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2006.12.02

12/2 子どもへの暴力を正当化する栃木裁判長

新聞各紙1面で報じられている板橋の両親殺害事件の判決に憤る。

やはり、16歳の少年に対する刑罰として、懲役14年とは最も長い。この少年より情状酌量の余地もなく、残忍な少年による殺人なんて他にもあったが、こんなに長い懲役はやはりない、ということだ。子どもの殺人に懲役刑を科すべきなのか、何があっても更生の余地あり矯正処分がいいのか、後者に近い立場の私でも、最終的なところはわからない。
しかし、集団リンチをした、通りがかりの人にレイプをした、弱い者いじめのエスカレートなどと違い、この事件の背景に歪んだ父親の関わりがあることがあまりにも明らかで、それがなかったらこの被告はここまでのことをしただろうか、そんなことを考えると、同じ事件をおこした大人でもこのような事件でここまで長い懲役となるかどうか、疑問に感じる。また懲役刑が更生のためになるのかどうか、疑問に思う。

まだ判決は罪刑法定主義なので、刑法にのっとって妥当だと思う判決を下しているのだから、そのこと自体に1つの正当性はある。本人や弁護人が納得できなければ控訴することもできる。

しかし栃木力裁判長の行為には問題を感じる。栃木裁判長は、父親の虐待を虐待と認めず、判決朗読の後に、「親子関係の持ち方に問題があったとは思います。しかし、ご両親なりに愛情をもって育てていたと思います。あなたにはそのことに気付いてほしいと思います」などと、事件の状況を一方的な立場で倫理的に評価する内容の私見をご披露している。

判決を申し伝えるという権力的な場面で、愛情とか、親子関係とか、私的な価値観を持ち出して、私見として被告を押し黙らせるというのは公正な裁判ではないように感じる。虐待は虐待だけども殺人はよくない、まして手の込んだことをしたのはさらによくない、と認識させるべきで、親から子には愛情があれば何しても免罪され我慢しなくてはならないんだ、といわんばかりの理屈は問題だ。
子どものためを思って・・・親はこのセリフで暴走することを経験してしまうことはあると思う。しかし、やはりそれは殺人が殺人でしかないように、どんなに正当化しても子どもへの暴力である。そのことは昨今の児童虐待防止の基本認識である。虐待が虐待であることを不問に付し、さらには愛情として言いくるめてしまうことは、児童虐待がひきおこす社会問題があまりにも多い中で、少年司法に携わる裁判官としての資質を疑わざるを得ない。

【追記】あらためて事件の全容を「手軽に」調べようと検索サイトを叩いて、この事件を探したら、新聞記事以外は、どうしようもない。いちばんまとまっていたのがこのサイトの記事。少し不気味なサイトのようだけども。
被害者である父親は、加害者となった子に放し飼いのイグアナや蛇と同室で生活させたり、父親はツーリングに行ったり冷房に当たって仕事をさぼっているのに、その仕事を毎日毎日、土曜日曜もなく子どもに押しつけていたらしい。
それに対して、ブロガーたちは「忍耐がない」だの「規範が崩れている」といって、この被告だけをなじって、復古調の夢の親孝行倫理をとくとくと語っている。バカじゃいなだろうか。また、父親をなじる方も、そんな奴がどうして子どもをつくったんだ、だと。加害者となった子どもは親を選べなかったんだ。後から四の五の言ってどうなる?
親が仕事が好きな子どもに仕事をさせるのは仕方がない。しかし嫌がっている子どもに仕事をおしつけて自分はさぼり、イグアナや蛇と生活させるとは、どう考えても虐待だ。忍耐がない、とか、規範が崩れている、という連中はこういう仕事に忍耐力がなく無規範で猟奇的な親族と生活してみるべきだ。

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コメント

はじめてコメントさせていただきます。今の子供にとって日常の中に殺人、人を殺すといううことがTVや漫画などから情報として無造作に流れすぎているように感じてます。今回の少年の場合にはそれに輪をかけて親が子供に対して尋常ならざるストレスを与えていたとなれば、親を自己防衛または本能的に排除しようとしたとしても、ある種の正当防衛的な感じにも受け取れます。ただ、ここで問題になるのが人が人を殺すというう行為についてどう考えるべきなのか?といううことだと思います。今の日本の司法では殺し方(あまり良い表現ではないですが)によって判断が分かれ、刑に違いが出てきています。「人殺しはいい事です。」などと子供に教えることはないでしょう。したがって、ある程度の子供ならば「人殺しをしてはいけない」との認識はあるはずだと思います。その上で今回事件を振り返ると、この家族の周囲の環境(学校や親戚、隣人、仕事先等)は、この少年の状況を誰も気ずかなかったののでしょうか?子が親を殺すという状況なるま前に、何かこの少年に手を差し伸べてあげられることができなかった!そのことがが残念でなりません。また、殺人や自殺以外の選択肢を選べる力をもたせてあげられなかったことが少年の判断を狭めてしまったように思えます。子供は親を選べませんし生活環境についても親に依存せざるをえないのが現実です。生まれた時からの悪人はいないのですから周囲の環境や親が子供に影響を与えているのですから、子供や少年犯罪においてはそれにについても考慮し、親の責任についても明確にするべきだと考えます。
 今回の件も親が亡くなったとしても事実確認をもっと調査して、親が子に与えた影響を公表するべきだったと思います。子供を育てられない親が潜在的に多数いるという事実認識を持つ必要があると思います。
 殺人以外の選択肢をといいながらも、それ以外の方法でこの少年が救いを求めたとしてもはたして彼は救われたのだろうか・・・?との思いも同時にあり、どんなことでもそうですが(いじめ、自殺問題なども含めて)何か起きてからの対処しかできないという日本人が非常に不得手な部分であることが原因で、問題が繰り返されているように思えます。
 人を育てる!子供を育てる。このことが世の中で一番難しいことなのではないかと思います。と同時に一番大切なことだと思います。この部分を我々大人がもう一度よく考え、これを中心に社会の仕組みについても再構築できれば理想的なのではないかと思いますが・・・。振り返ってみて私たちも子供のころはこんな大人にはなりたくないとか、こんな社会があったらいいななどと思いを巡らせていたときが少なからずあったのではないでしょうか?今、その大人になってどうでしょうか?実現できるできないは別として、子供のときの気持ちを忘れずに今の子供たちと向き合えるようにできれば、今までとは違った付き合い方、接し方ができるのではないでしょうか。
 長くなりました。取りとめのない内容で失礼いたしました。

投稿: とんがりクン | 2006.12.02 15:16

新聞読んで一番に思った事

この判決に素直に納得出来ない気持

この判決を言い渡した裁判官は

この少年が犯行に及ぶまでの毎日をどんな気持で

過ごして来たか余り分かって無い様に思えます

投稿: yuri | 2006.12.02 16:48

とんがりくん様、Yuri様コメントありがとうございます。
ほんとうその通りですよね。自分がそんなこと親にされたら、殺すかどうかはわからないけど、親に復讐すると思う。肉親だから余計に。

裁判官は余計なことをしたと思います。重すぎる刑については、上級審で争うことができますが、やはり私見で、虐待を愛情といいくるめたところに、本人も私たちのような者にも納得性が出てこない原因があるのではないでしょうか。

これまで児童虐待は、子どもが死んでから手遅れだ、公的機関は何やっていたんだ、親としてどうだ、とマスコミは報じてきたし、子どものことを考えている人たちは、ウヨ・サヨ関係なく、その点については同じ問題意識をつくってきたはずです。

そのためには、児童虐待は暴力なんだ、と司法が明確なメッセージを出すべきなのですが(立法はすでにそういうメッセージを児童虐待防止法で出しているのに)、昨日の判決ではそんな認識、全然ないですね。
親から受けた同じ行為をめぐって、殺されれば日常的な虐待と認められ、殺せば虐待ではないとされるなら、死ぬも地獄生きるも地獄です。そんな司法でよいのか、私は疑問に思うのです。

親とはいえ、他人を殺した罪については少年院送致も含めて償うべきだと思います。ただ彼が受けてきた不条理を不条理と認めもしないことが彼の更生・反省に役に立つのか、疑問です。どんなにひどいことをされても殺人はダメという考えを持たせなくてはならないのに、ひどいことをされていないんだから殺してはいけなかった、というメッセージを与えることになります。本人も反省したい気持ちがあるようなのに、虐待が愛情といいくるめられたことで、反省に留保しなくてはならなくなってしまったのではないかと思うのです。

山本譲司さんが書いた「獄中記」では、必要以上に重刑にされてしまう知的障害者と比べて芸能人はうまく情に訴えかけ、再犯の麻薬犯でも回春もとい改悛の情が認められ情状酌量で執行猶予を取ってくる、と書いてありましたね。

投稿: 管理人 | 2006.12.03 00:36

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