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2006.12.31

12/31 「勤労感謝の日」が「家族の日」に。この社会の価値は働くことで報われるより血統へ

11月23日の勤労感謝の日を家族の日にする企てが政府内で進んでいるようだ。
「正しい家族が大事」というモラルだけで子育ての問題を解決しようとするバカ政権の考えそうなことだ。

国家神道に由来を持つ理由で11月23日を勤労感謝の日にすることに是非論もあるが、戦後、働くことをきちんと評価し尊ぶことを価値においたからこそ勤労感謝の日という休日となった。それを政府がアホみたいな思いつきであっという間に休日の意味を変えてしまうということは許しがたい。

「家族の価値を社会全体で共有」などと全体主義的な物言いをするぐらいなら、家族でいる時間を収奪するようなホワイトカラーエグセンプション(残業代不払いを公認)などの構想は永久に破棄するようなことぐらいしたらどうだろうか。

「家族の価値を社会全体で共有」などと言う政治家の言うことなんて、保育園があってようやく成り立っている今日の家族をバカにしてみたり、保育所排撃論を主張されたり(そのくせ裏口入園とも言える入所口利きなんかやるんだ)、所得税や消費税を上げながら努力もしない人への相続税を引き下げたり、二世三世の議員・芸能人・実業家ばかりを持ち上げるような、血統だとか家柄だとか先天的な環境を肯定するだけのことである。安倍首相のじいさんコンプレックス趣味を国民に押しつけるのはやめてもらいたい。社長の娘である首相の妻が贅沢三昧を自慢して自覚がなくて問題になっていることと無関係ではない。少しは家族や血統とは違うチャンネルから、ものごとの価値や智恵を学んでもらいたい。

また労働が人が人を食うような状況になっている中で、家族関係や家庭環境も複雑化している。「家族の価値を社会全体で共有」なんて甘い状況じゃないと思う。

離婚調停が成立してから6ヵ月経っていないで妊娠した後の夫の子どもを、芦屋市役所が前夫の子どもとして届けなければ出生届を受理しないというふざけた話があった。昨日、ようやく後の夫として受理されたが、その過程で、芦屋市役所は「離婚したペナルティーだ」と言ったと報じられている。何が家族の価値なのか、家族とは何のためにあり、家族があることによって人がどうなのか、ということも考察されずに、家族をかたちづくろうとしている人を冷遇するような法律制度を放置して、類型的な家族以外はこのような扱いを受けるような国の家族の価値とは何なのか、ひどい話である。
一方で、DVされても離婚しないことが表彰されるようなことも起きてくるのかな。実際、右派系の地方議員には、DV対策に後ろ向きな人もいる。DVされてもあんたが悪いから我慢しろと教えるとんでもない新興宗教がまだまだ根強い。そういう新興宗教に応援されている保守系政治家は多い。

生活を抱えて働く人をまもとに扱わない国で家族の価値なんて言ったところで、遊んで暮らせる金持ちや資産家の息子や娘を甘やかす政策でしかない。勤労感謝の日を家族の日にしようと企てる人たちの感覚なんてそんなものだ。

余談だが、勤労感謝の日の翌日が私の誕生日で、よく振替休日になる。勤労感謝の日には、金正日ではないが自分の誕生日みたいな愛着がある。それを勝手にいじられるのも面白くない。これは私憤だけれども。

11月23日は「家族の日」…政府検討
 政府は2007年度から、「家族の日」を制定する方針を決めた。

 安倍首相の重視する家族や地域のきずなの重要性を考えるきっかけにしてもらおうというもの。11(いい)23(ファミリー)の語呂合わせなどから、祝日でもある11月23日を軸に調整している。

 安倍首相は、所信表明演説で「家族の価値を社会全体で共有できるよう意識改革に取り組む」と表明している。「家族の日」制定は、そのための具体策の一つ。首相や有識者による家族をテーマにしたフォーラムの開催や、家族や地域のきずなを深める活動を表彰することなどを検討している。

 また、家族の日の前後に「家族の週間」を設け、期間中は残業などをせずに早く帰宅することなどを、国民や企業に呼びかける方針だ。飲食店や映画館などに賛同を呼びかけ、家族割引などのサービスを実施することも検討する。(2006年12月31日6時37分 読売新聞)

無戸籍:離婚後265日で誕生の男児、1歳でやっと登録
 離婚後300日以内に生まれた子は「前夫の子」とする民法の規定を覆し、神戸市東灘区の井戸正枝さん(41)=兵庫県議=は、裁判を経て我が子を「現夫の子」にした。さいたま市で生まれて2年たつのに戸籍に登録されていない女児の存在が明らかになったが、このケースでも生後1年間、男児が登録されなかった。井戸さんは、その間を「生後間もない子を抱えており、精神的、肉体的に大きな負担」と振り返り、法改正の必要性を訴える。【工藤哲】

 井戸さんは01年11月から前夫と別居、02年3月に調停離婚が成立した。団体職員の智樹さん(47)とは02年1月から同居を始め、同11月に結婚、海如(みごと)君が生まれたのは、離婚成立から265日後だった。

 芦屋市役所に提出した出生届はいったん受理されたが、その後市役所は「前夫を父とする出生届を提出するように」と連絡してきた。担当者から「前夫の子にするしか方法がない。離婚したペナルティー」とも言われたという。

 戸籍登録のためには、前夫が自分の子であることを否認する「嫡出否認」か「親子関係不存在確認」を家庭裁判所で認めてもらうなどの方法がある。そのためには、前夫の証言が必要だが、井戸さんは、前夫の証言を必要としない形で父子関係を認めてもらえないかと研究した。

 法務省に相談のうえで、智樹さんを相手に海如君を我が子と認めてもらう「強制認知」の裁判による判決で法的な保障を得ることができることを確認。03年9月に神戸地裁尼崎支部に提訴した。争いはないため、同11月には海如君が智樹さんの子と認められた。

 当時フリーライターだった井戸さんは、子育てと並行して国会議員や弁護士に相談するため奔走、裁判をすると決めてからも必要な書類をそろえる作業などに追われ、母乳が出にくくなったという。智樹さんは「子供は、祝福されて生まれてきたはずなのに、やりきれなさを感じた」と振り返る。

 井戸さんは05年3月、NPO「親子法改正研究会」(大阪市福島区)を設立、同様の相談に応じたり、民法の改正運動に取り組む。「離婚相手と会いたくないとの思いや裁判への負担などから、仕方なく前夫の戸籍に登録する人もいるのではないか。離婚が多くなり、手続きも長期化するケースが出ている。男女の関係は多様化しており、この規定は必要ない。今のままなら生まれてくる子供の権利を守ることができない」と話す。

 ◇離婚と親子関係 民法772条は離婚から300日以内に生まれた子供は離婚前の夫の子と推定すると規定。DNA鑑定で前夫の子ではないと判明したり、別居状態が長く前夫との子がありえない状況でも、多くの役所は、裁判など法的な手段を講じなければ、規定に基づいて「現夫の子」としての登録を認めていない。(毎日新聞 2006年12月31日 3時00分)

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コメント

ちわ。私は保守反動を自称していますが民社党のような勤労者の権利を尊ぶ保守主義を奉じているのでこの動きには管理人さんと同じく違和感があります。
なぜ勤労の日がこんなことになってしまうかというと保守陣営やエスタブリッシュメントの一部には勤労の価値を尊ぶことを、株式など不労所得を否定する思想や強制労働につながる共産主義的思想であるといって忌避する人が居るからでしょうね。憲法の「勤労の義務」規定はスターリンの陰謀だ!といってた人が居たのには腰が抜けたなぁ。(強制労働の規定ではなくて国が勤労権を保証しなければというワイマール流の規定ですけどねぇ)
人々の労働条件を下げながら家族の大切さを説くなというのはごもっともです。サービス業はもともとそうですがほかの業種でもこの手の祝日ができたところで休んで家族と触れ合える時間を作る余裕がなくなっているのはスルーしてるんですよね。
家族形態にしてもいい。私は共働きよりは「どちらかといえば」専業主婦を抱える昔風の家族形態の法が子供を育てるためには、デフレ下で労働力供給過剰に陥らないためには、ベターと思いますがそれとて経済と家計の安定があって初めてできると思いますからね。多くの人が今保育園を使いながら共働きを選択しているのは思想的問題云々ではなくそうしないと生活がなりたないからですしね。

投稿: 北狐 | 2006.12.31 14:59

黒川さん、こんにちは。
しばしばTBを送らせていただきました「西野坂学園時報」のLenazoです。

元日の産経新聞社説をたまたま読んだのですが、この愚かしい安倍の思考回路と同様に「家族」、それも財界の意向によってたかだか100年のうちに導入されたに過ぎない核家族制度に基づく「家族」観を最上の価値としていることに失笑を禁じえませんでした。母子家庭に対する侮蔑的な視線であれ、明らかな民法上の欠陥であれ、固陋な「家族」観の存在が人間を不幸にすることが少なからぬ割合で存在することに、保守層や老人の自覚はまるでないようです。また同様の理由から、私は専業主婦の復活を支持しません。三歳児神話が既に否定されている以上、その必要もありませんから。

投稿: Lenazo | 2007.01.02 20:55

私の中では、どこまで家族が絶対化できるかどうかわかりません。家族もなく独り暮らしで働いてきたことに、社会的に問題があったとは感じませんし、最低限の家事や生活責任みたいなものは身につきました。家族がいてみればそれはそれでいいこともあったり、悪いこともあったりして、それはそれです。
家族を大切にするか、しないか、というのはスローガンの問題ではなくて、家族が必要と思えるかどうか、家族に大切にされた経験があるかどうか、ということだと思います。
趣味と仕事の中間のようなことで、子育て談義に関わることが多いのですが、父親の子育てとか、家庭へのエンパワメントということの必要性について同意するのですが、では、離婚家庭が歪んでいるとか、家族(とりわけ親のことなんだろうけど)を尊重しない人はろくでもない、とかそういう議論に結びつけられることの危険性を最近感じています。
家族が大切だ、と絶叫することに意味があるのではなくて、人が人として大切にされる、すなわち人権の考え方に基本をおいた政策展開ができるかどうか、そしてその大切にされるべき人の周囲に家族がいたり友人がいたり、ということを考えるようにしなければならないと思います。
明治の男であった2人の祖父が、放蕩の兄弟たちめぐって苦労してきたのを知っているから、空疎な家族の価値を強調することの危険性を感じざるを得ないのです。
あと、経団連もいい加減にしてもらいたいですね。企業が個人の生活まで抱え込むことができなくなったからと、リストラで福利厚生について責任放棄するまではいいです。それが普通の資本主義への道だと思いますから。しかし、さらに労働法制の改悪などを要求して私生活の時間まで収奪するようなことはやめてほしい。奥田さんについては評価が定まりませんが、御手洗さんの言っていることでは、社会が崩壊してしまう、という危機を感じざるを得ません。

投稿: 管理人 | 2007.01.02 23:27

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