11/14 愛国心があればコンビニでべた座りしなくなるか
自動車免許の更新に行く。交通安全教育の内容として30分と限られた時間内ではきわめて適切な内容だったと思う。しかしこれで事故が減っているとは思えない。居眠りしていた人もいたし、何言ってんだよという態度で聴いていたDQNサラリーマンもいた。それより罰則強化で確実に事故が減っているというし、交通安全教育の無力さを感じる。でもやった方がいいけども。
帰りに今のマンションの販売はどのようになったか、気になった近所の新しいマンションのモデルルームを見に行く。まぁ、普通に住む分にはとてもいいマンションだと思う。
今の家に住むことを決めて8年になるが、内装込みの青田売りとか、、管理無視の売り方の抜本的な姿勢は変わっていないと思った。一方で、生活のクオリティーを気にした設備などは相当良くなっていると思った。また強引に和室を用意することもなくなっている。
値段が少しびっくり。もともと交通の便利な場所ではあるし、土地は高い商業地でもあるからだと思うが、相場より15%ぐらい高い。東上線沿線でこれだけの値段がつくのかなと思う。所得も上がらないのに不動産だけ上がるミニバブルを感じる。
気になったことは、今のマンションのときもそうだったが、「主人」「奥様」と呼び、呼ぶだけならともかく、妻が専業主婦であることを前提に話を進め、保育園と言っているのに「幼稚園」と返してみせたり、販売員に強烈な男女役割分担意識と、ライフスタイルの固定観念を感じたこと。何とかならないものかと思う。
●今日のクローズアップ現代で、教育基本法改正の大きな争点の愛国心教育の現状がレポートされた。
愛国心教育は、トンデモ理論で実施されている。そもそも愛国心教育を議論するときには、公教育にとって必要なのか、意味があるのか、という視点から行われるべきだろう。しかし、今日愛国心の必要性が語られているのは規範性の確立だ。コンビニの前でべた座りしている若者や所かまわず携帯電話を使う若者、子どもたちの生活態度や、いじめなどの人権侵害への特効薬のように「規範意識」という言葉を経由して必要性が語られている。愛国心が規範性につながるのか、規範性がいじめをなくすのか、そんなもんではないだろう。こんなこと言ってはなんだが、10代で日の丸と特攻服の大好きな若者が、駅前で座り込んでたばこ吸っているではないか。
かつて社会党最左派の教祖・向坂逸郎というおじいさんが、ゲイの東郷健に「君も社会主義になればゲイも直る(科学的な社会になりゲイの原因も科学的に究明されて治療ができるという意)」と暴言を吐いて問題になったが、それに近い暴論だと思う。愛国心って、売薬のようなものなのだろうか。
番組で取り上げられた、渡邊万里子という教員の愛国心教育にびっくりした。もうとにかくぶったまげた。この渡邊氏は、およそ日本の女(やまとなでしこ)らしくない態度、格好、話し方で、子どもたちの議論を強引に誘導して愛国心とはこうだ、と押し付けている。今では笑い噺になるような、昔、左翼セクト教員が愚にもつかないイデオロギー教育をしていた姿にそっくり。
その授業は、南の国(アメリカやイギリスではない)からやってきたスージーが、日本の四季を美しいと指摘したときのあきら君の気持ちを考えましょう、という課題を考えるというもので、強引に四季のある日本を愛する気持ちがわき上がったと答えさせている。
「スージーの国には美しいものはないのか。スージーの美観を無視するのはおかしい。」と指摘した生徒に対して、富士山には四季の移り変わりがあって、それをスージーに指摘されたあきら君の気持ちを聞いているんです、と強引に無視させる。ひどい授業だし政治的手法だと思った。
この逆の立場で、このような手法で行われた授業を受けたことがあるので、いかにこうした教育法が愚かかということを強く指摘したいし、こんなことで植えつけられた「愛国心」らしきものは定着しないと思う。
レポートでも、他国に尊敬されるためには自国への愛国心が必要と訴えているが、愛国心の強い国民がいることと他国からその国が尊敬されることは無関係だ。愛国心もヘチマもない高度成長期の日本だって、結構多くの国に尊敬されていた。自分たちがすばらしいと思う心と、相手の評価は無関係だ。相手に尊敬されるためには相手に尊敬されるように身を処すしかない。
そもそも愛国心で自分の国の長所がないと成り立たないものなのか。左翼でいると嫌がおうでも革命家の生涯を知らなくてはならないが、彼らの多くは何一つ美しいところがなくなった祖国を愛するために、現体制を強烈に否定してきた。そんな複雑な愛国心のありようなど、体制追認、亡国政治家や汚職政治家を見逃せと言わんばかりの愛国心では理解できるわけがない。
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コメント
放映翌日15日の授業後、渡邊万里子先生に電話しました。
私:「愛国心を教える」とは日本のよいところに気づくよう誘導することですか?
先生:全く違います。日本の特徴を考えさせて…。
私:でも先生は「日本のよいところは…?」と発問されていたではないですか。
先生:そうですね…。
私:「国を愛する」とは「日本を愛する」ことですか、それとも「自分の国を愛する」ことですか。
先生:「自分の国を愛する」ことです。
私:それではクラスに外国の生徒がいたらどうしますか。
先生:たまたまあのクラスには外国の生徒がいなかったのであのような授業になりました。
私:それではもし外国の生徒がいたらあのような授業はできませんね。
先生:そうですね…。
あまりに偏狭な「愛国心」の捉え方を指摘したところ、
先生:放映された映像は一部分だけで誤解されているようです。
私:誤解されているなら、その旨NHKに抗議してはどうですか?
先生:えー、そうします。
というやりとりがありました。「一部分だけ」というのは、他に「歌舞伎・茶道・和食・日本語」などをテーマにした教材・授業があったのだそうです。これらのテーマで「だから日本はすばらしい」を繰り返すのでしょうか。先生の研究論文を読むとどうもそのような授業になりそうです。
そうそう、電話中「日本のよいところ」として先生がいくつか挙げられたなかに、「戦争がないこと」がありました。先生のあまりの屈託なさ、無邪気さに気圧されて、「日本の国内でこそ戦争はしていないけれど、イラク派遣空自が米軍の兵站活動をしているのは、これはもう常識ではないでしょうか」と言いそびれてしまいました。
電話であまり長く拘束するのは申し訳ないので、十分意を尽くせませんでした。改めて手紙を書くつもりです。皆さんも、渡邊先生に直接意見を述べてはいかがでしょう。電話は授業時間を考慮して。
※以下、渡邊万里子教員の連絡先が記載されていましたが、反論の場と時間が限られていると思うので、高橋真奈さんのやりとり以上の質問をされたい方は、ご自分で連絡先をお調べになってお問い合わせください。
投稿: 高橋 真奈 | 2006.11.19 01:49
高橋さまお返事遅くなりました。
渡邊教員への取材ありがとうございます。
外国人がいたら内容を変える、というのは普遍的ではないことを教えていないと吐露しているようなものですね。これこそ問題教師ですね。
日本の伝統を美化するなら、教室に畳を敷いて、先生も和服でおいでになったらいかがかと思うのです。スーツなんて民族派からすれば鬼畜米英の押しつけたものですよね。
日本人の美徳にとってつけたように戦争をしない、と言い訳したのですが、戦争したことは何回かありますし、好戦的ではないという意味なら、弱者が我慢して闘わないことをよくよく知っていていじめをやる社会風土についてはどう考えるのでしょうね。
戦争はしないけど、いじめはやる、税金は払わないのに政治家にはたかる、女・子どもを差別する、外国人は差別する、そうした他国民と比べた日本人の負の部分も認識しないと、また嫌われる国民になりかねません。
投稿: 管理人 | 2006.11.23 08:22