれなかったが、今の社会において必要な環境問題、福祉、交通、議会改革、入札などの各論の政策提言はとても力強く、面白かった。
しかし、だんだん民主党が政策を党直属機関で創るようになり、さらには党直属のシンクタンクを創ることになって、市民政調はほとんど利用されなくなってしまった。市民も議員と政策を創る機会が少なくなった。

また、議員報酬の見直しも必要だ。今は下げろという議論が華やかだが、それは逆だと思う。ますます優秀な人が政治家にならなくなる。
サラリーマンでも仕事を辞めて議会に参加できるような待遇を整備することだと思う。日本人の半数以上を占める階層の人たちが地域社会で発言の場を持っていないということは、由々しき事態だし、将来まで考えると危機的状況だと思う。地域には全然新しい血が流さないと。
自治体議員の視察旅行などつまらないものはカットして本給を改善すべきだろう。市職員より高い低いという議論はナンセンスだと思うが、課長補佐や係長級の給料より安いのはおかしい。最も高い市長との給料のバランスが悪いこともおかしい。行政権が立法権より高い位置におかれている官治主義そのものだろう。また互選である議長・副議長だけ飛び抜けて待遇がいいのもおかしい。

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