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2006.11.05

11/5 下村官房副長官がゼロ歳児保育が家庭をバラバラにすると

右翼系地方議員(保守系じゃないですよ)の身内では、子どもの権利や子どもや家庭に対する福祉施策は、家庭を崩壊させると批判している(コミンテルンの謀略とまでいう馬鹿もいる)。しかし彼ら自身の選挙公約では「保育所の充実」とか「子育て支援の拡充」など恥ずか気もなく訴えていたりしていることが気になっていた。多分、保育所入所の口利きが票になるからだろう。また、自営業などなし崩し的に共働き状態で保育所を使わざるを得ない支持者が多いからかも知れない。でも、汚いな、と思う。

そんななかで、やっぱり右翼系議員のホンネは保育所はいらない、子育てなんか「母親」に押しつけておけばいいのだ、と考えていることがありありとわかる発言が、きょうの下村博文官房副長官(自民党・板橋区選出衆議院議員)の「ゼロ歳児保育に税金投入するなら母親は無理に働かなくても」の発言。こういう俗論が受けるのかな。下村官房長官、まずは自らが、仕事もしないでゼロ歳児と1年一緒にいてみなさいって。

冷やかしはこれまでしにて、下村発言の現実的な問題点と、考え方の問題点を指摘しておきたい。
現実的な問題点は、ゼロ歳児保育が始まる80年代前半までは、どうしてもゼロ歳児を預けなくてはならない場合、劣悪なベビーホテルに赤ちゃんたちは預けられ、ひどいめにあっていたことをきちんと思い返してほしい(至文社「ベビーホテル」参考)。今でもゼロ歳児保育をしないと公言している自治体の保育環境がどんなものか、検証して言ってほしい。べきだ論とは関係なく、もちろんイデオロギーとも関係なく子どもは生まれ、育てなくてはならない。そうした子どもが路頭に迷わないように社会制度は組み立てるべきだし、その方が国民の能力発揮のためにはいいことのはずだ。
また下村氏は首都圏選出議員だからわからないのかも知れないが、地方で、農業、漁業、零細企業を支えている家庭というのは、保育所なしには成り立たない。保育所が母親の責任放棄をもたらし家庭を壊す、という論陣を張っている議員というのは、大半が大都市圏の専業主婦率の高い地域の議員だからだ。地方では、家業や地域の産業で働かない女性というのも、これまた家庭を壊す原因になるのだ。フェミニズムに毒された女が育児放棄で子どもを預けているなんて観念的な批判は当たらない。
家庭を壊すのと子育ての社会化とは全く関係のない話で、我が国で母親が守る家庭というのは下村氏がどのように捉えているのかわからないが右肩上がり・55年体制・戦後民主主義・高度成長期の幻想に過ぎない(徳川社会主義者の私としては、よくよく日本の伝統というものを強調しておきたい)。

また考え方の問題として、子育ては家庭でするものだ、という定義をされているが、家庭におしこめる弊害については、80年代ぐらいからいろいろ指摘されている。子育てが家庭に入りきらなかった昭和30年代と最も子育てが家庭に入りきっていた昭和50年代とを比較して、子どもたちはどうなのだろうか。家庭をバラバラというのは保育所がバラバラにすることなのだろうか。逆に、保育所が子どもや保護者たちをつないで、強い地域をつくれる可能性があるのではないだろうか。

保育所にどれほどの税金を使っていると胸を張れるのか知らないが、その機能をネガティブに宣伝するなら、その弊害についていろいろシミュレーションをして言って貰いたい。また、働かなくて済むというなら、長時間労働を黙認し育児休業取得に後ろ向きな企業に対して政治からガツンと言ってもらいたい。献金ほしさに甘チョロいことしか言っていないのに、家庭にばかり難題をふっかけてくれるな、と思う。

●板橋区の学生(男)が子ども(5ヵ月)を虐待して3ヵ月の重症の怪我を負わせて逮捕された。この学生、虐待した当時は朝霞市に住み、妻が働いていて生計を立てていたという。
気になったのは、この赤ちゃん、保育所に入れていたのだろうか。8ヵ月からしか入れない公立保育所では受け止めていなかっただろうし、共働きでもなかなか入れない朝霞の保育所が、片親が学業で入るのは難しかっただろう。経済的にも無認可保育所に預けるのは厳しかったのではないか。学生に子どもができて、妻に働いてもらいながら、男が孤立無援で、他の学生が自由にしていてあと数年は家庭責任から自由でいられる状況を横目に見ながらゼロ歳児を子育てする、という境遇の中で、保育所の支援が受けられなかったことを想像すると、加害者を責めること以外にも、考えなくてはならないことがとても多いような感じがする。
朝霞市の子育て力についてどうなのだろうか。とくに逮捕時には板橋区に住んでいたというのは、福祉難民だったからだろうか。それとも離婚なのか。朝霞市の児童福祉政策を考えていく上でとても気になるニュースである。意味のない保育行政の線引きを見直す機会にしてほしい。

待機児童問題で官房副長官「母親は家庭で子育てを」
 下村博文官房副長官は5日、静岡県熱海市で開かれた自民党東京都連の勉強会で講演し、保育所の入所待機児童解消策について「本当にいいのか見直すべき時期に来ている。(特にゼロ歳児保育に)税金投入するなら、(母親は)無理に働かなくても、家庭でしっかり子育てをやってもらえるようにシフトしていくことが望ましい」と述べた。政府が進めている待機児童解消策の見直しを求めたものと見られる。

 また、下村氏は「家庭をバラバラにする政策ではなく、人間社会の原点である家庭を再び構築していくような政策が必要だ」と強調した。

 高校の必修逃れ問題に関連し、問題となっている教育委員会のあり方については「文部科学省、都道府県教育委、市町村教委、学校現場の関係を整理する必要がある」として、現在、都道府県教委が持っている小中学校教員の人事権を市区町村教委に移すことなどを検討するよう求めた。
(2006年11月5日22時45分 読売新聞)

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コメント

はじめまして。
今日の朝刊を読んでモヤモヤしてたWMですが、こちらの記事がズバリ私の心情を代弁してくれた気がして書き込みさせていただきました。

母親を家に戻せば解決する問題とはとても思えません。
おっしゃる通り、下村官房長官にはぜひ密室育児体験をしていただきたい!

投稿: はっさく | 2006.11.06 23:55

コメントありがとうございます。
生まれてすぐに保育園に通い始めた子が1年経っています。彼は私が5歳になってやっているようなことを、お兄さんお姉さんたちに教わってできるようになっていたり、友だちともまれる中ではるかに人間関係の距離をうまくつかんでいます。理屈だけではなく、家庭育児だけを礼賛する理屈って裏付けあるのかよ、と実感しています。
あと、1年経ってから保育園入ってきた子って、慣れるのにとても苦労していますよね。

投稿: 管理人 | 2006.11.07 00:12

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