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2006.11.11

11/11 自殺の期限の日に考えること

文部科学省にいじめで自殺するという手紙が届き、今日がその自殺の期限だ。関係者のこの間の緊張は大変だっただろうと思う。いじめについていろいろ考えた。

いじめは加害者がいけないから加害者にガツンとやるべきだ、というごもっともな意見が跳梁跋扈しはじめている。道義的責任はそうだと思うが、それが本当の問題解決にはならない。被害者が、加害者の非を指摘してどうなるというのだろうか。被害者が包み隠さず学校や教員に被害を訴えたら復讐の理由にされるし、また学校や教員が加害者に下手なアプローチをしてしまえば、やはり被害者は復讐を受ける。いじめはケンカと違うのだから、そんな単純な話にはならない。

いじめは、場の空気を支配し、空気に外れたり、読めないとされた人間に行われる。学校では教員や親に見あたらないような場所で行われる。さらに加害者は脅迫し口封じを要求する。そういう前提を飲み込んで処方について考えて欲しい。学校の教員に責任がないとは言わないが、学校に解決のすべてを委ねたり、責任を負わせることは、効果的な解決法ではない。
いじめに苦しんでいた人の書いたものを読んでいたときに、休み時間、給食、グループ作業、体育や芸術系科目の実技、こうした時間が被害をうける時間で、通常の授業中が一番ほっとした、というところを読んで、そうだったなぁと思う。

対応をする前提として、子どもの社会関係を学校に一元化しないことだ。学校しか社会関係がないから、子どもは自分のされていることを相対化できない。学校で認められなくても、趣味の活動や、私塾や、学校を超えた友だちが認めてくれれば自殺することはない。しかし、いじめを学校が解決すべきという議論の中には、子どもの社会関係の責任をすべて学校に一元化していることを前提にした言い分がある。学校が完全に子どもを支配することが前提の議論で、そんなことはありえない。

次に、被害を受けた当事者の権利性をきちんとふまえた対応をすべきだ。復讐の恐怖に怯えて学校に対応を求められないのに、学校が手を差し伸べようとすることに限界はある。当事者が、学校やその関係者のいない第三者に相談し、問題解決を求めることができる制度が必要だ。兵庫県川西市の子どもオンブズマンや、長野県教育委員会などの取り組みが評価できる(長野はいじめ自殺した人の親が課長をしている。しかし知事交代でこの対応セクションを潰すか縮小しようとしている。田中康夫の目玉政策でもないだろうに新知事は子どもの生命や人権より田中の特色潰しを優先するらしい)。
多くの自治体では相談室を設けてカウンセラーを配置してやっています、と言うが、これはいじめを解決してくれる第三者機関ではない。壊れた道具を修理屋に出しても、道具を壊す環境が残っていればいくら修理しても仕方がない。さらに踏み込んで言えば、なぜいじめの被害者が病人扱いされ、カウンセリングと称してどこの馬の骨だかわからないカウンセラーに全面的帰依を要求され内面をえぐられ続けなくてはならないのか。第三者といえばカウンセラーだけにいじめの対応をさせるのは暗にいじめられたあんたが悪いと言っているに等しい対応だと思う。

学校はあくまでも勉強する場なのだから、いじめで勉強する環境が整わないなら、無理して行く必要はないことも認めるべきだろう。義務大好きな日本人は、教育の義務ばかり強調する。しかし生存権や幸福追求権に教育の義務が優先されるとは思わない。自由で民主主義が尊重される国の中で法を順守して生きるかぎり、義務教育が、生命や人として大切にされる権利より優先されるなんてバカな理屈はない。権利のない前近代はさらに義務教育なんて概念がない。

さらに学校は教育機関であるという原則をきちんとうち立てることだ。授業以外の時間をあまり大切にしない、授業以外はなるべく子どもを家に帰すようにすべきだろう。クラブ活動は学校に従属させるのではなく、地域社会にやらせて、学校の人間関係をリセットできるところでやる。学外の友だちづくりを大いに奨励する。
どういう文脈で全人教育を右も左も擁護するのかわからないが、人格形成の場なんてわけのわからないことをするから、学力以外の評価が学校で幅を利かすことになるし、そのことでいじめる側の正統性を作っていると思う。

もっと大きな話では、「空気」が支配するこの社会のありようを変えていく必要があるのではないか。ニート問題の処方箋として、人間力とか、コミュニケーション能力が着目されるようになったし、若者が「空気を読め」という言葉を昔より使うようになったことが気になっている。これまで言葉にすら成らず、後ろめたさと裏腹にあったいじめを、正当化する言葉がつくられていると危惧している。

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