12/25 いったい誰を何のために守るのか
●規制改革会議が、職場で一定割合の組合員を組織しない労働組合に交渉権を与えないように規制緩和する方向を出していたが、厚生労働省が何とか阻止した新聞記事があった。
最近、派遣労働者や非正社員のひどい労働実態が、個人で入れる労働組合「ユニオン」に加入する人たちの勇気で、明確に社会問題化してきている。労働条件に向かいあった彼らに、経営者たちはひどい仕打ちを行い、正社員との格差をさらに強く印象づけ、働く人たちを分断し、傷つけ合わせている。
1人でも入れる労働組合として勇気ある非正社員や派遣労働者を守り、励ましてきたユニオンの活動を規制するものとして、規制改革会議の企てはとんでもないことだと思う。結社の自由を規制し、労働三権を規制するようなことが平気で行われている。
一方で、社会資源を無視した乱開発とか、景観を壊す土地開発とか、焼畑式の郊外型スーパーの開店、規制外の常設の広告看板、無許可の産業廃棄物処分場についてはほとんど規制されない。やったもの勝ちで、たとえ違法と指弾されても現状復帰されることはまずない。
規制緩和が景気回復と社会改革の特効薬のように伝えられてきたし、前川リポート以来、規制緩和=社会改革とパブロフの犬のように考えさせられてきた。そしてまじめに警鐘を鳴らしてきた内橋克人さんなどを抵抗勢力や左翼よばわりしてきたけど、ほとんうにそんな態度でいいのだろうか。今は経済分野の規制緩和はほんどと行われず、ほとんどが個々人を守る生活分野や労働分野の規制緩和ばかり行われている。規制緩和は何のために行うのか、深い洞察をしていかなくてはならない。
【追記】同じ朝日新聞で、あまりにもむちゃくちゃな規制改革会議の主張が斥けられたことを官僚に屈服して「後退」かのように表現した。平和と文化人のための民主主義を守ることには必死なのに、人々の生活が壊れていることに鈍感な朝日。まったくな左翼リバタリアン新聞だ。
●横浜市で、高さが足りない電線に、ショベルカーを積んだトラックが引っかけて、とおりがかりの子どもが亡くなった事件が報じられている。この高さの足りない違法電線が監視カメラのための電線だったというから、ほんとうに何だかはなしがあべこべだ。監視カメラで犯人は捕まったが、犯罪を予防したことってあるのかな。監視カメラで守られた人っているのかな。
マンションの管理組合の理事長やっていて、設置している監視カメラが意味のないものだと実感してばかばかしい思いをしたことがある。というのも最近、私の住むマンションで根性のねじくれた住民が違法駐車の警告票を毎日数枚ずつ盗んでは1階住民宅の廊下側ベランダにまきちらすことが続いてきた。目撃証言は定まらず、証拠を押さえるのに監視カメラを使おうと思ったが、刑事事件でもない限り見てはいけない、とルール化されていて、見ることを断念した。もちろん、そのルールは大事で、おかしな運用がまかり通れば、財産権を担保する管理組合が治安活動を始めていくことになり、それはとんでもないことが起きうる。したがって監視カメラは使えない。こんな役にもたたないもののために、セキュリティー会社に毎年20万円を垂れ流してきている。設置しないで何かあって住民どうしがもめるより、という組織のガバナンス的判断で設置されて数年になる。新幹線や高速道路と同じで、監視カメラを設置するコストは住民に対する政治工作料みたいなものだ。多分、どんなに意味のないものだと理屈で説明しても、撤去するとなればきっと住民どうし大もめになり、将来にわたって禍根を残すだろう。
最近は、都道府県によっては警察までが監視カメラの営業活動に加担しているという話も聞く。でもやっぱりマンション内の安全のためには、おかしなことに出会ったら、注意する、お互い気を付ける、住民どうしで話題にする、そういうことを不断に続けること以上の特効薬はないと思った。
話は戻して、監視カメラを通じて管理組合や商店街などから吸い上げた高い利用料から、監視カメラを設置したセキュリティー会社がマスコミにばらまく広告宣伝料が効いているのか、マスコミが伝えるのは横浜市の監督責任ばかりだ。違法な電線を設置した当の会社がやりたい放題やっておいて、市役所ばかりが謝罪するのはおかしい。横浜市は電線設置したからと税金を貰っているわけでもないだろうに。マスコミはきちんと設置した受益者の責任を問うべきだろう。
●田原総一郎がおかしいのは、たまにチャンネルを変えるすき間に見るとよくわかる。ずっと見ていると彼の独特の強引さにひきづられて気付かない。
私を含めて視聴者は政治家とか学者の言う言葉はわかりにくい、という先入観がある。田原は気に入らないと、「何言っているんだかわからない!何言ってるんだかわからない!ちょっと○○さん(といって自分の懇意にしている文化人に話しを振る)、この人何言っているんだかわかる?」とわめき始める。すると視聴者はその人の話の難しい部分やあいまいにしか言えない部分を見て「何言っているんだかわからない人」という刷り込みが行われ、たえず「わかりやすく話すべきだ」という脅迫観念に駆られてる当の政治家や学者は一瞬うろたえたえる。そこに田原の主義主張を押しつけて、こう言わなくっちゃ国民にはわからないよ、と断罪する。
一方で、電通と仲良しの政治家には、「ご意見拝聴させていただきます」という態度で、どうでもいいエピソード話を延々垂れ流させる。小泉純一郎や安倍晋三など森喜朗を除く森派の政治家や、胡散臭いベンチャー起業家などたちはこのやり方でヨイショされ続けた。民主党においては前原や小沢側近、松下政経塾出など右シフトがこうしてヨイショされた。ときには同情までして。
田原の出る番組のスポンサーって、日榮とか、KSDとか、怪しい企業ばっかりなのも気になっている。
●地方の同僚が昔、本間正明阪大教授の講演の話題をしていたことを思い出し、我が社とどんなつながりがあるのか調べていたら、90年に社会党が提出した消費税廃止法案のブレーンだったという情報が出てきた。自民党の津島雄二氏がそれを指摘しているらしい。
したがって、本間氏に対して「消費税を上げようとしているのに自分は愛人と官舎で」という安易な批判は間違っている。本間氏は本気で税金を上げようとはしていない可能性がある。今回も、社会党の消費税廃止法案も、自然増収という言葉が飛び交った。根拠のない減税論を信奉しているフシを感じている(だから私は嫌いだし、その政策の帳尻あわせにマイノリティーの支援策が次々にやられていることが下品だと感じている)。したがって消費税増税と官舎問題は別物だ。私は本間氏の税制に対するスタンスの危険性はそれはそれで指摘すべきだと思う。一方、官舎に愛人と住むということは、そもそも小さな政府=官舎を無くすという思想と大きく矛盾するんではないか、と糾すべきだろう。
また本間氏は辞任したが、本間氏に官舎を勧めた財務省官僚が一番のワルで今のところ不問に付されている。当の職員たちがクレクレと言ってできたわけでもない社会保険庁職員の官舎は、マスコミの好餌にされ批判を浴びて、一同雇用すら失いかけていることと対比すると、政治的な悪意を感じる。
労組の団交権制限を削除 規制改革会議の最終答申
2006年12月25日08時41分朝日新聞
25日にまとめられる政府の規制改革・民間開放推進会議の最終答申から、労働組合の団体交渉権を制限するとした項目が削除されることがわかった。今月上旬に示された原案では、労組の団体交渉権について「従業員の一定割合以上を組織する場合に限るよう早急に検討する」としていたが、憲法に抵触しかねないなどの理由から見送ることになった。
労働組合法は、組合員がその会社に1人でもいれば、使用者は正当な理由がなければ組合との団体交渉を拒否できないと定めている。しかし、同会議専門委員の小嶌典明・大阪大教授(労働法)が「経営側への負担が大きい。交渉権を一定割合以上の組合に限れば、労組が多数の組合員を組織する動機付けにもなる」と主張。米国では、過半数の労働者の支持を得た組合が交渉権を得る仕組みで、これを念頭に、1割以上の組織率を条件にした構想だった。
だが、厚生労働省は「憲法はすべての国民に団結権や団体交渉権を認めている。少数組合を排除する理屈は成立しない」と反対していた。非正社員が増えるなか、1人でも入れる地域の労組へのニーズが高まっており、働き手の側からも答申案に懸念の声が出ていた。
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