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2006.11.30

11/29 働くことと市民活動の両立

●「生活経済政策」の11月号、12月号を読む。「良い社会をつくる公共サービスを考える研究会」最終報告が掲載されている。冒頭の神野直彦東大教授の「公の破壊に抗して」という報告がよい。

 (ポスト工業社会への)冒険的挑戦を可能にするには、ポスト工業社会の生産活動の前提としてインフラストラクチュアを整備する必要がある。しかしそれは工業社会の生産の前提条件と相違して、人間そのものの能力を高める教育サービスや、積極的労働市場政策という再チャレンジを可能とする現物給付である。(p22)
 1980年代には「小さな政府」であるがゆえに日本は、経済成長では優等生として君臨したかにみえる。しかし、産業構造を転換するために必要な現物給付の公共サービスの給付を怠った日本は、新産業への冒険的投資が低迷した。経済成長で優等生でありながら、歴史の転換期で産業構造を転換する投資を怠ると、余剰資金によるバブルの狂宴が始まる。(p22)
 産業構造を転換しないで、旧来型産業構造を維持したまま、(不景気になってから)国際競争力を高めようとすれば、賃金コストを低めるしかない。国民の生活を保障する共同負担を低めることと並行して、労働市場をフレキシブルにして、非正規従業員を増加させ、労働コストを低めていかざるを得ない。もちろん、働く国民のモーラルとモラルも低下していってしまう。(P23)

と情勢分析は的確だ。さらに働くということを無視したNPO礼賛論に対して昨日の中野麻美さんの言葉と似た問題提起もしている。
 
日本のように政府に降壇せよという「市民社会」論が主張されると、労働市場が分断されていく。つまり政府による公共サービスが、家族やコミュニティの無償労働を代替しないため、無償労働に縛られたまま労働市場に参入する者と、そこから解放されて労働市場に参入する者が出てくる。こうしたバーとなどの非正規労働市場と正規労働市場が分断して形成され、低賃金で長時間労働が存在することになる。
 長時間労働に拘束され、労働市場の労働に加えて無償労働も担う者に、市民として「新しい公共」を担えということは、不可能を可能にせよという論理である。それは社会的排除の論理にほかならない。ここに参加できる市民は富裕階層に限られることになるからである。
 富の最大の効用は権力である。富みにへつらい民主主義を壟断しようとする者は「市民社会」という言葉をもてあそびながら、馬脚をあらわす。19世紀中葉には「小さな政府」と「市民社会」が実現していたと主張される。しかし、それは富裕層のみが市民として参加していたにすぎない。(p24)

市民活動を離陸させるために、これまではあえて働くことと自発的な公共的活動の両立について無視した議論を続いてきたが、そろそろ賃金労働をしている人が参加できる公共のあり方について真剣に考えなくては、社会に大きな亀裂ができてしまうように思うし、そのことを指摘する有識者が出てきたことに嬉しい思いをするサラリーマン三代目の私だ。

●隣の市の市議さんは小さな政府の原理主義的な考え方を持っている。その考え方は私の考え方とは正反対だと思う。しかし、現実社会で起こるさまざまなことへの感性や、怒り、共感するものについてはとても共感できることが多い。反反日とか、反フェミニズム、反既得権益、家族の復権、日本の伝統などとわめきちらす安っぽい保守とは全然違い、大人の議論ができる政治家だと思う。一方、仲間であるはずの旧社会党出身でも、いったいこの人に何に怒ったり共感したりしているのかわからないような絶対に応援したくないと思うような人もいる。

●いじめについての教育再生会議の緊急対策で、隔離教育と社会奉仕でいじめた側の根性を直すという対策が打ち出される。締め付けでいじめを退治しようという発想だ。いじめはいじめられた側が報復を恐れることにつけいって陰湿に行われることに本質がある。あまり強い締め付けをやれば、いじめのやり口が陰湿化することは避けられないだろう。とにかく被害者はふきあれるいじめの暴風を避けたいと思っているのではないか。人権を尊重する子ども文化をつくらないと何も解決しないという尾木直樹のコメントがまともだ。一方、安倍首相の今日のコメントで「いじめで命を落とす子どもたちがいる。何とかこの連鎖を断ち切りたい」と。気持ちはわかるが、連鎖を断ち切れたら、とはどういうことなのだろうか。自殺が続かなければいいんだというようにも取れる。人が死ななければ人を大切にする政策は何一つ動かないと思うことが多いこの国だが、そんなものなのかな。

●スクールカウンセラーの効用が強調されているが、文部科学省の統計で彼らがいじめを発見する確率は、小学校で0.3%、中学校で1.3%という結果が出ている。実際にいじめは関係性の問題なのに、カウンセラーは本人の話し相手しかできない。いじめを解決する能力があるかどうかは疑問に思う。本当はケースワーカー的な人材が必要なのではないかと思う。

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2006.11.29

11/28 中途半端な消費税&すねかじり手当導入が民主党の政権政策

民主党の基本政策が中途半端で面白くない。年金と税制の関係がよくない。消費税を年金目的税として税率を今のまま維持すると明言しているが、おかしくないか。

民主党の年金政策が良かったのは、基礎年金の空洞化問題をきちんと捉えていたからだ。しかし、消費税のイメージアップのために「年金目的税」と名称変更し、しかも税率は上げない、とアナウンスすることに何の意味があるのだろうか。

年金目的税というなら、年金財源の何割は今の消費税を充てます、というルールが必要で、税率は必要な年金財源の動向に左右されるべきものではないか。今度の民主党案では保険料やら消費税やら、一般財源やら、さまざまな負担の仕組みと会計間のやりとりが複雑になるだけで、今の年金制度の不透明さを重ねることになるだけである。

基礎年金空洞化問題を完全に解決するなら、基礎年金を税方式へ移行するしかないし、それに見合う消費税(あるいは所得税)の増税を認めてください、というべきだろう。開業医もフリーターも均一13300円/月の国民年金保険料を払うことを考えたら、消費税に移行した方が社会的には公平である。不安定雇用の人は、収入に見合う分だけの消費税で最低の年金は保障されるようになる。
今のように、収入もないのに月13300円払え、と言われて、払えないから年金未納になり資格を失ったり、年金減額されて生活保護受給者を創り出すことを考えたら、現行の基礎年金の保険料方式は破綻している。

ところが、ウヨクも左翼も一文にもならない愛国心でいっぱいで外交や安全保障については熱心に議論するが、社会保障や税制に何の理念もないから、とにかく消費税の増税は弱い者いじめ、経済失速になると考えもなく挙国一致で反対し、(目標の不明確な)支出の無駄遣いがなくなるまで一切の増税は認めない、などと非現実的なことを言う。そのために必要な社会保障改革がすべて後ろ向きなものばかりになってしまう。
消費税の増税をとにかく阻止する、というあほな議論の建て方をまずやめるべきだろう。負担と国民サービスの関係をどうするのか、ということをまずきちんと考えて、その中で税金の種類と税率がどうあるべきか、考えることが必要なのではないか。

なんて思って民主党の「政権構想」の原文にあたったら、他にも、めちゃくちゃだらけだ。
教育政策は思いつきだらけ。教育委員会制度廃止する政策も、かつては新しい学校理事会に子どもの参加も検討していたが今回は白紙になった。教育基本法の改正も自民党と同じで精神主義。愛国心や宗教を教えればコンビニのベタ座りが無くなるという理屈。また、就学前教育の無償化を言ってるが、これが公教育においての早期教育なのか、保育制度の充実なのか、それとも家庭保育の否定なのか、よくわからない。
社会保障では親孝行だと。親と同居した人に「同居手当」を出すらしい。言葉は美しいが、実態としてはパラサイ息子・娘手当だろう。家事もやらずにわずかばかりの「家に入れるお金」で親のすね囓って遺産をまんまとせしめたガキにさらに税金を出すらしい。ふざけた話だ。介護保険制度の創設時の議論で家族に対する現金給付は家族関係をおかしくするということで徹底的に否定した歴史を無視するバカな議論だ。家族に介護福祉をやらせると安上がりだという議論なのだろうけど、実際は国民の能力を収奪する愚策となる。
外交では、米国との自由貿易協定(FTA)の早期締結などとほざいている。食糧自給率を高めることとFTAがどう両立できるのか。FTAによって雇用破壊がさらに進むことぐらい想像できないのか。雇用を守り、食糧自給率を高めるなら米国とのFTA締結は慎重に進めるというのが妥当な政策じゃないか。
知的財産権とか言っているけど、アメリカの要求している知的財産権は発明者や著作者の保護にとどまらず過剰なもので、技術の自由な発明を阻止してしまう可能性も高い。

こんなものを社会党出身の赤松広隆がまとめたのだから、情けない。安倍自民党もたいがいだけども、民主党も危なっかしくて仕方がない。これなら官僚支配の方が安全だ。

●最近の若者の右傾化について適切なコメントを見つけ。若者は「わがままな」中国や韓国や北朝鮮が嫌いで「弱い奴」を甘やかさない新自由主義が好きなだけであって、古い教育や古い家族政策を復活してほしいなんてこれっぽっちも思っていない。そのあたりを保守政治家たちが読み間違えているんじゃないか、というような内容。
小泉前首相はそこのところをうまくチョイスする「カフェテリア型保守主義」で支持率を高め、安倍晋三はその逆をやって支持率を大きく落としているのではないか、という分析。朝日新聞の安倍内閣支持率急落報道

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2006.11.28

11/28 可視化できない差別 

●21日の毎日新聞の小林美希記者の話を聴き、24日に映画「三池」を見て、ずっといろいろ考えが止まらないでいる。そんな中、労働弁護をされている中野麻美さん「労働ダンピング」を読み始める。まえがきにこのような言葉が書いてある。

「格差も悪いことではない」という考え方は一般論として否定すべきではないのかもしれないが、問題は現代社会が直面しているのはただの「格差」ではなく、深刻な「貧困化」を伴うものであり、それがきわめて不合理な差別を含んでいるということにある。富める者の他方の極に生み出されている深刻な「貧困化」とは、いくら働いても自立して生きられない低賃金労働や、生活できる水準の収入を得るために死ぬほど働かなければならない長時間労働の拡大である。格差は努力した人としない人の違いだという人もいるが、貧困の極に追いやられる原因をそのように決めつけることはできまい。社会的な偏見や固定観念、慣行や制度によって生み出され、拡大再生産されてきた格差=差別は多く、働き手の自己責任に収斂させることのできない事柄に起因する。こうした差別は可視化されることがないため、なすくことは困難で、不利益をこうむる人たちはいつも自分を責めなければならない。

私は「がんばった者が報われる」というキメセリフの本質は「報われた者はがんばったこととみなす」という価値観にある、と書いてきたが、差別と指摘することに偏見が生まれやすいから言いにくいが、本質はやはり「差別」だ。ほんとうにがんばったことが報われているなら、そんなことわざわざイデオロギー化して宗教的な価値にしなくても済むはずだ。可視化しにくい差別を論証することが難しく、金で人の生活を左右できる立場の人間たちが、がんばったかがんばらなかったか、という指標にすり替えているのだ。

それと私がいろいろ地域活動をやらなくてはと思う動機でもあるけど、やっぱり生活のために働くことで1日が終わってしまう人って、社会から排除されている。地域でいろいろ関わっていると、そういう人たちへの想像力のない人がいることを痛感する。NPOや市民活動という言葉で間口は広がったけど、やはりまだまだこれから。中野さんは続いて、こんなことも書いている。

社会からの排除
政治や経済、社会のあり方を決める多様なシステムが複雑に機能しているのが現代である。政府の審議会、経済団体や業界団体、労働組合などNGO、NPO、PTA、自治会まで、議員を選ぶ選挙以外にもたくさんの政策決定プロセスが用意されている。しかし、生活のために働くことで1日が終わってしまう状態では、こうした社会のシステムから排除されてしまう。

働く人にとってのNPOや市民活動への現状の適切な評価だと思う。

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2006.11.27

11/27 戦後体制の破壊が復党問題の本質

職場の近くの路上で、今は学校が変わられたが、母校でお世話になった大学の先生と偶然会い立ち話。北海道知事選挙の候補選びの混迷で北大の山口二郎さんが民主党地方組織に激怒しているらしいという話をする。
私が北海道にいた頃、北海道の野党関係者は必死になって選挙をたたかったし、算術としか思えないような見事な結果をつくってきた。影があるけど力業のできるリーダーたちがいたように思う。単純労務みたいな選挙ボランティアとして事務所をうろちょろしていたけど、そんな幹部たちを見るのが楽しかった。ハッパを掛ける号令のかけ方を見るのが面白かった。そんなリーダーや、社会党、連合に担がれて、一足先に市民参加の政治スタイルを始めた竹村泰子さんも、アイヌ民族初の国会議員となった萱野茂さんも、その他いろいろな人が、はいつくばって何とか政治参加を果たした。
ところが最近は、そうした先人たちの遺産を、つまらない政治ゲームで食いつぶすようなことしか見あたらない。前回の統一地方選挙での札幌市長選挙でも、まちの有名人たちに粉掛けて候補に名乗りを上げさせて試すようなことをしては怒らせる。民主党外の熱心な有名な支持者を呆れさせ、右や左に追いやってしまった。私の最も恩になった人も社民党の候補になってしまった。そうなってしまうと応援できないし、仕事柄おいそれと会うこともしばらくできない。全く情けない。

●自民党復党問題は、小泉劇場型政治の信義の問題として語られている。しかし悪評いっぱいの復党をどうして断行しようとしているのか、あたかも来年の片山虎之助の選挙対策の問題のように報じているが、本質は違うのではないかと思ってきた。
日頃、自民党自称改革派べったりの発言を繰り返す毎日新聞論説委員の岸井氏が、「復党を「やれ」と指示を出した安倍首相の狙いは、「美しい国」と称する戦後体制の破壊にある。そのための総力結集できる体制をつくっている」と発言していた。珍しく、社会に対して、与党に批判的な警告を出していたこどか気になる。

●帰宅時、有楽町線が3~4分、丸1本分遅延していた。混雑でドア閉めが遅れ、さらに遅れ、次の駅でさらに混雑するという悪循環に陥って、不快極まりない。先日も、線路内に人が入ったとかで混雑している山手線内で20分も待たされた。上尾事件よもう一度!の気分になる。
JR東日本が、プラットホームの安全のためにプラットホームキャンペーンを打っているらしい。乗客ばかりに責任を押しつけているような感じがしてならない。そもそもプラットホームから線路に入り込めるような仕組みになっていることがおかしいという問題意識がないのだろうか。千年一日、同じように線路に人が立ち入ったといっては山手線を止めることが繰り返されていて、ホームの端を歩くなと客を怒鳴ってばかりで進歩がない。

●馳星周「雪月夜」を読む。大都会のアウトローが多かったが、国境の町のアウトローを描いていて面白い。

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2006.11.26

11/26 タウンミーティングのサクラ出席は政治活動にならないのか

タウンミーティング問題で、政府がさくら確保のために地方公務員を何度も動員していたことが判明している。
森、小泉、安倍政権は、かねてから、公務員である国民が、私人として行う政治活動までを制限強化しようとしている。しかし、こうして権力の側から表立って公務員を政治動員することは問題じゃないのだろうか。

いくらタウンミーティングが行政府のやることとはいえ、そこには政治家である大臣の意見表明の場であるわけだし、政党間で対立する政策問題も多い。三権分立でものを考えれば行政府のやるものだから政治じゃないと言うのだろう。しかし、その効果から見れば、タウンミーティングの本質は政治合意の形成であり、目的はまさに政治行為そのものである。
しかもサクラ質問をして反対意見を封じる役回りを地方公務員にやらせていたという事実は、政治活動ではないか。しかも勤務時間中である。また、出席してどのような意見を言え、と指示した上司たちは、地位利用ということになる。選挙じゃないから罰則はないが、加入しない自由も、方針に反対意見を言う自由もある公務員労働組合が組合員に推薦候補者紹介をしたり、勤務時間外にビラ配りをすることとは全然意味が違うのではないか。

また、過剰なスタッフ配置とそれに伴う出費が問題になっている。広告代理店は与党の選挙広報を支援している。その報酬のたしなのだろうか。
金額が異常だ。数時間の会議でエレベーターのボタンを押す程度で1万5千円も。必死になって携帯電話をつくったり、プラズマテレビを組み立てている偽装派遣の労働者たちが一ヵ月働き通しでやっと15万もらって、それがチャンスだ自己実現だ再チャレンジだと騙されているのと比較すると、なんだかいんちき極まりない社会だ。

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11/25 地場のお店を使おう

3つの予定を子どもを抱えながら渡り歩く日々。
午前中はマンション管理組合の理事会。後任の理事長が決まる。やる気のある女性がなってくれて、楽しみだ。

午後一番は、地域福祉推進で「お父さんの会」を普及させようというプロジェクトの集まり。第8小学校の103の会の佐々木さんがいろいろ構想を話してくださる。マネジメントがうまい。ちらしもうまい。

最後は、夜、市内で早くから福祉活動に取り組んできたNPO法人メイあさかセンターに呼ばれ、市の行政委員をやっている市民から見た朝霞市の話を聴くというテーマの連続講座で、行政改革の話をされた西内さんと同席して、地域福祉計画作りとは何か、説明してほしいというのでお話にいく。
社会福祉基礎構造改革の基本をなぞって説明し、次に朝霞市の計画策定にあたった調査結果から、半分ぐらいの市民が孤立の状況にあって、かつ役所の相談機能も弱いので、ひとたび何か生活の危機があれば途端にセーフティーネットから外れてしまう、と話す。その状態は本人にとっても、行政にとっても負荷が強いので、くだらないサークルでもいいから地域の人々のつながりをつくることが大切だと話す。
司会から、団塊の世代に対する期待は、と聞かれて、町内会の世代間闘争でより民主的にする改革をやってほしいということと、市内で地場のお店でお金を使ってほしいと話す。
社会福祉基礎構造改革の最終答申もありますが、こちらは法案の骨子になってきていて、「現実化」のために福祉の理想像が若干トーンダウンしているように思えます。原型は中間答申の方がよくわかりますし、現実に地域で福祉活動を実践している方々の到達点は、中間答申のような表現にあると思います。

市内の地場のお店でお金を使う、ということは一見福祉に関係ないように見える。
福祉活動というのは、福祉専門職がやる援助のイメージが強い。それもそれでとても大事なことだが、よくよく支援を必要とする人の生活を見ると、そこには福祉の支援を必要としない人と同じように、買い物をし、何かを食べ、友だちと会い、排便をし、寝るという生活が、いろいろ変化があるにしてもある。
それぞれに接するところでの人々が、福祉的な工夫をしてくれれば、施設に入れたり、何から何まで医療や福祉の専門職が手助けしなくても生活できる人がいる。そういう人を増やすのが地域福祉なのだから、買い物や、食べるという観点から見れば、点字のメニューを置いたり、力の弱い人でも持てる箸やスプーンを置いたり、買い物ボランティアと連携したり、買った荷物の配送サービス(有料でもいい)などをつければ、支援を必要とする人たちもいろいろな楽しい機会に恵まれ、自分たちの力で何かできる、という意欲が生まれてくる。

しかし、そういった福祉ニーズをきめ細やかに拾い上げることができるのは、本社にお伺いを立てたり、あるいは本社から指示がなければ動けないチェーン店と違って、地域のお店ではないか、と思う(もちろんモスバーガーなど高齢社会を意識した営業スタイルに転換しはじめたチェーン店もある)。
点字のメニューを入れたり、知的障害者をうまく受け入れようとするのは、地域に愛情があって、地域の人をできるだけ受け入れようとする情がある店じゃないとできない(もちろん地場でも差別と偏見の強い店もある)。そういうところに市民がお金を使わない限り、民の力で福祉の力はつかない。

大手企業は、広告代理店を通じて、上手にマスコミに流すお金をコントロールして、自社に有利なように情報が流れるよう細心の注意を払っている。ところがわれわれ市民は、自分の使ったお金がどのように流れ、自分たちの生活がそれでどう変わるのか、便利さ以外はあまりにも無頓着にお金を使っているのではないか。世間のサイフの大もとを握っている消費者が上手にお金を使うことが、資本主義(しかもその中で日本はもっともアルコールのきつい新自由主義経済)下ではもっとも効率のよい社会改革になるのではないか。

参加者から、商店街の活性化などについていろいろ意見が出たり、いろいろな小集会を公共施設でやるのではなく地域の飲食店でやってみたらどうか、地方の人の方が収入が低いのに公益的活動にお金を出すよね、などと夜遅くまで話の花が咲く。

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2006.11.25

11/25 地域活性化という税金収奪

尾身財務相が、道路特定財源の一部を地域活性化に、と提言している。
道路特定財源の一般財源化は、そもそも民主的な財政構築のために、税の収入支出をできるだけ一般会計に集約するために、目的税を減らす、という目的があるはず。さらに目的外ともいえる使途をひもつきで増やすような話はおかしい。こういう「改革」手法が改革をやるたびに財政を悪化させてきた原因ではないか。安倍政権になってから、企業減税やら、身内が税金をむしるような提案が増えているような気がしてならない。

税金を使った地域活性化って何なのだろうか。行政に群がるコンサルタントが効果のはっきりしない「活性化」アイディアを自治体に持ち込み、「活性化」大好きな元気な有権者と一緒になって税金をむしり取っていくことにならないだろうか。道路特定財源の一般財源化にあたっては財政原則どおり行い、そうしたひも付き改革は絶対に許してはならない。

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2006.11.24

11/24 なくなりゆく近代の歴史を忘れないために

ようやく映画「三池 終わらない炭鉱(やま)の物語」を見に行く。今日が東京での上映が最終日と聞いてあわてて(京都が1日、大阪が8日まで)。
大きな労働争議や最大の粉塵爆発事故を起こして有名な三池炭鉱に関わってきた人々の、戦中・戦後史を中心にしたドキュメント映画。炭鉱が「負の遺産」として、消し去りたい歴史として位置づけられていることに焦った熊谷博子監督をはじめ関係者の熱意で8年がかりでまとめられ、3回にわたり再上映され続けた。
戦前の囚人労働、戦前戦中の強制連行で確保していた労働力、捕虜労働、1960年の三池闘争、1963年の458人が死亡839人がCO中毒になった粉塵爆発事故を、証言で追っていく。

ほんとうにいろいろなことを考えさせられる映画だったし、働くこと、生産ということ、生活ということ、労働運動、労働災害、地域福祉いろいろな切り口でみどころが多い。
1963年の粉塵爆発事故の軽症生存者の家族たちが、仲間とともに乗り越え歩んだ苦難の40年の話になったときには、もう涙がぼろぼろ出て止まらなかった。

以前、機関紙の取材で会った大牟田の大原さんから、この映画を是非見てほしいと連絡をいただいていた。市職員の大原さんは、三井三池三川鉱の粉塵爆発事故の一酸化炭素中毒被害者の救援活動をしている。それと並行して、三井三池炭鉱の労働運動の歴史史料を市立図書館に保管・所蔵する運動を続け、図書館に収蔵された史料の整理活動などもしている。市職員ならではの活動をされている。
60年安保に並ぶ戦後の大闘争であった三井三池炭鉱の労働運動の史料は、炭鉱労働者の高齢化、そして死亡により散逸しかけている。映画でも監督がしばしばそれを口にしている。
あと、この映画については、フジテレビの朝のワイドショーがおすすめの映画を紹介していた中で小倉智明さんが「僕個人は「三池終わらない炭鉱の物語」を推薦したいけど、番組ではこうなりますね」と別の映画を紹介していて、気になっていた。

炭鉱労働とはきつくてひどい仕事だったと思う。でも、働くこと、生活することが実感できるし仲間の大切さを実感できる仕事だったと思う。働くってこんなことだぞ、生きるってこんなことだぞ、と感じてくる。三池で活躍した労務屋は、この時代にはほんとうに胡散臭い仕事だった。実際、裏金で第二組合をつくらせたり、今だから言えるようなことばかりの仕事だった。映画で「労務屋」たちの証言もあったが、それには重みがあった。
今は、マネジメントとかきれいな言葉になって、MBAなどハクのつく資格があって、人事担当者が職場のエリートコースとして、楯突く方が胡散臭い奴と言われるような時代になってしまった。後世、きれいごとで酷い労働を押しつけてきたことを、三池の労務屋のように重みをもって語ることができるだろうか。

三池闘争を支えた家族会に対する社会主義協会(社会党最左派)向坂逸郎さんの学習会の功罪については、今でも旧社会党業界では議論が分かれる。
映画の中で「貧しい人と結婚した自分の不運を怨んでいたが一所懸命働く人が貧乏でいる搾取の構造がいけない」と教わって恨みをぶつける先が間違っていることに気付いた、という家族会の証言がある一方で「生活がかかっている家族が先に闘争だけでは生活できないとわかってしまって組合分裂に拍車がかかった。職場も地域もずたずたになったのは向坂さんの責任が大きい」という家族会の証言、それぞれに重い。

三池に限らず、高度成長を支えた最もポピュラーな産業史料がこの社会からどんどん消えている。最近知ったが、カラフルな国電の原型となった最初の湘南電車は、何百両も製造されたのに、今は写真や図面の上でしか残っていないという。ちょっと前までいた人たちにはあまりにも当たり前すぎる生産設備だったから、なかなか大切な産業史料だという声が挙がらないのか。

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11/24 経営不振なのにテレビ塔ではしゃぐな

新東京タワーのデザインを東武鉄道が発表した当日、大手民鉄の中間決算が一斉に発表になって、東武以外の関東6社は乗客増と過去最高益を計上したと報じられている。

東武鉄道は、ここ数年猛烈なリストラをやってきた。バスの分社化は、当の働いている人たちにはめちゃくちゃなことだった。会社の体質も、竹の塚の踏切事故では本社が何も責任を取らなかった一方で、ちょっとした乗務員のトラブルで簡単に懲戒解雇をする会社になった。通勤地獄の緩和のためとして集めた資金で、過疎地に開発した住宅地の列車増発に使ってしまったり、どうかと思うような経営をやっている。それで京成でも最高益になのに、東武はそれどころが乗客を減らしている。

新東京タワーについても、再開発利権の露払い屋・安藤忠雄と浮かれていていいのかという感じがしてならない。1つには、テレビ塔が黙っていてもテレビ局から高い利用料が入るのかどうか疑わしい。2011年のテレビのデジタル化で、テレビからインターネットへのシフトが一気に進むんじゃないかとも言われている。また、電波障害の影響変化による対策コストの負担についてもこれから揉めそうで、そうなったときに東武鉄道が支払う責任が生まれないと言い切れるのだろうか。沿線住民としては不安だらけだ。

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2006.11.23

11/22 タウンミーティング・地方分権・教育改革

家族から「タウンミーティング問題で国会が揉めることに意味があることなのか?」といういい質問があった。私は、一般の人たちにはタウンミーティングそのものが理解されていないだろうから意味がないけど、政界においてはこの問題で揉めることは、民主主義でもっとも大切にされるべき手続き論だから、与野党の緊張した駆け引きの材料になって意味がある、と答える。こうしたつまらないことで揉めていかないと、大事な法案は与党ベースでどんどん採決されていくし。

では、タウンミーティングに対する国民の認知度が低いからといって、やることに意味がないのか、という疑問が出てくる。タウンミーティング自体は、国民との直接対話をする(という擬制だが)ことで、市民社会ができあがってくる中での民主主義である程度の意義はあり、簡単に否定できるものではない。

しかし、1億人もの国民とフランクに対話するということは技術的に不可能だ。どうしてもそこで出される質問や意見はあくまでも1つの意見という域を出ない。そうでないとするなら、今回のようにやらせで仕込み質問とサクラを用意しなくてはならない。そもそも国ぐらいの規模で、直接的な民主主義が技術的に可能かどうかというと相当難しい。だからこれまでは政党や中間(圧力)団体があって、そこが社会にあるいろいろな考え方や意見、利害を整理して系統化し、政党や団体間の調整機能を働かしていく(岩井奉信「立法過程」(東大出版会)をどうぞ)。

そのやり方は安定した社会システムづくりができる。しかし、このやり方は意思決定が硬直化するし、何より圧力団体のない財政問題にどうてもツケがまわってしまう、というのがここ12~3年ぐらいの評価で、そのカウンターパンチャーとして、政府や政治が国民と直接つながる必要性を生んでいる。小泉政治というのはその象徴だった。

で話はまた戻るが、国という規模で政府や政治が国民と直接つながることの難しさがある。どうしても空気を読んで支配するようなリーダーでないと統治できないということになる。そこにポピュリズムと政治の暴走が発生する。また政権が代わると政治への熱狂が一気に冷めて、ナショナリズムとか、その逆のニヒリズムとか、副産物を産出してしまう。
市民社会の成熟とともに意思決定の場に有権者が直接つながることのできる規模という問題を考えなくてはならない。自治の論理が展開され、生活に関連する政策課題については、生活に近い自治体で決めていくべきだ、という地方分権の考え方になっていく。民主主義の成熟化つまり市民社会になっていくことと、地方分権というのは必然的なつながりがある。

地方分権と民主主義で今日的なテーマで言うと、教育は文部科学省が責任を持つ必要があるのか、ということである。教育をみんなが議論して、みんなで決めていく必要があれば、地方分権を徹底していくべきだし、そうでなければ、今のように文部科学省が支配する教育でいいということになる。
文部科学省に届けられたいじめ被害者の自殺予告手紙が象徴しているが、国民世論は権威主義に弱いのか、後者の支持の方が大きい。国が責任を持つと言えばなにやらいじめや学力低下に対してきちんとした対応をとってもらえる、という幻想をもっているようだが、でもその教育システムを明治以来ずっととってきて、今日のような惨憺たる結果になっているのではないか。
これは例が悪いが旧国鉄の意思決定システムと一緒なのだ。国鉄は国が責任をもって線路を引っ張ってくれる。でもその引っ張ってこられた鉄道が地域住民に使いやすい鉄道事業だったかというと疑問だらけなのだ(国鉄改革は是とする方も非とする方ももっぱら職員のモラルなど職員のあり方の問題ばかり指摘されるがそれよりも意思決定システムの問題として考えた方が意味がある)。その証拠に、赤字ローカル線の沿線住民はほとんど1人1台自動車を保有し、赤字ローカル線廃止反対の集会にマイカーでやってくる始末だったのだ。
国の政治は線路を守ることしかできないから、財政問題から守るべきでないと国の政治が判断してしまった途端に、線路はなくなっていった。教育もほんとうは国鉄と同じような状態じゃないのだろうか。この場合、財政ではなく、私塾や義務教育課程での私学の跳梁跋扈というかたちで表れる。
この間の、いじめや未履修問題で、国権強化が教育再建の前提のように語られ過ぎてきたが(いじめ被害者が文部科学省に責任を問うたことが象徴している)、問題解決の視点で考えた場合、教育機関に対する地域の監視、地域の自治ができるようにする方が、ほんとうは質の高い教育になるのではないだろうか。

●プロフィールに記述を追加しました。このブログはアフィリエイトや広告掲載はやりません、という内容です。
というのも、本や雑誌の「ブログで副業」みたいなものに刺激されて、無内容あるいは態度に問題のある(主張がおかしいとかそういうこと以前。)記事しかないくせに広告ばかりピカピカ派手なブログが乱立し、そうしたところからいただくトラックバックが目立ちます。言論の自由があるからやるのは勝手だと思いますが、そんなことやって意味があるんですか、と思うのです。そういうブログに限って、検索サイトに引っかかるつまらないテクニックを心得ていたりしてもいて、検索サイトを使うとそんなブログばっかり上位にひっかかって来ます。

また自分もこうして書いていると、「いくらか入ってくるの?」と聞かれます。もの書いてお金もらえたらありがたいとは思うけど、好きなこと書いて(本当に申し訳ないぐらい好き放題です)読んでいただいているのに、お金貰っては申しわけないような気もします。でも、紙媒体では原稿料をもらったこともあるので、それ自体はいいとしても、読者でもない人からお金貰うのは不純な感じもしています。知らせたいと思う話や、感じたり怒ったりした思いを書いているのに、アフィリエイトや広告料狙いで深夜必死にブログを書いていると思われるのも、なんだかみっともない気がします。

電通一極支配の広告代理店業界のもとで、最近は広告主ひもつきの情報だらけになっていて、社会がおかしくなっているんじゃないかと思っているところに、ブログまで広告主や広告代理店のエサにすることもどうか、と思っています。

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2006.11.22

11/21 働く人たちの見えないところで基地跡地利用の議論がどんどん進む

基地跡地利用の市民懇談会の議事録が公開されていない。9月にそのことを市の企画課に問いあわせるためメールを出して、その直後に市役所を訪ねた機会に、市の担当者が「なるべく早く出すようにします」と回答をいただいた。さらにまた後にメールで返事があって、発言の議事概要をホームページで公表しています、という回答ももらった。私はてっきりこの議事概要が議事録に準ずるようなものなのかと思っていたら、今日に至るまでこれしか公表されていないので、おそらくこんなものが情報公開なのだろうか。

朝霞市はこうした市の委員会について、タイムラグはかなりあるにしても、きちんと情報公開をやっている。他の審議会・委員会は審議内容がプライバシーに触れないものであれば、発言者名と発言がほとんど全部、市のホームページ上でも容易に確認できるかたちで公開されている。しかし、最も市民参加・情報公開のルールをふまえなくてはならないこの市民懇談会だけが議事録がなぜか公開されていない。

基地跡地利用の市民懇談会の議論がどうもうまくいっていないという話を次から次に聴くし、委員長が参加者に暴言を吐くし嫌な雰囲気をまきちらすから次から次に参加者が減っているということを言う人もいる。また、基地跡地を公園であれ、医療機関であれ、商業施設であれ、開発しろ開発しろという声しか届いていない。開発しないで、税金を大切に使ってくれ、という意見はほとんどない。

有識者だけの基地跡地利用策定委員会の議事録に、市民懇談会の報告が出ていて、どんな議論がされているのか、ようやく輪郭が見えてくるが、まったくひどいものだ。
まず、議論のレフリーをしている工科系大学教授も、自治体が何をすべきかということを全く無視して、市民の欲しいをかたちにすればいいと思っている。
そして不動産屋代表の委員は、周辺の基盤整備を税金でやらせた上で商業施設建設をしたくて、商業施設建設をねじ込むことに必死だし、市民懇談会の代表として出ている委員は、朝霞市の持ち出しだけになる公園建設しか視野がないから、財源の議論をしないように要求している。どっちも全く納税者無視で税金を使う話しかしていない。
公園派は、隣の市の開発で100億円使う話を市長が「任せてくれ」と胸を叩いたことを評価している。そういう税金の使われ方をしてきたから、日本全国、自治体の財政がおかしくなったということをまったく認識しようともしていない。こんな納税者不在の議論をしている人たちの話を聴いていると、この町に住んでいることに不安を感じてくる。

金儲けのために商業施設(多分郊外型ショッピングモールだろう。田舎者!)を建てさせようとする人にするにしても、一部の高齢者の眼の保養と不良少年の問題行動のステージにしかならない公園にするにしても、財政シミュレートして、市役所に意見の言う機会がない大多数の勤労者の判断を仰がないような意思決定プロセスは、問題大ありだ。策定委員会や市民懇談会で好きなように発言している人の言うとおりになって、それで教育や福祉が犠牲になったら、誰が責任取るのか。先人たちの尻ぬぐいばかりさせられる若者に愛郷心なんて湧くわけがない。
財政規模300億の朝霞市で、100億の支出をする話である。そもそも基地跡地利用をする、という前提自体、否定すべきじゃないだろうか。そもそも、基地跡地利用なんてどこから出てきて話なのだろうか。それなら低層住宅と広いオープンスペースとしての庭にすることを限定して公務員住宅でも建てさせて環境保全を図る方がましではないか。

保育所の待機児童問題を何とかしろ、と言う私に、市役所は3億円程度の保育所建設費(しかも最低3分の1は国費補助あり)を恩着せがましく言われて、なおかつそれでもまだ待機児童の親のままである。税金を払ってまだ認可外保育所の高い保育料を払っているのに、一方で税金払っているかどうかもあやしい人たちが税金使う話ばかりどんどんまとめている。いっそ働くのをやめて、生活保護受けながら、市民懇談会の報告者のように、市から税金をむしりとる提案をした方がいいのかも知れない。こんなモラルハザードがあるなら、奈良市のことなど笑えない。
昔、朝霞市が運動公園や青葉台公園を買いまくったときに市立小学校、中学校に通ったが、ブラウン管の割れたテレビがいつまでも補修されないし、模造紙は先生たちが自腹で買っていた。これからの子どもたちに食べさせてもらう年金生活者は、そんなことを再び教育現場に押しつけ、子どもたちに不利な教育環境におくということを自覚してほしい。

市税の貢献者である市外通勤者やマンション住民を差別するような意思決定プロセスのありようというのは今に始まったことではないが、こうしたお金を使う話だけとんとこまとめられていくというのはやりきれないものだ。

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2006.11.21

11/21 就職氷河期を乗り越えた記者

午前中、市の男女共同参画施策の連続講座で、「世の中何が起こっている?!」というテーマで毎日新聞社エコノミスト編集部の小林美希さんのお話を聴きに行く。

小林さんは、エコノミスト「娘・息子の悲惨な職場」を中心になって執筆した記者さん。最初は格差社会の問題が騒がれるようになるまで、働く現場の働く人たちのことを報じようなんてマスコミ関係者は数少なかった。まして若い当事者世代の記者が書いたものなんてなかったので、ずっと直に話を聴いてみたいと思っていた記者だった。専業主婦むけの男女共同参画講座という場で、今の若者がどんなに苦しんで働いているかガツンと話してくれる講座を設定した運営委員と後押ししてくれた市の市民生活課にお礼を言いたい。

小林さんのお話は、派遣社員の妊娠解雇の現実、正社員どうしの結婚で仕事はそのままなのに妻だけ子会社の出向派遣に変更された話、中絶手術の1時間前に労働組合に相談して産む決意をした派遣労働者の話、外資系銀行の本店内の保育室の欺瞞、男性育児休業の取得明けの現実など、若者の働く現場が、妊娠や出産にぶつかるたびにぶちあたる雇用の場での人権蹂躙について話していただいた。

小林さん自身の、就職氷河期の経験の話や、エコノミストで「娘・息子の悲惨な職場」の取材を始めようとしたときに、若者に偏見しかないオヤジ世代の編集長など上司を説得するのに苦労したが、結局認められる過程の話などもよかった。

経済紙誌が、働くということについて、労働力を使う立場でしか取り上げなくなって久しくなる。日経を読んでいないと面接に受からないと風説が流布されて、若い人が日経しか読まなくなっている。そうして若い人の中にレッセフェールの考え方が蔓延する中で、経済誌という場で、同世代という当事者性から働く人の視点で書かれた経済情報はほんとうに貴重(もちろん上の世代になるけども朝日新聞の竹信美恵子さんの地道な努力も貴重)だ。
商業雑誌で企業に対立するような内容を書き続けるのはいろいろたいへんな思いをすると思うが、どうかこれからの活躍を期待したいと思ったお話だった。

小林さんの仕事がどんなことしているのか詳しくお知りになりたい方はエコノミストのバックナンバーをお読みください(当ブログのポリシーですが、広告料やアフリエイトはいただいておりません)。

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2006.11.20

11/20 住民活動どうしが交流する公共施設のあり方とは

朝、尼崎市に住む昔の上司から電話をいただく。昨日の尼崎市長選挙について話をしていただいた。
負けた自民系候補の票が4万7千票とは何とも無惨。尼崎市選挙区で当選している公明の冬柴幹事長の半分以下だから、公明党衆議院議員(冬柴氏)に入れた自民支持者が、自民党直系の市長候補には投票しなかったということだ。
自民系候補陣営は、安倍晋三のポスターを尼崎じゅう貼りまくっていたそう。そりゃ上滑る。安倍晋三が尼崎の市長になるわけじゃないんだし。自民候補のイメージともだぶらない。
またネガティブキャンペーンもやりすぎだったという。その反感が白井文市長の大差の勝利になったようだ。最近の自民党はネガティブキャンペーン大好きになってきているので、いい冷や水だ。もっとも白井市長をまとまった支持したのは共産党と新社会党だけだったが、もともと民主の市村浩太郎代議士の支援者で、左翼的な色がつかないトクな人でもあるが。
ブイブイだった2000年と2003年の総選挙のやり方に慣れきって、マンネリ化して失敗した民主党のパターンに、自民党の選挙は似てきたのではないか。

夕方、福祉オンブズマンづくりの打ち合わせに行く。公共施設にオープンな打ち合わせに使えるような場所がないので、いつもファミリーレストランを使っている。お茶を出してくれて、場所も便利な場所で、全員で千数百円なので使ってしまう。たばこ臭いのが難点。
朝霞市はコミュニティーセンター、公民館、地区会館と、会議室施設をつくりまくっているが、そこにはオープンスペースがほとんどない。市の生涯学習課の説明でも、そうした場づくりには後ろ向きだったことを思い出す。
こうした打ち合わせは、オープンスペースで、気軽に集まって、周囲の席の人に盗み聞きされるぐらいの感覚でやれるといい。オープンな場で住民活動の打ち合わせが行われると、住民活動どうしのネットワークをつくって、触発しあって質を高める効果が期待できるのではないか。こうしたデザインに関する理論ってないのだろうか。
区切られた部屋しかない公共施設だと、重々しく場所取りをやり、やっとの思いで取った場所で、他者との接点もなく会議をやることになる。公共施設には、住民活動に熱心な市民が集まっているのに壁で遮られている。何かもったいないような感じがする。

●社民党関係者に、昨日の沖縄県知事選挙に負けたことのショックが大きいようだ。その感覚は大切にした方がいいのだろうけど、ここのところ沖縄県知事以外の県、大都市・中核市の対立型の首長選挙のほとんどで自民党推薦候補が負けていることも見て、少しは自分たちを励まし、世論に帆を張る気力を持った方がいい。社民党を励ます筋合いではないけども。
自分たちに有利な状況は何で、不利な条件は何かということを冷静に読めないところが、2003年以後の社民党の深刻な退潮の原因じゃないかと思う。それとは別に、何もかも棄ててみんなのためにたたかってくれた糸数慶子さんにはいろいろ気を遣わなくてはならないと思うのは当たり前だが。

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2006.11.19

11/19 尼崎白井市長再選おめでとう

興味深い選挙が3本。沖縄県知事選挙、福岡市長選挙、尼崎市長選挙。

沖縄は残念。参議院の議席も失って、もったいないことをした。竹下派の下地代議士が野党を応援してくれたが、沖縄で創価学会のような存在である徳州会病院が与党についたので差し引きゼロ。かつては革新の牙城であった那覇市は保守が強くなっているなどという情報が入っていて全然読めなかった。一昨年の県議選で沖縄の新聞社がまとめた過去の県議選の議席の推移で、やはり那覇市で革新が勝てなくなっているみたい。那覇市の北「中部」は圧倒的に革新が強く、島は最近革新が強い。NHKの出口調査での社民党支持率がかなり低かったので今後が心配。

福岡はおめでたい。ずっと開発主導の行政が続いていて、ダイエーが潰れてからというもの、あとネタがオリンピックと新空港しかなかったので、市長が代わって、すべて仕切直すのはいいことだと思う。個人的には、日本一便利な福岡空港を廃港することになる新空港建設は中止してほしいと思う。自然環境の破壊になるし、財政的にも問題が多い。

尼崎市長に当選した白井文(あや)さんは、3年前に市長になったばかりの頃取材したことがある。選挙運動のあり方が大きく変わったその象徴的な存在だったから。とっても感性のいい人で、口うるさくなりがちな左翼系議員を上手にやる気をもたせ、左派系の若手女性候補を県議に立てて、時代背景的に沈滞しがちな尼崎の野党系の人たちを元気にしたりできる人。市長でも偉ぶらないし、誰でも話そうとする姿勢はよかった。こんな市長なら、と思うような人だが、残念なことに与党ボケしてる地元の民主、社民の一部は自民にすり寄っているし、逆に保守系の一部の市議は応援してくれているようで、大変な中再選できたことがほんとうによかった。
3年前に、毎日新聞に転職した元同僚がちょうど尼崎市にある支局に配属になっていて、新聞社の苦労話を聴かせてもらいながら、インタビューした方がいい人たちを教えてくれたこともありがたかった。
残念ながら、当時、森派が労働組合の政治活動についてあれこれ議会質問をしかけていた頃で、すきを与えるということで、書いた原稿や作った資料はボツになってしまったが・・・。

与党と野党の勝敗の指標は、福島と沖縄の両知事選挙となっていて、それだと1勝1敗で引き分けやや民主負け、という感じだ。しかし、総力を挙げた沖縄しか勝っていないのではないか。
福岡市長選挙も自民党中央が責任を逃げ回っていた結果、ようやく推薦しては落選させているわけで、今回の負けは中央も負けとしてカウントされるべきだと思う。また熊本市長選挙も、旭川市長選挙も自公連立与党は推薦候補を落としている。

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11/19 捜し物をしていたら出てきた

どうてもいい情報けど大事そうな情報を拾う。

①通勤電車の乗客が電車を襲撃した上尾事件。 映像 1973年国鉄乗客暴動
前から事件の名称は知っていたが、いつ、だれが、どのようにということがわからなかった。動労の遵法闘争で苛立っていた高崎線の乗客が、出発する電車の優先順位で運転手と言い争いになったところから電車の車両の破壊が始まり、近くを走っていた特急電車を襲撃、さらには駅長室に逃げ込んだ乗務員、駅員、駅長を1万人もの乗客が取り囲んだ事件。
従順な埼玉県民が、また我慢強い日本人を象徴するような通勤電車で暴れたというので関心をもっていた。通勤電車の乗客がキレやすくなったというが、当時も怒ればキレていたようだ。時代背景も興味深い。この時代通勤地獄は半端じゃない。またストライキなどがあると、マイカーやタクシーを使わず、道路を歩くわけでもなく、よりによって線路を歩くという行動習慣も興味深い。私はこういう時代に生まれ育ったんだなぁ、と見ると感慨深い。

②民主党「健全な教育を考える会」名簿。
家の片づけしていたら出てきた。1998年に新進党難民を民主党が受け入れて以来、民主党が保守化したというのは言うまでもない。プラスの効果としては、プロの政治家が大量に流れ込んできたおかげで、くだらないさきがけ系と旧社会党系の足の引っ張り合いが整理されたこと。マイナスの効果としては政策面の後退。その象徴が家族政策だったり、教育政策だったりした。
この会は、2001年ごろ、山谷えり子氏が、民主党の復古趣味の政治家たちをあつめた議員集団。のちに民主党右派の分党運動の核になるが、結局、保守新党にわずかに移籍しただけで終わり、民主党に与えた政治的影響力はなかったが、政策的にものすごく保守化したきっかけになった会でもある。

〈よびかけ文より〉
 教育の目的のひとつに、いかに人は生くべきかを考えさせ、持ち味を発揮して社会貢献していく道を探す支援をしていくことがあります。
 また近代法による国家は、法律と共に文化、伝統、倫理の体系があってこそ美しい姿が保てるといえます。
 子どもたちが健全に育っていくために、モラル教育、生命尊重教育、ジェンダーフリー教育、性教育などのあり方を責任をもって考えていきたいと思います。

会長:松崎公昭/副会長:平野博文/事務局長:金子善次郎(現自民)/事務局次長:大石尚子、三井弁雄/代表幹事:山谷えり子(現自民)/幹事:上田清司(現埼玉県知事)、鎌田さゆり、木俣佳丈、後藤齋、鈴木康友、樽床伸二、中山義活、松原仁、山根隆治、吉田公一
呼びかけ人:浅尾慶一郎、安住淳、荒井聡、石井紘基(死亡)、石井一、伊藤英成(引退)、井上和雄、今泉昭、岩国哲人、海野徹、江崎洋一郎(現自民)、江本孟紀、大石正光、大島敦、大塚耕平、大畠章宏、奥田健、鍵田節哉、勝木健司、川内博史、川端達夫、河村たかし、木下厚、熊谷弘(保守新→引退)、小泉俊明、古賀一成、小平忠正、小林憲司(引退)、小林元、今田保典、後藤茂之、佐藤謙一郎、佐藤敬夫(引退)、佐藤雄平(現福島県知事)、鮫島宗明、榛葉賀津也、城島正光、鈴木寛、高橋千秋、武正公一、田中慶秋、玉置一弥、津川祥吾、永井英慈、中川正春、中津川博郷、野田佳彦、伴野豊、藤村修、藤原正司、古川元久、細野豪志、前田雄吉、牧義夫、牧野聖修、松沢成文(現神奈川県知事)、松野頼久、柳田稔、山口壮、山田敏雅、山村健、渡辺周

呼びかけではぼやかしているが、性教育の否定、男女の役割分担を強調した教育の推進、人によって温度差があるが自国礼賛の歴史教育の確立、さらには教育基本法の改正などを求めた議連だ。
この名簿はフェミニストからもらったものだったかな。反動色が強い議連だったし、当時は政界再編含みの話もあったので、なんとかお願いしてもらったものだ。
国会議員たちはこうしていろいろな議連を作って、見えないところで弱小議員の政策的な囲い込みをやっている。ほんとうはこうしたことがオープンにやられるべきだと思うが、公表義務はないので各議員は都合のよい所属議連だけを公表している。昔はこうした対立する政策に関しての議連は議員名が新聞に掲載されたものだけども。
有権者にはリベラルな顔をしているのに、こんな議連に入る人もいる。旧社会党出身者もいる。こうして名簿を見てみると、なかには麻薬や不倫で名前が挙がった人もいる。何がモラル教育だという感じがする。私は、政治家の私生活についてあれこれ言うべきではないと言ってきたが、国民に強いモラルを求めることを主張している議員は、自ずとやっていけないことがあると思う。木俣議員、細野議員、辞められたが小林憲司元議員にはとくにそう思った。

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2006.11.17

11/16 フランスの社会民主主義の敗北を祈る

フランス社会党の大統領候補にロワイヤル氏が選ばれた。フランス社会党の政権奪還が近づいたと思えるが、本人の「軍隊式学校」発言や、サッカーフランスチームに黒人が多すぎるという側近発言など、安倍晋三政権のフランス版あるいは社会民主主義版という感じがして、保守のサルコジ氏以上の嫌悪感がしてならない。人間の自由や社会的格差というものに最も鈍感な西欧リーダーのような感じもして、フランスだけは社会民主主義陣営が勝利しないでほしいと思う。右よりのブレア英国首相は、いろいろあったが新しい社会主義の理念を創造しようという意欲と努力があったが、ロワイヤル氏には反動的なものしか感じない。

中学生のときに、恩師のフランス人親子と遊ぶ機会があったが、厳しいというか、体罰というか、うちの親もたいがいだったけども、それを超える子育てにびっくりしたことがある。その手も乾かぬうちに「教師というのは愛が大切」と力説していた親をみて、またびっくり。あれこそフランス人の愛のムチか。ロワイヤル氏も自らの子育てを相当痛々しくやったようで、そのエピソードを聞いてどうかと思った。
教育基本法で、子どもたちを厳格に育てようという路線が見えてきているが、どうもこれは日本伝統の子育てではないようだ。

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2006.11.16

11/16 埼玉高速鉄道による県の財政被害には損害賠償したい

埼玉高速鉄道の経営がほんとうに危機的状況で、さらに政治的圧力で延伸のための既成事実が積み上げられている。岩槻まで通ればもっと乗る、●●すれば経営が好転する、と希望的観測を積み上げて、税金の無駄遣いでしかない公共事業をやらせる。そうした結果の残骸が全国各地に散乱しているのに、埼玉高速鉄道の建設推進を唱える議員、関わる公務員をはじめ多数の関係者はこのことの恐怖から何も学ぼうとしない。

「延伸検討会」は、設備もないのに快速運転をさせれば乗客が増えるなどとふざけたシミュレーションをしているらしい。架空の数字を積み上げるために、通勤電車に乗ってもないような人間たちを幻惑するような数字を並べるのはやめてもらいたい。どうみても、人口減と高齢社会の進展で、東京に通勤するような人が増えるはずがない。さらに少子化対策やIT社会の進展で自宅勤務などが増えれば、通勤電車のニーズは今以上に高まることはない。JR・民鉄ともに抜本的な設備投資をほとんどしていない。そのことをよく考えるべきだ。たとえ埼玉高速鉄道が増えるとしても、県全体で見れば一方で他の路線の乗客が減るわけだし、高齢社会になって求められるコンパクトシティーという考え方に逆行する。付随するインフラ整備にもまた税金が使われることになる。

ほんとうに経営が成り立つなら、埼玉高速鉄道が民間銀行から借入して、事業展開してほしい。県の税金などあてにしないでほしい。県が議論に巻き込まれているのは、絶対採算が取れないからだ。それでも事業を推進させようとするのは、そのことを百も承知で、事業で食べていこう、資産収益を吊り上げようとする人間たちである。

こうした迷惑千万な検討会が希望的観測によって出した結論によって県が損害を被った場合、誰が賠償するのだろうか。株主代表訴訟みたいなもので、検討会の委員個人に損害賠償を請求する権利があるのか調べてみたい。障害者の授産施設が補助が削減されたり、ほんとうにあすをもどうしようとする人たちが大変な思いをしている中、よくもこうお気楽なことが考えていられるものだと思わざるを得ない。

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11/16 裏道に迂回してもゴキブリ運転しても時間は変わらない

保育園の送迎などで裏通りなどを歩くが、商店の力が弱り、裏通りや路地に人が歩かなくなって、通過に使う自動車の通行量が増えている実感がある。通り抜けで焦っているのか、道幅に不釣り合いなスピードで走り抜けていくクルマも少なくない。

過日、川口での保育園児の列に暴走自動車が突っ込む事件があった。そのこと自体はとんでもない事件だが、もっと驚いたのは、その裏通りの制限速度がなかった=時速60キロだったことだ。で犯人は危険運転致死罪が適用されず、業務上過失致死で立件。それ以後気になっているので、近所の裏通りを歩くたびにチェックするようにしているが、離合もなかなかできないような狭い道が制限速度なしだったりする。同じ時速60キロで走るクルマに殺されても、時速30キロの道と制限速度なしの道では、加害者の処罰が全然違う。

そしたら、埼玉新聞で報じられたが、埼玉県警が、裏道で迂回しても、車線変更を繰り返すゴキブリ運転しても、目的地に着く時間はそんなに変わらないという調査結果を発表した。通過交通はできるだけ表通りを通すような道路規制に取り組んでほしい。

公園をもっと増やせとか、プレーパークが必要とか、その通りの要求があるけれども、一方で、そもそも都会っ子が遊び場にしていた裏通りや路地の道路を、生活の場、遊びの場として取り戻すことが必要ではないか。どこもかしこも大人が都合のよいだけクルマを乗り回して、公園を用意したからそこで遊べ、というのはまずいと思う。

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11/15 駅ナカビジネスの固定資産税が普通税率適用へ

駅ナカビジネスが大流行して、便利は便利だが、ときどきどうかと思うようなことがある。もちろん駅外にある商店等への影響もさることながら、最近駅が、駅ナカビジネスに合わせて改装をしているように思えてならない。本来、乗り換えの距離を短くしたりすることが鉄道事業者のやるべきことであろうに、乗り換えの距離を長くしたり、駅の構造をやたら複雑にして歩く距離をつくり、その通路に店を並べていく。通勤客にとってはたまらないことだ。

そう思っていた矢先、駅ナカビジネスは鉄道用地として減免された固定資産税しか払っていなかったらしく、来年度からは駅ナカビジネスにかかわる面積分だけふつうの商業地と同じ率で固定資産税を課すということが決まった。特定の金儲けのために、税金を減免してきたのはおかしかったわけで、駅ナカビジネスの正常化につながればと思う。

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2006.11.15

11/15 国民合意を変更するときの手順

昼前後、和光市のおやこ広場もくれんハウスを訪ね、よその子たちと交わって遊ぶ。民営で常設のこうした場所があると、気軽にいろいろな人が来やすいと思った。道すがら、和光市北部の歩行環境の悪さや、排気ガスによる空気の悪さにはびっくりした。

教育基本法の委員会採決が野党欠席のまま強行された。しかし、マスコミは松坂の人身売買の報道一色。まぁ、これは大ニュースかも知れない。しかし次のニュースが、国税オークションに根本七保子が表れただの、いつ報道してもいいような焼き直しの北朝鮮関連報道だの、優先順位が狂っているとしか思えないニュースが続く民放。安倍晋三の影響力の強い電通パワーかとうがってしまう。

重要法案だというし、国民的合意が必要な内容だと思うが、国民的議論も大して発生せず、粛々と野党のいないままに採決を行ったということでいいのだろうか。改正教育基本法というのは、その程度の価値しかないということなのだろうね。野党も改正案の値打ちの足元みて、物理的抵抗をすべきだったのではないかと思う。教育だからやめたなんて理由にならない。どうせ通るなら、改正法の価値を落とすような動きをすべきだったのではないか。

また、この法律の改正で浮かび上がってきたが、タウンミーティングのやらせ質問に謝礼を払っていたという話。官房長官はじめ、またまた認識が甘い。世論買収なわけだから、民主主義以前の政策決定過程の規範性が崩れているとしか思えない。これは旧共産圏や、もっと露骨な例では文革期の中国のような世論形成技術と相通ずるものである。

夜、「14歳の母」を見る。教育基本法の議論から出てきている、規範性とかモラルについて考えさせられる。14歳の妊娠を騒ぎ立てて大事にする雑誌記者をみて、社会変革だとか言うのに体面的なモラルにうるさい左翼オヤジのイメージがだぶる(「世に倦む日々」とかね)。

TBSで民主党の高橋秀樹戸田市議(民社系)が、教育長に君が代斉唱時に起立しなかった保護者名を調査するよう求めた市議会質問を行っていることが明らかにされた。声を震わせてバカという言葉まで使っている。普通の議会ではこんな言葉使うと懲罰にならないかと心配にもなる。教育長も教育長でバカ答弁をしている。双方とも個人情報保護の考え方もわかっていないし、政治家が国民の思想の統制を求めるなどととんでもない民主主義だということがわかっていない。日の丸君が代の支持を表明したり、公務員に斉唱や掲揚を求めることまで議会にできても、市民に選ばれている市議会議員が市民の政治的自由を束縛しようとするとは、この議員は国際共産主義者同然の思考回路だ。まったくもっておかしな話である。民主党の地方議員にはこのような2ちゃんねる的思考の議員が少なくない。
札幌から戻ってきた98年ごろ、結成直後の民主党埼玉県連の活動に関わったが、組織拡大した今、民主主義を全く理解していない政治家の培養組織となっていることに、がっかりするし情けない気持ちだ。中央はすこしまともになってきているのに、地方は相変わらずの状態だ。

●田中辰巳「そんな謝罪では会社が危ない」を読む。なかなかタメになる。菅直人さんは能力がありながら、謝罪ということで全くなっていないことがダメになった最大の原因という筆者の評価が、政治関係者がふまえるべきことがあると思う。謝罪すべきような事態にたちいったときに、弁護士に相談して、非があるまで謝るな、と助言を受けるらしいが、そのことについて著者は一線引くべきだと指摘していて、弁護士は法的な対処法についてエキスパートだが、謝罪のプロではないと言う。その通りだと思う。あれこれ条件つけて謝るのも、なっていないという。その通りだと思う。

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11/14 国民保護法制に関して意見提出

朝霞市が国民保護計画をまとめていて、パブリックコメントを募集したので提出する。

計画そのものを反対しようか、計画を是認した上で、自治体が家父長的な感覚で国民を保護する構図を修正させるか、悩んだ。そもそも国民保護の考え方そのものは必要だと考えている。国家総動員体制というものではなく、人々の生活や権利がどのような事態下でも守られようとするものとして。しかし、現在のわが国での語られ方は、革新系の人々が言うように「戦争のできる国にする」色彩が否定できないし、政治情勢も保守派をとびこえて復古派が力を持っていてなかなかブレーキのかからない状況もある。現代版国家総動員法になりかねない状況の中、反対することも一つの立場だとよくわかる。
ただ、国民保護計画自体に対する反対論は、私が言わなくても、九条の会や、旧革新政党支持者などから広く提出されることと思った。一部容認論の私にできることは、人々の生活や権利が守られることに最大限努力するための国民保護の仕組みにする後者の立場だと思い、修正を求める立場で意見を提出した。

朝霞市の国民保護計画案

安全保障が、軍隊どうしの戦争から、非常事態からの国民保護という内容で語られるようになってきている。国民の保護とはどのようなことなのか。生命と財産を守るだけの政府への無条件帰依なのか、生命や財産とともに基本的人権などの価値を非常事態下でも守ろうとするのか、その一点をめぐっても先の大戦の反省が戦後骨身のものとなっているのか、が問われている。今の計画では、生命と財産を守るだけの政府ではいけないようなニュアンスを含みながら、明確に人権保障のための国民保護というセンが伝わってこない。そのあたりを明確にしてもらうよう必要最小限、指摘した。

私の論点は以下のとおり。
・計画には、国民保護法制に反対する人たちの危惧にふまえた内容とすべき。
・国民保護法制のもとでも、生命や身体、財産が守られるだけではなく、日本国憲法にもとづく自由と民主主義、基本的人権が尊重され、貫徹されるものであるべき。
・国民保護法制による人権侵害に対する苦情申し立ての窓口と苦情解決の仕組みを整備すること。
・町内会自治会やボランティア活動の活用は慎重にすること。
・町内会や自治会は組織率が半分である現実をふまえて、大都市圏にふさわしい住民の保護のあり方にすること。
・非常事態だけのボランティア育成はやめること。
・災害時要援護者についての特段の対応について随所に求めていることは評価する。
・危機の前提認識を9.11テロとしているが、冷戦構造の崩壊と認識すべき。
・避難交通手段のうち自転車をはずすべき。自家用自動車と同じ扱いとすべき。
国民の保護に関する朝霞市計画(案)に対する意見をダウンロード

もっとも国民保護計画も文章だけの計画だけになる可能性も高い。市民がこうしたものに協力的になるのは、自分たちの地域や自治体に十分人権が保障され、能力が存分に発揮される機会が地域にあることが必要だろう。それなくして、国や自治体の危機だから守れ、と号令を発してもなかなか動かないのではないかと思う。

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2006.11.14

11/14 愛国心があればコンビニでべた座りしなくなるか

自動車免許の更新に行く。交通安全教育の内容として30分と限られた時間内ではきわめて適切な内容だったと思う。しかしこれで事故が減っているとは思えない。居眠りしていた人もいたし、何言ってんだよという態度で聴いていたDQNサラリーマンもいた。それより罰則強化で確実に事故が減っているというし、交通安全教育の無力さを感じる。でもやった方がいいけども。

帰りに今のマンションの販売はどのようになったか、気になった近所の新しいマンションのモデルルームを見に行く。まぁ、普通に住む分にはとてもいいマンションだと思う。
今の家に住むことを決めて8年になるが、内装込みの青田売りとか、、管理無視の売り方の抜本的な姿勢は変わっていないと思った。一方で、生活のクオリティーを気にした設備などは相当良くなっていると思った。また強引に和室を用意することもなくなっている。
値段が少しびっくり。もともと交通の便利な場所ではあるし、土地は高い商業地でもあるからだと思うが、相場より15%ぐらい高い。東上線沿線でこれだけの値段がつくのかなと思う。所得も上がらないのに不動産だけ上がるミニバブルを感じる。
気になったことは、今のマンションのときもそうだったが、「主人」「奥様」と呼び、呼ぶだけならともかく、妻が専業主婦であることを前提に話を進め、保育園と言っているのに「幼稚園」と返してみせたり、販売員に強烈な男女役割分担意識と、ライフスタイルの固定観念を感じたこと。何とかならないものかと思う。

●今日のクローズアップ現代で、教育基本法改正の大きな争点の愛国心教育の現状がレポートされた。
愛国心教育は、トンデモ理論で実施されている。そもそも愛国心教育を議論するときには、公教育にとって必要なのか、意味があるのか、という視点から行われるべきだろう。しかし、今日愛国心の必要性が語られているのは規範性の確立だ。コンビニの前でべた座りしている若者や所かまわず携帯電話を使う若者、子どもたちの生活態度や、いじめなどの人権侵害への特効薬のように「規範意識」という言葉を経由して必要性が語られている。愛国心が規範性につながるのか、規範性がいじめをなくすのか、そんなもんではないだろう。こんなこと言ってはなんだが、10代で日の丸と特攻服の大好きな若者が、駅前で座り込んでたばこ吸っているではないか。

かつて社会党最左派の教祖・向坂逸郎というおじいさんが、ゲイの東郷健に「君も社会主義になればゲイも直る(科学的な社会になりゲイの原因も科学的に究明されて治療ができるという意)」と暴言を吐いて問題になったが、それに近い暴論だと思う。愛国心って、売薬のようなものなのだろうか。

番組で取り上げられた、渡邊万里子という教員の愛国心教育にびっくりした。もうとにかくぶったまげた。この渡邊氏は、およそ日本の女(やまとなでしこ)らしくない態度、格好、話し方で、子どもたちの議論を強引に誘導して愛国心とはこうだ、と押し付けている。今では笑い噺になるような、昔、左翼セクト教員が愚にもつかないイデオロギー教育をしていた姿にそっくり。

その授業は、南の国(アメリカやイギリスではない)からやってきたスージーが、日本の四季を美しいと指摘したときのあきら君の気持ちを考えましょう、という課題を考えるというもので、強引に四季のある日本を愛する気持ちがわき上がったと答えさせている。
「スージーの国には美しいものはないのか。スージーの美観を無視するのはおかしい。」と指摘した生徒に対して、富士山には四季の移り変わりがあって、それをスージーに指摘されたあきら君の気持ちを聞いているんです、と強引に無視させる。ひどい授業だし政治的手法だと思った。

この逆の立場で、このような手法で行われた授業を受けたことがあるので、いかにこうした教育法が愚かかということを強く指摘したいし、こんなことで植えつけられた「愛国心」らしきものは定着しないと思う。

レポートでも、他国に尊敬されるためには自国への愛国心が必要と訴えているが、愛国心の強い国民がいることと他国からその国が尊敬されることは無関係だ。愛国心もヘチマもない高度成長期の日本だって、結構多くの国に尊敬されていた。自分たちがすばらしいと思う心と、相手の評価は無関係だ。相手に尊敬されるためには相手に尊敬されるように身を処すしかない。

そもそも愛国心で自分の国の長所がないと成り立たないものなのか。左翼でいると嫌がおうでも革命家の生涯を知らなくてはならないが、彼らの多くは何一つ美しいところがなくなった祖国を愛するために、現体制を強烈に否定してきた。そんな複雑な愛国心のありようなど、体制追認、亡国政治家や汚職政治家を見逃せと言わんばかりの愛国心では理解できるわけがない。

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2006.11.13

11/12 東上線NPOネット

東上線NPOネットという面白いNPOグループが立ち上がったようだ。沿線でNPOが連携するというのが面白い。

埼玉県民といわれてもピンと来ないし、東上線に経費の倍以上の運賃を搾取され、県民税はみんな浦和か県北か埼玉高速鉄道に使われ、県民であるより、池袋を起点にした東上線沿線という属性がピンとくる。

また、東上線沿線地域、住民運動も市民活動も低調で、残念なことに自分たちで自分たちの暮らしを良くしてきたと誇れるものがなかなかない。何かを実現する前に、悪い評判ばかり流されて挫折した人の方が多い。
住民には東北出身者が多く、従順でおとなしいので、自治体に不満はなかなか持たないし言わない人が多い。だからってほんとうに地域に愛着があるかというと、その息子・娘である私の小学校や中学校の同級生たちはみんな外に出ていってしまっている。地域間競争が激しくなるから、新宿や池袋で呑んでいるヒマがあったら帰って地域で呑みたくなるような、地域でいろんな面白い人に会えるような、そんな地域にしていくことは大切だと考えている。このNPOネットには期待したい。

残念ながらコミュニティービジネスが中心で、ビジネスにならないNPOにも門戸が開かれるのか、気になるところがあるが、行政の区分けからNPOが自由になってやりやすいようにやるということは大事だと思う。

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2006.11.11

11/11 自殺の期限の日に考えること

文部科学省にいじめで自殺するという手紙が届き、今日がその自殺の期限だ。関係者のこの間の緊張は大変だっただろうと思う。いじめについていろいろ考えた。

いじめは加害者がいけないから加害者にガツンとやるべきだ、というごもっともな意見が跳梁跋扈しはじめている。道義的責任はそうだと思うが、それが本当の問題解決にはならない。被害者が、加害者の非を指摘してどうなるというのだろうか。被害者が包み隠さず学校や教員に被害を訴えたら復讐の理由にされるし、また学校や教員が加害者に下手なアプローチをしてしまえば、やはり被害者は復讐を受ける。いじめはケンカと違うのだから、そんな単純な話にはならない。

いじめは、場の空気を支配し、空気に外れたり、読めないとされた人間に行われる。学校では教員や親に見あたらないような場所で行われる。さらに加害者は脅迫し口封じを要求する。そういう前提を飲み込んで処方について考えて欲しい。学校の教員に責任がないとは言わないが、学校に解決のすべてを委ねたり、責任を負わせることは、効果的な解決法ではない。
いじめに苦しんでいた人の書いたものを読んでいたときに、休み時間、給食、グループ作業、体育や芸術系科目の実技、こうした時間が被害をうける時間で、通常の授業中が一番ほっとした、というところを読んで、そうだったなぁと思う。

対応をする前提として、子どもの社会関係を学校に一元化しないことだ。学校しか社会関係がないから、子どもは自分のされていることを相対化できない。学校で認められなくても、趣味の活動や、私塾や、学校を超えた友だちが認めてくれれば自殺することはない。しかし、いじめを学校が解決すべきという議論の中には、子どもの社会関係の責任をすべて学校に一元化していることを前提にした言い分がある。学校が完全に子どもを支配することが前提の議論で、そんなことはありえない。

次に、被害を受けた当事者の権利性をきちんとふまえた対応をすべきだ。復讐の恐怖に怯えて学校に対応を求められないのに、学校が手を差し伸べようとすることに限界はある。当事者が、学校やその関係者のいない第三者に相談し、問題解決を求めることができる制度が必要だ。兵庫県川西市の子どもオンブズマンや、長野県教育委員会などの取り組みが評価できる(長野はいじめ自殺した人の親が課長をしている。しかし知事交代でこの対応セクションを潰すか縮小しようとしている。田中康夫の目玉政策でもないだろうに新知事は子どもの生命や人権より田中の特色潰しを優先するらしい)。
多くの自治体では相談室を設けてカウンセラーを配置してやっています、と言うが、これはいじめを解決してくれる第三者機関ではない。壊れた道具を修理屋に出しても、道具を壊す環境が残っていればいくら修理しても仕方がない。さらに踏み込んで言えば、なぜいじめの被害者が病人扱いされ、カウンセリングと称してどこの馬の骨だかわからないカウンセラーに全面的帰依を要求され内面をえぐられ続けなくてはならないのか。第三者といえばカウンセラーだけにいじめの対応をさせるのは暗にいじめられたあんたが悪いと言っているに等しい対応だと思う。

学校はあくまでも勉強する場なのだから、いじめで勉強する環境が整わないなら、無理して行く必要はないことも認めるべきだろう。義務大好きな日本人は、教育の義務ばかり強調する。しかし生存権や幸福追求権に教育の義務が優先されるとは思わない。自由で民主主義が尊重される国の中で法を順守して生きるかぎり、義務教育が、生命や人として大切にされる権利より優先されるなんてバカな理屈はない。権利のない前近代はさらに義務教育なんて概念がない。

さらに学校は教育機関であるという原則をきちんとうち立てることだ。授業以外の時間をあまり大切にしない、授業以外はなるべく子どもを家に帰すようにすべきだろう。クラブ活動は学校に従属させるのではなく、地域社会にやらせて、学校の人間関係をリセットできるところでやる。学外の友だちづくりを大いに奨励する。
どういう文脈で全人教育を右も左も擁護するのかわからないが、人格形成の場なんてわけのわからないことをするから、学力以外の評価が学校で幅を利かすことになるし、そのことでいじめる側の正統性を作っていると思う。

もっと大きな話では、「空気」が支配するこの社会のありようを変えていく必要があるのではないか。ニート問題の処方箋として、人間力とか、コミュニケーション能力が着目されるようになったし、若者が「空気を読め」という言葉を昔より使うようになったことが気になっている。これまで言葉にすら成らず、後ろめたさと裏腹にあったいじめを、正当化する言葉がつくられていると危惧している。

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11/10 官が作文して民が読む→官から民へ

北海道でお世話になった友人から「選挙に出たい大切な人がいるので、選挙ってどんなことするのかアウトラインを話してほしい」と頼まれたので、池袋で晩ご飯を食べながら、具体的な作業についていろいろ話をした。

最近、マスコミで選挙を語るときに、浮動票とか無党派層が話題になるけれども、超大選挙区制(定数が何十人もある)の基礎自治体の議員選挙の場合、浮動票も無党派層も名簿で見える票しかない、などと話をする。地域社会でマイノリティーになりがちな人たちの力になりたい、ということなので、ほんとうに期待したい。むかしはこういう候補は民主党の傘に率先して飛び込んできたんだけどなぁ。

話の中で、選挙とは別に、未婚の父とか、ゲイが養子をとりにくい(実態としてはとれない)ことなど、考えていかなくてはならない話しもあった。

●タウンミーティングの胡散臭い運営実態が次々に明らかになっている。
やらせ質問のほか、一般参加者がたくさん入れないよう動員参加者が先に大半の座席を埋め尽くしていたということもばれた。「再チャレンジ」でもやらせ質問が発覚している。
社民党の保坂議員が、自身のブログで、

今まで、ヤラセ問題は「文例」を示して言わせるというシチューエションだったが、官製動員を徹底して会場を埋めてしまうことで、もう一般応募者の席はありませんと参加を拒む状況を作り出し、「教育基本法改正反対派」の締め出しをはかるというもうひとつの作為が働いていたのではないか。「官が作文して、民が読むというのが『官から民へ』だったのか」と今日は委員会室で叫んでしまったが、よくよく考えてみると「民」を装った「官」の大量動員が行われていたことは見逃せない。

と書いている。「官が作文して民が読むというのが官から民へだったのか」という質問はいい。民間委託もそんなもんだもんな。
民意を作文して、民に言わせて、サクラに拍手喝采させて自由意見を封殺するというのは、安倍晋三が目の敵にしている北朝鮮はじめ、共産主義国のやり方と同じだ。共産主義は諜報機関を使うが、我が国では広告代理店を使ってスマートにやっているという違いはある。

●それで思い出したけど、夕方のニュースでフジテレビの木村太郎が、公務員が4人しかいないアメリカの自治体を紹介していて、「道路の穴をすぐ埋めてくれる」「木の枝をすぐ切ってくれる」という市民のコメントを紹介して、行政が効率的になったと木村は宣伝していた。そうだろうか。
道路の穴を埋めるとか、木の枝を切るなどということが、自治体の本来業務なのだろうか。そういうことに自治体をこき使うこと自体の是非を問わずに、市民から言われたから何でもパッパッとやっていることが効率的だとは思えない。
松戸市の「すぐやる課」がいい自治体の理想像のように語られ過ぎている。元気のいい苦情魔のための市役所になってしまう。社会も経済も税収も伸びることが前提になっていた高度成長期は、市民のいいなりになってやり散らかしても始末はつけられる。しかし、少子高齢社会になって思うように成長ができない時代には、自治体の仕事はある程度は絞り込まなくてはならない。元気のいい人、身動き取れる人のための施策は自分たちでやってくれ、と言わざるをえない。自治体は市民のセーフティーネットと自立に必要な機能は何か、を絞り込まなくてはならない。
それなのに、公務員は減らせという一方、市民がやれということをやるのがいい市役所だという議論ばかりが広がる。その感覚が公務員を増やしているし無駄な事業が増殖している原因なのではないか。もっとも、お役所仕事というような、言い訳け文章ばっかり考えているのは問題だが。

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2006.11.10

11/10 政府税調も議事録非公開

規制改革会議で議事録非公開に味をしめたのか、教育再生会議でも議事録非公開、そして民主主義の原点とも言える政府税調まで非公開になったというニュース(朝日朝刊)。

非公開にすることで委員が自由に発言できる、ということらしいが、非公開の場で国民の監視もないところで税金の取られ方が勝手に決まっていくことは許されるべきことではない。野党はしっかりこの問題を取り上げるべきではないだろうか。

私は増税論者だけども、国民合意のプロセスをふまない増税はあってはならないと考える。議論を尽くせば絶対にある程度の増税は避けられないということの範囲だからだ。また、増税にも取られる場所、取られ方、それらに公正性が担保されなくてはならない。特定の業界や特定の金儲けだけ優遇されるというのは極力避けられるべきだろう。
所得税減税の打ち切り、消費税の増税、道路特定財源の一般財源化という、国民に対する不利益変更がこれからも予定される一方、賃金も払わなければ税金を払わない黒字企業にさらに便宜を図るような税制の変更を行おうとしている。政府税調の委員は、国から税金をもらって(それも公務員より高い年俸らしい)好きなこと喋ってくるのだから、やはりモラルの歯止めとして実名入りの議事録の公開は欠かせてはならない。

自由と責任とか、自由と義務とか、権利と天秤に何かを押しつけるのが好きな体制寄りの人々。それなのに自分たちは不透明の議論をして、免責だらけの世界で好き勝手やろうとしてるのが全く腑に落ちない。

●藤原正彦とかいう、貧相な数学者が教育改革の議論でもてはやされているらしい。「国家の品格」なんていやらしい名前の本を出しているし、武士道精神の復活と提言されているという。
お金がもったいないからこの本は読まないが、安易な武士道精神の強要は良くない。そもそも武士道精神なんて、武士が社会の少数派だったから可能なことだ。今の日本人でも、江戸期の武士階級程度の割合の人は立派に武士道精神らしき立派なモラルで生きている。武士道精神の高揚を訴える人って、結局は自分が武士道精神を身につけている人だと信じ、およそどう見ても武士道精神を失ったような人を見て精神的高揚感を得るための議論しかしていない。
武士道精神などという観念から生まれる精神主義は、多くの人には通用できないのが現実だ。そのために法や、共同作業、祭などを通して、共通理解をもとに人間は社会を形成してきたのではないだろうか。いたずらに庶民に武士道精神を押しつけるのは、明治維新のミステイクをいつまでもひきずっているとしか思えない。

さとう珠緒がバカじゃないなと思ったのは、この書評。ダビンチ・さとう珠緒のバカブックガイド。国家の品格についての評論です。

●助産所仲間?のブログで義家弘介氏の日和見(ヒヨリミ~)主義ぶりを適切に書かれています。共同合宿所・教育再生あれこれ。社会派ぶるヤンキーって信用ならない。ほんとうに役に立つ元ヤンキーって、もっと自分の過去に謙虚だったと思い返しました。

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2006.11.09

11/9 じっとみすえる

今ごろになって蘇我馬子や厩戸王子を題材にしたまんが「日出処の天子」を読む。歴史解釈のダイナミズムに触れる。日本史で英雄の伝記を教えろと主張する政治グループがあるが、明治維新のライトな英雄伝説を信じ込まされて何か意味があるのか、と思う。子どもたちの自尊感情の補強=愛国心教育=都合の悪い歴史の隠蔽と過去の美化を一体に考える悪癖はやめるべきだろう。

●米国議会の選挙で上下両院とも与野党逆転。アメリカ型の政権交代がいいとは思わないが、日本よりまし。政権交代がほとんどない日本では野党は育たないし、与党とともに国が滅びる。即刻ラムズフェルドを解任したブッシュ大統領の判断は賢明だと思う。
昨夜、民主党の今の状況について憂える党員の友人から電話がある。小沢氏が無原則に野党共闘を進め、農村や既得権益集団への接近を図っていることが与党からの攻撃材料になっているし、支持率の低下になっている、という。
私は、そういう面もあるとは思うし、小沢氏の演出はあまりうまくないが、構造改革疲れと格差問題(所得の問題だけではなくて)に不安を実感しながら言葉にならない国民の気持ちにどう寄り添うかということを考えたら、小沢氏を変えようとか、既得権益集団との接近をやめろ、と騒ぐことは逆効果だと答える。結局、小沢・鳩山・菅体制を壊すという前原氏あたりを勢いづける。そのことは、構造改革疲れや格差問題に鈍感で、軍事問題にやたら勇ましい人たちを勢いづけることになる。そんな民主党が政権交代の指標になるのか疑問だ。また、無投票で決着した党首選挙が終わったばかりなのに、党首交代論が出てくればまた民主党へのわかりにくさ不信感を培養してしまう。そのことで国民に不安定感を累積させ、民主党支持しない層を増大させていることも注意すべきだ、と思う。農村回帰を進める小沢氏のやり方に不安を抱く議員も多く、都会に強い民主党を復活させる議員グループができた。しかしトップが前原氏に近い議員だけに、かえって逆効果にならないかとも心配した。

●朝日新聞の三者三論で教育委員会が議論されている。堅持派、分権と自治体との連携強化派、廃止と自治体首長の責任強化派の3人がわかりやすく論を展開している。政府や自民党が進めようとしている文部科学省の都道府県教育委員会への指導強化論は非現実的でナンセンスな対策だということがわかる。

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11/8 やらせ質問体質

午後、地域福祉計画の推進委員会に出る。
庁内推進委員会が発足したこと、27日に東松山市の障害者就労支援センターを視察にいくこと、障害者・高齢者の危機管理のための当事者ヒアリングをするために市や各団体に協力をお願いすること、などが話し合われた。福祉オンブズマンについては提案者間に足並みの乱れがあったため再提案を求められた。シニア世代の地域参加推進を検討しているプロジェクトが市内の様々な取り組みをしている団体にヒアリングを行った報告をされた。啓発型のものは参加者が低調で、娯楽型のものは参加者が多いという結果。プロジェクトは、娯楽を出発点にしながらボランティアや地域福祉につながるような展開をするよう検討していきたいと報告がある。
市社会福祉協議会が策定に着手する地域福祉活動計画の進捗状況について報告があった。また私が過日参加した地域福祉計画情報交換会についても報告をした。いくつかのイベントが紹介もされた。

●文部省と内閣府がしかけていたタウンミーティングのやらせ質問はこの国の民主主義を考えさせられる事件だったと思う。野党は与党をもっと追及すべきだと思う。官房長官をはじめ、行き過ぎとか、仕事熱心とか、認識が甘い。政府が自由な討論を装う場全体にうさんくさいものにしていたことになる。余計なことだが、タウンミーティングは全て電通が随意契約で受託していることも運営の不透明さに輪をかける。
政府の問題は政府の問題としても、もう1つ同時に考えなくてはならないことは、日本人のあらゆる場での民主主義のあり方そのものの問題じゃないかと思う。右翼も左翼も市民派も官僚主義者もわりと共通したところだ。何より予定調和的に会議が進められることが優先されている。
したがって主催者側の議案をヨイショする発言が多くないと会議が成り立たない。さらには、奥ゆかしい日本人の行動パターンから「誰かが発言しないことには会議が盛り上がらない」という美名のもと、主催者側やらせ質問が許容される言葉遣いもある。
行政が音頭を取りながら市民による自治が求められる地域福祉計画に関わっていると、時々感じることもあるが、メンバーどうしが自己決定していく会議の方法に多くの人が未経験で、どうしてもその場にいる「お上」的な存在への質問大会にたまに糾弾質問が入るような進行になる。私たち自身が決めるのだから、「お上」に対しては意見は言うことがあってもいいが、質問はほどほどにしないと、自治能力を放棄する危険性もある。
アイディアを出し合ってみんなで合意していくというものではなく、壇の上にいる提案者が一方的に提案して、参加者の質問をかいくぐれば、「話を聴いた」「おおむね合意ができた」とされる。そうなると提案者が提案した以上のいいものができるわけがない。質問者を「足を引っ張る人」とみなすようなことになる。そんな点からも会議の時間つぶしのために「足の引っ張り」が弱い質問を配置しておくという行動になっていく。また、提案に対する反対派は説明会も開かせない、話し合いも応じないというのも、こうした日本の民主主義の風景から、会議が開かれたら何も歯止めができないと知っているからだろう。
また一方では会議などでの議長権限が弱いことも指摘できる。どうでもいい意見とか、決意表明の類、話を蒸し返すだけの質問は、本来は議長が整理、ときには却下したり発言打ち切りをすべきなのだが、そういうことが行われない。意見を言いたい人にガス抜きして終わり、としての役割しかないからではないか。

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2006.11.07

11/7 竜巻を延々報道しても教育基本法改正は全然ニュースなし

大学の社会教育について教えている先生のところで子連れで軽いブランチ。エンパワメントできる人材を養成する大学院の講座を開設する話をされた。その後、紅茶キーマンを捜して都内を彷徨う。以前、高島屋日本橋店に比較的安い茶葉があったことを思いだし行ったら、テナントがリニューアルして2倍の値段になっていた。ハリボテで付加価値を生む構造改革商法なり。その後、名刺をつくってもらいに印刷屋を訪ねる。最後に伊東屋で来年の手帳を買う。

●先日、テレビの国会審議を伝えるニュースで質問側の議員の発言を画面に乗せもしなくなったし、質問の趣旨も紹介しなくなったと書いたが、やっぱりテレビニュースがおかしい。最重要法案であり、戦後体制の抜本的見直しを位置づけて審議されている教育基本法の審議状況、理事会の議論について報道がない。

一方で必要以上に長い時間報じられていると思うニュースもある。きのうまでは、必修科目の未履修問題。それもきょうも何校発覚、きょうも何校発覚とあとは同じようなニュースを10分以上も続く。きょうの9時のニュースでは、佐呂間町の竜巻で20分以上も時間を割いている。人が死んでいるとは言うのだろうけど、想定内の天災であっておそろしく特異なニュースとも思えないし、全時間の3分の1も割く必要があるのか疑問だ。

命令放送を強行しようとする政府・自民党の姿勢に、マスコミがびびってしまっているのだろうか。何かおかしい。命令放送の実施について、拉致被害者向け放送をしてきた「特定失踪者問題調査会」が不快に思っていると毎日が報じている。自分たちのこれまでの努力を一切無視して、安直にNHKに飛びついたことに不快を示している。

●選挙での電子投票を導入した神奈川県海老名市が、システムの信頼性がないととりやめることにしたという。賢明な判断である。電子投票はコンピューターさえ入れれば効率化されるという、無検証の固定観念の産物である。開票作業に携わる自治体職員の残業代が無駄だから電子投票を導入しようという議論をされているが、どちらがお金がかかるのだろうか。さして複雑でもないたまの作業のために、コンピューターを入れて効率化できるとは思えない。実際、たまにしか稼働しないから毎回ミスがおきているし、そのために人手で開票作業やるのとかかる時間は全然変わらない。年中、住民投票をやるというならともかく、電子投票システムはコンピューター会社が自治体をカモにするツールとみた方がいい。

●八戸市のタウンミーティングで内閣府が、政府の有利な質問をするよう要請していた問題。タウンミーティングが税金を使った与党施策のPR事業でしかない本質を見せてくれた。ほんとうによくない。しかし、野党側も言えたものかと思うところもある。今回、共産党が火をつけたが、共産党系の大衆団体なんて、執行部が痛くも痒くもない要請質問ばっかりだったじゃないかと、大学の自治会の議論を思い出した。

●フジテレビのFNNニュース、久しぶりに「熱血教育者」を紹介していた。教育特集の悪い癖が始まった。以前も、長田百合子を良く紹介していてやばいよ、と書いたことがある。その後、同じようなことをやっている長田の妹が子どもたちに暴力を振るって死なせてしまい逮捕された。しばらくこうした熱血教育者はオンエアされていなかったのだが。今回も、どうみても社会常識のない風貌の教員が、問題児ばかり集めて、授業そっちのけでよさこいソーラン踊りか何かやらせて、怒鳴る、涙を流す、感動する、目の色が変わった、という毎度のパターン、テレビ局は好きなんだなぁ。目の色を変えることが学校教育の目的なんだろうか。

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2006.11.06

11/6 キーマンが消える

愛飲している紅茶「キーマン」が置いてある百貨店から消えた。
「キーマン」は「ダージリン」「ウバ」と並んで世界三大茶葉で、香ばしくすがすがしい味わいの紅茶なのだが、中国茶ということであまり知られておらず、売れない葉で、量り売りの紅茶ではなかなか売っていない。
その百貨店の店員さんが、事情を斟酌してくれてずっと置いてくれたが、やはり売れないのに置いておけないのだろう。店員さんが退職した後、とうとう店頭から消えてしまった。
高いブランドの缶入り茶葉や、「紅茶専門店」の味の出ない茶葉なら、お金を高く払えば容易に手に入るが、普通に飲むために買うようなことにはならない。残念だし、退職した店員にお礼をいいたい。

●朝日夕刊1面「前知事の足跡、不要?」という記事で、知事が交代した都道府県の多くが前知事の記者会見録をHPから削除したり、引退会見などをそもそも掲載していなかったりしている。削除しているような都道府県の情報担当セクションは、知事の会見を売名行為程度にしか理解していないのではなだろうか。政策決定にあたってのトップの考え方を後から検証するために非常に重要な情報であり、そうしたものを一般人から容易に目に届かないところに追いやることは、民主主義の手続き上問題があるとしか思えない。こうした自治体の情報将校たちの神経を疑う。

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2006.11.05

11/5 下村官房副長官がゼロ歳児保育が家庭をバラバラにすると

右翼系地方議員(保守系じゃないですよ)の身内では、子どもの権利や子どもや家庭に対する福祉施策は、家庭を崩壊させると批判している(コミンテルンの謀略とまでいう馬鹿もいる)。しかし彼ら自身の選挙公約では「保育所の充実」とか「子育て支援の拡充」など恥ずか気もなく訴えていたりしていることが気になっていた。多分、保育所入所の口利きが票になるからだろう。また、自営業などなし崩し的に共働き状態で保育所を使わざるを得ない支持者が多いからかも知れない。でも、汚いな、と思う。

そんななかで、やっぱり右翼系議員のホンネは保育所はいらない、子育てなんか「母親」に押しつけておけばいいのだ、と考えていることがありありとわかる発言が、きょうの下村博文官房副長官(自民党・板橋区選出衆議院議員)の「ゼロ歳児保育に税金投入するなら母親は無理に働かなくても」の発言。こういう俗論が受けるのかな。下村官房長官、まずは自らが、仕事もしないでゼロ歳児と1年一緒にいてみなさいって。

冷やかしはこれまでしにて、下村発言の現実的な問題点と、考え方の問題点を指摘しておきたい。
現実的な問題点は、ゼロ歳児保育が始まる80年代前半までは、どうしてもゼロ歳児を預けなくてはならない場合、劣悪なベビーホテルに赤ちゃんたちは預けられ、ひどいめにあっていたことをきちんと思い返してほしい(至文社「ベビーホテル」参考)。今でもゼロ歳児保育をしないと公言している自治体の保育環境がどんなものか、検証して言ってほしい。べきだ論とは関係なく、もちろんイデオロギーとも関係なく子どもは生まれ、育てなくてはならない。そうした子どもが路頭に迷わないように社会制度は組み立てるべきだし、その方が国民の能力発揮のためにはいいことのはずだ。
また下村氏は首都圏選出議員だからわからないのかも知れないが、地方で、農業、漁業、零細企業を支えている家庭というのは、保育所なしには成り立たない。保育所が母親の責任放棄をもたらし家庭を壊す、という論陣を張っている議員というのは、大半が大都市圏の専業主婦率の高い地域の議員だからだ。地方では、家業や地域の産業で働かない女性というのも、これまた家庭を壊す原因になるのだ。フェミニズムに毒された女が育児放棄で子どもを預けているなんて観念的な批判は当たらない。
家庭を壊すのと子育ての社会化とは全く関係のない話で、我が国で母親が守る家庭というのは下村氏がどのように捉えているのかわからないが右肩上がり・55年体制・戦後民主主義・高度成長期の幻想に過ぎない(徳川社会主義者の私としては、よくよく日本の伝統というものを強調しておきたい)。

また考え方の問題として、子育ては家庭でするものだ、という定義をされているが、家庭におしこめる弊害については、80年代ぐらいからいろいろ指摘されている。子育てが家庭に入りきらなかった昭和30年代と最も子育てが家庭に入りきっていた昭和50年代とを比較して、子どもたちはどうなのだろうか。家庭をバラバラというのは保育所がバラバラにすることなのだろうか。逆に、保育所が子どもや保護者たちをつないで、強い地域をつくれる可能性があるのではないだろうか。

保育所にどれほどの税金を使っていると胸を張れるのか知らないが、その機能をネガティブに宣伝するなら、その弊害についていろいろシミュレーションをして言って貰いたい。また、働かなくて済むというなら、長時間労働を黙認し育児休業取得に後ろ向きな企業に対して政治からガツンと言ってもらいたい。献金ほしさに甘チョロいことしか言っていないのに、家庭にばかり難題をふっかけてくれるな、と思う。

●板橋区の学生(男)が子ども(5ヵ月)を虐待して3ヵ月の重症の怪我を負わせて逮捕された。この学生、虐待した当時は朝霞市に住み、妻が働いていて生計を立てていたという。
気になったのは、この赤ちゃん、保育所に入れていたのだろうか。8ヵ月からしか入れない公立保育所では受け止めていなかっただろうし、共働きでもなかなか入れない朝霞の保育所が、片親が学業で入るのは難しかっただろう。経済的にも無認可保育所に預けるのは厳しかったのではないか。学生に子どもができて、妻に働いてもらいながら、男が孤立無援で、他の学生が自由にしていてあと数年は家庭責任から自由でいられる状況を横目に見ながらゼロ歳児を子育てする、という境遇の中で、保育所の支援が受けられなかったことを想像すると、加害者を責めること以外にも、考えなくてはならないことがとても多いような感じがする。
朝霞市の子育て力についてどうなのだろうか。とくに逮捕時には板橋区に住んでいたというのは、福祉難民だったからだろうか。それとも離婚なのか。朝霞市の児童福祉政策を考えていく上でとても気になるニュースである。意味のない保育行政の線引きを見直す機会にしてほしい。

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11/5 言葉少ない菅直人さんへの誤解

今日の菅直人さんの「今日の一言」が良い。

今林業が面白い。これまで外材に押され、日本の林業は経済的に成り立たないところまで追い詰められていた。しかしその原因は単に安い外材の輸入だけが原因ではない。従来切り出したままの乾燥させない材木を大工が建築現場で曲がりなどを修正しながら使っていた。それが曲がりを生じない乾燥材を工場でプレカットすることが主流になり、建築現場では曲がりなどの修正は行われなくなっている。私もいくつかの伐採現場や製材所を見てきたが、新しいシステムが動き出している。こうした新しいシステムに適応すれば日本の林業は間違いなく再生できる。そのひとつのキーワードは作業用の林道の整備だ。しかしこの事業まで官製談合の種にしているという報道に怒りが湧き起こる。

公共事業の不正に対して怒る理由として、①事業そのものが無駄である、②事業はいいが合意形成の取り方に問題がある、③事業は良くてやり方に問題はないのにお金の使い方や業者の決め方に問題がある、と3種類ぐらいのレベル違いがあると思う。ところがここ10年、すべてを①事業そのものが無駄であると決めつけて批判してきたような気がしてならない。10年前のように公共事業が絶対に止まらない時代はそうした暴論も必要だったかも知れないけど、今は慎重に議論しなくてはならないものもあると思う。

言葉が少ない菅直人さんは、①事業そのものが無駄である、と主張する人と捉えられてきた。そうして誤解をされ、強烈な新自由主義的な子分が寄ってきては、菅では物足りないと離れていったし、そういう元子分に党首選挙や、逆に足を引っ張られる場面では苦労してきた。

技術者出身の菅さんがそんな暴論を本気で言っているわけがなく、今回、林業の話では、そうした本当の菅さんの姿を短い文章の中にきちんと読み取ることができる。

林業に対する政策センスは、社会運営をとことん経済原理に委ねてやるべきなのか、経済原理を超えた価値について社会が担わなくてはならないと考えるのか、分かれ目になる政策だと思う。単に木を切ったり山を崩したりして売るなら経済原理だけでやれるけど、次の世代の林業を残していくためには、経済原理だけでは何ともならない。昔は宗教的動機や、封建的社会ルールがあったから何とかなったけど、そういう価値がおおむね崩壊した今では、林業は経済原理だけではどうにもならない。

で、菅さんも林業にもっとお金をつぎ込むべき、という立場を明確にした上で、今の林業土木の業者決定システムについてはコテンパンに怒っているわけで、筋道としてきちんとしたものだと思う。①公共事業そのものが無駄である、という立場の人にヘンな信号を与えることにならない。

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2006.11.04

11/4 ほんとうの説明責任

次世代育成支援行動計画の普及市民活動として「子ども子育て連続講座」を始めた。初回は、市内の小学校の先生で、30年以上の教育生活、ほぼ毎日ずっと学級通信を書き続けた霜村三二さんのお話を伺った。

霜村さんの学級通信は、その日の教室で起きたことをすぐ書いてその日のうちに配っている。お知らせおたよりというものより、日々の子どもたちの状況を、みんなで見守って、「自分の子でない子でもかわいいと思える」ような学級づくりをしているという。学級通信と日々の教員生活がかみ合ってやってきているので、書くことは苦痛ではないし、逆に書くなといわれるとどのようにしたらよいのか戸惑ってしまう、というのが面白い。

「説明責任」という言葉が学校で多用されるようになっているが、それが通り一遍の文書だったりして、そんなことが子どもを育てるということに意味があるのかと問題提起された。一方で最近は保護者に渡す文書をすべてを管理職がチェックするような学校や東京都のようなところも増えて、学級通信も自由に書けない、書いてもチェックで発行できるのに何日もかかってしまう、というようなこともあると、今の教育のコミュニケーションのおかしな状況を嘆いておられた。

私に最初に影響を与えてくれた小学校2年生のときの教員(昨年9月に他界されました)が、ほんとうに熱心に学級通信を書き続けてくれて、そんなことも思いだして、帰宅後、読み返した。

※霜村さんの学級通信のあゆみについて、今年本にまとまっていて、朝日新聞の家庭欄でも紹介されたことがあります。「らぶれたあ」かもがわ書店刊です。私があれこれ紹介するよりこの本を読んでいただいた方がいいと思います。

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2006.11.03

11/3 紙一重の市民による福祉政策

午後、県内の地域福祉計画に関わっている市民の交流会に出る。小地域活動に積極的に取り組む所沢市の話を聞く。所沢市は介護保険制度導入時にがんばった自治体で、当時から続けている市長が福祉に詳しい。住民参加による自発的なエネルギーを引っ張り出す地域福祉計画の真意をよく理解しているようで、非常に適切なリードを市役所がしている。役所の人事異動が激しく、議員は個別の話ばっかりに関心を持つので、利権にからめず継続的な取り組みが必要な福祉の施策の推進には、首長の強い関心とキーマンになる中堅職員の存在が重要だし、自由闊達に問題解決についてブレーンストーミングできるような職場風土が重要だと実感した。

自己紹介があったのでこんな話をした。
地区ごとの色分けが不明確で流動人口の多い朝霞市は小地域で区分けすることのメリットとデメリットを考えると、メリットが見えにくいので、課題別横断型の市民活動育成に取り組んでいる、NPO事業の育成みたいなことが期待されて、紆余曲折あって市役所や団体代表委員などがかなりとんだ計画を認めてもらったが、現実に事業化に取り組むと、新たな営利事業の手法のように理解されたり、過大な期待をされたり、支援を必要とする当事者がどこか飛んでいってしまうような話も出てきている、と。

コミュニティーワーカーの配置に何としてもこぎつけたいという新座市の参加者、市民が市役所に要求する話になりがちな状況を打開したい上尾市の行政からの参加者、毎週集まって熱心に計画づくりをしていることが評価されている日高市の参加者、ようやく計画づくりが始まることになったこという飯能市の参加者など、自己紹介がそれぞれ興味深かった。

以前にも書いたけど、地域福祉計画って、たすけあいの地域づくりにもなれば隣組復活にもなるし、重層的で自発的な福祉社会をつくることもできれば単に役所の責任放棄を認めるだけの計画にもなりうるし、恣意性の良さを引き出すこともできれば恣意性のいやらしいところも出すことができるし、いろいろな点で紙一重の計画なので、いろいろ考えるべきことが多い。

その後、知人の女性に縁談を紹介してほしいという話を聞くが、立ち話なので今度ゆっくり聞くことにする。夜、家族への贈り物を買いに行くが決まらない。それとは別に、事務用チェアを以前から探していたが、いいものが見つかって思い切って買う。

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2006.11.02

11/2 高市早苗さんのリアリズムたっぷりの生活

●今日、国会議員の資産公開がされた。高市早苗議員と、夫の山本元議員のことはおかしかった。
夫山本議員には妻高市議員の知らない3000万円以上の借金があって、さらには貯金がほとんどないことがばれてしまった。妻高市議員がカンカンに怒っていた。さらにマスコミから高市議員に家計はどうしているのか、と問われて、料理の得意な夫が買ってくる食材以外はすべて折半と胸を張って言い切っていた。夫婦別姓に原理的に反対していたのに、議員活動では別姓を使用しているのも注目だ。
政治家家族の資産公開や、男女平等施策にことごとく反対してきた高市議員だけに、その生活の現実と政策の矛盾に怒ったり批判したりする気持ちよりも笑いがこみ上げてしまった。高市さんの言うリアリズムって、どうなのって感じだった。最近、こういう言行不一致の右翼系女性議員が国も地方も増え続けている。

昔、社会党を中心とした政権交代が期待されていた時代があった。そのころの月刊誌に、俵孝太郎氏が書いた、社会党政権ができた日のシミュレーション小説を読んだことがある。
その小説では、政治家の資産公開を親族まで広げようとした社会党政権の足元で、女性議員が、実質上の離婚状態にある夫の資産を公開できるわけがないと、国対委員長に猛反発する話が書かれていた。家族観の時代背景がまだ保守的で、議員になるような女なんかどうせ旦那を大事にしていない、という先入観が強かったし、現実問題として、女性議員の何人かは夫が議員になることを猛反対し、事実上の離婚状態になった人も少なくなかった。そんな状況を揶揄した記事だったが、俵氏の期待とは逆に、社会党が政権を取ることもなかったし、女性議員の夫の資産をめぐってもめたことはなかった。
今日の資産公開で、初めて政治家の家族の資産公開ってこんなものなのか、という一端を自民党議員が見せてくれた。俵氏が言うような心配は当たっていたが、事件性はないし、それで政策が動くというものでもない、ということがわかったのではないか。

●嫌いな安倍首相がいいことをしたので評価しておきたい。
今朝の毎日新聞で、ガソリン消費量の1割に見合う国産バイオエタノールを生産するよう関係省庁に指示したことだ。資源埋蔵量と国際情勢にふりまわされる化石燃料や原子力以外のエネルギー源を開発することはとても重要なことだ。すでにブラジルは国策としてバイオエタノールを開発し、その富で米国とも、旧共産圏とも違う新たな左派勢力圏つくるにまで至っている。
中川昭一氏など核兵器保有を議論したがっている政治家は、善意に解釈してあげれば国際情勢の変化をあれこれ考えているためだと思うが、核兵器より前に、エネルギー問題を少しでも有利な状況にしておくことがやるべきことだろう。その上、近年、日本のエネルギー外交は失策が目立つ。そのような状況の中で、安倍首相のこの指示は高く評価したい。国内経済という面でもうまくいけばバイオ燃料を産出できる農村部の振興策にもつながる。
しかし安倍政権全体を評価するためには、精神主義の教育政策とか、ねちこいマスコミ対策とか、宗教団体との不透明な関係、年金財政の改革と無関係な社会保険庁叩きなどの政策変更が不可欠ではあるけれども。

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2006.11.01

11/1 いろいろ教えられたこと

午前中、市内のお世話になっている方の家を訪問する。お子さんが障害児でおられて、卒業を間近に大変な状況になっている話を聞きながら、マンションの内装や手作りキルトの話を聞かせていただく。中古マンションを買う楽しみみたいなことを知る。

夕方、時間ができたので散髪に行く。最近入った洗髪担当のお兄ちゃんが回転寿司に行った話をしてくれて「お金ないから腹がいっぱいになるまでかっぱやたまごで間をつないでいると、隣のテーブルの家族連れの子どもがためらいもなくトロを取るんですよ。なんか納得いかないですよ」と嘆く。たしかに今は子どもにまぐろを平気で食べさせるほど、回転寿司にまぐろは溢れて安い。昔は、スーパーのすしねたセットから広げて、「まぐろは高いから一切れだけ」なんて、結構けちけち食べさせてもらったような感じがする(ウチが貧乏だっただけかな)。高級品は高級品であってほしい。子どもに高級品は「まだ早い」という不条理を言い渡すことは必要かも、と思う。
どうもまぐろが捕れない、輸入できないという状況になってきているらしい。魚は食べないくせに、まぐろばっかりを大量消費してきた食生活を見直すことが必要なんではないか、などと考えていた矢先の会話だった。

夜、映画「パッチギ」をDVDで観る。朝鮮人高校生と日本人高校生のケンカのシーンとか、人々の葛藤の描き方がいいけど、ストーリーはちょっと甘くないかと思う。

●漢字研究の白川静さんが亡くなった。近代教養では理解しにくい漢字の持つおどろおどろしさを解明してきた。
白川さんが甲骨文字から解明してきた漢字の使われ方は、びっくりするものが多い。「流」という字は、さんずいに、子どもを川で流すことを表している。古代は拾われた子が丈夫に育つとして、子どもを川に流す儀式をしていたらしい。「道」は通りに首を掲げている様子をさす。そんなことを教えてくれた高校の担任は、おそらく白川静マニアだったのかも知れない。
高校に山形でやまびこ学校の無着成恭さんの同志であり漢字の研究をしていた教員がおられて、その方が暗記式漢字理解をどうやって克服しようかと悪戦苦闘されていた。その中で白川さんと出会い、教材開発をされていたことを思い出す。
子の名付けなどでは、白川さんの「字統」「字訓」を何度もめくりかえしてみた。大きな仕事をされたと思う。

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