11/10 官が作文して民が読む→官から民へ
北海道でお世話になった友人から「選挙に出たい大切な人がいるので、選挙ってどんなことするのかアウトラインを話してほしい」と頼まれたので、池袋で晩ご飯を食べながら、具体的な作業についていろいろ話をした。
最近、マスコミで選挙を語るときに、浮動票とか無党派層が話題になるけれども、超大選挙区制(定数が何十人もある)の基礎自治体の議員選挙の場合、浮動票も無党派層も名簿で見える票しかない、などと話をする。地域社会でマイノリティーになりがちな人たちの力になりたい、ということなので、ほんとうに期待したい。むかしはこういう候補は民主党の傘に率先して飛び込んできたんだけどなぁ。
話の中で、選挙とは別に、未婚の父とか、ゲイが養子をとりにくい(実態としてはとれない)ことなど、考えていかなくてはならない話しもあった。
●タウンミーティングの胡散臭い運営実態が次々に明らかになっている。
やらせ質問のほか、一般参加者がたくさん入れないよう動員参加者が先に大半の座席を埋め尽くしていたということもばれた。「再チャレンジ」でもやらせ質問が発覚している。
社民党の保坂議員が、自身のブログで、
今まで、ヤラセ問題は「文例」を示して言わせるというシチューエションだったが、官製動員を徹底して会場を埋めてしまうことで、もう一般応募者の席はありませんと参加を拒む状況を作り出し、「教育基本法改正反対派」の締め出しをはかるというもうひとつの作為が働いていたのではないか。「官が作文して、民が読むというのが『官から民へ』だったのか」と今日は委員会室で叫んでしまったが、よくよく考えてみると「民」を装った「官」の大量動員が行われていたことは見逃せない。
と書いている。「官が作文して民が読むというのが官から民へだったのか」という質問はいい。民間委託もそんなもんだもんな。
民意を作文して、民に言わせて、サクラに拍手喝采させて自由意見を封殺するというのは、安倍晋三が目の敵にしている北朝鮮はじめ、共産主義国のやり方と同じだ。共産主義は諜報機関を使うが、我が国では広告代理店を使ってスマートにやっているという違いはある。
●それで思い出したけど、夕方のニュースでフジテレビの木村太郎が、公務員が4人しかいないアメリカの自治体を紹介していて、「道路の穴をすぐ埋めてくれる」「木の枝をすぐ切ってくれる」という市民のコメントを紹介して、行政が効率的になったと木村は宣伝していた。そうだろうか。
道路の穴を埋めるとか、木の枝を切るなどということが、自治体の本来業務なのだろうか。そういうことに自治体をこき使うこと自体の是非を問わずに、市民から言われたから何でもパッパッとやっていることが効率的だとは思えない。
松戸市の「すぐやる課」がいい自治体の理想像のように語られ過ぎている。元気のいい苦情魔のための市役所になってしまう。社会も経済も税収も伸びることが前提になっていた高度成長期は、市民のいいなりになってやり散らかしても始末はつけられる。しかし、少子高齢社会になって思うように成長ができない時代には、自治体の仕事はある程度は絞り込まなくてはならない。元気のいい人、身動き取れる人のための施策は自分たちでやってくれ、と言わざるをえない。自治体は市民のセーフティーネットと自立に必要な機能は何か、を絞り込まなくてはならない。
それなのに、公務員は減らせという一方、市民がやれということをやるのがいい市役所だという議論ばかりが広がる。その感覚が公務員を増やしているし無駄な事業が増殖している原因なのではないか。もっとも、お役所仕事というような、言い訳け文章ばっかり考えているのは問題だが。
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